第6話「とある愚かな騎士の2」
見えなかった。
彼女が剣を構えた瞬間も、それを振るった瞬間も。
気づいた時には腕が飛んでいた。いったい、何が起こったのだ。
対応できないだけならまだしも、中級騎士である自分が目ですら追えないなんて。
「ありえない……ッ、そんなこと」
「貴方如きの尺度で何がありえないと言うのですか。ありえないのは、貴方のご主人様に対する態度でございます」
「そう虐めてやるな。名もなき騎士になど何も期待はしていない」
「……! さすがです、ご主人様。なんとお心の広いスーパーご主人様。このティアナディア、メイドとしてウルトラ感激いたしました。どきどき」
男の方が窘めると、女は僅かに表情を緩めて背筋を正した。
どうと風が吹きフードが取れる。
綺麗な銀髪が特徴的な、人形のように均整の取れた少女だった。
その端正な顔からは激しい怒気が伝わってくる。
「双剣使い……でも、その長さで」
二本の剣を持った女の装いは異様だった。
探索者の派生の中級職に、双剣士という職業がある。
しかし、あれはあくまで短剣を二本扱い戦う近接系の職業だ。
彼女は大の男が両手で持つような剣を左右の手に一本ずつ持ち、自在に振るった。
新雪が引き延ばされ洗練されたような純白の剣と、宵闇を凝縮したような漆黒の剣。
ただの装具じゃない。それぞれ宝具級の性能を秘めた一振りに違いなかった。
それを二振りも一度に……?
「双剣天機――近撃士派生の固有職業でございます。まさか聞いたことすらありませんでしたか? 王国騎士のレベルもたかが知れますね」
女の淡々とした言葉に耳を疑った。
「ゆ、固有職業だって……ッ」
つまり、王国騎士の隊長と同レベルの実力を備えているということか。
上級職に職業昇進する者ですら、それだけでエルタニン王国で十本の指に入るほどの実力者だ。それが固有職業!?
嘘でないなら、アルマが手に負える相手じゃなかった。
改めて状況を確認する。
明らかに格上の近接系の職業の女が一人。
彼女が主人と慕うのだから、後ろの男も相当な実力者なのだろう。
取引をしていた初老の女性は気づけばいなくなっていた。強かなヤツだ。
そして、下級騎士の二人は今も呻きを上げながら地面を這いつくばっていた。
それを一瞥した女が「ご主人様の耳をこれ以上汚さないでください」と二人の首を落とした。まるでバターでも斬ったかのようだった。二つの頭蓋が足元に転がる。
二人の虚ろな視線がこちらを捉え、アルマの喉から引き絞ったような音が漏れる。
ヤバい。バケモノだ。
もうこれは騎士がどうとかそういうレベルの話じゃない。
おそらくコイツらは魔族だ。これだけ力を振るっても認識疎外が解けないのだから、レベルも相当上だろう。
それを意識した瞬間、恐怖で体が強張るのがわかった。
敵わない。敵うわけがない――こんなところじゃ、死ねない。
「あ、あぁああああああああああ――ッ」
大声を出して己を奮い立たせる。
動け、動け、体よ、動け。ここから早く逃げるのだ。
自分はエリート騎士だ。これから戦果を上げて昇進し、溢れんばかりの賞賛と尊敬を一身に受けながら、悠々自適な生活を送るのだ。
そうだ。それがこんなところで死ぬなんてあり得ないことだ。
やっと緊張が解れて逃げ出そうと踵を返そうとした瞬間、動きが止まった。
いや、止められたというのが、正しいか。
「――ッ、クソ、クソクソクソクソッたれ」
金髪の男が杖を構えていた。
魔導系の職業か。何か魔法を使ったのは明白だった。
「騎士の何たるかを教えてくれるのだろう? それとも、逃走こそが騎士の本懐か? 悪人を前に背を向けて情けなく逃げ惑うのが騎士の姿だということか」
「知るかよ、んなこと! 死ねない……王国の未来のためにも私は死ねないんだよ!」
「一介の中級騎士如きの命が王国の未来を左右するとは到底思えないのだがな。ふむ、こうしよう。貴様が俺のHPを一でも削れたら、見逃してやる」
「HP……? 何を言っているんだ」
「なるほど。その概念すら、この世界には存在していないのか。ならば、こう言い換えよう。貴様が俺に少しでも傷を付けたら解放してやる」
その言葉に僅かな希望を見た。
それは中級騎士を舐めすぎだ。
相手の職業が魔導系なのはもはや疑いようがない。
近接系の職業と一対一で戦うなど無謀もいいところだ。
それも逃げ場のないこの狭隘な路地でなんて。
相手のレベルが多少自分より上だろうと、これだけ有利な条件なら可能性はある。
問題は、あの固有職業持ちの女の方だが。
「安心しろ。ティアには一切手出をさせない。正真正銘の一対一だ」
アルマの心中を察知してか、男はそう告げる。
「約束は守れよ?」
「ああ、魔族の誇りに誓って約束は違えないさ」
やはり魔族だったか。
猶更、引けなくなった。
だが、女の方が手を出さないというなら、どうにかなる。傷一つくらいなら――いや、倒せるかもしれない。
男の方が女と同じほどの実力者だと決まったわけではない。金の力で最強の護衛を雇っただけのボンボンかもしれない。そうだ、そうに決まってる。
敵を過度に恐れ過ぎていたのかもしれない。
そうでは勝てる勝負も勝てなくなるというもの。
思考が回り体に活力が戻ってきた。
アルマは剣を構えると、勇を鼓して突撃した。
「はあああああ――ッ」