第52話「シグレの布教活動2」
銀等級ということは、少なくともレベル二十はある。
全員がピオンとホルホル以上のレベルを持つと考えた方がいいだろう。
ピオンは、改めて敵を観察する。
最前列に、長方形の盾と取り回しのいい西洋剣を構えた男が一人。おそらく、職業は盾守士。
その少し後ろに、両手で西洋剣を構えた男が一人。彼は剣撃士だろう。
最後列に居る二人の女が、それぞれ杖やローブを装備した、魔導系の職業だった。一人はおそらく、回復師だろうが、もう一人は判断がつかなかった。
計、四人のパーティー。
厳しい状況だが、戦うしかない。
ピオン一人なら、逃げることもできたかもしれないが。
「――我は呪いし者。湧き上がれ、侵せ、鈍色の沼よ」
ピオンの後ろで杖を構えたホルホルは、既に詠唱を始めていた。
その内容で、彼女の意図を察する。ホルホルとは何度も共に死線を潜り抜けてきたのだ。やる気の相棒を見て、ピオンは勇を鼓してホルダーから二本の短剣を取り出し逆手に持つ。
「先手必勝ってワケじゃん!」
ピオンは迷わず、後列の魔導系二人に向けて疾駆。
「下がってろ、ここはオレが!」
盾守士の男が間に入って、ピオンを受け止める姿勢を取る。
が、想定内だ。
ピオンは高く跳躍。そして、空を蹴ってもう一段斜めに跳躍。
「――《空蹴》」
特殊な走法で空中での跳躍を可能とする、闘気術である。
物理法則を無視した突然の動きに盾守士は付いてこられない。足に根が張った男を尻目にピオンは洞窟の側面を数歩駆ける。
「――その歩みに永劫の枷を。その歩みを疾く喰らい尽くせ」
同時に、ホルホルの詠唱が完了。
「やっちゃえ、ホルホル」
「――【遅行の湖面】」
敵の足元に、おどろおどろしい紫色の毒沼が広がる。
それは呪いのように足に絡み、行動速度を大幅に制限する。ホルホルの得意技。広範囲に作用する、強力な弱体化付与の魔法だった。
「――ッ、呪術師か!」
呪術師。
対象の能力低下を得意とした、魔導系の職業。少々扱いづらい魔法が多く、単独での戦闘に向かないため、数は少ない。
だからこそ、こうして不意を突ける。
「今更気づいても遅いし!」
ピオンは母指球に力を込め、壁を蹴る。前衛二人を飛び越え、矢のような速度で一直線。目標は変わらず、後列の二人。まずは回復師の女だ。
補助役、特に治癒系の術師を先に叩くのがセオリー。
【遅行の湖面】の効果で、敵の速度は落ちている。
スピードに特化した、ピオンの動きに対応するのは至難の業だろう。ホルホルが補助技で速度を下げ、そこを速さが売りのピオンが叩く。
それが十八番だった。
この戦い方で、何人もの冒険者を葬ってきた。
同じようにコイツらも葬って、レベルを上げる。そして、そのままベリウスに認められて傘下に入るのだ。そんな華々しい未来が過り、自然と口角が上がる。
「まずは一人。【双撃】――ッ!」
ピオンは回復師を視界に捉える。
ピオンは中級職――双剣士である。
二本の短剣を操る、俊敏性に優れた近距離物理型の職業。手数の多さも特徴の一つで、トリッキーな動きで敵を翻弄する。
頭上からの強襲に回復師は反応できていない。ここだッ。
「よし、取っ――え?」
瞬く間の二連撃にピオンは勝ちを確信し――しかし、乾いた衝突音。ピオンの繰り出した刃が半透明の壁に弾かれる。
そこでやっと、回復師の背後に居たもう一人が、詠唱をしていたことに気が付いた。
魔法を見るに、彼は青魔師。防御や補助をメインとした魔法を得意とする職業だった。
「――ッ、【プロテクション】⁉」
展開されたのは、物理的な攻撃を防ぐことに特化した光の壁だった。
攻撃を防がれ、ピオンは反射的に距離を取る。
すると、回復師の女が何やら詠唱を始めた。
させない――そう思って、再び強く短剣を握ると。
「らあぁあああ――ッ、【シールドバッシュ】ッ」
真横から魔獣が突進してきたのかと思う勢いで、盾守士の男が突っ込んできた。意識の外からもたらされた攻撃に、ピオンは対応できない。
「ど、して――ッ」
ピオンの軽い体は容易に吹っ飛ばされる。硬い地面をバウンドし、壁に激突。眼前に火花が散る。ぐわんぐわんと揺れる視界の中、意外にもピオンの思考は冷静だった。
ピオンは盾守士の男を躱して、回復師の女を狙った。しかし、物理攻撃を防ぐ魔法を使われ、次の瞬間には盾守士に吹き飛ばされた。
全て彼らの計算通りだった。
彼らはピオンが回復師を狙らっていることを初めから察していた。だから、事前に青魔師は詠唱をしていたし、盾守士はピオンが抜けてすぐに後ろへ駆けた。そうでなければ、【遅行の湖面】の影響下で、間に合うはずがなかった。
「マジかよ……最悪じゃん」
体の節々が痛い。口の中が切れて鉄の不快な味がする。
しかし、ピオンはギリと内頬を噛んで、意識の紐を引き寄せる。
「けど、こんなところでッ」
短剣が両手から離れていないことを確認し立ち上がると――その刹那、肩に鋭い痛みが走る。鮮血が散り、思わず短剣を取り落とした。
「うぐぅ、やぁああ――ッ」
すかさず距離を詰めた盾守士の男が、片手剣を突き刺してきたのだ。
「――【デスペル・ソング】」
同時に、詠唱を終えた回復師が、魔法を発動。
ホルホルが展開した【遅行の湖面】を解除した。
これで、敵の行動速度は元に戻った。
つまり、今、ホルホルは無防備な状態だ。慌てて彼女の方に視線を向けると、剣撃士が一直線にホルホルへ迫っていた。闘気術を使い、何度も斬りかかる。
「――ッ、きゃぁああ」
「ホルホル――ッ!」
ホルホルは杖で攻撃を捌いていたが、やがて押し切られる。肩から腰に掛けて大きな裂傷を刻まれ、己の血溜まりに沈む。
ピオンは駆けだそうとするが、肩に刺さった片手剣が抜けない。
「逃がすわけないだろ。観念しろ、雑魚魔族」
盾守士の男には一切の油断がなかった。
親の仇でも見るような目でピオンを睨め付け、グッと剣を握る手に力を込める。
――お前らは魔族の面汚しだな。
いつしか、別の魔族にそう言われたことを思い出す。
その時、ピオンは俯くばかりで何も言い返せなかった。
何も変わっていない。あの時から、何も。
せめてホルホルだけはとも思うが、それすらも叶わない。
そんな贅沢な望みを突き通せるだけの力をピオンは持ち合わせていない。
「…………ごめん、ホルホル」
そう思うと、一気に全身から力が抜けていった。
耳鳴りがする。人族を倒せと、魔族に刻まれた本能が、赤き竜の声が聞こえるが、それもどこか遠いもののように思えた。
「……ベリウス、様。ベリウス様ぁ……」
こんな時でも、ベリウスの鮮やかで強力無比な魔法が鮮明に思い浮かぶ。
最後にもう一度だけ、一目でいいから彼の姿を見たかった。彼の傘下に……なんて言わないから、この目に焼き付けさせて欲しかった。
肩に激痛を感じながら、ピオンは半ば諦めの気持ちで目を閉じる。
そして、数秒が経ち――覚悟していた衝撃はなかなかやってこなかった。
不思議に思って目を開くと、そこには信じられない光景が広がっていた。
「…………ぇ?」
盾守士の男の首から下が宙吊りになっていたのだ。
そして、首から上を紅蓮の鱗を持つ竜が咥えていた。
バキリ。鈍い音を立て首から上が噛み千切られると、盾守士の体が地面に落ちる。じわじわと血が広がり、ピオンの足を濡らした。
ゴリゴリ。バキバキ。
静寂の中、竜が男を噛み砕く音だけが響く。
理解ができなかった。
なぜ? どうして、こんなところに竜種がいるのだ。
人族の冒険者たちも同じ気持ちだったのだろう。ポカンと口を開けて、何もできずに仲間が喰われる光景を見つめていた。
そして。
「うわぁああああああ――ッ」
一拍してから、冒険者たちの絶叫が響く。
「どうして、こんなところにレッドドラゴンが!」
「ありえないわ、こんな浅層で! 竜種なんて」
冒険者たちは慌てて武器を構える。
しかし、あれだけ冷静に連携が取れていたのが嘘のように、酷い動きだった。いや、たとえどれだけの練度で戦おうが、結果は変わらなかっただろう。
剣撃士が振るう剣はその鱗に傷一つ付けることができない。青魔師の魔法も全て弾かれる。回復師がサポートに回るが、それもまるで意味のないことのように思えた。
絶望的な状況だ。
冒険者たちにとっても、ピオンたちにとっても。
そうだ。別にピオンたちは救われたわけではない。レッドドラゴンは生きのいい冒険者たちを屠った後、その牙をピオンとホルホルに向けるだろう。
そんな時。
「待て」
洞窟の奥から、小さくもよく通る声が響く。
瞬間、レッドドラゴンの動きがピタリと止まった。
まるで何かに怯えているように、その表情まで固めて一歩も動かない。
それは闇の中から現れた。
若干大きめの三角帽子に、ローブ。稲穂色の尻尾。翡翠色の瞳。獣人族――おそらく、妖狐種だった。
その妖狐種はピオンを見ると、不格好な笑みを浮かべて首を傾げた。
「ふぅえっへへ……あなた、今神様の名前を呼びましたよね?」




