第5話「とある愚かな騎士の」
エルタニン王国。王都アルティバ。
街は聖天祭の準備でよく賑わっていた。
行商人の出入りが多く、観光目的の客も増えた。
書き入れ時だと出店を出す商人もいて、国の主導、または有志で町は煌びやかに飾り付けられており、どこか浮足立った雰囲気を感じる。
だが、こういう時にこそ騎士として気を引き締めねば、とアルマは両頬を叩いて気合を入れる。
アルマはエルタニン王国聖騎士団、第一騎士団警備隊に配属されていた。
警備隊は、騎士団の中でも最も多くの比率を占めており、主に国内の治安維持や警備等を任されている。
配属先が王都に近いほど地位が高いような見られ方をするため、アルマも勤務先が王都に決まった時は、飛び上がるほど嬉しかった。
レベルはもうすぐで二十一に到達する。
先日、中級職の剣撃士に職業昇進したばかりだ。
二十代という若さでここまで上り詰めたのだ。エリートだといっても過言ではないだろう。
「まったく、どいつもこいつも浮かれてる場合じゃないだろう」
そもそも、聖天祭は天使ミカエラへ感謝を捧げる催しだ。
特に今年は、百年に一度赤き竜の封印が緩むと言われているその年で、つまり、直近で力を持った七人の魔族に七魔皇の称号が与えられているはずなのだ。
内の半分は元々目星をつけていた魔族の中から選出されたが、逆に言えば残り半分は判明すらしていない。
赤き竜に共鳴してか魔獣も活発化しているし、魔族も精力的に動くようになる。
何が祭りだ。人族にそんな余裕があるとは到底思えなかった。
「トラブルってのは、こういう時に起こるものだ。王都にどんなヤツが紛れ込んでいるかわかったものではないからな」
検問はしっかり行われているはずだが、こうも出入りが多いと多少の抜けは発生するし、誰もがモチベーション高く仕事に臨めるわけではない。
伝承の通りなら、そろそろ勇者が現れるはずだが……実は自分が勇者だったりして。
ありえなくはない。同年代でもかなり優秀な部類だし。
なんて呑気に考えていると、裏の通りから女性の悲鳴が聞こえた。
アルマは剣の柄を撫で慌てて駆けだした――騎士の出番が来た!
駆け付けると、そこには地面に倒れ込んだ女性がいた。
彼女が手を伸ばす方向に視線をやると、身なりの汚い大男が煌びやかな魔石のついた鞄を持って逃走している。
ひったくりの現場だった。
近くの騎士が対応するが、無様にも吹き飛ばされていた。
ただの薄汚い男じゃない。あの感じだとレベル十数かそこらはあるだろう。
「任せろッ」
アルマは速度上昇の闘氣術を使用し、大男を追う。
人混みの間を縫って軽やかに接近。
すぐに追いつくと、そのままの勢いで大男にタックルをかました。「ぐえ」と情けない声が漏れ、大男は石畳の地面に転がった。
所詮は身なりの汚い下級国民だ。中級騎士である、アルマの敵ではなかった。
「さあ、お嬢さんの荷物を返して貰おうか。下民」
大男を組み敷き、喉を震わせる。
「う、うっせえ! 祭りだなんだと浮かれやがって! どうせ金も余ってんだろ! 少しぐらい見逃しやがれ、国の犬めがッ!」
「ふん、本当に救いようがないな。だが、これも騎士たる、俺の仕事だ。盗みを働く悪い腕は斬って落としてしまおう」
腰元の剣を抜くと大男は態度を一変。
顔を青ざめさせた。
「は? おい、待て。嘘だよな」
「何が嘘だと言うんだ」
悪は斬って捨てる。
それは正しい騎士としての行い以外の何物でもなかった。
「ちょっと盗み働いたくらいでお前……」
「嘘なものか。激しく抵抗されたから仕方なくだ。ああ、仕方がないことだ」
「わかった。調子に乗った俺が悪かったか――あぁあああッ」
大男の腕に剣を突き立てると、汚らしい鮮血が散ると共に絶叫が響いた。
斬り落としてやるつもりで剣を振るったが、思ったよりも硬い。
ぐりぐりと何度も剣先を刺し入れるが、「うぎゃあ、あがあぁあ」と悲鳴が心底鬱陶しかった。
どうせ、余程上等なポーションでも使わなければ元通りとは行かないだろうし、これくらいでいいだろう。面倒だし。男の血と油を被って気分は最悪だ。
「ちッ、手間取らせやがって。殺してないだけありがたく思うべきだろう」
気づけば、大男は気を失っていた。
遅れて先ほど大男に吹き飛ばされていた下級騎士の二人がやってくる。
ツンツンとした金髪が特徴的な男と、栗色のくせっ毛が目立つ女の騎士だ。
二人の騎士は、地面で伸びている大男を見て愉快そうに口角を上げた。
「さすがですね、アルマさん! こんな一瞬で」
「すんません……私たちなんの役にも立てずに」
さして悪いとも思っていなさそうな腑抜けた面で空世辞を抜かす下級騎士に思うところがないわけではなかったが、中級騎士としての心の余裕を見せることにした。
「気にする必要はない。これも騎士たる自分の役目だ」
二人は同じく第一騎士団の警備隊で、何度か共に訓練をしたことがある。向上心がなく、他人への悪意も少ない。毒にも薬にもならないようなヤツらというのが、アルマから見た彼らの印象だった。
「で、でも……ちょっとやり過ぎなんじゃ?」
「悪人に手心を加えろと?」
一睨みすると、男はひっと喉を詰まらせた。
女の下級騎士が「すみません、余計なことを」と頭を下げさせ、追従して男も謝罪の言葉を口にしてきた。
「激しく抵抗されたのだ。私とて心苦しく思うが仕方なかろう。まあいい。この際だ、この私が直々に指導をしてやる。来い、見回りに出るぞ」
アルマはそう言うと、大男を近くにいた別の騎士に引き渡し、二人の下級騎士を引き連れて街に繰り出した。
人が多くなれば、それだけ事件が起こる可能性も上がる。
魔族の認識疎外は優秀だから簡単に気づけるものではないし、敵は何も魔族だけというわけではない。
さっきのひったくりの男がいい例だ。
人出などいくらあっても足りない。
「アルマさん、あれ」
少しすると、下級騎士の男が袖を引いてきた。
路地裏を指差し、眉を顰めている。
目を凝らして見ると、深くローブを被った男女が、如何にも怪しい初老の女性と何やら取引をしていた。その女性は身なりが汚いものの妖しい魅力があった。
最近王都では、悪質なドラッグが出回っている。
子供が攫われる話や、魔族が出入りしている噂もある。
そんなことを疑い出したらきりがないが、マルスの直感が告げていた。
あいつらは悪人である、と。
「おい、貴様ら。ここで何をしている」
マルスが声を掛けると、初老の女性はびくりと体を震わせた。
その正面のローブの女が対応しようとして、それを男の方が諫める。
「なに、ただ道を聞いていただけだ」
「私には如何にも怪しい取引の現場にしか見えなかったがな」
「……先を急いでいる、どうか見逃してくれないか」
「その言葉で疑いは増したぞ。貴様のような卑怯者は絶対に逃がさないからな。なぜなら、こういうヤツこそ悪人だと決まっているからだ」
「……見逃してはくれないのか」
「しつこいぞ、余程後ろめたい事情があると見える。だが私に見つかったのが運の尽きだったな」
ビンゴだ。
アルマはこの男を捕らえた後の報酬や、昇進、賛辞を妄想していい気分になる。
もしかしたら、コイツは重大な犯罪者かもしれない。
そうだったら都合がいいなと思わず口角が上がる。
「……はあ、貴様のためを思っての言葉だったのだがな」
しかし、ローブの男は呆れたと言わんばかりに大きなため息を吐く。
「なんだって?」
「もう一度だけ告げよう。立ち去れ、端役の騎士風情が手間をかけさせるな」
ローブから覗いた男の顔は、綺麗な金髪が特徴的な美丈夫だった。
尊大な物言いや、威厳のある声は、どこぞの王族を思わせる。
いや、そんな煌びやかな表現は妥当ではないだろう。
その瞳はまるで深淵を灯しているかのようで怖気が走る。
本能が恐怖しているのがわかった。
「……っ、ふざけやがって」
脚が震える。
その瞳に吸い込まれそうになる。
恐怖? 違うぞ、高揚感だ。
何が騎士風情だ。誇り高き王国騎士に何という言い草か。
これは国への明確な叛逆だ。コイツは明確な悪だ。
アルマはこの逆賊を打ち倒して、上級騎士に昇進するのだ。
「よくわかった、逆賊め。騎士の何たるかをその身に刻んでやろうじゃないか」
「……ほう。興味深い反応だ」
余裕綽々の受け答えに苛立ちが募る。
気づけば剣を抜いていた。
視線で合図を送ると、下級騎士たちも同じように戦闘態勢に入る。
比べて相手は二人とも棒立ちの状態だ。
一度痛い目を見せて、ゆっくりと事情聴取をするのがいい。
腕の一本や二本は落としてしまっても咎められることはないだろう。
騎士に対して、礼節と尊敬を欠いた態度。万死に値する。
下級騎士たちが、男に斬りかかろうとしたその刹那――腕が飛んだ。
「は――え?」
びしゃり。アルマの顔をぬるりとした血が覆う。
男は棒立ちのままで何もしていない。
しかし、下級騎士の二人の腕が飛んだのだ。
剣を持った腕が宙を舞い、鈍い音を立てて地面を転がった。
「あ、ぁああああああああ――ッ」
「いやあああああああああ――ッ」
二人は遅れて事態に気づいたのか、絶叫。
傷口を押さえて地面に蹲る。落ちた腕を拾って、どうしたものかと体を震わせて、その間にも間欠泉のように血は出続けていた。
じわじわと血だまりが広がり、アルマの足元も濡らす。
どこまでも広がる真っ赤な底なし沼に引きずり込まれるような光景を幻視して、思わず足が震える。
「今、ご主人様に刃を向けようとしましたね? 神よりも、天使よりも、竜よりも尊きわたしのご主人様に……ええ、これは許されざることですよ」
視線を上げると、両手に西洋剣を持った女性が蔑むような目でこちらを見ていた。