第46話「貴方だけのメイド」
「偽物クセに借り物の力で何をイキがっているのでございますか?」
ベリウスは目の前に現れた少女に言葉を失った。
「……っ、ティア」
だが、これは幻惑だ。
王国軍が仕掛けた魔法によって見せられている、偽物のティアナディアだ。本物の彼女がこんなことを口にするものか――本当にそうか?
疑うと同時に疑問が鎌首をもたげる。
これは、これこそが、ティアナディアの本心ではないのだろうか。
「わたしのベリウス様の体を好き勝手使って、人族を、魔族を、魔獣を蹂躙して気持ちがよかったですか? 何一つ、貴方の力ではないというのに滑稽ですね」
「…………っ」
「わたしに嘘を吐いた。ベリウス様を演じて、わたしがどれだけベリウス様を大切に思っているか知っているはずのに――自分の欲望のために」
「違うッ!」
咄嗟に否定の言葉が出た。
しかし、ティアナディアはその言葉を待っていたと口角を歪める。
「何が違うと言うのですか!」
「ティアを救いたいと思ったんだ! チュートリアルでベリウスが殺されて、心を病ませて、最後には君は勇者に討たれてしまう! そんな破滅の未来を回避したかった!」
「全て自分のためでしょう?」
全てを見透かしたような淡々とした声音に息が詰まった。
自分のため? そんなわけがない。そんなわけが……。
「貴方はベリウス様に憧れていた。こうなりたいと思ったんですよね。強くて、かっこよくて、可愛いメイドに慕われていて、羨ましいと思っていた」
「そ、れは……」
否定ができなかった。
そんなことはないとは言えなかった。
「ずっと何者でもなかったから」
「そんなこと……」
「そうでしょう? 誰からも必要とされなかった。友人はいない。家族には見放されている。誰も貴方を求めていない。自分が一番わかっているでしょう?」
胃の中に鉛を流し込まれたように、ズンと気分が沈む。
目を背けていた、たしかなもう一つの現実に気持ちが引き戻される。
「だからこそ憧れた。何も持っていないから。誰にも望まれていないから」
「……ぁ、ああ」
いつしか、荘厳なローブは剥ぎ取られ、みすぼらしい病衣に代わっていた。
綺麗な金髪も、手入れのされていない黒髪に戻り、吹けば飛ぶような貧相なものになっていた。
「それが本来の貴方じゃないですか。ベリウス様とはまるで正反対の弱くて卑怯者の貴方」
その通りだ。一人じゃ何一つなせなかった。
弱いなんて言葉じゃ足りない。何もない……自分には、何も。
「この世界なら誤魔化せると思いました?」
「……違う、違う! そんなつもりじゃ……」
「貴方はベリウス様じゃありません」
頭を抱える。弱気を振り払うように掻き毟る。
やめて。もうやめてくれ。
もう何も言わないでくれ。
違う。違うのだ――本当に違うのか?
「貴方はベリウス様を利用しているだけ。ベリウス様にはなれないんですよ」
突き付けられた一つの答えに、ベリウスは崩れ落ちた。
◇
聖剣を構えたカンデラは警戒を解かず、ベリウスににじり寄る。
【ナイトメア・メモリー】は対象の心の弱さに関する記憶を呼び起こす、幻惑系の魔法である。
ベリウスは苦悶に表情を歪め、呻いていた。
頭を抱え、悪夢を振り払うように左右に振る。
「総員、適切な距離を取って詠唱準備を始めッ! 絶対に油断はしないでくださいまし」
カンデラは声を張り、自らも聖剣を構える。
まさか、幻惑魔法がここまでハマるとは思わなかった。
大規模な結合魔法。勝算がなかったわけではないが、圧倒的な力を見せつけられて、カンデラもどこか及び腰になっていたのだろう。
そのとき。
「剣聖様ッ! 増援部隊が到着しました! 重装隊に合流させます!」
思わぬ加勢にカンデラは内心ガッツポーズをする。
完全装備の総勢百余名の聖騎士たちが隊列を組んでやってきた。
完全に流れがきている。七魔皇と言えども無敵ではない。
「ここが正念場ですわよ。このまま一気呵成に畳みかけますわ!」
――このまま押し切るッ。
◇
崩れ落ちたベリウスは両手で顔面を覆う。
呼吸が荒い。落ち着け、そう唱えれば唱えるほど心臓が早鐘を打つ。
長い間、歩いていないせいで細くなった足。
肉のない薄い体。
常に体のどこかに不調があった。
そうだ、現実世界の自分なんてそんなもんだった。
「はあ……いっそのこと死んでくれれば治療費も払わなくて済むのに」
父親の声が聞こえた。
「弟は優秀なのに……どうして、こんな失敗作が」
母親の声が聞こえた。
父と母の姿が朧げに浮かび上がって、ベリウスの首を絞める。
「産まなければよかった」
「何を考えているのかわからない、俺らを馬鹿にしてるんじゃないのか」
「ずっとゲームの世界に籠りきりで気持ちが悪い」
「こんな役立たずは俺の息子じゃない」
「う、うあああああああああ――ッ」
ベリウスは――■■は、慌ててその幻影を振り払った。
這うように両手両足を使って逃げ出して、その先にはベリウスがいた。
「俺の体を返せ。無能が」
「な、これは……違うんだ」
「勝手な振舞をするな。どうせ、お前には何も為せない」
ベリウスはゴミを見るような目で、■■を睨め付ける。
両親の幻影も追い付いて、同じように後ろから■■を睨んでいた。
いつの間にか目の前にいたティアナディアは、薄っすらと笑って■■の首に手を伸ばす。細くて白い指がゆっくりと首を絞め上げる。
「やっとわかりましたか? 貴方は誰にも求められていないのでございますよ」
「う、ぐぅ……」
息が苦しい。
体が上手く動かせない。
まるで自分のものではないかのようだ。
視界が明滅して、しかし、怨嗟の声だけははっきりと聞こえる。
「貴方が死んだところで悲しむ人など一人もいないのでございます」
ティアナディアの声は心の奥深くに突き刺さった。
そうだ。ティアナディアの狂気的なまでの愛情に憧れた。
亡くなった主人を想い、狂気に駆られる彼女が美しいと思った――それは、■■が死んだとしても誰も悲しまないからに他ならない。
「そうか俺は……誰にも」
声が掠れる。
訳も分からず涙が溢れてきた。
「誰も俺のことなんか必要としてないんだ」
そんな簡単な事実をずっと認めたくなかった、それだけの話だ。
ティアナディアの言う通り、全てが自分のためだった。
ティアナディアを想って? 違う。自分が救われたかっただけだ。
嗚呼、なんて醜い。自分勝手な卑怯者だ。
息苦しさから意識が途切れる――その瞬間、ぼやけた視界を銀色が掠めた。
「いいえ、わたしにはご主人様が必要でございます!」
どうと風が吹き息苦しさから解放される。
呼吸を整え、顔を上げた先にいたのは絶望の形をした幻影などではなく、見間違えるわけがない――本物のティアナディアの姿だった。




