第4話「推しは悪役のメイド」
ティアナディアは柔らかなそうな頬をリスのように膨らませ憤慨していた。
「ご主人様。わたしはとっても怒っています」
「そ、そうなのか」
「はいでございます。外出するときは、わたしに声を掛けるように言っているじゃないですか。ご主人様の身に何かあったらどうするんですか? どうすればいいんですか? どうなっちゃうんですか!」
ずい、と距離を詰めてくるティアナディア。
可愛らしい顔面が全面に押し出され何も考えられなくなる。
いや、ダメだ。ベリウスはそんなこと思わない。
ベリウス、しっかりしろ。
「ちなみに、そうなれば原因となった者と近しい者を全て殺しつくして、わたしもご主人様の下へ向かいます。来世でもわたしのご主人様として、よろしくお願いいたします」
「……ああ、本当にティアだ」
「むぅ……さっきから、どうしたのですか? 素敵なお顔が緩み切っていますが。もしかして、わたしに会えたのがそんなに嬉しかったんですか」
そうだよ、とは言えず、誤魔化すように笑みを浮かべた。
ティアナディアは困惑したように、ベリウスの顔を覗き込んでくる。
「ご主人様……?」
ティアナディアの頬を摘まんでむにむにと動かしてみる。
「な、らりふるんれふかごひゅいじんさまぁ」
あ、すごく楽しい。
可愛い、可愛い。止まらない。
「ぬぇ……ながい、ながひれふょ」
「もう少しだけ我慢してくれ。ティアよ」
「ふへぇ、もうほっぺの感覚ないれ……」
「もう少し、もう少しだけ……」
こうして、一通りティアナディアの頬を堪能してやっと手を離すと、ティアナディアは頬を擦って複雑そうな表情でこちらを見てきた。
少しやり過ぎたかもしれない。
「ご主人様、お昼からこんな……照れてしまいますね。てれてれ」
なんだか、思っていた反応と違った。
いや、これでこそティアナディアか。
「……悪かった、おかしなテンションになっていた」
大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
もっとベリウスとしての振る舞いを心掛けなければ。
「いえいえ、これもメイドの務めです。ご主人様の欲望はすべてわたしが受け止めてみせます。続きをいたしますか? どこまでいきますか!」
「いかない。大丈夫だから」
「どこまでもいきましょう!」
「どこにもいかないぞ」
「わたしがだいじょばない! もう、目がギンギンになってしまって止まりません」
ふー、ふー、と息を荒くするティアナディア。
変なスイッチを押してしまったらしい。
「止まってくれ。俺が悪かったから」
「いいえ、ご主人様は何一つ悪くありません。このはしたないメイド、ティアナディアがすべて悪いのです。だから、このままの流れでわたしにお仕置きを……っ!」
「いや、お仕置きなんて……」
「さあ、これもメイドの責任。そして、欲望の捌け口にメイドを使うのがご主人様の責任でしょう! さあ、さあ!」
◇
それから、興奮しきったティアナディアを宥めるのに数十分の時間を要した。
「申し訳ございません。永遠とも思われる時間をご主人様のお側から離れていたものですから」
「そんな久しぶりだったか……?」
「はい。ざっと三時間は」
「……そうか」
狂気的なまでに愛の重たいベリウス唯一の従者。
それがティアナディアの評価だ。狂気的とまで評されるのは、ベリウスがチュートリアルで死んだ後のストーリーによるものである。
端的に言えば、ティアナディアは闇落ちするのだ。
死んだベリウスを復活させるアイテムを求めて奔走。
結果、死者を完璧に復活させるアイテムなど存在しないことがわかり精神を病んだ。
次第に人族を強く恨むようになると、秘めた天使のチカラが反転し、堕天――堕天使ティアナディアとして生まれ変わる。
そこで、ティアナディアは魔族と恋に落ちた天使ミカエラとの子供だということが判明。
不完全な状態で復活した赤き竜を倒した後、プレイヤーは真のラスボスとしてティアナディアを打倒すことになるのだが。
「……させない。そんなことは絶対に」
ベリウスが絶対に死ねないと言った理由はこれだ。
死んでしまえば、ティアナディアは確実に原作と同じ結末を迎えることになる。
愛した主人を亡くし、その復活を願って一人世界を彷徨う。
その願いが叶うことはなく、失意の中、勇者に討たれて命を落とす。
あまりにも、報われない人生じゃないか。
「ご主人様? 何かおっしゃいましたか?」
「いや、なんでもない。ひとまず、現状を把握しようと思ってな。聖天祭はいつだ」
「ちょうど、十日後でございますね」
聖天祭――かつて赤き竜が封印された日付であり、この日は天使ミカエラに感謝の祈りを捧げることになっている。
王都では、聖天祭当日に向け多くの人々で賑わい、行商人が出入りし、街も煌びやかに飾り付けがなされていることだろう。
そして、この日はベリウスが勇者に討たれて命を落とした日でもある。
Xデーは十日後というわけだ。
絶対に失敗できない。ティアナディアを不幸にはさせない。
「ふふ、その顔。何か重大な作戦があるとお見受けしました」
「ああ、その通りだ。俺の人生で最も尊く、最も重要な作戦に取り掛かる」
己の心に、また、ティアナディアに誓いを立てるように言う。
すると、「おお!」とティアナディアは、瞳をきらきらと輝かせた。
「失敗は許されない。心して掛かれよ、ティア」
「はい、このティアナディア。ご主人様のメイドとしてスーパー全力を尽くす所存でございますよ!」
運命を変えねばなるまい。
推しを救う――きっと、そのためにベリウスに転生したのだ。