第39話「アルマクの森の引きこもり吸血鬼3」
「ベリウス様? どうかなされましたか? ひどく顔色が悪いですよ」
ルナの水晶のような瞳に覗き込まれ、すんと熱が冷えていくのを感じる。
「……悪い。取り乱した」
冷静になれ。慌てるな。冷静になれ。
そう自分に言い聞かせて、再び席に着く。
「なあ、俺は以前お前にどこまでの事情を話したっけな」
「どこまでと言われましても、頑なに何も教えてくれなかったではありませんか。その分、報酬は前払いでたんまりと貰っていますので悪い気はしていませんが」
ルナは部屋の端に山のように積まれている装具に視線をやった。
中には、エピック級、レジェンド級の装具がゴロゴロあった。
その全てが魔導系の職業では装備できない物であることから、ベリウスのストレージに他の職業の装具や汎用的なアイテムがなかった理由に得心がいく。全てルナに報酬として渡していたらしい。
ルナはテーブルの引き出しからカードを取り出して、シャッフルし始めた。
「最後に占いでもいたしましょうか」
不思議に思っていると、瞑目してカードを広げながら、答える。
カードの柄は見たことのないものだった。タロットカードに似ているが……オリジナルのものだろうか。
「これは魔法ではありません。ただの趣味のようなものですから、信じるも、信じないも貴方様次第でございます」
瞼を開き、ジッとこちらを見ながら、ルナはカードを捲る。
カードには、羽の生えた男が墜落する様子が描かれていた。
「おやおや、これは」
「不穏なカードだ。とてもいい結果だとは思えない」
「敢えて言葉にするなら、慢心でしょうか」
よく通る声で言った。
「ですが、占いに良いも悪いもございません。ただ貴方様の来たるべき未来の形を暗示するのみ。それを良いと捉えるか、悪いと捉えるかは貴方様次第。もし、これが悪いものだと思えるのなら、貴方様の心がそちらに傾いているのでしょう」
ピント来ていないベリウスを見てか、ルナは咳払いをする。
月色の髪を耳に掛けながら、捲ったカードを口元にやって言葉を続ける。
「貴方は夢を見ているのです。ただし、その夢は現実と寸分の狂いもなく、意識もあって、痛みもある。まるで、現実のような、しかし、貴方様は夢だと確信しているのです。寸分の狂いもないと言いましたが、全く同じものが二つ存在するということはありえません。世界が二つあるのなら、それはまさしく全く別のものであるはずなのです」
「意味不明だな」
「ええ、占いとはそういうものです。時が来れば自ずと理解できますよ」
ルナが指を鳴らすと、硝子が砕けるような乾いた音が響く。防音を解いたのだろう。
「どうぞ、ティアナディア様。お話は終わりました」
ルナが言うと、隣の部屋からティアナディアが一礼をして入室してくる。
彼女の報告と助言で真実に近づいたような、逆に謎が深まったような気もする。
Xデーは明日だ。
いや、もう零時を回っている。その時は目の前に迫っていた。
結局、ベリウスが何をしようとしていたのかはわかっていない。この胸騒ぎが全て杞憂の可能性もある。だが、そうでなければ、ティアナディアに待っているのは、確定した不幸の未来だ。
ステータスでは圧倒的に勝っている。
普通に戦えば、剣聖だろうが、勇者だろうが相手にならない。
だからこそ、不安だ。普通に戦えば接戦にすらならない――ならば、何か種があったのではなかろうか。そう思えて仕方がない。
何が足りない? 何か、何かあるはずなのだ……。
「ご主人様……?」
焦りが顔に出ていたのか、不安そうに顔を覗き込んでくる。
長いまつ毛。宝石のような瞳が揺らぎ、ベリウスを写す。
その綺麗な瞳に、ベリウスを失って光を灯すことがなくなった泥のような瞳が重なった。一つの最悪な未来の可能性が脳裏を去来し、唇を噛む。
「……大丈夫だ。問題はない」
「それでも何かあればわたしを頼ってくださいね。わたしは、ご主人様のメイドなのですから。最近は後輩もできたので、メイド長です! どやどや」
「ああ、ありがとう。ティア」
得意げに胸を叩くティアナディアを見て、不幸にしたくないと強く思った。
「まあ、ご主人様は最強ですからね! 何が相手だろうと負けはありえません。人族の全てが束になって掛かってこようと、ご主人様なら問題ナシでございます!」
ティアナディアががっしりとベリウスの手を掴んで詰め寄ってくる。
すると、その衝撃でベリウスのローブから、一枚の紙切れが落ちた。手帳の一ページを破り取ったものだった。
そこには走り書きで――『英雄計画』とだけ書かれていた。
「……ぁ」
ティアナディアの言葉と、『英雄計画』の単語に雷が落ちたような衝撃が走った。
今までばらばらに存在していた点と点の全てが意味を持ち、線となる。
「……最強、俺は最強」
たった一つ、前提を覆せば全てが繋がるじゃないか。
最強。誰にも負けない。そうだ、事実その通りなのだ。
別に今のベリウスじゃなくても、原作時点でのベリウスでもそれは同じだ。
八十八という高レベル。魔導皇帝という固有職業を持つ、孤高の七魔皇。
開発者のインタビューで作中最強はベリウスだと言っていた。開発者、つまりは、この世界を創造した者のお墨付きまであるのだ。
疑いようもなく、ベリウスは最強だ。
「ふふふ、はは、あはははははは――ッ」
ベリウスのことをクールで冷徹な男だと思っていたが。
勘違いだった。こんなにも愛おしいほどに愚かなヤツだったとは。
「えっと……今度はどうしたのでしょうか? 笑顔が怖いですよ、ご主人様……」
「やっぱお前は最高のメイドだ! 安心しろ、全て上手くいくッ!」
困惑するティアナディアの肩を叩く。高揚感が身を包む。
あまり余裕はない。既にXデーは始まっているのだ。
まずはカンデラに連絡を取ろう。彼女はベリウスとの接触を断らないはずだ。
「……ぁ、えと、ご主人様!?」
追い縋るティアナディアに、心配するなと手を振って部屋を後にする。
すぐに王都に向かわなければ。
そして、全てを正面から叩き潰してやる。
絶対に生きて明日を迎えて見せる、彼女の幸せのために。
◇
ティアナディアは、一人ルナの元に残された。
「不満ですか? それとも迷っている」
ルナはくすりと笑って、正面に座るように促した。
水晶を撫で、妖しい瞳で招く。まるで、全てを見透かされているようだった。
「私、本当は貴方様と二人きりでお話がしたかったのです」
「わたしは別に話したいことなどないでございますよ」
「本当ですか? 気掛かりがあるのでしょう? 貴方の魂は酷く揺らいでいる。ベリウス様以上に、まるで、魂がこことは別の場所にあるかのように」
ティアナディアは観念してルナの正面に座る。
さっきはまるでと言ったが、きっとルナはティアナディアの心中など容易く見透かしているのだ。昔から、彼女のこの背筋が凍るような視線が好きじゃなかった。
「ずっと近くに居た貴方様が気づいていないわけありません。私ですら、わかりました。ただ、事情は複雑に絡まっているご様子。そうでなければ、貴方様の態度はいささか不自然すぎますから」
そこまで見抜いているのか。
隠し事は無駄だ。いや、むしろ、見抜いて欲しかったような気さえする。
迷っている。だが、ティアナディアは決断しなくてはならない。
ルナの綺麗な瞳に射抜かれて、緊張感が走る。
大きく息を吸って吐く。
そして、その迷いの原因を口にした。
「……ルナさん、今のベリウス様は偽物でございます」