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第32話「触手怪物(アザトース)4」

 神速の勢いで触手が伸び、気絶しているもう一人の研究員を掴む。

 ずりゅずりゅと網を引くように引き摺っていき、研究員が闇の向こうへ呑まれた。


 バキバキ。ボリボリ。

 人体が壊れる不快な音が響く。

 これで、四人が連れて行かれた――というより、喰われた。


 ベリウスが目覚めさせ、唯一意識のある研究員は心底を怯え切っていた。

 触手に捕縛され、喰われた同僚と自分の未来の姿を重ねているのだ。


「……面倒なことになったな」


 ストレージから赫杖ルベルを取り出し、戦闘態勢に移行する。

 ひたひた。水音がして、それは闇の中からゆっくりと顔を出した。

 想像よりもずっと小さく、しかし、異様な不気味さを備えた人型。


「……ひっ」


 研究員の細い声が絞り出される。

 それは少なくともベリウスには少女の形をしているように見えた。

 ワンピース型の白く簡素な服。ギザギザとした歯に、長く伸びたアイスブルーの髪。ワンピースの下からはイカのような無数の触手が伸びて、それぞれが別の意志を持つかのようにうねっていた。


「きひ、きひひひ……」


 少女が笑う。

 瞬間、投網をするようにバッと触手が広がった。

 それぞれの触手は正確に意識を失った研究者を捕らえ、ゆっくりと足元まで引き摺った。こちらの反応を見るように、挑発するように。


 そして、触手ごと研究者をワンピースの中に引きずり込む。

 ボリボリ。バキバキ。ゴリゴリ。鈍い音が響く。

 ワンピースの下から赤黒い血がぴちゃぴちゃ飛散する。


 やがて研究者の姿は見えなくなり、少女は満足そうに曖気をする。

 これでベリウスの足元にいる男を除けば、この部屋の全ての研究者が少女に連れて行かれたことになる。


 まだ食われておらず少女の足元に並べられた研究者たちもいるが、手足が変な方向に曲がっていたり、体液が漏れ出ていたりして、もう助かりそうになかった。


「おいしいな、もっと食べたいな。えらい? プルルえらい? たくさん食べて大きくなるよ。好き嫌いはしないよ。きひっ」


 そう言うと、残りの研究員も順にスカートの下に押し込み、喰らっていく。

 あの小さな体のどこにそれだけの量が収まるというのか。しかも、少女はまだ食べたりないというように、熱のこもった視線をこちらに向けてくる。


「おい、あれはなんだ」


 怯えきった研究者に問う。


触手怪物アザトース……ツルプルル・ジャムペースト」

「触手怪物……?」


 聞いたことがあるような、ないような名だった。

 すぐに出てこないあたり有名な固有名詞ではないのだろう。


「おい、何をとぼけてやがるんだ! あいつの納め方はあんたが一番知ってるだろう! 頼むから、どうにかしてくれ!」

「何をわけのわからないことを……」


 ダァン。触手が強く地面に打ち付けられる。

 針に刺されるような緊張感が走り、全意識がツルプルルと呼ばれた怪物へ向く。


「空いちゃった~、空いちゃった~、お腹が空いたぺこりんちょ~♪」


 ベリウスは【真眼】でツルプルルのステータスを覗き見る。


――――――――――――――――――――――

 ツルプルル・ジャムペースト

 ??種・女

 触手怪物 Lv.55

――――――――――――――――――――――


 なるほど。触手怪物というのは、固有職業の一つというわけか。

 となれば、益々心当たりがない。そんな職業があるという話は聞いたことがなかった。

 視線が交わる。ツルプルルは品定めするようにベリウスを見て。


「きひひ。プルルはね、好きなものは最後までとっておくんだよ」


 ギザギザとした歯を見せてにっこりと笑う。

 触手を引き摺り、部屋を去っていった。

 好きなものは最後に……最終的にアレと対峙しなくてはならないということか。


 相手にするのは楽ではなさそうだが、ベリウスの死に関係のあるピースかもしれないのだ。どちらにせよ、放っておく選択肢などない。


 ツルプルルが壁に穴を開けて去ると、研究者は緊張感を解いて大きく息を吐く。

 急に威勢を取り戻し立ち上がり、ベリウスに詰め寄ってきた。


「おい、どうにかしろよ! お前のせいで無理なスケジュールで進める羽目になったんだぞ!」


 身に覚えのない詰問だが、ここまでくればおおよその予想は付いた。


「この研究を進めることを俺が強要したのか」


「ああ、そうだよ! お前のせいだ!」


 この体に転生する前のベリウスは確実に研究に関わっていたのだ。

 そう考えれば、迎撃用のシステムがベリウスに働かなかったことにも得心がいく。

 初めから研究者の目を盗んでこそこそ侵入する必要はなかったのか。正面から堂々と訪ねれば、おそらく研究者たちは恭しい態度でベリウスを迎えただろう。


「聖天祭に間に合うように、アレを完成させろと、代わりに足りない分の資金は援助してやるからって……クソ、こんな話乗るべきじゃなかったんだ」


 研究者は頭を掻きむしって文句を垂れる。

 赤竜教団と魔族は別に親密な関係にあるわけではない。

 魔族は赤き竜を神聖視しているというよりは(そういう層もいるが)、人類を滅ぼすための兵器として見ている層が大半で、その思想は赤き竜を崇める赤竜教団とは相反するものだ。


 だが、利害関係を組みやすい相手であることは事実である。

 ベリウスは触手怪物――ツルプルルの実験を急がせた。


 聖天祭、つまりは、ベリウスが命を落とす日までに――。


「待てよ」


 ツルプルルを見るのは初めてじゃない。

 そうだ、変わり果てた姿だったが、あの日ツルプルルは王都にいた。


 蒼く巨大な触手の怪物が現れる。

 これが、聖天祭の日の動乱の始まりだった。


 その後に、カンデラの出動、ベリウスの死、プレイヤーの勇者としての覚醒があるわけだが、先ほど目にしたあの触手は、あの怪物のものに他ならない。


 チュートリアルで起こる王都の混乱はベリウスが手引きしたもので、狙い通りで、つまり、ベリウスは確かな目的があって、王都にいたのだ。


 そうなると話は変わってくる。

 やはりただステータスを上げるだけではダメだった。

 破滅の原因は明確にある。それを取り除かなければならない。


 ドガン。思考を割るように、三番目に侵入したブロックの方から破砕音が響く。

 遅れて、子供たちの甲高い悲鳴と、ツルプルルの食事の音が聞こえてきた。


 ばきばき。ぼりぼり。ぐちゃぐちゃ。


 人体の壊れる不快な音に思考が乱れる。

 牢に閉じ込められた子供たちを喰らい、ヤツは力を付けている。


 ツルプルルの成れの果てが、チュートリアルの時に見た巨大なバケモノだとしたら、相手にするのは少々骨が折れそうだ。


「おい、貴様。触手怪物について、詳しく話せ」

「いや、俺が説明できることであんたが知らないことなんて……」

「話せと言っている」


 研究員は、何を今更と言いたげだったが、ベリウスの圧に「ひっ」と後退する。

 様子のおかしいベリウスに納得はしていないようだったが、疑問を飲み込んで口を開いた。


「……あ、あれは、人工的に作った魔力を喰らう怪物だ」

「魔力だと。人を喰らうの間違いじゃないのか」

「それは副次的なものに過ぎない。人だろうが物だろうがなんでも喰らう悪食だが、本来なら魔力さえあれば生きられるはずで……でも、あんたに急かされたせいで、細かい調整を仕込んでいる暇はなかった」


 あの破壊と食事は本来の目的とは異なる、二次災害的なものであるというわけか。


「あいつの核に刻まれた命令は、『なんでも喰らって大きくなれ』だ。まあ、本能みたいなものだな……これで満足かよ」


 自暴自棄気味の研究者は些事を投げるように肩を竦めた。

 格上の魔族であるはずのベリウスへの態度からも、生への執着を手放したような投げやり感じを覚える。


「いや、まだだ。あの少女自身について教えろ」

「そんなのイマイ村から金で買った子供だってこと以外ない」

「触手怪物……ツルプルルは、ただ万物を喰らって巨大化するだけが目的か? 見たところ、自由意志は残っているように思えたが」

「……たくさん喰って大きくなれば母親に会えると思ってんだよ――」


 研究者は若干気の毒そうに説明を始めた。


 たくさん食べて大きくなればお母さんが迎えに来てくれるよ――そう言い付けることが不安定なツルプルルをコントロールする手段だった。

 ツルプルルは研究所に来てからずっと村に帰りたがっていた。

 特に女手一つで自分を育ててくれた母親に対しての執着が強かった。

 自分が金のために売られたことなど信じていなかった。

 何かの間違いだと自分に言い聞かせ続けた。

 有り得ないと知りながら、研究者もそれを肯定した。


 そうして、ツルプルルの本能とも言える、行動原理は定まった。

 母に再会するために全てを喰らう、悪食を体現した触手のバケモノに成ってしまったのだ。


「ははッ、自分の娘が人喰いのバケモノになって帰ってきたら、母親はどんな顔するんだろうな。あれじゃ判別も付かないか」


 綺麗な歯を見せて笑うツルプルルの姿を思い起こす。

 母親との再会を夢見て人体実験に耐える孤独な少女。

 叶うことのない夢を見て研究者の言いなりになる可哀想な子。

 そう思うと、言い表しようもない寂寥感を覚えた。


 そうか。ツルプルルの食事は、■■の『Legend of Ragnarok』と同じなのだ。


「哀れだよなぁ、親も子も――ぐぶッ、何すんだ!」


 苛立ちから研究者を杖で殴ると、反射的に猛ってくる。

 が、すぐにベリウスの表情を見て体を委縮させた。


「悪い、手が滑った。ちっ……元はと言えば、俺の責任だしな」


 ベリウスは資金援助という形で赤竜教団の研究を後押ししたらしい。

 それがなければツルプルルは今ほど苦しんでいなかったかもしれない。


 ティアナディアを救うため、自分はベリウスであるとそう定めた。

 ならば、都合のいい時だけ無関係を装うのでは恰好がつかないというもの。


 それに――。


「特殊型の中距離物理アタッカーか。悪くないな」


 MPの吸収も、触手による変幻自在の攻撃も他にはない強みだ。

 方針を定めたベリウスはツルプルル開けた穴に向けて歩を進めた。

 その刹那、大地がどよもす。ぱらぱらと天井から粗砂が零れ、壁や天井が崩れる。近くで破砕音が響く。粉塵が吐き出され、視界の自由が利かなくなる。


「――ッ、じゃじゃ馬が」


 その砂塵を切り裂いて先ほどまでとは見違えるほどに肥大化した触手が姿を現す。咄嗟に回避をするも、それはやたらめったらに辺りを破壊し尽くした。


 巨大な水槽が割れ、柱が崩れ、地面が陥没し、壁が抜ける。

 立っているのが難しいほどの揺れと天井の崩壊に、ベリウスは慌てて研究者の首根っこを掴んだ。と同時に鞭のようにうねって迫る触手に弾き飛ばされ、浮遊感を覚える。一区画が完全に潰れる巨大な破壊音が脳を揺らした。


 そして、煌々と輝く月の下。放り出された外の世界では、夜天を突く巨大な触手の怪物が天へと上る龍のように無数の触手をうねらせながら、咆哮を上げていた。


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