第29話「触手怪物(アザトース)」
村の最奥に位置する教会の祭壇をズラすと、地下区画への階段が現れる。
この辺りの仕掛けは、ゲームで地下マップに入る時と変わりがなかった。
冥界から漏れ出たような冷気に迎えられ、ベリウスは地下への階段を進む。
ぼっ、ぼっ、と揺れる魔石灯。
咽返るような強い香料に思わず鼻を押さえる。
まるで何かを隠すような、耐え難い悪臭を隠すように振り撒かれた強烈な匂いにこの場所への疑念が強まる。
気配察知のスキルをざっと飛ばすと、人が密集している場所が数か所あった。
人だけではない、魔獣の気配まである。
これは警戒を強める必要がありそうだ。
地下区画はどこも薄暗く、進むほど香料の激臭は強まっていった。
少し進んだところで、物々しい人影があるのに気が付いた。フェザーメタル素材の簡素な鎧に全身を包まれ、長槍を構えた二人、いや、二体が通路の両脇に立っていた。
迎撃機能が付いた魔導人形だ。
これは魔力を電池代わりにして動く人形で、あらかじめインプットしておいた簡易的な命令に従って動く――この場合は、侵入者を迎撃しろ、だろう。
「――ッ、しまった」
人形の動力である魔石が光を帯び、ベリウスを認識する。
倒すことは容易だが、侵入者の存在は研究室中に伝わる。警戒を強めると言い聞かせたばかりで情けない。
どうにか動きだけを止める方向でスキルを――。
そう逡巡するも、魔導人形が動く気配は全くなかった。
「……壊れている、わけではなさそうだが」
しっかりと動力は機能しているし、ベリウスも認識された。
しかし、人形は微動だにしない。
試しにテキトーなスキルを使うが反応はない。
不具合だとしたら都合がいい。次は魔力遮断の魔法を唱えてから探索を進めることにした。
研究室は大きく四つほどのブロックに別れているようだった。
それぞれのブロックの面積はほぼ同一で、どこへ向かうためにも中心の通路を通る必要があった。
ベリウスは何気なしに一番近くのブロックに侵入する。
魔力遮断のおかげか、侵入者迎撃用のシステムは作動しなかった。
ブロック内も幾つかの部屋に別れている。窓越しから見えた室内に、背中の丸まった白衣姿の男を見て、息を潜める。こちらには気づいていない。
気配察知をしながら部屋を探索していくと、奥に重厚な扉が現れた。
少し迷ってから、魔法を使って破壊することを選択した。
《メルト・リキッド》――主に敵の装具を破壊するときに使う魔法で、広い範囲の特定の金属を溶かす性質を持った液が噴射される。これなら騒音も発しまい。
でろり。音もなく溶解し空いた穴を潜り、ベリウスは中に入る。
「――ッ、なるほど」
目の前に飛び込んで来たのは、無数の円柱型の水槽だった。
中は空だったり、魔獣が入っていたり、人族が入っていたりした。
体は細い。僅かに胸郭が上下していることから、死んではいないのだろう。口や体に多くの管が繋がれていて、まさに実験体といった感じだ。
人族は全て普人種の子供だった。
人族の中でも普人種は魔力の癖が小さいという話を聞いたことがある。
例えば、繊細な魔力コントロールに優れた緑精種。闘氣術への適性が高い獣人族などに比べて、人族は平均的なステータスをしている。よく言えば明確な強みがなく、悪く言えば尖った強みがない。
この特性は、つまりその他の特性を掛け合わせた時に拒否反応が起こりにくいものである。簡単に言えば、改造や合成などの人体実験の素材にする場合、普人種が最も適しているのである。
それから水槽の端の方には、共通してとある紋章が刻まれていることに気が付く。リンゴにヘビが巻き着いたようなエンブレム。ベリウスはこれに見覚えがあった。
「なるほど、な」
この研究所の所有者に辺りを付けたベリウスは、更に辺りを見て回る。
魔獣に関しては、魔獣そのものというよりも、その体の一部が納められていた。
魔力の通った禍々しい角。
びっしりと鱗の生えた巨大な獣の手。
巨大な紫色の心臓。
そして、最奥には幾種類もの巨大な触手が標本のようにびっしりと並べられていた。
案の定というか、子供と魔獣――それらが無理やり組み合わされたような禍々しい合成生物も何体か見られた。
背から羽が生えた者。
両腕が魔獣のものに付け替えられた者。
腹部を裂いて獣型の魔獣の顔面が飛び出た者。
そして、その中の一体がゆっくりと目を開き、ベリウスと視線があった。
「――ッ、まさか」
慌てて飛びのき、杖を構える。
が、その実験体は数度瞬膜を瞬かせると、再び眠りについた。
ここで得られる情報はこれ以上なさそうだ。
そう思い、部屋を後にしようと踵を返すと、扉の前には一人の研究者が立っていた。
「――ッ、面倒臭い」
白衣の裾を床に付けた腰の曲がった男の研究者だった。
水槽に気を取られて、その可能性を失念していた。いや、気配察知のスキルは飛ばしていたのだ。つまり、この男はそれに引っかからなかったということだ。
「まあいい。増援を呼ばれる前にけりを付ける」
ベリウスは素早く杖を構える。
【加速】で詠唱を破棄し、魔法を使用しようとして違和感に気が付いた。
妙だ。研究者は先ほどからベリウスを見つけても、微動だにしない。
魔導人形ではないのだから、不具合もクソもないと思うのだが、助けを呼ぶ仕草もしなければ、狼狽した様子も、敵意を露にする様子もない。
「――ぅ、ろっぁ……てんすあい」
研究者の口から音が漏れる。そう、声というより、それは音だった。
意味ない音の連続。発音がやけに明瞭だから、それも不気味だった。
「からうい……ぇ、らうねいんさい」
もう一度、音が漏れる。やはりそれは意味を成さない音だった。
とても正気には思えなかった。こいつは研究者ではないのか。
「なんだ貴様は。増援を呼ばなくてもいいのか? それとも、たった一人でこの俺を相手にする気か?」
「か、かか、かゆい……のどあ」
男の言葉に初めて意味が灯ったような気がした。
ぼりぼりと喉を掻く。よく見れば、男は酷い有様だった。爪は剥がれ、顔は土気色で頬が落ち窪んでおり、目の片方は虚空だった。口からはだらだと唾液が漏れている。
実験体か? 普通の状態ではない。動きを止めるのが先決か。
そう思った瞬間、男の方が喉を掻く手をピタリと止めた。
「かゆいんで。かふいんそめん……ど、れ、あすぶ、おげええええッ」
そして、吐いた。
そのやせ細った体から考えられない質量のナニカを吐き出した。骨折するほど顎は大きく開かれ、円柱形で弾力のあるナニカが手を伸ばすかのように、ベリウスへ迫る。
見たところ、攻撃力は並みだ。少なくとも、ベリウスの【魔禍の冠】で耐えられない程ではない。
異常状態に関しても、余程特殊なものでなければ解除できる――その判断でおそらく触手であろうナニカを受け止める。それは勢いよくベリウスの体に巻き付き締めあげた。
「拍子抜けだな」
が。
その数舜後、塩をかけられたナメクジのように縮み、落下。
ベリウスが踏みつけると、二、三度体をくねらせ、すぐに動かなくなった。
「……少し、魔力を吸われたか」
異常と言えば、その程度だった。
触手を吐き出した男は、内臓の全てを吐き出したかのようにぺしゃんこになっていた。ハリガネムシに規制されたカマキリの姿が脳裏を去来し、頭を振る。
だが、大きく外れてはいないような気がする。男はまるでナニカに寄生されているような様子だった。