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9.全てに無関心な男

 週明け、ノーナはおずおずと局長室を訪ねた。トゥルヌスさんは穏やかな性格だから怒るところは想像できないが、約束を破ってしまったので落胆しているかもしれない。


「局長、おはようございます。あの、先週は……」

「おはよう! いや〜悪かったね。急に予定が入ってしまって、待ちぼうけさせてしまったかな? この埋め合わせは今度必ずするから、許しておくれ」

「あっ。そ、そうだったんですか……いえ、大丈夫です」


 ノーナは驚きつつもほっと胸を撫でおろした。トゥルヌスさんが来ていなかったのなら、あのリボンはどちらも他人のものだったということだ。リボンがひとつだったら危なかった。

 ノーナは惚れ薬を飲んで一人、あるいは二人も知らない人がいる部屋に突撃するところだった……いやほんと、危なかった!

 

 最悪だ……なんてあの時は思ったけど、今となってはシルヴァが来てくれて良かったとしか言いようがない。記憶のない彼には申し訳ないけれど。あのあと、ちゃんと帰れただろうか?


 なんだか上機嫌のトゥルヌスさんは自分の机に置かれていた大量の書類をノーナに持っていくように指示し、部屋を出ていってしまった。今日も残業になりそうだ。


 自分の処理した書類を届けに廊下を歩いていたとき、珍しくピークスに捕まった。ちょうど時間は昼に差しかかるころで、一緒に王宮内のカフェテリアへと向かう。

 王宮内で働く文官や騎士たちが利用できるカフェテリアはいくつかあり、その中でも一番広い場所では安くて美味しいピザが提供されていて大人気だ。

 

 エレニア王国では畜産が盛んで、チーズの産地が王都の周辺にもある。たっぷりのチーズに新鮮なトマトを乗せたピザや、具を生地で包んでから油で揚げたピザが定番である。

 ノーナとピークスはテラスで食事するため、包み揚げピザとワインを持って外に出た。昼どきはいつも混雑しているから、室内だと人の声が反響して会話も難しいくらいなのだ。

 

 夏特有のもったりした空気は暑いけれど、外では騒めきが和らぐ。日陰に運良く空いているテーブルを見つけて、二人は席についた。

 まずはワインで乾杯する。エレニア王国民にとってワインは身近な飲み物で、酔わなければランチに一杯も普通だ。ノーナは見た目にそぐわず、酒に強かった。


 熱々の生地にそうっと歯を立てていると、向かいに座ったピークスが鼻をむずむずさせ、「っくしゅ!」と大きなくしゃみをする。頬のそばかすがぎゅっと集まった。

 その光景にミントでむせたシルヴァを思い出し、ノーナは笑いが止まらなくなってしまった。


「っふふ、あははは!」

「えーちょっと、笑いすぎなんだけど。てゆーか! さいきん顔色いいじゃん? まさかとは思うけど、あの変な薬また使った……?」

「え!? ゔ。えーと……うん……」


 オレンジ色の瞳にじとっと見つめられて、わざとらしく目を逸らす。ピークスがノーナのことを本気で心配してくれているのがわかる。

 ノーナもこの友人にだけは嘘をつきたくなくて、周囲を見渡し誰も聞いていないことを確認してから打ち明けた。またトラブルでシルヴァに魔法がかかり、トゥルヌスさんには一度も惚れ薬を使えていないことを。


「ねぇ、馬鹿なの? ノーナはさ、頭もいいし計算なら誰にも負けないくらい正確なのに……どうして私生活がそんなにだめだめなの?」

「う、うーん?」

「可愛い顔してもだめ。うっかり怪我させられたとか、殺されたりしたら笑えないんだからね!」

「ピークス、それはないよ。あの人、すごく純粋で良い人だもん」


 ピークスは眉根を寄せ、訝しげな表情をした。やっぱり彼にとってシルヴァの印象は良くないらしい。

 残酷非道だとか、味方にも剣を向けるとか……本当に悪いことをしているのならシルヴァは評価されたりしないだろう。本当の彼を知ってしまったノーナには、シルヴァがそんな一面を持っていると信じられなかった。

 

 その噂、誰が流してるのかなと疑問に思いつつノーナはピザを食べきって、唇についたトマトソースをぺろりと舐めた。やんわりと反論する。


「噂だけで、会って話したことはないんでしょ? 確かにウィミナリス様は見た目に迫力あるけど、無条件に怒ったりしないし紳士だよ。噂と見た目の印象だけで、決めつけてほしくないなぁ」


 まぁ、ベッドで目を覚ましたときは怖かったけど。でもあの時だって腕にちょっとアザが残ったくらいで、傷は付けられなかった。

 シルヴァは魔法がかかっているとき、年齢どおりの純朴な青年という印象が強い。恋をすると、人はふだん着ている心の鎧を脱いでしまうのだろうか? 彼の鎧はずいぶんと重そうだ。じゃあ自分は……と考えかけたところでピークスが口を開いた。


「ごめん、そうだよね。憶測で話すのはよくないや」

「ううん、心配かけるようなことしてるのは僕だから。それにしても、なんでそんな噂が……?」


 見た目のせいで怖そう、と思われるのは分かるけど。戦場での態度と普段の態度を、混ぜて認識しないで欲しい。仕事とプライベートじゃ、多くの人が違う顔を持つと思うのだ。

 確かにそうだね、と首をひねったピークスはその数日後、あっという間に情報を集めてノーナに教えてくれた。




 夕方、ノーナは王宮の庭園でピークスと落ち合った。「彼女といい場所見つけたんだ」と連れて行かれたベンチは噴水が見える位置に置かれていて、休息日なら取り合いになりそうなほど雰囲気がいい。

 

 なにより人が多くなく、噴水から滴り落ちる水の音が涼しげで、他人に聞かれてしまいそうな会話もかき消してくれる。ふたり並んでベンチに座り、ノーナはピークスの話に耳を傾けた。

 

 文官仲間だけでなく、王宮内で働く使用人たちとも言葉をかわす仲だというピークスの情報網は、ノーナの想像をはるかに超えていた。

 そしてその内容も、ノーナが予想していなかったものだった。


 現ウィミナリス侯爵は前エレニア国王と側妾(そくしょう)との間に生まれた非嫡出子で、王位継承権はないものの、なんと王族らしい。

 彼は貴族の子女と婚姻後、父王によりウィミナリス侯爵に叙せられ豊かな領地を与えられた。いまは圧倒的な資金力で強い発言力を持つ政治家でもある。


 シルヴァはウィミナリス侯爵家の第二子、次男として生まれ、学園の卒業後早々に家を出て騎士を志す。彼は器用に立ち回る父親とは違って堅物中の堅物だったという。

 

 騎士同士の遊びにも付き合わないし、常に質素倹約で、父親に取り入ろうとする人からの賄賂や誘いにも一切乗らない。

 裕福な高位貴族として生まれ、騎士としては一級品の才能を持ち、報奨に王宮内の部屋まで与えられている。外から見れば羨ましい限りの立ち位置だ。

 

 それなのに、シルヴァはいつもつまらなそうな顔をしている。何にも興味がない様子で、他人との軽い会話にも参加しない。仕事も真面目で自分に厳しすぎる。

 そんな態度がとにかく面白くないと思う人間が一定数いるのである。


 もちろん彼の生真面目な性格を評価する人もいるが、噂というのは悪いものばかりが広がるものだ。ついでに彼の恐るべき強さを目の当たりにした新人騎士が怯えて、噂を後押ししているのもある。


「あぁでも、強さはやばいらしい」

「やばい?」

「強すぎて、対ウィミナリス様で一個小隊組まれたこともあるらしいよ」

「うわぁ……想像つかないな」


 それでも大きな怪我をせず今までやってきたのだから、結果はお察しだ。

 ノーナはシルヴァと肌を重ねたとき、彼の身体に無数の傷痕があったことを思い出した。無傷というわけではないのだ。彼はその大きな身体を張って、国のために戦っている。


 奥歯を噛みしめる。そんな彼を妬みそねみで悪くいう人がいるなんて、ノーナは悔しかった。生まれというのはどうしようもないもので、彼が清廉潔白な生き方を選んだのは良いことのはずなのに。

 

 文官として働き始めてから平民のくせにと言われ続けているノーナは、立場は真逆だとしても彼の気持ちがよく分かった。そして器用に立ち回っているピークスでさえも、やはり思うところはあるみたいだ。


「人のやっかみって面倒くさいよなー。でも……ノーナの見立ては正解だったね。男運最悪だと思ってたけど、いい人を好きになったじゃん」

「……はぇっ? いやいやいや! 好きとか、そーいうんじゃないって! それに僕にはトゥルヌスさんがいるし……」


 突然出てきた予想外のことばに焦ってしまう。全然、そんなのじゃないのに……自分が好きなのはトゥルヌスさんの方だと心のなかで何度も確認する。そのたび、ままならない関係を思い出し胸のきしむ音がしたけれど。

 いったい、ピークスはどういった理由でノーナがシルヴァを好きだなんて判断したんだろう。にやにや笑いを隠さない彼は、からかうようにノーナに肩をぶつけた。


「ノーナなら脈、あるんじゃない? 惚れ薬使ってなくても話せるんだろ?」

「いや、それはないよ。珍しい動物みたいに思ってるんじゃないかなぁ。ドジなところばっかり見られてるし……。それに、あんなかっこいい人、女性が放っておかないでしょ」

「へ〜〜〜え。格好いいと思ってるんだ」


 自分だけがそう思っているような言われように、ノーナはポカンとした。え、普通にかっこよくない?

 だがピークスが言うには、女性はシルヴァの身体の大きさと荒々しい雰囲気に圧倒されて近づきたいとも思わないようだ。言われてみれば確かに、ノーナも男性の中では小柄な方なので怖いと思ってもいいはず。

 

 しかし彼のことを本当に怖いと思ったことはなかった。背が高くて男らしい身体つきはノーナにはない線ばかりで、ぜったいに手の届かない憧れのような気持ちを抱いている。

 さらにはあの純粋でひたむきな優しさを持つ彼を知ってしまったら、誰だって……惹かれずにはいられないと思うのだ。

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