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8.星とミント

 シルヴァはどうしてもノーナを家まで送ると言って、隣を歩いている。

 

 彼は自分が振った男を突然好きになって、告白する前に失恋したような状態なのだろう。魔法のせいでこんな複雑な感情にさせてしまった。

 罪の意識がぐるぐる渦まいて、吐きそうだ。ノーナは自分の抱える負い目に泣きたいほど後悔していた。


「……悪かったな、断らせてしまって。楽しみにしてたんだろう?」

「いえ……僕の一方通行なので」


 きっとノーナの暗い表情を、シルヴァは自分のせいだと気にしているのだろう。ノーナはつい正直に答えてしまい、これだと片思い好きの変態に思われるな、と気づいた時にはすでに遅かった。


 片思いの相手の寝所に忍び込んだり、片思いの相手と連れ込み宿に行ったり。

 彼もどうしてこんな理解不能な男を好きになってしまったのか後悔しているに違いない。魔法は、現実のどんな感情も押し隠してしまうのだろうか。


「……俺は馬鹿だな」


 ノーナのほうが馬鹿だ。優しいシルヴァは、やはりノーナのことを軽蔑の眼差しで見ることはなかった。それでいて、前回のように感情を表に出すこともない。

 彼の自嘲めいた呟きが夏夜の空気に溶けていった。切ない気持ちが自分にまで染み込んでくる。


 ふと、魔法がかかった瞬間の勢いだけすごかったな、と思い出してノーナはくすくすと笑みを零した。


「なんで決闘なんて言ったんですか?」

「あ、いや……勝手にろくでもない男と会うのだと思ってしまったんだ。ノーナの好きな人なのに、申し訳ない」

「あははっ」


 ピークスにもいつも言われているし、ここ最近でノーナも薄々気付きはじめている。トゥルヌスさんはノーナの恋心を知っていて、その上でノーナの身体だけを求めているのだ。

 それがずるいとは思わない。いや、気持ちが一方通行だと悟ったときはけっこう落ち込んだけど……

 

 結局ノーナも、彼の想いが自分にないことを分かったうえで関係を続けることを選んだのだ。同じくらい、ろくでもない男といえるのかもしれない。


 ノーナの家に近づけば近づくほど、街の明かりは減り、夜の色が濃さを増す。その代わり月や星の輝きが強くなっていくのを感じるのが、ノーナは好きだった。

 いつもひとりなのに、今日はそうでないことが不思議だ。広い空を見上げて、他愛のないことを話しかける。


「今日は星が綺麗ですね」

「ん? あぁ……ほんとだな。王都でここまで綺麗に星が見えるなんて、知らなかった」

「どうしてこんなに弱い光なんでしょうね。周囲の明かりが強くても、月が大きくても、簡単に見えなくなってしまうのがもったいないなぁ」

「綺麗に見えたときに感動できるから、それはそれでいいんじゃないか? それに……ノーナみたいだ」

「えっ星が?」


 どういう意味で言われたのかわからなくて、ノーナは隣を見上げてきょとんとした。銀色の髪をくしゃくしゃと掻き、シルヴァは気まずげに視線を逸らしたが、少ししてから口を開いた。


「なかなか思い通りにならない、手を伸ばしても届かない星だ。小さいのに一生懸命輝いているから、ずっと見ていたくなる。それに……遠征で王都を離れると、驚くほどたくさんの星が夜空に散らばって、月が霞んで見えるほどの日があって……綺麗なんだ。胸を鷲掴みにされる」

「…………」


 口説いているつもりなんてないんだと思う。しかしシルヴァが言語化した想いは、あまりにも綺麗で、切なくて。

 好きと言われたわけでもないのに、ノーナの心は大いにかき乱された。

 

 ――この人は、なんて綺麗な心を持っているんだろうか。

 

 根も葉もない噂を流す人たちは、彼のこんな一面を知らないに違いない。知っているのは自分だけだといいなぁと思いかけて、ノーナは雑念を頭から追い出した。

 魔法が見せた彼の一面を、自分だけに見せてくれたと受け取るなんて、とんだ思い上がりである。


 気もそぞろに歩いていたノーナは、いつも曲がる道を通りすぎてしまっていることに気づいて慌てた。左右を見渡して正しい道を見つけ、「あっごめんなさいあっちです!」と急に方向転換しようとする。

 案の定というべきか……ノーナはまた、足がもつれて転びそうになり、シルヴァの胸に激突した。


「ぅぶっ」

「……なにをやってるんだ?」


 決してわざとではない。きっとつまずいたことのないシルヴァには理解できないだろうけど。ノーナだって、普段はここまで転ばないのだ。

 

 というか、胸板がすごい。ノーナは顔に感じる男らしい胸板の厚さと弾力に感動しながらも、鼻を赤くして彼の胸から顔を上げた。正しい道の方を指差す。


「……あっちです」

「……そうか」


 ノーナが身体を離そうとすると、シルヴァはほんの一瞬、気のせいかと思うほどそっとノーナを抱きしめた。

 そして何事もなかったかのように解放し、ノーナの示した方向へと足を踏み出す。

 

 下を向いたままシルヴァに付いていく。ここから先はほぼ一本道だった。

 ――星の光しかなくてよかった。顔が火照って、真っ赤になっていることを実感してしまう。


 こんなことで盛大に照れるなんて、まるでシルヴァの純情がうつってしまったみたいだ。ノーナみたいにずるくて意気地なしの人間に、ふさわしくないほどの愛を向けられている。

 彼にはもっと清廉なひとがお似合いだ。もちろん、女性の。

 

 でも……いまだけは。今だけは、シルヴァの心はノーナのものだ。魔法が解ければまた綺麗に忘れてしまうから、ちょっとだけ体験することを許してほしい。

 彼にほんとうの意味で愛される人間は、誰よりも幸せになれるだろうな。

 

 二回も間違えてしまうなんて、むしろ運命的な縁があるんじゃないかと思ってみたくなる。とはいえすぐに「この間抜けちん!」という魔女の声が聞こえた気がして、ただドジな自分のせいだと反省する。

 

 魔法の効果は二時間。家についてから別れても、半分ほどの時間しか経っていないはず。時間に関しては前回怪しかったので、十分に余裕を持って別れるつもりだ。




「……ここに、一人で住んでいるのか?」

「ええ。森も深部に入らなければ安全ですし、意外に快適ですよ」

「家の中を見ても?」

「えっ……」

「あっ、いや! すまない。単純にどんな暮らしなのか気になって」


 ノーナの家を見たシルヴァは、さすがに驚いたようだった。

 民家の軒先にポツンポツンと吊るされていたランタンも街外れに近づくほど減ってゆき、ぎりぎり光の届かないところにノーナの家はある。後ろが迷いの森なので、鬱蒼とした暗さに今にも飲み込まれそうだ。

 

 シルヴァは夜目に慣れているようだったし、ノーナも慣れた道なので二人は手持ちのランタンさえ持っていなかった。

 こんな暗くて小さな家、人が住めるような所だと思えないのかもしれない。彼は貴族だし、平民の暮らしなんて想像もできないだろう。


 でもここはノーナの城だ。十年近く住んできた実績があるし、それを分かってもらいたかった。可哀想な人と思われるのは、ノーナの矜持が許さない。

 ノーナは時間のことを少しだけ考えて、お茶の一杯くらいなら大丈夫だろうと結論づける。


「どうぞ。お茶くらいしか出せませんが」

「いいのか? ――っ!」

「わああ大丈夫ですか!?」


 ――ゴスッ。

 

 鈍い音がして、見ればシルヴァが玄関ドアの枠に頭をぶつけてしまっていた。暗いし、建物のつくりは王宮や貴族の邸宅と比べてかなり低い。注意を促すべきだったことにあとから気づく。

 ノーナは申し訳なく思いながらも、シルヴァでもドジやるんだぁ……とほっこりしたことは秘密である。


「…………」

「ほら、こっちに座ってください。自分が見たいと言ったんですから、お好きなだけどうぞ〜」


 動きの鈍くなったシルヴァをひとつしかない椅子へと誘導し、テーブル上のランプをつける。火の優しい光がふんわりと広がって、室内を照らした。

 少しぼうっとしていたシルヴァも興味深げに首をめぐらし、見渡している。

 

 ノーナはキッチンに立って、お湯を沸かしはじめた。やっぱりシルヴァは酔っ払っているのかもしれないから、ミントティーを淹れよう。帰りのこともあるし、頭をすっきりさせてあげたい。

 沸騰を待つあいだ、ノーナは部屋を観察しているシルヴァをこっそりと観察した。

 

 身体が大きいから、部屋がいつも以上に狭く見える。ひとつしかない椅子も小さいし、テーブルも低すぎる。

 この家は長年、誰かが来ることを想定していなかったのだ。トゥルヌスさんがこんなところまで来るわけもないし、ピークスの家は逆方向だから中間地点の街なかで遊ぶのが定番である。


 出来上がったお茶を持っていき、めしあがれ、とテーブルに置く。ノーナも自分の分を手に持って、そっと口をつけた。まだ熱いけれど、湯気にミントの香りが混ざって爽やかだ。

 

 ミントを育てるのは簡単なので家の裏で栽培していて、たくさん出来たときに摘み、日を当て乾燥させたものをストックしている。

 朝はお茶に摘みたてのフレッシュミントを加えて濃くしたり、ラム酒にも入れて飲むくらい、ノーナはミントの風味がお気に入りだった。


 しかしシルヴァはカップに口を付けてお茶を飲み込もうとした瞬間――その香りだけで盛大にむせた。ついでに彼の座った椅子もミシッと音が鳴る。


「えっ。だっ、大丈夫ですか? ミント苦手だった?」

「ゴホッ! ……いやこれ、濃すぎるだろ」


 ノーナは気付いていなかった。ミントが好きすぎて、もうちょっと、もうちょっとと飲むたびに茶葉を増やしていたことを。

 お湯を足すか聞いてもこれでいいと言うので、申し訳ない気持ちはありつつも、まずそうな顔でお茶を飲むシルヴァを微笑ましく見守った。

 好きな人の前だから、強がり言ってるのかな? かわいい。


「ノーナ、なんで立ってるんだ?」

「椅子が一脚しかなくて……あっお気遣いなく!」


 慌てて立ち上がろうとする彼を押し留める。その拍子にまた椅子がギシィ、と嫌な音を立てたのでノーナとシルヴァは顔を見合わせた。

 限界を迎えそうな椅子に座ることは諦め、ベッドに座るのもさすがに駄目だと却下し、結局シルヴァは帰ることにしたようだ。

 

 立ったままがんばってお茶を飲み干しているシルヴァを見上げ、小さくため息を吐く。

 ノーナは彼が思いのほかあっさりと帰ってしまうことを、残念に感じる気持ちを止められなかった。彼の服の裾を、右手が掴みたそうにしている。


(もう少し、一緒に……って、なに考えてるの! だめだめ!)


 とにかく、シルヴァのこととは関係なく、今後は来客にも対応できる家にしていこうとノーナは密かに決意する。

 

 帰り際、ノーナは家の感想を訊いてみた。彼が良くない回答をしないことは分かっていたけど、純粋に、シルヴァのような高位貴族からどんな風に見えるのか気になったのだ。


「居心地が良さそうだな。なんというか、置物のひとつひとつにノーナらしさを感じて興味深かった。もっとじっくり見たかったくらいだ」

「あはは、じゃあまたいつでもどうぞ」

「やけに物が多いが、いつからここに住んでいるんだ?」

「えーと、十年くらいですね。成人する辺りからです」

「は? てことは……まさか年上なのか!?」

「え、えへ……二十六になります」

「も、申し訳ありません!」


 ――うーん、デジャヴュ……

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