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3.はじめての魔法

 いよいよ週末を目前にして、ノーナは家で晩酌しながらウンウン悩んでいた。いざ惚れ薬を使うぞ! と考えるだけで、怖気づいてしまいそう。

 普通に考えたら、こんな得体のしれない薬を使うなんて駄目なのはわかっている。だがそもそも、魔法なんてものは迷信でしかない。


 魔女や魔法は空想の世界のもの、あるいは伝説で、まさか自分が魔女に出会って魔法の薬を作ってもらうなんて思いもしなかった。

 子どもの頃は、実は自分には魔法の力が隠れていて……なんて妄想をしたことはあるけれど。思春期特有の黒歴史である。


 王宮で現実的な仕事をしているあいだ、あれは都合のいい夢だったんじゃないかと何度も思い直した。しかし家に帰ると、桃色の薬の入った瓶が必ず出迎えてノーナに訴えかけてくるのだ。

「まだ疑ってんのかい!?」と。魔女の幻聴が聞こえてきて「す、すみません疑ってました!」と瓶に向かって謝るまでが一連の流れだ。


 普通の薬屋でもらう薬草を使った薬と魔女の作った魔法薬が、どう違うのかは分からない。少なくとも、薬屋の薬はこんな綺麗な色をしていない。ノーナは体力がないくせに働きすぎなのでよくぶっ倒れて薬を買うが、黒い小さな粒剤や白い粉薬が多い。

 

 なにを原料にしたらこんな色になるんだろ……?


 ノーナは魔女の家を脳裏に思い浮かべてみたが、壁際の棚に置かれていた瓶に、乾燥させたトカゲのような物が入っていたことを思い出して頭から締め出した。

 ……うん。知らないほうが幸せなこともあるだろう。


 今日もトゥルヌスさんは柔らかい笑顔で仕事をしていた。仕事のできそうな顔をしているのにやっている内容は中身の薄いものだが、怒られないだけいいと思っている。

 

 ノーナは去年、トゥルヌスさんによって局長補佐に引き立てられた。したがって彼の代理で様々な決定権も持っているのだけれど、同僚たちは平民に指示されることを良く思っていない。つまりあまり話を聞いてくれない。

 結果、ほんとうなら人に頼みたいことまで自分でやる羽目になって、いつもノーナだけがせかせかと働いているのだ。


 友人には「貴族の働き方なんてそんなものだ」と言われている。平民だから、どんな仕事もちゃんとしなきゃと思ってしまうんだろうか。

 上司が変われば職場が変わるとはよく言ったもので、いまの経理局はノーナが気をつけていないと平気で一桁違う予算を通してしまうし、逆にこちらが処理すべき書類に期日が過ぎても気づいていなかったりする。


 でも……例えばあの騎士だったらどうだろうか。

 

 シルヴァはウィミナリス侯爵家の次男だ、と噂で聞いた。若いのに幹部候補だと囁かれている彼は最近の王宮では注目の的であり、噂の中心にいる。

 

 シルヴァは貴族だけど、のらりくらりと騎士をやっている訳では絶対にない。じゃなきゃあんな風に傷だらけになったりしないだろうし、今回も戦地でなにか大きな武功を立ててきたとかで、遠目でも彼からは歴戦の将軍のような雰囲気を感じた。

 

 北を山に、それ以外の三方を海に囲まれたエレニア王国は、縦に長い国土を持っている。山や海の自然に守られている反面、近年は造船技術も発展し、油断しているとどこからでも外敵がやってくるリスクがある。

 

 気候が穏やかで自然の恵みの多いこの国を、虎視眈々と狙う国は少なくないのだ。とはいえ周辺の国も小国が多く友好的に貿易関係を結んでいる国も多いため、敵が大挙して四方からやってくる危険性は今のところない。

 

 ここ数年は好戦的な南の島国がエレニア王国南方部の港に上陸してくるのが常で、辺境軍に加えて国王軍が派遣され、戦っては引き、戦っては引きを繰り返しているらしい。地形や地質的に大きな砦を築くのは難しいようで、いかに騎士たちの力で追い返せるかがキーとなっている。

 

 前線に送られる精鋭の騎士たちの中で武功を立ててくるなんて、並大抵の努力では不可能だろう。恵まれた体格も一助にはなれど、武術センスは一朝一夕では身につくまい。


 騎馬で、ノーナだったら両手で持ってもふらつきそうな大剣を振り回して戦うシルヴァを想像するだけで、その迫力にちょっと身体が震えた。

 ノーナはグラスに入った琥珀色の酒を煽る。狼なんて肩書きがつくのも、わからなくもない。

 

 彼みたいな人がこの国を守ってくれているのだと思うだけで、心強い。彼みたいな人もいるのだから、経理局のみんなにももっとやる気をだして欲しい。


「はぁ〜〜〜っ。準備、しておかなきゃな……」

 

 職場の人間関係を思うだけで、やるせない気持ちになる。だからこそ、惚れ薬を使って夢みたいな時間を過ごしたい。

 さいきんはトゥルヌスさんも上の空で、しばらくノーナにお誘いがかかることもなかった。


 明日はついに実験の日だ。


 惚れ薬なんて名前だけで、なんの効果もない可能性も考慮しているけど、もし上手く行ったらそういう雰囲気になるかもしれない。

 トゥルヌスさんは王宮内に部屋を持っているのだが、ノーナと会うときは必ず人目を避けるように外だ。でも、明日もしかしたらその部屋に連れて行ってもらえるかもしれない。

 

 ……こんなことばかりに気が回る自分には呆れる。

 文官でも局長とか、高位貴族は王宮内に寝泊まり可能な部屋が与えられる。そのまま部屋に行くとしたら準備する時間がない。だから今夜しかないのだ。


 ノーナは使っていたグラスを洗い、寝室へ向かう。服を脱いでから隠しきれない期待を胸に、ベッド脇に置いてある香油へと手を伸ばした。



 ◆



 翌日、ノーナはずっとそわそわしながら一日を過ごしていた。すぐに気が逸れてしまうせいで仕事にも身が入らない。

 

 うっかり上司が承認する欄に自分のサインを書いてしまって書類を作成し直したり、他局に書類を届けに行く途中でまったく別の書類を持ってきてしまったことに気づいて慌てて引き返したり。


「珍しいね、君がこんなにもミスをするなんて」

「うう……すみませんトゥルヌス局長。こんな時間になってしまって」


 どうやって終業の鐘がなったあとにトゥルヌスさんを引き留めようかとあれこれパターンを考えていたのに、図らずも自分のミスで目的を達成してしまった。

 トゥルヌスさんは他の同僚たちと一緒でさくっと帰ってしまうことが多いので、そうなると彼にだけ話しかけるのは難しいと思っていたのだ。

 

 いまサインを書いてもらっている書類で最後だ。定時をわずかに過ぎた時間だが、ここの同僚はみんな帰ってしまったからちょうどいい。さらに運のいいことに、この書類の届け先は目と鼻の先にある局だった。

 

 王宮は広いので、ノーナは長い距離を歩いて、ときには小走りで局を往復することだって少なくない。いまから走って書類を届けに行って戻ってこれば、トゥルヌスさんが帰るまでには間に合うだろう。

 ノーナはさっきポケットに入れた惚れ薬を意識しながら、脳内で動きをシミュレーションしていた。


 書類を受け取ったとき、トゥルヌスさんはさっそく帰り支度を始めた。この人は本当に帰るときだけ動きが早い。

 

 ノーナは慌てて、けれど違和感を持たれないよう競歩のような歩き方で経理局を出た。その瞬間スタートダッシュのごとく走り出す。ちらほらと廊下に人影が見えたが構いやしない。

 ドアにぶつかりそうになりながらも目的地で書類を提出し、すぐ近くの水場に駆け込んだ。


 はぁはぁ、荒い息を整えてポケットから小さな袋を取り出す。今朝、瓶から一個だけ薬を移し替えておいたのだ。キョロキョロと誰も見ていないことを確認し、手の平に桃色の飴玉みたいな薬を乗せる。実際に触れても不思議な力を感じることはない。ちょっと怖い。でも……

 

 ノーナに躊躇っている時間はない。直径が親指の第一関節まである球体はどう考えても飲み込むには大き過ぎるが、「えいっ」と心のなかで掛け声をして口に入れた。


「うぐっ」


 飲み込もうとしても喉につかえる違和感がすごすぎて、飲み込めない。慌てて水を手に汲んで流し込むようにすると、やっと薬は喉を抜けていった。

 まだ喉の奥に違和感があるが、致し方ない。それどころじゃない。


 だって、ついに……惚れ薬を飲んでしまった!

 

 あとはトゥルヌスさんに声を掛けるだけ。話しかけるだけ。ノーナは口を固く閉じて自分の局に向かった。なんとなく息まで詰めてしまって、苦しくなって慌ててドアの前で深呼吸をする。

 

 トゥルヌスさんは奥の局長室でまだ帰り支度をしているだろうか。もしかしたらもう手前の大部屋まで出てきているかもしれない。感じたことのないほどの緊張に心臓が飛び跳ね、口から飛び出しそうだ。


 これはまだ実験だから……と自分に言い聞かせてドアノブに手を掛けたとき、内側からなかなかの勢いでドアが開いた。


「ッうわぁ!?!?」


 自分の方へと向かってきたドアに驚いて、ノーナはぺしゃんと尻もちをついてしまう。眼の前にゆらりと黒く巨大な影が立ちはだかって、野生の熊に遭遇してしまったかと思った。


「申し訳ない、大丈夫か?」

「いたたた……あ、だいじょぶ……って、――――あ」


 あ…………ああーーーーー!!!!!



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