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12.ワインとペストリー

 シルヴァはあのあと、椅子を乗せてきた馬車に今度はノーナを乗せ、王宮へと向かった。

 仕事への行き帰りで使う乗合馬車ほどは揺れないものの、痛めた直後の腰と尻への負担は想像以上に大きい。


 (痛くて気が遠くなりそう……)


 ノーナは黙って額に脂汗を浮かべていたが、直後にそれ以上の心労が待ち構えていた。

 一緒に馬車へと乗っていたシルヴァはすぐにノーナの異変に気づき、なんと……膝の上で横抱きにしてきたのだ。衝撃が伝わらないよう逞しい腕でしっかりと支えてくれる。

 「こ、これ以上はキャパオーバーです!」なんて言うわけにもいかず、ノーナは彼の腕の中で冷や汗をかく羽目になったのだった。


 そんなこんなで状況に流されるままスタートした王宮での臨時生活は、――控えめに言って快適すぎる。


 毎日徒歩と乗合馬車で片道約一時間。往復二時間が移動に消えていた。それが王宮内に住み込むことでほぼゼロになるのだ。

 それと引き換えに、シルヴァの部屋を借りていることをごまかすため朝は一番のりに出勤し、帰りは最後の一人になるまで残る。もともとそれに近い行動パターンだったから、全く苦ではない。

 もちろん、誰の目にもつかないことは不可能だけれど……誰もノーナなんて見ていないだろう。存在感の薄さには自信があった。

 

 毎日たっぷりと良質な睡眠を取れるおかげで、最近は肌にも張り艶が出てきた気がする。ベッドが大きくてふかふかなのも一因かも。腰はすぐに治ったし、あとは尻も青い痣が消えるのを待つだけだ。


 食事は一番大きな食堂が夜まで営業しているので問題ない。ノーナはよくピザとワインをテイクアウトして部屋で夕飯にしていた。

 唯一の懸念はちょっと太った気がすること。でも……通勤も自炊もしなくていいのが今だけだと思うと、自分に甘くなってしまうのだ。


 しかも、たまに仕事後のシルヴァが様子を見にきてくれるサービスつき。申し訳ないが、家の錠は当分直らなくていい。……と半分本気で思っていたら、本当に一週間たっても二週間たっても、直ったという知らせは来なかった。

 錠前屋が忙しくなるように、ノーナが夢の中で王都中の家の錠を壊して回ったから?


「いや……実は、扉の方にも亀裂が入ってしまっていたんだ」

「えぇっ。シルヴァさん……怪力すぎませんか?」

「……すまない。扉の修繕を先にするために、もう少しここで我慢してくれ」


 はい、喜んで! なーんて冗談を心の中で呟いてしまうのも無理はない。実はノーナはいま、シルヴァと部屋で食事を囲んでいた。テーブルを挟んでふたりきり。

 

 食堂の関係でピザばかり食べていたノーナを気遣って、シルヴァが外で食事を調達してきてくれたのだ。ノーナが買いに出てもいいのだが、あまり王宮を出入りすると人目につくため休息日以外は控えている。

 

 ワインと食事が目の前にあれば、多少の気安さも出てくる。ノーナは敬語こそとれないものの、だいぶ砕けた話し方になっていた。


 シルヴァも不敬だと怒るような人ではないから安心だ。今はちょっと酒でぼうっとしてるようにも見える。

 ノーナはわりとガバガバ飲むから、彼もそのペースに釣られたのかもしれない。身体は大きいのに、すぐに赤くなってかわいい。


「デザート、持ってきてくれたやつ食べますか? もうお腹いっぱいでしょうか?」

「食べる」


 シルヴァはノーナのために考えてくれたのか、食事と一緒に甘いものも買ってきてくれた。ノーナは辛党なので甘いものは普段食べないけど、その気持ちが嬉しい。

 

 小さな箱を開けると、フルーツやクリーム、バターをたっぷりと使ったペストリーがいくつも入っている。甘い香りが鼻に届くと同時に視界に入ってきた色鮮やかなスイーツに、思わず歓声を上げた。


「わあっ、綺麗ですね! どれ食べますか?」

「……」


 箱をシルヴァの前に持っていくと、彼は無言でペストリーに手を伸ばした。一個一個が小さいから、ひとくちでシルヴァの口の中へ消えていく。

 ノーナが唖然と見ているうちに彼はぽいぽいと食べすすめ、あっという間に半分ほど食べ切ってしまった。


「甘いもの、好きなんですか?」

「……っ、あぁ」


 ノーナがもう一度話しかけると、シルヴァは自分の行動にいま気づいたように固まる。ぽかんと口を開け、気まずそうに視線を逸らす。

 どう見ても……彼は甘党を恥じらっているのだ。ノーナはキュンッと心臓が締めつけられるのを感じた。こんなにも甘い痛みがあっていいのだろうか?

 

 確かに彼の外見からこのスイーツは想像がつかない。でもきっと、ペストリーもわくわくして選んだのだろう。そのギャップがとてつもなく可愛いし、意外な一面を知れたことで舞い上がってしまう。

 もしかしたらノーナしか知らない秘密なのかもしれない、なんて……都合が良すぎるかな。


「いいですね。僕はあまりこういうものを食べないので、見ているだけで楽しいです」

「ノーナも食べてくれ」


 思わずにこにこしていると、彼は話題をはぐらかすように果物の乗ったペストリーをひとつ摘み、ノーナの口元に持ってきた。つん、とペストリーで唇をつつかれて、反射的に口をあける。

 半分ほどのところで歯を立てると、生地のしっとりとした食感と果物の瑞々しさが口の中で弾けた。唇についたカスタードクリームを舌で舐め取る。


「ん……おいしい。もう半分もください」


 果物のおかげで甘すぎないのがちょうどいい。久しぶりの甘味を堪能していると、ノーナを見ていたシルヴァはまた硬直していた。さっきより顔が赤いけど、酔いが回ってきたのかな?

 

 ノーナは構わずシルヴァの手を追いかけ、少し前かがみになって彼の手からペストリーをぱくついた。片手で自分の髪を押さえ、シルヴァの指にもクリームがついていたから無意識にぺろっと舐める。


「お、おい!」

「あっごめんなさい。んーん、たまには甘いものもいいですね。しかもこれ、白ワインにも合うかも」


 ノーナはザルだが、酔わないわけではない。気持ちよく鈍くなってきた思考で、シルヴァがどうして怒っているのかもわからなかった。彼のペストリーを食べちゃったから?


 目の前にまだいくつかあるペストリーの中からより美味しそうに見えるものを選んで、今度はノーナがひとつ指で摘む。そしてシルヴァの口元へ持っていって唇につんつん押し当てた。


「ねぇ、怒らないで? ほら、あーん」

「!!!」


 こういうの、恋人みたいだな〜と心のどこかで思ったら、ノーナは幸せの笑みがあふれるのを止められなかった。シルヴァはこちらを凝視しているし、自分の顔にでかでかと『好き』って書いてあるのかもしれない。

 

 ノーナを見つめるバーガンディの瞳も、短く切られたシルバーの髪も、眉の上に残る古傷だってかっこよくて好きだ。外見だけじゃない。強いのに優しくて、純粋でまっすぐで、実は甘いものが好きなところもたまらなく好き。


 シルヴァがノーナの手からペストリーを食べる。それこそ指ごと食べてしまうかのように大きなひとくちで。つい、指に感じた彼の唇の感触を反芻してしまう。


「美味しい?」


 うっかり口を滑らせて本音が漏れてしまいそうだ。ノーナが唇を噛みしめると、シルヴァがノーナの顎に手を添え歯に押さえられた唇を指で解いた。

 

 触れられたところが熱い。唇が半開きになって、物欲しそうな顔がバーガンディに映り込む。

 そのまま彼の目を見つめていると、どんどん顔が近づいてきて……


 ――唇同士が重なった。


 シルヴァはノーナの小さな唇を柔らかくはんだ。たったそれだけで、ノーナは蕩ける心地になってしまう。


「ん」

「美味しい。……甘いな」


 あっという間に顔を離してしまったシルヴァが、色気全開の顔で呟く。この人、こんな顔できたの!?

 

 今度はノーナが真っ赤になる番だった。顔に火がついたみたいに熱くて、恥ずかしくて、両手で顔を覆う。

 六歳も歳下なのにどんどん好きにさせられて、いったいこの人は、自分をどうしたいのだろうか。

 

 ん? というか、いまの行動の意味は……と思考を巡らせていると、シルヴァが口を開いた。


「ノーナの存在は()()みたいだ。あまりあちこちに、魅力を振りまかないでくれ。……ッ。悪い。飲みすぎたみたいだ」

「…………」


 魔法という言葉を聞いたノーナの絶望的な表情をどう読み取ったのか、シルヴァは慌てて席を立ち、ささっとテーブルを片付けて帰ってしまった。

 

 ――どうしよう……。






 思い悩んで一睡もできなかったノーナは、その翌日の休息日、シルヴァにも言わずふらふらと家に帰った。ノーナの物にあふれた自分だけの空間で、心を落ち着かせたい。

 家には仮の錠が取り付けられていて、ノーナはその鍵も預かっている。そもそも、これがあるなら戻ってきても問題ないんじゃ……


「遅かったね」


 家の中に入ると、いきなり声をかけられてノーナは飛び上がった。身構える前に聞き覚えのあったその声は。


「おばあさん……!?」


 あのときの魔女だった。シルヴァが持ってきた新しい椅子に我が物顔で座っている。

 

 鍵がかかっていたのにどうやって入ったんだろう。そう思って尋ねると、彼女は昔ここに住んでいたのだという。いや、理由になってませんが……

 魔女に突っ込むと十倍返しされる予感がしたのでノーナはとりあえず納得することにした。


「惚れ薬は使ったのかい? 様子を見にきてやったんだ」

「あ、はい。……三回、使わせてもらいました」

「ふん、本当に使ったのか。どうだ、効果あっただろう」

「いや、ありすぎといいますか……」


 魔女にミントじゃないお茶を淹れて、ノーナはもう一つの椅子に腰掛けた。滑らかな木の感触が身体に伝わり、シルヴァの持ってきた椅子であることを実感させる。


 これはまたとない機会だ。惚れ薬を使ったときの違和感について訊いてしまおう。そうしてノーナは実例を交えて質問したのだが……


「はぁ〜〜っ。あんた、馬鹿なのかい!?」

「え」

「どうやって薬を飲んだ?」

「え、普通の薬と同じようにゴックンと」

「溶かさずに? はぁぁぁ〜〜〜〜…………」


 ノーナが頷くと、魔女は幸せが全部逃げていきそうなほどの深いため息を吐いた。その様子に、ノーナは自分がなにか重大な間違いを犯したのだと悟る。

 

 すごく飲みにくかった、という感想はぐっと飲み込んだ。ん? ……溶かす?

 魔女はノーナが持ってきた瓶とノーナの顔を見比べて、諦めたように首を振った。


「口の中で溶けるのを待ってから、少量ずつ、水で薄めながら飲むんだよ」

「えぇ! そうだったんですか? うーん、聞いたかなぁ」

「言っただろう。……はて、言ってなかったか?」


 ノーナと魔女は互いに首を傾げあって記憶を探ったものの、あまり具体的なことまでは思い出せなかった。

 あの日の出来事はぜんぶ夢みたいで、惚れ薬のインパクトが強すぎたのもある。本当に作ってもらえると思わなかったのだ。

 

 兎にも角にも、ノーナは惚れ薬を正しく飲めていなかったらしい。あんなに苦しんで飲んだのに。


「その飲み方だとおそらく、効果は倍になって半減しただろうね。あーあ、それじゃ惚れ薬の意味ないじゃないか」


 倍になって……半減? 魔女の説明によると、強烈に惚れるが効果時間は半分になるということだった。

 

 なるほど、それならやけに効果が短いと感じたのにも合点がいく。それに……最初のシルヴァは、彼を知った今思い返しても人格崩壊かと思うほど強烈だったのだ。

 なるほどぉ……泣けてきた。


「うう……すみません。あと……強い気持ちは残るって、それはどうなるんでしょう」

「まだ三回しか使ってないんだろう? じゃあ残ってないね。残留思念はかすかなもので、正しく四、五回使うと自然に恋心を抱きはじめる。その使い方なら、まだまだだ」

「実は相手を間違えちゃって、同じ人にはまだ二回しか使ってなくて……」

「はぁっ? この間抜けちんが!」


 やっぱり怒られた。さらに相手をうっかり二回も間違えただなんて、とてもじゃないけど言えない。

 とはいえ、魔女の回答でノーナの落ち込んでいた心に一筋の光が差し込む。

 

 魔女の言い分が正しいのなら、シルヴァの言動は――魔法の影響を受けていないことになるのだ。

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