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1.魔女の妙薬

「――来て良かった。ノーナに出会えたんだから」

「ひぇ」


 ノーナは目の前に立つ大きい熊のような男を見上げた。


 短く刈られたシルバーの髪に、バーガンディの瞳。精悍で凛々しい顔立ちだが、その目はわずかに潤み熱心にノーナを見つめている。


 まだ信じられなかった。魔法をかけてしまった相手は、彼なんじゃないと……


「どうしよう。君を見ていると胸が高鳴って苦しいくらいなんだ……これが恋というものなんだろうか?」

「う」


 やばい。やっぱり魔法にかかってる〜〜〜!!!

 すごく言いたい。「間違えました!」って、言いたい!


 ノーナは自分のおかした失敗に気が遠くなりながら、惚れ薬を手に入れてからここまでの経緯を走馬灯のように思い返した。




 ◇




「いいかい、この惚れ薬が使えるのは五回。相手に飲ませる必要はないから簡単だ。あんたみたいな……いかにも間抜けちんでも使える」

「ま、まぬけちん……」

「飲んでから、一番初めに声を掛けた相手に魔法がかかる。うすのろトロいんだから、間違って変な人に話しかけないように」

「うすのろとろい……」


 老婆のいうことを繰り返しながら、ノーナは手渡された『惚れ薬』を見つめた。失礼ながらお年を召した彼女が作ったとは思えないほど、球体の薬はかわいらしい薄桃色だ。

 瓶を傾けると、カランと軽やかな音が鳴る。大きな飴みたいだ。これを飲み込むって……大きさ的にけっこう大変そうだなぁ。


「――おい、聞いてるかい! これで説明は終わりだ。なにか質問は?」

「え、えと……使うごとに効果の続く時間が短くなるんでしたよね?」

「はぁ、そうだ。ちゃんと覚えておきな。初めは六時間で、二時間、四十分……と繰り返すごとに効果時間は短くなっていく。惚れ薬が効いているあいだの記憶は相手に残らないが、強い気持ちに対する残留思念みたいなものは残る。ま、五個全部使えばよっぽどのことがない限り、惚れるね」


 つまり、効果は六時間から毎回三分の一になっていくってことか。というか、六時間って長いな……それだけあれば、その、あれこれ出来てしまうんじゃないだろうか。


「にへにへ笑って気持ち悪いよ。地味なあんただからこそ、この偉大なる魔女様が手助けしてやったんだ。せいぜい効果的に使うことだね」

「は、はいっ。ありがとうございます感謝してます!」


 自称魔女の老婆は言葉がストレートで、ぐさぐさ刺さる。それでもノーナはもっと悪意にまみれた言葉を知っていたし、彼女が善意で惚れ薬を作ってくれたことに心から感謝していた。


 ――もう、叶わぬ片思いも身体だけの関係も嫌だった。

 人生に一度くらいは自分のことを好きになってくれる人に、たっぷりと愛されたい。それはずっと胸の隠された場所に抱いてきた夢でもある。

 

 ノーナは同性しか愛せない。それは、この国ではあまり一般的ではないのだ。

 

 惚れ薬を使いたいのは同じ職場にいる上司だ。ひと回り以上年上だけど独身で、物腰が落ち着いていて平民のノーナにも優しい。

 付き合い始めた当初は……恋人だと思っていたものの、彼とノーナはいわゆる()()()()()()()だということにしばらくして気づいたのだ。

 

 トゥルヌスさんに心から愛されることができたら、きっと幸せで胸がいっぱいになることだろう。そんな気持ち、長らく感じていなくて忘れてしまった。






 自分の家に着いてドアを開けると、相変わらず小さな空間が目の前に広がった。しかし、慣れ親しんだノーナだけの城だ。綺麗好きだから整頓はされているが、細々とした物が所狭しと置かれている。

 

 森で摘んだ野の花は小さな花瓶に入れて窓際に、ベッド脇に置いた犬の置物は、街の雑貨屋で買ってから狼だと言われて驚いたっけ。部屋の中で一番場所を占めているのは両親の遺した物の数々だ。

 

 両親は、ノーナが成人する直前に亡くなった。平民のなかでも商家でそれなりに裕福だったわが家が狙われて、強盗が入ったのだ。

 ノーナはその頃学園に通わせてもらっていたから、強盗に遭ったときも家にいなかった。そのおかげでノーナだけ被害に遭わなかったが、両親は殺され家の中の財産は根こそぎ持っていかれてしまった。

 

 高く売れないものは価値がないと言わんばかりに残された両親の私物が、あれからずっとノーナにとっての宝物だ。


 しばらくして犯人は捕まったが家の財産は戻ってこなかった。親戚たちも、両親が一代で財を築いたことを面白く思っていなかったらしく、ひとり残された少年に助けの手を伸ばすことはない。

 

 ノーナはあと少しで卒業できるはずだった学園を退学し、一人暮らしを始めた。元の家は大きすぎるし、気づけば親戚が管理する物件になっていたのだ。近所の人から可哀想な子として見られるのもつらかった。


 街の外れ、迷いの森のそばというひと気のないところに住んでいるのは単純に安かったから。

 

 迷いの森は、鬱蒼と木々が生い茂る黒い森で人が寄り付かない。迷い込むと一生出られないとか、逆に生を諦めた人が自ら足を踏み入れるとか、恐ろしい噂もあるのだ。

 そんなところに半分差し掛かっているような場所に住みたい人なんていないだろうと、安く叩き売られていたところにノーナは飛びついた。


 迷いの森の黒い噂なんて、ノーナは気にしていなかった。


『自分の目で見たものを信じること』


 亡くなった両親の教えだ。噂や伝聞に惑わされず、自分たちの目で見て正しい判断を下してきたからこそ、彼らには商売の才能があったのだろう。

 

 ――実際に住んでみて、本当に噂通りの場所なのか確かめてみよう。

 

 安いとはいえ家を買ったことでノーナは無一文に近かった。けれど働いていればそのうち別の場所を借りることくらいできるはずだ。嫌になったら引っ越せばいいだけ。

 そう自分に言い聞かせて実際に住んでみたら……意外にも居心地が良かったのだ。


 ひとりで得た初めての成功体験だったと思う。それ以来、ノーナは両親の教えを心のなかで大切にして生きている。

 どこからかきっと両親が見守ってくれているはずだから、それに恥じない生き方をしていきたい。

 

「惚れ薬は……ちょっと恥ずかしいかも」


 ベッドに寝転がって、惚れ薬の瓶をためつすがめつ眺めながらノーナは独りごちた。

 いくら魔女の申し出とはいえ、こんなものを望んで受け取ってしまったと知れば、両親は頭を抱えるかもしれない。そもそも上司と未来のない関係を築いてずるずる付き合い続けていること自体、知られたら恥ずかしい。

 

 こんなときだけ、ノーナはひとり暮らしでよかったなぁと能天気に考える。

 

 サイドテーブルに置いたランプの光を受けて、薄桃色の惚れ薬はオレンジ色に輝く。色が綺麗すぎて、薬とは到底思えない。しかし魔女の作った妙薬なら、なんでもアリな気はした。

 

 正直、彼女が本当に魔女なのか、この薬が本当に惚れ薬としての効果を持っているのかは分からない。

 

 きっかけは、ノーナは迷いの森で腰を痛めて動けなくなっていた老婆と出会い、案内されるがまま家まで運んであげたことだ。


 辿り着いた家は古風で、ノーナの家よりも広かった。玄関を抜けた先は作業場のようになっており、木のテーブルには作業途中のような何かの粉末がすり鉢に入っている。頭上には乾燥させた薬草らしきものがたくさん吊るされていた。

 

 道中で彼女が魔女であることは聞いていたので、ノーナは「いかにも魔女っぽい!」と興奮したのだが、「だから魔女だと言っとるだろうが!」と怒られた。


「あんたみたいに貧弱な男に運ばれるなんて、こっちの方がひやひやして疲れたよ。でも、まぁいい。礼くらいしてやろうかね。あたしにできるのは魔法薬くらいだが――なにがいい?」

「ほっ、惚れ薬はできますか!?」

「……」


 即答したノーナを魔女は可哀想なものを見る目で見ていたものの、本当に惚れ薬を作ってくれたのだ。

 

 効果の如何は、やっぱり実戦で試してみよう。こんな得体のしれないものを飲むなんて少し怖いが、相手に飲ませるよりは遥かにましだ。

 それにあの老婆は口が悪いけれど、ノーナが本当に傷つく言葉や、理不尽なことは決して言わなかった。良い人だって分かるから、身体に害のあるものを渡されたとは思えない。


 実際に薬を飲んでトゥルヌスさんに話しかけて、本当にノーナに惚れるのかどうか自分の目で見て確認するのだ。

 記憶が残らないと言っていたことも、確かめたい。確信を得られるまでは、下手な言動は避けたほうがいいだろう。

 

 ノーナは彼に抱かれるとき、彼の紡ぐ言葉から、あるいは指先から、自分が愛されていないことをひしひしと感じる。いつの間にかそんなことも分かるようになってしまっていた。

 

(もし本当にそういう雰囲気になったとしても、六時間もあれば実験には充分すぎる……)


 決戦は来週末。ノーナは泡のような期待に胸を膨らませながら、目を閉じた。


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