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幽霊つきの能面は笑う

作者: さゆき

*女面 能面の一種。もっとも有名な面の一つで、角度によって様々な表情をもつと言う特徴を持つ。

*高座 落語を披露する会場



 足音も立てずするすると、女面をつけた者が高座の袖から姿を現した。

 それが女であるということは、高座に目を向けている者であればすぐにわかった。腰まで伸ばした艶のある黒髪が能面とよく調和している。体格も比較的小柄だ。

 彼女を目にした客の反応は芳しくなかった。

 客といっても席に座るのは、妙に態度のでかい男とそれを取り巻くサングラスの男たちだけ。

 この日の寄席は、来日したアメリカ高官を歓迎するために開かれていた。態度のでかい男というのが、件の高官というわけだ。

 ここに招いた張本人たる日本の首相は、突如発生した大渋滞で未曾有の大遅刻をしているが。

「Who is her?」

 高官の男は眉を顰めた。

 わかりやすく苛立った口調だった。遅刻に腹を立てているのだろう。

 そして出てきた者が女であったことがまた、男の怒りに油を注いでいた。

 それもそうだ。本来の予定では、今日彼女が座った座布団の上には熟練の落語家たる老爺が座している筈だった。

 高官の隣に座った秘書らしい女が唇を動かす。

「Becauseーー」

 同時だった。女の言葉を遮るように声が響く。

「それは、師匠が事故に遭われたからにございます」

 遅れて通訳が高官の耳元で口を動かすのが見えた。高官もまた何か言った。

『ならお前は?』

 通訳越しの言葉である。

(わたくし)は師匠の一番弟子、ねねと申します。事故に遭われた故、師匠は私をこちらによこしたのです」

『ほう? それなら期待できるのか?』

 嘲笑混じりの問いだった。

 能面はぬるりと小さく頷いてみせた。

「必ずや、落語の真髄をお見せしましょう」

「Hmm」

 男に期待の色は見えなかった。


 女は一度袖に戻ると、お香と扇子を持って再び中央の座布団に座した。

「今日は、特別おもしろい演目にございます故、お楽しみいただけたら幸いです」

 言った彼女はお香を脇に置き、紺の羽織を脱ぎ置いた。

 ゆっくりと、寄席内部の大気が静まってゆく。

「近年では科学なるものの発展が目覚ましいですねぇ。怪談やオカルトなんかもかぁんたんに解明されちまいます。つまらん世の中ですよ」

 いわゆる導入だ。彼女の師匠とその弟子達は導入が上手いことでよく知られていた。彼女も例外ではない。

 女は続けた。

「例えばそう。幽霊、なんつってぇも、非科学的つって馬鹿にされちまいます。でも小さい頃ってのは不思議なもんで、怪談・オカルト・幽霊ってのは大好物の一つでしたよ。私にも、悪友と肝試しをした思い出なんかがございましてーー」

 チッ。

 強い舌打ちが女の舌を止めた。

『前置きが長いな。つまらん』

 男の目は冷え切っていた。

 通訳を挟んでいるとはいえ、公演を止めるほどつまらないことはない。もはや八つ当たりの類だった。

 能面の微笑みが男に向く。

「そうですか」

 思っていたよりけろっとした声色だった。

「まあすぐに本題に入りますんでね。もう少しお付き合い願いましょうかぁね」

 女の調子は衰えない。

「今や馬鹿にされる幽霊も、数百年前、そう、江戸時代なんかにゃぶいぶい言わせていたわけでございます。あっちゃこっちゃで人魂だの骸骨だの。当然、そいつを使って職にありつくなんて輩もいまして」

 十分に間を開けると、

 ーーこれは江戸で稼いでた幽霊付きの仕掛人のお話。と、女は切り出した。

 仕掛人、とは今でいう殺し屋やヒットマンを示している。


 能面が語り始めた。

 若い男ーー佐助は、江戸の裏社会では定評のある仕掛人であった。なんでも彼には幽霊がついているという。幽霊に命令することで、証拠を残すこともなく簡単に対象を殺すことができるらしく、その成功率は驚異の10割と聞く。

 佐助の元にはまさに絶え間なく依頼が届いた。私怨から商売敵まで理由は様々。

 彼は依頼が届くとまず依頼された者の家を軽く視察する。それから依頼を受けるか決める。

 曰く、幽霊にも苦手な場所と得意な場所ってのがあるらしい。

 ある日の依頼は地元で有名な商人を殺して欲しいというものだった。佐助は軽い下見を済ませると依頼主を呼び出した。

「この家なら問題ねぇ」

 依頼人は彼の言葉に疑問を持った。

「なんでわざわざ家で殺すんです? あそこの家はぁ、守備が厳重だ」

「守備なんて関係ねぇんですよ、旦那。何せあっしには幽霊がついてる」

 佐助は自信たっぷりにそう返した。これが彼の決まり文句であった。

 

 一週間後、佐助は商人の家を訪れた。

「何用だ」

 守備の者が彼を止めた。

 佐助は腰を低くして両手を擦り合わせた。

「あっしはしがない商人でして、商談があるんです。ほら、先日手紙をよこしたじゃありませんか」

 足から頭まで佐助を眺めた守備は眉を顰めた。

「今日くると聞いていたのは老夫の商人だが」

「ええ。それはあっしの親父でして。昨日病に伏せてしまったのです」

 当然全て嘘である。

 守備は少しばかり同情したのか、眉をハの字に変えて言葉を作った。

「そうか。気の毒だったな。商人の手形はあるか?」

「もちろんでございます」

 商人の手形を見せると、躊躇なく奥に通された。さすが商人の家といったところだ。

 無論、偽物の手形だが。

 通された畳の間で座っていると、横の襖がさらりと開いて白髭を携えた男が対面に腰を下ろした。

「お前か。商談の相手は」

「ええ。あっしでございまーー」


 ピシャリッ。


 寄席の内を威勢の良い音が響き渡った。

 女が扇子を机に叩きつけた音であった。

 高官は思わず肩を振るわせた。それもそう、先ほど響いた音は、彼女の手元から発せられたとは思えないほどの迫力を帯びていた。まるで巨大な何かが断裂した如き力強さ。

 落語家は話すだけの職ではない。全身を使って客を楽しませることこそ落語の本来の姿である。

 これまで磨いてきた扇子さばきは彼女の落語をより一層上位の体験へと昇華させる。


 続ける女の口は熱を帯びる。

「なんの音だ!」

 部屋に響いた音に驚き、白髭の商人は辺りを見回した。

「ああ、すいやせん」

 佐助は軽く後頭部をかく。

「どういうことだ?」

「昔から、あっしには幽霊がついていやして。こうして部屋なんかにいるとおかしな音がするのです」

「なんだぁそりゃ」

 商人は笑い半分に返した。

 佐助も笑った。

「あっしにもよくわかんないんですよ。まあ、幽霊が天井に頭でもぶつけたんでしょうよ」

「っはは! そうか。それで商談ってのは?」

 彼の発言を冗談と取ったらしい。

 佐助は考えてきた商談を話した。

「米でございます。あっしの商店で扱う米を買い取って欲しいのでございます」

「米……? なぜだ?」

「あっしの父が先日病で倒れましてね。もう店を畳もうと思ってるんです」

「なるほどーー」


 メキメキ。


 寄席を響く奇妙な音。

 一瞬、高官の男は、己の頭上からなっているような錯覚を覚えた。

 しかしそれが錯覚であることに気がつくのにそう時間は掛からなかった。何せ高座では、能面の女が扇子の先端を机の表面に押し付けて左右に回転させていたから。

 男には、とてもこの音が女の手元から出ているように思えなかった。まるで実際にどこかで何かに力が加わっているような、そんなふうに思えてならなかった。

 それほどまでに、彼女の扇子の扱いは巧みであった。それどころか寄席の音の響きや構造も、彼女にはお見通しであった。


「これは……?」

 天井を見上げた商人が言う。

「だから、言ったでしょう? あっしには幽霊がついているんです。きっと天井裏で遊んでるんです」

 ニヤリ。佐助は笑った。

 商人の顔がゆっくりと引き攣っていくのがわかった。よく見れば血の気も引いている。

「それは本当なのか」

「ええ本当ですとも」

「……」

 商人は黙ってしまった。あってほしくない現実を前に。


 ギゴギゴギゴギゴ。


 能面が扇子で机の縁を擦った。

 高官の表情がゆっくりと曇る。それはあまりにrealな音に対する恐怖からくるものだった。

 おかしい。

 この一言に尽きる。

 いくら女がproであっても、こんな音は出来すぎていた。

 あのような小さな扇子を木製の机の淵に擦り付けただけで、このような音が、その上比較的上方から響いて聞こえるのだ。

 どこかにスピーカーでも仕込まれているのか。


「……」

 完全に黙ってしまった商人を前に、佐助は「でも」と声を張った。

「あっしの経験上、あいつはこっちに害を与えやせん。これだって、昔猫に引っ掻かれた傷ですし」

 彼は己の頬を指して爽やかに笑みを作った。

 彼の頬にある一本の傷はこういう時に役立つ。実際は生まれつきのものだが、利用するに越したことはない。

「そ、そうか」

 商人は取り繕うようにして、引き攣った顔で無理やり笑みを作ってみせた。

 だが次の時、再び彼の顔から笑みが失せた。

「なんだこの匂いは……?」

 

 寄席にもまた、鉄やアルミを焦がすようなごげ臭い匂いが広がった。


 高官は鼻を押さえた。

 女の手元には火のついたお香がある。おそらくそこから匂っているのだろう。

 しかしお香とはこれほど香りが広がるものなのか。


「い、一体なんなんだっ!」

 商人は叫んで腰を上げた。

 見ていた佐助も焦るように腰を上げると、商人と相対して彼の両肩に手を添えた。

「落ち着いてくだせぇ。大丈夫です」

「落ち着いていられるか!」

 商人は佐助の両手を振り解きもと来た襖に足を向ける。

「待ってくだせぇ!」

 佐助は逃げる商人の手首を掴んだ。

 額に汗を滲ませた彼は眼に涙まで浮かべて佐助を見た。

「この部屋で何が起きてる!」

「大丈夫です。一度落ち着きやしょう。幽霊を一番理解してんのはあっしでっせ?」

「それは……」

 商人の動きが止まる。

 ふと我に返り己の慌てようを恥じたのか、次第に商人の顔は赤くなった。

 佐助は少しずつ落ち着きを取り戻した彼を半ば強引に元の場所に座らせて、己だけ襖に向かった。

「どこへいくのだ!」

 商人が言った。

「守備の方に来てもらいやしょう。そうすれば安心するでしょう?」

「……ああ」

「呼んできやす」

 佐助はゆっくりとした手つきで襖を開けると敷居を跨いだ。そして足を止めた。

 すると佐助は徐に商人のいる部屋を振り返り、微笑んだ。



「それでは」

 能面がそう言ったと思うと、またしてもメキメキと激しい音が寄席に響いた。

 あまりの音に高官は周囲を見回す。

 と、彼の目に入ったのは、能面の手元。彼女は扇子を持っていなかった。

 扇子は脇にそっと置いてある。

 それが意味するのはただ一つ。この音は彼女によって発せられたものではない。

『なんの音だ!』


「それはーー」

 能面は微笑む。

「天井の崩れる音にございやす」

 直後。


 メキメキ。


 商人の頭上が崩れ、大量の瓦と木片が商人に向けて降り注いだ。


 寄席の木製の天井からパラパラと埃が降り注いだ。

 遅れて重低音が場内を埋める。

「What!?」

 何故日本の首相が来なかったか、何故事故で彼女の師匠が来れなくなったか。

 今ならわかる。

 高官は腰を上げるとSPに連れられ出口へと走り出した。

 SPは高官に体を寄せ、可能な限り彼の全身に被さっている。5秒も経たぬうちに高官とそのSPは寄席奥の出口から駆け出して行った。

 その時、先ほどまで止まることなく轟いていた重低音がピタリと停止し、寄席の内はしんと静まり返った。

 すると、観客のいなくなった寄席の中で、能面は一人語りを続けた。


 依頼主の元に戻った佐助は無事依頼達成の旨を伝えた。

「どうやったんです? 天井が崩れて商人が死んだと聞きましたが」

「どうってーー」

「やはり幽霊ですか!」

 依頼主は爛々と輝かせた目で佐助の両眼を捉えた。

 佐助は笑った。

「んな訳がないのでございます。あっしが話している間に仲間が天井を解体した、それだけなんでこざいやす」

 答えを聞き、依頼主の瞳から帯びていた光が消えて行くのがわかった。

「そんなことだったのですか」

「ええ。だいたい、かれこれ長く仕掛人をやっていやすが、殺した相手が化けて出たこともありません。現実ってのはそんなものです」

 返す言葉が見つからないらしく、依頼主は黙ってしまった。2人の間に沈黙が降りる。

 30秒ほど無音が続いたからだろうか。ふと疑問に思ったのか、はたまた用意していたのか、依頼主は佐助に疑問を投げた。

「そういえば、なんであんな殺し方をしたんです? 初めから幽霊だっていないのに」

 

 佐助はーー


 能面は、薄らと口角を持ち上げた。否、正確には光の加減でそう見えた。

 それから面に手をかけて女は言う。

「決まっているじゃあありませんか。人が怯える様子は見ていて面白い」

 女は面を手に取り机に置いてから言葉を継いだ。

 ーー正直、怯える顔が見られる職なら、あっしは仕掛人でなくともかまいません。

「たとえば、落語家、なんてね」

 女の唇が弧を描いた。

 持ち上がった口角が、頬にある傷跡を歪めた。

「そういうお話にございます」

 女はお香の焼けた部分を折って捨てると、誰もいない客席に深々と頭を下げた。

 お久しぶりです。もしくははじめまして。

 完全に私の趣味がてんこ盛りの作品でした。書いていて楽しかったです。


 読んでいただき感謝しかありません。もし、万が一にも面白いなんて思っていただけたら、ブックマーク・評価・感想・レビューの方をしていただけると、もれなく作者が喜びます。

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