婚約破棄を告げられて落ち込んでいたら、元婚約者である侯爵家のバカ息子の様子がなんかおかしくなったんですが
「エレノア! お前との婚約を破棄させてもらう!」
お屋敷を訪れて開口一番、私は婚約者であるシドラ様にそんなことを告げられた。
(ああ、やっぱりこうなったのね……)
特に驚きはしなかった。ショックを受けていないと言えば嘘になるけど、なんとなくこうなる予感があったからだ。
なにせシドラ様は私の家の領地まで「グリュイエールのバカ息子」という、不名誉極まりない渾名が届くほどにアレな人である。
侯爵家の仕事をほっぽり出して遊び惚けているとか、女遊びがひどいとか、そんな噂もよく耳にしている。
私のような貧乏子爵の家に生まれた女をわざわざ婚約者に指名したのも、シドラ様が参加した夜会でたまたま目についた私の容姿が、彼の好みだったからなどとまことしやかに囁かれていることも知っていた。
つまり私がシドラ様の婚約者になれたのはあの方の好色によるものであり、数多くの女性と色恋沙汰を繰り返していると言われるシドラ様なら、更に自分好みの女性を見初めていたとしてもおかしくはないということである。
現に、シドラ様とは婚約関係になってまだ一年ほどではあるものの、こうして顔を合わせたのもまた一年ぶりのことだ。
以前顔を合わせたときは、彼は私からそっぽを向いてずっと窓の外を向いていた。
あの時には既に私への興味が薄れていたということなのだろう。
お茶のお誘いなどもなかったし、向こうから出向いてくるということもなかった。
時々手紙は届いたものの、その内容は短く、「元気か?」だとか「好みの料理はなんだ?」とか、あとは「俺はカブトムシが好きだ」などと、要領をまるで得ないものまであった。
これならそこら辺の子供のほうが、よほどいい内容の手紙を書けることだろう。
「もっと他に書くことがあるでしょう!?貴族として恥ずかしくないんですか!?」と言いたい気持ちはそりゃああったが、なにせ相手は自分より遥かに身分が上の侯爵家の跡取り息子。
強い言葉を吐き出すことなど出来るはずもなく、無難なことを書いて返事を出すのを繰り返していた。
そんな私のことをきっと彼はつまらない女だと思ったはずだ。
私からすればシドラ様のほうがよっぽどつまらないし舐めてんのかと言いたくなるが、そこは腐っても侯爵家の子息だ。
何度も繰り返すようであれだけど、私の身分ではそんなことは絶対言えない。
今回の婚約破棄の件もそう。
例え抗議したとしても、彼の家の力があればそんなものは無風も同然。握り潰されて終わりだろう。
何らかの形で謝礼が入ればまだマシだろうが、それも大分期待薄だ。
私としては貴重な婚期を一年逃してしまったことも痛手だが、なにより彼が私に対し、悪評を流さないかのほうが気がかりだ。
「あいつはつまらない女だった」
「俺の手紙に気の利いた言葉を返すこともなかった」
「容姿はいいが見てくれだけ。中身はカブトムシ以下だったな。ハッハッハ!」
シドラ様が垂れ流すかもしれない私に対する罵倒の言葉が、次々に脳裏に浮かんでは消えていく。
特に最後の台詞は許せない。なんだ虫以下って。テメェは下半身でモノを考えている脳内お花畑野郎じゃねぇか。
蝶のように花の蜜でも吸ってちったぁ謙虚になれやこのクソボケカスがぁ……!
「……おい、おい聞いているのかエレノア!」
負けじと脳内で浮気した最低最悪な元婚約者のドラ息子に罵声を浴びせていると、不意に声をかけられる。
なんだろうと前を見ると、いつの間に近づいてきたのか、シドラ様が私の目の前に立っていた。
婚約破棄を突き付けてきた割には随分と近い距離感だが、最後に自分好みだった女の顔を近くで拝んでおこうという魂胆だろうか。随分といい身分だな、おい。やっぱドラ息子だわコイツ。死ねばいいのに。
「なんですかファッキュー様」
「ファッキュー? 俺はシドラだが。まぁそんなことはどうでもいい。それより顔色が優れないようだが、大丈夫か」
は? 大丈夫なわけないが?
なにを思ってそんなことを聞いてきたんだ。思わず言ってしまったファッキューに関してスルーしてくれたことだけは褒めてやるが、それ以外は全部ダメだろお前。
「大丈夫かと言われると、あまり大丈夫ではありませんね。なにせ今後の身の振り方とか、家に帰ってからお父様になんて報告すればいいのかとか、色々考えなくてはいけないことが山積みになりましたので」
「そうか、色々考えてたから顔色が悪くなったんだな。俺も考え事は苦手だから気持ちは分かるぞ。だけど考えすぎは体に良くない。今日は我が家に泊まって休んでいかないか? というか、そのほうがいいぞ、うん」
は? 頭大丈夫かコイツ。
嫌味スルーすんなよ。そもそも婚約破棄されて平然としているやつがいたらそっちのほうが怖いと思わないのか?
常識でモノを考えろよ。侯爵家だからって何してもいいわけじゃねーんだぞ。空気読め空気を。私は内心キレていた。というか、キレないほうが多分おかしい。
「お気遣いには感謝します。ですが、私たちはもう婚約関係ではありませんし、これ以上ご迷惑をおかけするわけには……」
「いや、全然迷惑じゃない! むしろもっとちゃんとお前のことを知りたいっていうか、そのための婚約破棄だし!」
「は? そのため? え?」
私は思わず自分の耳を疑った。
知りたいから婚約を破棄? え? どういうこと? 全然さっぱりわからないんですけど。
「えーとその、どういうことです? 出来れば一から詳しく聞かせてもらいたんですけど」
「その、だからだな。まずきっかけっていうか、俺とお前の出会いって、夜会でお前に俺が、あの、ひ、一目惚れしたから、だろ?」
「ええ、まぁ。そう聞いてはいますね」
顔を真っ赤にしながら、指を組んでもじもじするシドラ様。
顔はいいが、その仕草はちょっとキモい。なんだその初心な生娘みたいな反応は。
アンタ夜遊びのプロでしょうに。カマトトぶってんじゃねぇぞコラ。
「あれ以来、お前のことが頭から離れなくなったんだ。それで婚約の申し込みをした。受け入れてくれたときは文字通り飛び上がるほど嬉しかったんだが、当日あまりにも恥ずかしくて顔を合わせられなかったことは本当に申し訳なく思ってる」
「はぁ、そうですか」
婚約破棄してから言うことじゃないと思いますが。
早くもツッコミたくなったが、今はとりあえず続きを聞く集中する。
「手紙の件もそうだ。エレノアに嫌われたくなくて、なんて書けばいいか分からなかった。だから自分でもなにを書いてるんだと思うようなことを書いて送ってしまったんだけど、それでもエレノアはちゃんと返信してくれたよな? 本当に嬉しかったし、あれでますます惚れてしまったというか……」
「え?」
なんか話の雲行き怪しくない?
戸惑うも、シドラ様の声には次第に熱がこもっていく。
「直接会って話をしたいって気持ちが自分の中でドンドン強くなっていったんだが、手紙でもロクに話せないのに実際にエレノアと会話なんて出来るのかという疑問も自分の中で膨らんでいったんだ。そして思った。『そうだ! 友達から始めていけばいいんだ!』って」
「へ? あ? えぇ?」
「最初に婚約者からスタートしたのが間違いだったんだ! 友達からスタートすれば、変に緊張しなくて済むってトムも言ってたからな! それは事実だったし、エレノアのことを将来のお嫁さんだと思わず友達として意識すればこうして普通の会話をすることが……」
「おいちょっと! ちょっと待てコラァッ!」
情報量が、情報量が多い……!
待ってくれません? 言葉の洪水をワッと一気に浴びせかけるのは!
理解が追い付かないんですけども!
「なんだエレノア。大声を出さなくても聞こえているぞ。俺は耳がいいからな。1キロ先にいる猫の鳴き声も聴こえるほどだ。あ、今近所のタマがにゃあって言ったぞ」
「それはどうでもいいです。とりあえず、一から確認させてください。まず婚約破棄を宣言したのは、私を嫌いになったからではないんですか? 他に好みの女性と出会ったからとはではなく」
「いや、そんなわけないだろう。俺はエレノアと出会った瞬間からお前一筋だ。そもそも、俺はモテない。どういうわけか、周りの貴族からは評判が悪くてな。俺は普通にしているつもりなんだが……」
フッと悲しげに笑うシドラ様。
元が美男子だけにニヒルな表情も似合うのだが、言ってることが情けなさ過ぎて哀愁が漂っているのはどうしたものか……。
……ここはスルーしましょう、うん。新たな疑問も生まれたわけですし。
「えっと、ありがとうございます……では次の質問なのですが、シドラ様は先ほどもモテないとおっしゃられましたが、本当ですか? その、失礼ですが侯爵家の仕事をほっぽり出して遊び惚けているとか、女遊びがひどいという噂を耳にしたことがあるものですから、どうにも信じにくいといいますか……」
「え? いや、仕事はちゃんとしているぞ。まぁ時間が空いたら息抜きに街に出て子供たちと遊ぶのが趣味ではあるが。なかには年端もない女の子も混じってはいるかな。何回か門限を破るくらいまで遊び過ぎたことがあって、その子たちの家に送り届けた際に頭を下げたことはまぁあったが」
「…………あの、同年代の女性と遊んだりは」
「するわけないだろ。子供と遊んでたほうが楽しいしな。なんでわざわざ気を遣うとわかっていることを自分でしないといかんのだ。子供と遊んでたら冷ややかな目で見てくる女も多いし、そんなのを相手にするくらいなら子供たちとおいかけっこしたりかくれんぼでジッとしていたほうが百倍マシだ」
何故かドヤ顔をするシドラ様だったが、そんな彼に私は内心呆れてしまう。
なにやってんだこの人。いや子供と遊ぶのはいいことだしいい人なんだろうけど。
おそらく、いや十中八九、彼が遊んでいる姿を見た女性たちは今の私と同じことを考えていたに違いない。
(…………っていうか、グリュイエールのバカ息子ってそういう意味かよ!)
女遊びしまくってたからではなく、いい年した次期侯爵家の跡取り様が子供と真剣に遊んでたら、そらバカ呼ばわりもされますわ。
あと多分、女性に耐性がまるでなさそうなことも影響しているんだと思う。
この感じだとシドラ様が婚約したと聞いた領民たちは、ひどく驚いたんじゃないだろうか。
「……ちなみに、トムっていうのはどなたです?」
「俺の友達であるパン屋の息子だ。小さいのに既にふたりの子と付き合った経験のあるプレイボーイでな。俺にとって頼りになる恋愛の師匠だ。最初に相談したときは『えー! シドラ兄ちゃんに好きな人が出来たとかうっそだー! 女の人と手を繋いだこともないのに』なんて煽られたときは流石に腹が立ったが、今では感謝しているよ。アドバイスに従ったら、こうしてエレノアと話せるようになったんだからな」
「……ちなみに、その子の年齢はいくつなんです?」
「? 9つだが。それがどうかしたか?」
「いえ、なんでも。マセガ、聡明なお友達がいらっしゃるんですね。アハハ……」
どうしよう、ツッコミどころがありすぎる。
貴族が平民の価値観でモノを考えるなよとか、侯爵家が子供とはいえそんな舐められた態度取られてること許してていいのかとか、言いたいことが山ほどあるんですがががが。
「はぁ。なんか頭痛くなってきた……」
「え、だ、大丈夫か? 薬飲むか? 主治医を呼んでくるから、見てもらったほうがいいよな?」
「いえ、そっちの意味の頭の痛さではないのでお気遣いなく。本当に大丈夫ですので」
私のちょっとした態度にもしどろもどろになってるし、やっぱり悪い人ではないのだろう。
頼りになるかというと疑問だが、本質的にこの方はきっと子供なのだろう。いい方の意味ではあるけど。
とりあえずここまでで分かったことは、私は多分この人のことが別に嫌いではないということだ。
内心色々文句を言いはしたけど、分かってみればなんてことはない。単に子供で奥手で、あとちょっと素直すぎる人。それがシドラ様なのだろう。
確かにこうして話をしてみないと、分からないことがたくさんあった。
噂だけでは分からなかった彼の人となりを知った今となっては、呆れはすれど、悪い人だとは思わない。
だから、まぁ。とりあえずは————
「あの、シドラ様」
「なんだ。エレノア?」
「とりあえず、婚約を破棄してお友達から始めたいなんて貴族にあるまじき考えに至ったことについて、私の方から言いたいことがあるので聞いて頂けますか。えぇ、本当に言いたいことが山ほどありますので」
私という人物を知ってもらうため、まずはお説教から始めることにしましょうか。
「か、顔がちょっと怖いぞエレノア。お前、そんな顔をするのか……?」
「あら、嫌いになりましたか?」
「え、いや! 全然! むしろもっと好きになった! 怖いけども!」
「あら、そうですか。私も怯えているシドラ様を、可愛いと思うようになりましたよ、フフ」
本当に素直な人だ。怖いっていうのは余計だけど。
「とりあえず、私の話を聞いてくださいねシドラ様。私からも話したいことがたくさんありますから」
この人ならおそらくちゃんと聞いてくれるでしょうという信頼を、確かに私は寄せ始めたのでした。
こういうのもアリじゃないかなって
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