第24話 飛行機の中で
羽田空港からジョン・F・ケネディ国際空港までの、およそ18時間50分のフライトを怯えて過ごした。
アメリカの運営委員会はファーストクラスを用意してくれていたのだけど、社長から貴女達にはまだ早いとビジネスクラスに変えられた。
ビジネスクラスとは言え、エコノミークラスと比べて座席の占有率は約3倍の広さだ。シートを完全に倒してベッドにして寝転がる事が出来る。
エコノミークラスは、トイレに行く時も隣りの人に「すみません」と声を掛けて、退けてもらわないと通れないほど狭い。
ファーストクラスは、ビジネスクラスよりも更に広いスペースで個室の様に仕切られている。しかも出て来る料理はフルコースで、シェフが自ら機内で最後の仕上げをした出来立てが運ばれて来るのだ。
「うわぁ、美味しい」
ファーストクラスほどでは無いけど、ビジネスクラスでも豪華な食事が出る。僕達は山海の珍味に舌鼓をし、思わず笑みが溢れた。
「柔らかいお肉。口の中で肉汁が広がるよ」
十分満足出来る食事だった。食べている間は、空にいる恐怖を感じ無かった。
「バーに行こうよ」
エコノミークラスには無いバーカウンターは、ビジネスクラスとファーストクラスにある。実は、シートベルトランプが消えると座席を立って、ここへ飲みに来ても良いのだが、エコノミークラスの人で存在を知っている人も、利用して良いのはファーストクラスとビジネスクラスだけだと思っている人が多い。
僕も席を立つと、足元がフワフワした感じで空にいる事を思い出し、急に怖くなった。
「僕、やっぱり行かない」
春美も美春もキャッキャッ楽しんで、オレンジジュースやアップルジュースのソーダ割を何杯も飲んでご機嫌になり、隣の席に座った外人さんに話しかけられて英語で返すと、英語が話せるのか?と驚かれて、会話を楽しんでいた。
美春も春美も、余裕で会話するレベルに達していた。それから疲れると戻ってきて眠った。
僕は飛行機がフワッとしたり、急下降したりする感覚が怖くて、疲れているのに全く眠れなかった。
春美が気を利かせて、持って来てくれたグレープフルーツジュースを飲んで、気持ちを落ち着かせた。
「どうせ落ちた時は皆んな死ぬんだから、怖がっても仕方が無いでしょう?」
本当に美春は、肝が据わっている。
「怖いものは、怖いよ」
眠たいのに眠れず、イライラして美春にあたった。
「わぁ!着陸するよ、着陸!南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」
神様仏様、どうか無事に着陸して!
「プッ。あははは、落ちて死ぬ前に笑い死にしそう。あははは」
美春は、怖がる僕を見て面白がっていた。ふと気がつくと、春美が僕の右手を握ってくれていた事に気が付いた。
有難う春美と心の中で感謝しつつも、僕の恐怖はピークに達しようとしていた。
「ヒャア!」
乱気流によるダウンバーストで、一気に2000mも急下降した。その瞬間、左右にガクガク揺れて、おしっこ漏らしそうになった。高所恐怖症の上に絶叫系も苦手なのに、どんなアトラクションよりも遥かに怖い目に合った。
「はぁー、はぁー、はぁー…」
恐怖で心拍が上がり過ぎて、呼吸が苦しくなって来た。雲を抜けて地表が目視出来ると、雨が降っていた。
「何でよりによって、雨が降ってるんだよ」
思わず心の声が漏れ出た。
「もう僕、無理。無理だから…」
訳の分からない言葉を目を閉じて、呪文の様に繰り返した。しばらくすると、タイヤが地面にバウンドする様な衝撃を受け、そのまま800mもオーバーランして飛行機は止まった。その後ゆっくりと進むとUターンして、搭乗ゲートに着いた。
「大丈夫?瑞稀」
「うん、有難う春美。大好き」
「ふふふ、私も大好きよ瑞稀。チューしよう」
「ええ!?うん…」
「コラ、そこ!イチャイチャしない!!」
美春は、飲み食いしたゴミを袋にまとめながら僕達を注意した。飛行機から降りる順番は、ファーストクラスからだ。とは言えファーストクラスは全8座席しか無い為にあっと言う間に降りて、僕達のビジネスクラス全64座席の番だ。
着陸から20分後、僕達は空港のロビーにいた。迎えの運転手と合流して、今日はホテルに直行する予定だ。荷物を置いて着替えたら、リハーサルの打ち合わせに行く。
「次はファーストクラスに乗りたいね」
「そうなる為にも、米国で成功しなきゃね」
扈マネージャーが時計を見ながら言った。
「それにしても遅いわね?」
アメリカ人が、大物ぶって何様のつもりよ?とイライラしながら舌打ちしていた。こんな所でもアメリカvs.中国の構図が出来ていた。
かつて世界一の経済大国だった日本に追いつけ追い越せと目標を掲げ、日本を超えてからは中国にとっての最大のライバルはアメリカだった。
米ソの冷戦状態が長らく続き、その水面下で密かに中国は爪を研ぎ続けた。ソ連がロシアとなり、東側のボスとしてロシアの顔を立てていたが、今ではその座は逆転して中国は軍事・経済に於いても、ロシアどころかアメリカをも凌ぐ超大国へと進化した。
中国はアメリカなど恐れはしない。
世界の人口4分の1が中国人だ。中国は国防動員法を定め、中国国内のあらゆる分野(金融機関、建設業、運送業などの民間会社)における物的人的資源を徴用出来ると法律を作った。
つまり、全ての中国人を兵士にして戦争が出来るし、物資(武器や兵糧)を作ったり運ぶのは、民間企業も加わらなければならないと言う事だ。
この法律の恐ろしさを多くの日本人は理解していないが、中国に多くの日本企業があるが、それも含まれていると言う事だ。
つまり、日本と戦争になっても中国にいる日本人は、祖国と無理矢理に戦わされたり、利用され、或いは人質にされると言う事なのだ。
日本にも多くの中国人がいる。もし今日、国防動員法を発令されれば、日本にいる中国人は兵士となって日本人の虐殺を始める事になる。これはそう言う法律なのだ。
もう1度言う。
中国はアメリカなど恐れはしない。
ただ、正面から戦争をするのは得策では無いし、厄介な相手だと思っている。アメリカが戦争を始めれば、イギリスやフランスなどが参入して来るので世界大戦は免れない。
それにアメリカの持つ科学力は認めている。世界最高水準の精度を誇る兵器は脅威でしか無い。中国の科学力がアメリカと並ぶか超えたと思った時、行動を起こす可能性がある。
行動とは、台湾侵攻の事だ。軍事演習で台湾を囲んでみたりするのは、アメリカの反応を見ているのだ。だがアメリカも戦争を恐れて、中国を刺激出来ないでいる。
かつてアメリカに対して中国は、「台湾にアメリカがちょっかいを掛けたら、我々は全力で阻止する覚悟だ」と述べた。当然、戦争も辞さないと言っているのだ。
中国は台湾を完全併合すると、米軍基地のあるフィリピンやグァム、日本に対して睨みを効かせる事が出来る。台湾を取れば、アメリカなど相手では無くなるのだ。
では肝心の台湾は中国では無いのか?と疑問に思う人もいるだろう。何故なら、台湾はかつて日本の植民地であり、日本が太平洋戦争で敗北した為、中華民国に返還したからだ。
多くの日本人の認識として、台湾を中国に返したのだから、中国のものじゃないの?と不思議に思う。
だが、この認識が違うのだ。台湾は中国では無い。台湾はかつてのアメリカのインディアンと同じく先住民が住んでいたが、オランダ東インド会社やスペインなどがやって来て開拓し、植民地同然に扱っていた。
そこへ滅亡寸前の明を清から救うべく奮闘していたのが、鄭成功だ。鄭成功は清に敗れて大勢を整える為に、オランダ東インド会社を台湾から駆逐して鄭氏政権を樹立した。
しかしその後、明は清によって滅ぼされ、台湾も清の侵攻によって制圧されてしまった。更にその後、日清戦争で日本が勝利して台湾を割譲され、日本初の植民地として大切にされた。
学校や病院を建て、物資を移動するのを便利にする為に鉄道を敷き、上下水道を整備してインフラを充実させて台湾の近代化に貢献した。
日本は武力で台湾を制圧した訳では無く、一滴の血も流さず手に入れた台湾を大切にした。だから台湾人は親日家が多いのだ。
太平洋戦争で日本は敗北し、中華民国に台湾を返還した。その後、中国では政変が起きて共産党による中華人民共和国が誕生した。
その中華民国政府は台湾に撤退して政権を維持した。つまり我々が呼ぶ台湾とは、中華民国なのだ。台湾は共産党政権の中華人民共和国を認めず、台湾共和国の樹立を目指して中華人民共和国と対立している。現在の台湾は、元々の現地民である台湾人と中華民国人が共存しているのだ。
話を脱線して台湾の事を書いたのは、後に瑞稀が中国ドラマの撮影をする時に、思い出して欲しいからだ。
「扈さんの前で、あまりアメリカの話はしない方が良さそうね?」
春美はヒソヒソ声で、話した。
予定よりも30分遅れて迎えの運転手が現れ、扈さんは猛烈な勢いで捲し立てて怒っていた。




