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異世界小説のいろは

作者: Lilly

 運が良かっただけ。

 たった、それだけなのに。

 私の分身は、私のものじゃなくなってしまった。


 運が悪かっただけ。

 たった、それだけなのに。

 俺自身は、僕のものになってしまった。



 どうしてなのだろう。

♦︎♦︎♦︎

 私−物井書穂(ものいかほ)は、物書きだ。物書きっていうと、少し古めかしいというか、古風な人間に思われてしまうかもしれないけれど、個人的に小説家という言い方より“物書き”の方が、好みってだけ。響きが好きなだけ。だって、私は二十五歳のピチピチな(とちょっと言い難いかもしれないが)若者だ。


 編集者との打ち合わせの帰り道、私は家の近くの噴水公園の近くを歩いていた。あたりには酔っ払ったサラリーマンか、ホームレスしかいない。


−プルプルプル


 すると、肩掛けバッグの中からスマホが鳴る音が聞こえた。カバンからスマホを取り出し発信者を見てみると、そこには数分前まで一緒にいた編集者の名前が表示されていた。

 私はため息をつきながら、スマホの画面をスライドする。


「いつもお世話になっております。物井です」

『物井先生、大変申し訳ないのですが・・・先ほど固まったプロットを、白紙に戻していただいても、よろしいでしょうか?』

「え?」


 編集者から言われた最悪の一言に私は言葉が出てこない。


『あの後、上司に新しいプロットを見せたところ・・・異世界転生ものがいいと言われてしまいまして』


 私が作り上げた新しいプロットは、心に闇を抱えた少女が喫茶店で働くことで心の傷を癒していく話だ。個人的には面白いと思ったのだが・・・。


「ですが、異世界転生は書いたことがなくて・・・」

『そこがいいんですよ。心理描写の奇才、物井書穂の異世界転生はきっと売れます!』


 ゴリ押しで編集者にそう押し切られ、私は結局、異世界転生もののプロットを明後日までに作らないといけなくなった。

「異世界転生ねぇ・・・」

 私は目の前に広がる噴水を見た。

「こーゆう噴水から異世界転生とかってできるのかな」

 声に出して言うと、なんだか現実味を帯びてきた。頭の中に湧き上がる作品案をスマホのメモに残しながら、私は参考資料を買うために本屋へと足を踏み入れた。


 異世界転生ものの作品をもっとたくさん読まなくては、きっと書けない。本棚をゆっくりと歩きながら、私はとりあえず知らない異世界転生ものの小説、漫画をカゴに入れていた。


 その中に『心理描写の奇才!!物井書穂コーナー』と銘打たれたゾーンがあった。そこには私が今までこの世に生み出してきた小説が広がっていた。いつから『心理描写の奇才』などと言われるようになってしまったのか、もう覚えていない。

 幸いなことに、私は顔出しをしていないから、バレる心配はない。でも、どこか自分の名前があるコーナーを避けてしまっていた。


 自分のコーナーから真逆の方向に歩いていくと、背表紙が真っ黒な本を見つけた。

「これ、タイトルが読めない・・・。何語?これ」

 物書きという性質上、さまざまな言語にも触れてきたけれど、この言語は見たことがない。私が知っている言語の中で近いのは、ルーン文字かな。値段も書いてない本を買うわけにはいかないし、元の場所に戻そう。


「あ、この本・・・」

 私は黒い本のことを忘れ、異世界転生を書くにあたって欲しかった資料集を手に取った。本をパラパラとめくり、中を確認しながら、私は資料をかごの中に入れた。


 家に帰り、私は早速、資料とパソコンを交互に睨めっこしながら、プロットを書き進めていった。頭の中に色々と主人公のイメージが湧いてくる。

「可愛らしい女の子でもいいしなぁ、あ、闇深系少女をここで持ってくるのもありか。あ〜でも、明るい系男の子の珍道中みたいなのでも、面白そうだなぁ」

 私はパソコンのキーボードをカタカタしているうちに、いろんなキャラが出てくる。

「待って。異世界ってことはなんでもオッケーってことでしょ?うわ、なんで異世界小説を書こうと思わなかったんだろ」


 ひとしきりプロットを書き、息抜きのためにキッチンの冷蔵庫から、キンキンに冷えたオレンジジュースを取り出した。

 個人的にオレンジジュースが好みで、美味しいオレンジジュースを追い求めて、今のオレンジジュースに辿り着いた。


 ・・・まぁ雑談は置いておこう。それよりも、沸騰した水に沸いてくる泡のように湧き上がる小説の案を早く文字に起こしたい。

 キッチンからリビングに戻り、私はパソコンの前へ戻った。

「でも、こんなに小説を書いたって・・・どうせ・・・」

 晴れ渡った空のような心模様に、スッと怪しげな雲が出てきた。その怪しげな雲は、私が書こうと思っている小説に影を落とし、私はキーボードを叩く指が止まった。

 くるっと後ろを振り返り、私に怪しい雲を持ってきた根源を見る。



『私は絶対、君を忘れる  作・物井書穂』


 この小説は、一人の少女がとても大事な人を失ってしまい、忘れようとするためにその人との思い出の地を巡る旅だ。結局、少女は大事な人を忘れられなかったが、一冊の小説を書くことで、自分の気持ちに終止符を打った。

「なんでこんな小説が、売れちゃったんだろ・・・」

 私はその小説を手に取り、その小説に巻かれている帯を見る。

 『期待の新人、物井書穂が描くデビュー作!!あなたは絶対、この小説を忘れられない』

 この帯の文言通りに私は、この小説を忘れられない。何度忘れたいと思ったか、分からないけれど。

 小説の表紙だけでも、これでもかってぐらいに散りばめられた自分の名前にどこか他人事のような感情を抱きながら、私は小説を元の場所に戻した。


 パソコンの前へと座ろうとした私は、ふと黒い本を見つけた。

「あれ?この本、いつの間に買ってたんだろ・・・」

 黒に黒を塗り重ねたような表紙に、読み取れない作品名。怪しげな本を開くわけにはいかないのに、でも、どこか魅力的に思えた。

 私は特に何も考えないまま、脊髄反射のように本を開いた。

 本を開いた瞬間に、真っ黒い光が輝き出す。

「ここは、白い光でしょ!?」

 私のツッコミも虚しく、私は意識を手放した。

♦︎♦︎♦︎

 肌を照りつける太陽の心地よい温かさを体中に感じながら、私は目を覚ました。温室の中のような心地よい体温が私を二度寝させようとしてくる。


「もう一回寝よ・・・」

「お嬢さん、お嬢さん」

 上からかけられた声に、私はガバッと顔(というか上半身)を上げる。

「え、ここは・・・?」

 私は本当に温室の中で寝ていたらしい。

「君、もしかして“異世界人”?」


 私を起こしたのは、随分と若い見た目の男性だった。紺色の髪に襟足だけ伸ばした髪。大きな丸い瞳には髪と同じ色が輝いていた。・・・長ったらしい説明は避けよう(それ、物書きのセリフか?)簡単に言うなら、漫画でよく見る怪しい骨董店のオーナーみたいな、大体のオタクの性癖にドストライクするイケメンだ。

「あ、あの、異世界人ってどう言う・・・」

 大体のオタクの性癖にドストライクするであろうイケメン(次から骨董商のお兄さんと呼ぼう)は、和服を身に纏っていた。


 ワイシャツに袖が和服のように広がっており、下半身は足のラインが出るようなタイトなズボン。それに長羽織を着ている。


「君のことだよ。君の姿は、この世界に伝えられている異世界人と同じ格好をしている」

 それでもなお、私は混乱していると骨董商のお兄さんは私の手を握ったあと、ぐいっと自分の方向へ引っ張り私を立たせた。

「そんなに信じられないなら、外でも見てみるかい?」

 骨董商のお兄さんは私の手の甲にキスをして、私の手を引き外へと連れ出した。


 骨董商のお兄さんの家から出た私は周りを見渡し愕然とした。なぜなら外の世界には、おおよそ人とは言い難い生物、また、様々な国の民族衣装を着た人たちが練り歩いていた。うさぎ、猫、垂れ耳の犬、その他私の知識ではわからないような生物の耳をつけた獣人。民族衣装を見てみると、日本や中華系、またロシア、北欧などなど、私にもわからない民族衣装があったが、おおよそ私が見た限りではこのような感じだ。

「どうだい?」

 骨董商のお兄さんは私にそう聞いてくる。私は困惑しながら、骨董商のお兄さんを見上げ思いついたままを口にする。


「すごい!こんな世界、存在したんですね!」

 骨董商のお兄さんは嬉しそうに目を細め、私に向き直った。

「はじめまして。僕は筆夜月(ふでやつき)。よろしくね」

「ふでや・・・?」

「うん。筆の夜って書いて、筆夜。よろしくね。君の名前は?」

「物井です。物井書穂」

 私が自分の名前を言うと、筆夜さんは驚いたように目を見開き、ふっと笑みをこぼした。

「私の名前、どうかしましたか?」

「いいや、なんでもないよ。ただ、神様に感謝しただけ」

 筆夜さんは不思議なことを言った後、家の扉を開けた。

「その格好だと、目立つからおいで。着替えを用意してあげる」

「あ、はい・・・!!」

 私はそう返事をして、家へと駆け込んだ。

 しかし、視界の端に見慣れた本があったのだが、私はそれを見逃していた。

♦︎♦︎♦︎

「君のことはなんて呼べばいいかな?」

 筆夜さんは棚から、私の着替えを取り出しながら聞いてきた。

「なんでも、いいです・・・。物井でも、書穂でも」

「ん〜じゃあ、モノカホちゃん」

「モノカホちゃん・・・?」

「そうそう。名字からモノを取って、名前をそのままくっつけた。いいあだ名でしょ?」

「は、はぁ・・・」


 私は曖昧に返事をしながら、周りを見渡す。先ほどは慌てていて見ている暇はなかったが、ここはかなり本が多い。それに、文房具類も多く置かれている。

「あの、ここって・・・」

 私がそう聞くと、筆夜さんは着替えを取り出し笑った。

「ここはね、本屋兼文房具屋だよ。僕たちの住んでいるこの地区は物書きが暮らす地区で、僕は物書きをしながら、この店の店主も勤めているんだ」

 “物書き”

 その単語に驚きながら、私は着替えを受け取る。


「モノカホちゃんも、小説とか書くの?」

「え?なんで、そうなるんですか?」

 なんで、分かったんだろう。まさか、同業者の勘とか、そんな理由だろうか。もしくは、異世界あるあるの魔法とか??

「この地区に転移されてくる異世界人は、みんな物書きなんだよ。だから、そうかなぁって思ったんだけど・・・違う?」

 筆夜さんの追求から逃れるために私は曖昧に笑った。

「いいえ。物書きではありません」

「そっか・・・例外の子もいるってことかな。あ、着替えは二階の部屋を使っていいよ。僕はここにいるから、何かあったら呼んでね」

 私は頷き、二階に上がった。そもそも店を構えている一階に服が収納されていること自体疑問を隠しきれないが、そこは異世界ってことで片付けよう。


 二階に着いた私は、適当に目の前にあった部屋に入り着替えをすることにした。

 臙脂色の着物の上半身のようなものに深い紺色のロングのプリーツスカート。偶然にも目の前にあった鏡を見ると、私は黒色の腰あたりまで伸びた髪に、黒色の瞳。この用意された服にとても色合いが良さそうだ。しかし、私は可愛くないので似合うかどうかは別問題。

 とりあえず、分かる範囲で着てみようと思い、私は着替えを開始した。


 着替え終わり、鏡を見るとそこには大きな丸メガネをかけたどこにでもいそうな女が、到底似合っていない服を身に纏っていた。

「馬子にも衣装・・・かな。なんとなく、この世界の住人らしくはなってると信じたい」


 私は扉を開け・・・られなかった。決して鍵がかかっているわけではない。なのに開けられなかった。

「なんで!?」

 私は扉以外から出られる場所がないか、確認しようとした。しかし、目の前にある鏡が白く光っていた。

「本は怪しげな黒い色だった癖に、ここは白い光なんだ・・・」

 そうボソリと呟くと、私は鏡に向き直った。どうやら、窓もないこの妙に細い構造をした部屋を出るには、鏡をどうにかしないといけないようだ。

「筆夜さんには申し訳ないけど・・・ここは鏡を割るしかないかな」


 そう鏡に手を伸ばした瞬間、鏡に私が映った。いや、鏡なのだから私が映るのは当たり前なのだが、そこには異世界に来る前の自分が映っていた。

「なんで・・・これ、どう言うこと?」

 鏡の中に映る私は、口を開く。

『この世界は楽しい?』

「え?」

『物書きじゃないって偽っているのは楽しい?』

「・・・何が言いたの?」

『偽りの姿で手に入れた幸せはいつか壊れる』

「幸せじゃない」

『嘘つき。憂鬱な気持ちがなくなって清々しくなってる。この世界に自分の本がないのが、楽しいんでしょ』

「そうだね。楽しいよ。これを幸せっていうなら、そうなのかもしれない」

『ふふ、あははははははは』

「ねぇ、さっきから何を言いたいの?」

『あんたは物書きから逃げられないよ』

「え、どういう」


 私が言いかけた時、鏡の中にいる私は姿を消した。すると、後ろからガチャっと音が聞こえ扉が開く。

 出ようとした瞬間、誰かに耳元で囁かれた。


『次はないよ』


 その、低く冷たい声にゾッとしながら私は部屋の外に出た。


 階段を降り、筆夜さんのところに行くと筆夜さんは驚いたように目を見開いた。

「すっごく似合ってるよ。モノカホちゃん」

「そんなことありませんよ」

 私は照れを隠しながら言う。


「さて」

 コトンと一冊の真っ黒い本をカウンターのような場所に置き、筆夜さんは真剣な面持ちで言葉を続ける。

「モノカホちゃんは、元いた世界に帰りたい?」

「・・・」

 見覚えのあるその本に私は冷や汗を流しながら、慎重に口を開く。

「まだ、分からないです」

「まぁ、そうだよね。そう言うと思ってた」


 それまで漂っていた真剣な空気を変えるように、明るく言った筆夜さんは、その真っ黒い本を棚に戻した。

「そうだ。元の世界に戻りたくなったらいつでも言ってね。それと、この世界にずっといたくなっても言って。色々と手続きとかあるから」

「分かりました」

「う〜ん、決まるまではこのお店のお手伝いをしていてもらってもいいかな」

「はい、もちろんです!!」

 私の返事に、筆夜さんは満足そうに頷きながらお店の紹介を始めた。


「この店は、小説のスランプに陥ってしまった人や、小説を書くにあたって困っている人を助けるためのお店なんだ。例えば、小説作りに資料が欲しい人とかに適切な資料を紹介したり、新しいペンが欲しい人にいい商品を紹介したり、とかね」

 物書きである自分から見れば、それはとても魅力的に思えた。


 私だってスランプに陥ったことはあるし(そこから脱出するのに苦労したなぁ)どの資料が良いのか分からないことだってあった。そんな時に、このお店があればあんなに困ることはなかったのかと思うと、もっと早く知りたかった!!と思ってしまう。

「あとは・・・物書きさんのお悩み相談に乗ったりするよ。あそこの相談スペースで話を聞くんだ」


 筆夜さんは一階の入り口から遠いところにある場所を指差す。そこには教会の懺悔室のようなスペースがあった。

「仕事内容はこれぐらい。最初はちょっと難しいかもだけど、慣れれば簡単だから」

「はい」

 私が返事をするとお店のドアが開き“カランコロン”と可愛らしいカウベルの音が店内に響いた。

♦︎♦︎♦︎

「こんにちは〜」

 私にとってのお客さん第一号は漢服のようなものを着ている女性だった。

「あら?新しい店員さん?」

「はい。物井書穂です」

 私はぺこりとお辞儀をする。

「よろしくねぇ。私は恋花。ペンネームよ」

「れんか、さん・・・」

「うん。恋の花って書くの」

「恋花さんは恋愛小説を書いている人なんだよ」

 筆夜さんの紹介に、私な頷く。

「それで、今回のご用件は?」

「異国の文化を知りたくてね。今までは私のいた国の文化で恋愛小説を書いていたんだけど異国の文化で書いてみても面白いかなぁって」

「なるほど・・・。じゃあ、良い本を持ってきますから、それまではモノカホちゃんと話でもしていてください」

「え!?」

「よろしくね、モノカホちゃん」


 私は「え」とか「あの」とかを繰り返しながら、ワタワタとしていると恋花さんから話しかけてくれた。

「そこの相談スペースで、私の相談に乗ってくれないかしら」

「え・・・。分かり、ました」

 物書きではないと言っているこの身で、何の相談に乗れるのだろう。

 相談スペースに入った私と恋花さんは向かい合うようにして座った。


「ねぇねぇ書穂ちゃん」

「はい」

「彼氏と小説、どっちを優先するべきだと思う??」

「え?」

 恋花さんは神妙な面持ちで続ける。

「彼氏は、この街の人じゃなくってね。今は町役場地区にいるの。彼には、その・・・プロポーズ、されたんだけど、一緒に生活するってなったら私がこの街を出るか、彼が町役場地区を出るか、どっちかでしょう?だから、どうしようかなって」

 私は何を相談されているのだろう。そんなの勝手に決めてくれよ・・・。

「この街は物書きにとってすっごく生活しやすいから、あまり出たくないのよ。でも、彼は物書きなら、町役場地区でもできるだろって言ってきちゃって」

「別れたらどうですか?」

「え!?」

 私は思わず、思ったことをそのまま言ってしまった。

「で、でも、別れるって・・・」

「彼女の意思を尊重してくれない彼氏なんて、やめた方がいいですよ。この街を出たくないなら、この街で彼氏を探したらどうですか?・・・というか、女が犠牲になるっていう前提を持っている男性なんて、やめた方がいいですよ」

「そ、そうね!!私、別れようかしら」

 恋花さんは私の言っていることに納得したようだった。

「でも、彼、いいところもあるのよ?」

 と、思ったら恋花さんは迷い出した。

「その彼、恋花さんより自分の事情を優先させてこようとしてますよね」

「あ・・・」

 恋花さんは、私にとって初めてのお客さん。だから、幸せになってほしい。となると、あと一押しかな。

「この街の人間だったら全員物書きですから、恋花さんの気持ちだってわかってくれるはずです。だから町役場地区の彼は捨てて、別の人を探しましょう!!」

「ええ、ええ・・・、そうね!!」

 恋花さんは私の話を聞きながら、力強そうに頷いていった。

「ありがとう!!書穂ちゃん!!ほんっとうにありがとう。なんだか、空が晴れ渡るように清々しい気持ちよ。書穂ちゃんに相談して良かった」


 私に相談して良かった。心から、そう思ってくれていそうな恋花さんに私は自然と頬が緩まる。こんな私でも、誰かの役に立てるんだ。小説以外の手段でも、誰かを幸せにできるんだ。そのことを知れて、良かった。

『あんたは物書きから逃げられないよ』

 スゥッと背中に氷水が流れるようにその声が流れた。浮ついて気持ちが、沈んでいく。


「どうしたの?浮かない顔ね。書穂ちゃん」

 恋花さんが心配そうに聞いてきた。

「いえ、なんでもありません!!」

 言った方が、いいのだろうか。私は前いた世界で、物書きだったと。そこそこ、いや、かなり売れていたと。“奇才”とか言われていたと。


 まだ、このままでいたい。この幸せを噛み締めていたい。前の世界で、得られなかった幸せをこの世界で享受したい。そんな、やましい気持ちが心の中に広がっていく。

「恋花さ〜ん、いい本ありましたよ〜」

「あ、筆夜さん!!ありがとうございます」

「あれ、なんだか恋花さんの顔、いい表情してますね」

「ふふ、実は書穂ちゃんにお悩み相談してもらったのよ」

 恋花さんはウキウキで先ほどのことを話す。

「あ!そうだ。次の小説は、かっこいい女性の恋愛小説にしようかしら。自分の事情を優先する男性に飽き飽きした女性が自分自身を優先してくれる彼氏に出会う話。・・・どう?」

 筆夜さんは恋歌さんの話を頷きながら、聞いていた。

「とてもいいと思いますよ。出版されるのを、心待ちにしてます」

「はい!!」

 恋花さんは気持ちの良い返事をして、帰っていった。


「初仕事お疲れ様」

 筆夜さんは私に紅茶を渡してきた。

「いえ、そんな大層なことはしていません」

 私は紅茶を受け取りながら、思ったことを正直に伝える。


「・・・この小説ね、僕の最新作なんだ。読んでみてくれるかい?」

 筆夜さんが突然、そう言って私に綺麗な紺色の表紙でできた本を手渡してきた。

「綺麗な色ですね・・・。手触りも良い」

「表紙は本の要だから、いつも頑張ってるんだ」

「お客さんが来るまで、読んでてもいいですか?」

「もちろん。感想待ってるよ」

「えっと、じゃあ・・・相談スペースで読んでます」

「いってらっしゃい」

 私は頷き、相談スペースへと足を踏み入れた。

♦︎♦︎♦︎

 筆夜さんの小説は、美しくそして儚い。触れれば壊れそうな脆さを持っている。どこか私の書く小説に似ている言葉選びだった。しかしジャンルは違う。友情ものだ。なのに、どうして私の書く本と同じような雰囲気がするのだろう・・・。


 読み終えた私は、相談スペースを出て筆夜さんに会いに行く。

「すごく、面白かったです。言葉選びも丁寧で、この本書くの、時間かかったんじゃないですか?」

「そうだね。それにしても、よく分かったね。そんなの物書きぐらいしか分からないんじゃない?」

 しまった。ついつい、物書きらしい感想を言ってしまった。何か、言い訳を考えなくちゃ・・・。

「あ、えっと・・・私、小説を読むのが好きなんです」

「あぁ、そうなんだ。だから分かったんだね」

「・・・はい」

『次はないよ』

 何をしていようにも、あの言葉がよぎる。怖すぎて思いっきり笑えない。


「・・・隠している事があれば、教えて欲しいな」


 ビクッと私は肩を跳ね上げた。

「僕は、どんなモノカホちゃんも受け入れるよ」

 甘美な毒が、ドロリと私の中に入ってくる。ついつい甘えたくなるような毒。毒と分かっていても、縋りたくなる。もう毒でもいい。なんでもいいから、私を・・・助けてほしい!


「・・・相談スペース、行きませんか?」

 絞り出した声は、自分が思っていたよりも震えていて、掠れていて。正直言うと惨めだ。泣きたくなるぐらい、惨めだ。でも、私はこれからもっと惨めな話をしなければならない。

「いいよ、行こうか」

 筆夜さんの声は、どこまでも甘い。きっと、毒なんだろうけれど。

♦︎♦︎♦︎

 物書き、なんです。私。

 前いた世界で・・・結構売れてました。自覚もあります。“心理描写の奇才”なんて言われてました。実際問題、どうだったんでしょう。私は、“奇才”だったのでしょうか。周りが、もてはやしていただけのように感じられます。


 書いていた小説は、青春のものや、恋愛。どれも泣けるものでしたね。美しく、どこか儚い小説。触れれば壊れそうな脆さを持っている。筆夜さんの小説と雰囲気が似ていますね。最初に有名になったのは私が、一八歳の時。文芸部の卒業制作で書いたものが、顧問の目に留まって。顧問が出版社の小説コンテストに応募しないかって提案してくれたんです。だから、駄目元で応募してみました。そしたら見事、最優秀賞受賞。今でも信じられませんけれどね。


 それから小説家の専門学校に通いながら、小説を書いて出版社に持っていって。そうしているうちに、私の作品は世間で、どんどん注目を浴びていって・・・。なんだか、自分が書いた小説だと思えなくなっていきました。


 これを書いていた時の私は、どんな気持ちだったのか。

 これを書いていた時の私は、どうやってこの内容を思いついたのか。

 これを書いていた時の私は、本当に自分の魂を込めていたのか。


 何もかも分からなくなっちゃって。

 私、個人的に自分の小説は自分の分身のように思っています。魂込めて作った作品には、私の意思が乗り移っていると。なのに、こんな疑問すら湧いてしまった。


 この小説は、私の分身なの?


 運が良かっただけ。

 たった、それだけなのに。

 私の分身は、私のものじゃなくなってしまった。


 どうしてなのだろう。


 おかしいですよね。売れているのは、良いことなのに。何に悩んでいるんでしょう。

 専門学校の同期に、売れずに挫折した人がたくさんいました。そんな人たちを目の当たりにしているのに、彼らの悩みを私は身近で感じていたはずなのに・・・。どうして・・・!!


 私のデビュー作は『私は絶対、君を忘れる』という作品なんです。今では、どうやってこのタイトルを思いついたのか疑問で疑問で仕方ありません。

♦︎♦︎♦︎

「モノカホちゃん」

 優しい声が私を呼んだ。

「はい」

「僕も異世界人だったんだよ。しかも、モノカホちゃんよりも未来から来たんだ」

 衝撃的な新事実に、私は驚いて下げていた視線を筆夜さんに向けた。

「僕の世界に、あったよ。モノカホちゃんの作品」

「え・・・」

「『私は絶対、君を忘れる』初めて読んだ時は、衝撃的だったよ。こんな作品が、この世に存在しているのかと驚いた。それまでの僕は灰色の人生っていうのかな、そういう人生を送っていて何も楽しくなかったんだ」

 筆夜さんは沈んだ口調で語る。


「でも、モノカホちゃんの作品を読んだ時に、思った。『世界は、こんなに綺麗なんだ』って。同時に思ったよ。これを書いた人には、世界はどうやって見えているんだろうって」

「そんな、きっと・・・筆夜さんと同じ世界です」

 私の言葉に、筆夜さんは緩く首を振る。

「違う。君の見えている世界は、天才そのものなんだ。僕がずっと欲しかったもの・・・・。この世界じゃないと得られないものなんだ」


 “この世界じゃ得られないもの”

 妙に引っかかるそのワードを紡いだ筆夜さんは弱々しい笑顔を貼り付ける。

「僕の、話も・・・聞いてくれるかな?誰にも、話したことのないんだけれど、抱え込んでいるのは、辛いから」

「もちろんです。聞きます。話」

 それでもなお、話すかどうか戸惑いながら筆夜さんは息を深く吐き出し、語り出した。

♦︎♦︎♦︎

 僕も、異世界転生する前は作家だったんだ。いや、異世界転生する前も、と言ったほうが正しいかな。その時は売れない作家で・・・書いた作品は全て没になるような感じだったよ。だから、モノカホちゃんの作品に出会う前は、スランプ気味だった。何を書いてもダメな気がして、書きたいものも、伝えたいものも、全て否定されているような気がしていた。


 だから、本屋も避けていたんだ。でも偶然目の前を通りかかった古本屋に欲しい本があってそれを買うために、久しぶりに本屋に足を踏み入れた時に、見つけた。

 モノカホちゃんのデビュー作を。

 僕の世界では、モノカホちゃんの作品は古本屋の常連みたいなはずなのに、気づけなかった。笑えるよね。僕だって、作家なはずだったのに。


 あの時、モノカホちゃんの作品を買ったのは、なんでだろう。タイトルがカッコよかったから、表紙絵が綺麗だったから、理由なんてなんでも思いつく。でも、きっとどれも違う。


 モノカホちゃんの本を読み切った後、他の作品も読みたくなったんだ。そのために古本屋に行ったら、どの言語で書かれたか分からない黒い本があった。

 よく分からないものを買うわけには、いかない。当時の僕は、そんなことすら分からなかった。

 家に帰り、適当にパラパラめくっていると、黒い光が出てきて・・・。


 気づいたら、この世界にいた。

 この世界は、本当に不思議だよね。それぞれの職業ごとに区切って、押し込めて。でも、僕はこの世界を捨てられなかった。

 だって、この世界なら自分の書きたいものをなんでも書ける。なんでも売れる。前の世界で得られなかった夢が、ついに手に入れられたんだ。捨てられるわけがない。


 最初は楽しかったんだ。夢が叶えられて、みんなに認めてもらえて。

 だけど、なんだろう。どんどん僕の書いた小説が、僕自身が・・・僕に、俺に近づいて来たんだ。

 俺の性格が書き換えられていくような感覚がして、嫌な気持ちになった。でも、もう戻れない。俺は、元いた世界には戻れなくなった。取り繕い始めた俺は、小説家である僕に乗っ取られた。


 運が悪かっただけ。

 たった、それだけなのに。

 俺自身は、僕のものになってしまった。


 どうしてなのだろう。


 帰りたいと思っても手遅れ。僕はもう二度と俺にはなれない。だって、俺は・・・身も心も僕に捧げてしまった。

 モノカホちゃん、気をつけてね。逃げても良いってよく言われるけど、逃げた先には何か良い事があるって言われるけど、逃げた先にあるのは、逃げる前よりも苦しい闇しかないんだよ。


 だから、帰ったほうがいい。元いた世界に帰りなさい。君は、まだ大丈夫。帰りたくなるまで、ここにいていいって言ったけど、それは僕の醜い部分だ。一人は嫌だ。誰かと一緒にいたい。そんな気持ちが、僕に生まれてしまった。僕に引き止められる前に、帰るんだ。

♦︎♦︎♦︎

 そう言った筆夜さんの姿が脳裏に焼き付いて離れない。

 『今すぐ帰ります』そう言えなくて、言葉に詰まる。


「筆夜さん」

 私の声に顔をあげた筆夜さんは、私の目を見て驚いたように目を見張った。

「帰る気が、ないの?いや、迷ってる?」

「筆夜さんを一人にしたくないと思ってしまう自分がいるんです」

 私は筆夜さんの目を見て言う。

「もう少し考えさせてくれませんか」

「いいよ。でも、猶予はあまり、ないんだ」


 筆夜さんが机を一回ノックした。コンという小気味良い音が鳴った後、ドサドサと音を立てながら、本が降って湧いてきた。

「え!?」

 一冊一冊をよくよく見ていると全てに見知った名前があった。

「これ、私の本?」

「そう。これらは全てモノカホちゃんの本。この異世界にモノカホちゃんの本が全て来たら、モノカホちゃんはもう元の世界に帰れなくなる」

 筆夜さんは本を整頓し出した。

「あと何冊ぐらい?」

「えっと〜〜」

 私は一冊一冊手に取って確認してみた。


『未来を歩めない私たちは』

『此岸花』

『放課後恋愛会議』

『桜が咲く頃、私たちは』

『花』

『科目みーてぃんぐ』

『君を覚えて』

『色たちの幸せ』

『仕事人戦隊がんばるじゃー』

『進みながら生きる』

『普通しか知らない僕たちを』

『泡沫夢幻』

『過去を抱えて生きる』

『愛の鳥籠』

『恋よ咲くな』


 今更ながら、結構書いてるなぁと思う。あと、ないのは・・・。

「『私は絶対、君を忘れる』だけないね」

 筆夜さんが言う。

「そうですね」

「その本がこの世界に来たら、モノカホちゃんは帰れなくなる。多分、今日が終わる前には決断しなくちゃ」

「はい。少しだけ、一人になって考えてみます」

「僕は店の外にいるよ。何かあったら呼んで」

「はい」

♦︎♦︎♦︎

 きっと、私は異世界から帰るべきなんだ。

 だけど、筆夜さんの表情が忘れられない。

 じゃあ、筆夜さんと一緒に暮らせば良い。

 だから、この異世界に残って本を書こう。

 みんな、素敵と言ってくれるような本を。

 絶対に、楽しいと断言できるような生活。

 ずっと、こうなることを夢見てきたんだ。


『そうだね』

『そうすればいい』

『アタシもそれを望んでる』

 ハッとして顔を上げると、窓に異世界に来る前の私が映っていた。

 どこか暗い瞳に見つめられ、私は考える。


 本当に。

 本当に、私は異世界から帰るべきなの?

 本当に、筆夜さんの表情が忘れられないの?

 本当に、筆夜さんと一緒に暮らすべきなの?

 本当に、この世界に残って本を書くの?

 本当に、素敵って言ってくれるの?

 本当に、楽しいって断言できるの?

 本当に、こうなることを夢見てたの?


 そんなわけない。


 私はこの世界に残るべきで、筆夜さんの表情なんてこれっぽっちも覚えてなくて、一緒に暮らすべきじゃなくて、この世界に残って本を書くべきじゃなくて、素敵なんて言ってくれなくて、楽しいなんて断言できなくて、こうなることを夢見てない。


 矛盾だらけ?

 そんなの分かってる。

 でも、それが人間でしょ?

 それが、私なんだ。


 私は、窓に映るアタシを優しく見つめる。


「今まで、ちゃんと向き合って来なくてごめん。これからは一緒に生きていこう?私は、アタシになれないけど、私として一緒に生きよう」

♦︎♦︎♦︎

 相談スペースから出た私は、筆夜さんに宣言した。

「私、元の世界に帰ります」

「そっか」

 筆夜さんはくるっと私に背を向け、白い本を出した。

「この本を開けば、元の世界に帰れるよ」

「はい。今までありがとうございました」

 私が言うと、筆夜さんは苦笑いした。

「たった一日だけどね。でも、良い一日だった。こちらこそ、ありがとう。元の世界に戻っても本を、書いてね」

「もちろんです」

 あまり残ってしまうと、元の世界に帰れなくなってしまう。

 私は白い本を手に取り、本を開けた。


 今度は白い光が私を包み込み、私はいなくなる直前に見てしまった。

 悲しげに笑う筆夜さんの姿を。

「待っててください!私、未来で必ず筆夜さんを救います!!異世界に行かせないように!!」

 そう言い終わるや否や、私の意識は無くなった。

♦︎♦︎♦︎

 目を覚ますと、自分の部屋にいた。異世界転生の作品を書くために開けられたノートパソコンはそのままテーブルの上に鎮座しており、時刻は私が家に帰ってきてからそう経っていない。


「夢だったのかな」

 そう呟き、オレンジジュース片手に立ち上がると、何かに躓いた。

 何事かと思いながら、足元を見ると私はどうやら、紺色のロングのプリーツスカートを履いていた。

「!」

 急いで鏡を見ると、異世界でたった一日過ごしていた頃の服装を着た私が映っていた。

 ふと、机の上を見れば黒い本はどこにもなかった。


「夢じゃ、なかったんだ・・・」

 鏡に映った私が嬉しそうに笑った。

♦︎♦︎♦︎

 数年後、私はサイン会に赴いていた。

 私の最新作『君を忘れないために紡いでく』は、どうやら『私は絶対、君を忘れる』よりも人気になっているようだ。


 顔出しをした私は、ずっととある人物を探している。

 あれ以来、サイン会や公開インタビューには機会があれば必ず出ている。絶対に、あの人を見つけたいからだ。顔を出せば、読者の方一人一人に会える。もしかしたら、会えるかもって思って。


 サインをして握手。それを繰り返しながら、もう時間をあと僅か、今日も会えないと思いながら、次の人が来た。

「物井先生」

 そう声をかけられ、顔をあげる。

「あ・・・」

 思わず声を出してしまい、慌てて手で口を押さえると、その人は優しく笑った。

「サイン、お願いしても良いですか?」

「はい」

 私は震える手でサインを書く。

 書き終わり、その人は本を渡されたあと握手をして去っていった。

 少し歩いてからその人は立ち止まり、サインを確認するために本を開いたあと、急いでこちらに戻ってきた。

「あ、あの!物井先生。こ、ここ・・・どうして」

 そう聞かれて私は口の前で人差し指を立てる。

「!・・・ありがとう、ございます」

 そう言って、その人は帰って行った。


 その人のサインにはこう書いてあっただろう。


『あなたに会える日を心待ちにしておりました』


『筆夜月さん』

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