上司が過去のトラウマ思い出しちゃった。(後編)
少しだけ流血注意です。
少しだけ色々注意です。
少しだけ文章長いです。
センシティブな内容が含まれています。ご注意ください。
引き続きイーサンのお話しです。
イーサンが目覚めたのは翌日だった。
自分達の邸ではなく、軍直轄の病院だった。
何も考えずに天井を見つめていると病院関係者が小さいノックをした後入ってきた。
「あっマーシャルさん、目が覚めましたか?体調の不備はありませんか?」
その場で簡単な問診を受けたが、異常がないことを確認するとその部屋を出ていった。
イーサンはもう一度自分の体に異変が無いか確認する為とりあえず全身を眺めた。
痛みは無かったが、異変を確認することはできなかった。
「全身に包帯が巻かれている」
上は首から下は足首までほぼ全身に包帯が巻かれていた。
かろうじて指先はなにも巻かれていなかった。
多分、指を噛む前に捕まってしまったのだろう。
イーサンは上半身を起こしベッドサイドに持たれているとまた、ノックが聞こえた。
「どうぞ」
今度は声を掛ける。
「イーサン!具合はどう?」
母親が涙目になりながらイーサンに抱き着いた。
一瞬体が震えたが、我慢した。しかし、母親はそんなイーサンに気づき
「…ごめんなさいね」
と言いながらそっと離れた。
そんな二人を父親と兄たちが痛ましい表情で眺めていた。
イーサンは気を取り直して
「この度はご迷惑をおかけしました」
ベッドの上で頭を下げた。
その姿をみて母親はあなたのせいじゃないと言いながら泣き始めてしまったので長男が母親を支えながら病室を出ていった。
父親と二番目の兄はそのまま残り椅子に座った後事の顛末を説明してくれた。
シンシア達は、夜会の当日にサロンで上位の令嬢に誘われ断ることができず顔を出してそのまま直ぐに退出する予定だったらしい。しかし、せっかく遊びに来たのだから茶菓子を食べてから変えればいいと誘われたのでお茶と、お菓子を頂いた。
「それからの記憶があいまいだそうだ…。」
父親は自分が説明された内容をイーサンに刺激がないように話した。
イーサンが病院に運ばれた後、シンシアの両親も様子を見に来てくれらしいが、イーサンの母親が激怒し面会を拒否したと言われた。
向こうの両親もひたすら謝罪の言葉を述べていたらしい。
「いいえ、俺がシシーを止めなかったのが駄目だったんだよ」
イーサンは肩を落とすと、その方をそっと父親が触れる。
「我々が大切な人が近くにいるのに暴れて枷を外すなんて暴力的な行為ができない事は我々も、シンシアさんのご両親も理解しているよ。自分を責めるのは止めなさい」
愛が深い故に最愛を傷つけるぐらいだったら自分が傷つく方を選んでしまう
「父上…。」
イーサンの父親は立ち上がるともう一度肩を叩き
「しばらくゆっくりするといい。午後から上司殿からも説明があるらしい」
そういうと部屋を出ていった。
部屋を出るとき二番目の兄に小声で「俺って言葉使うなよ~。私だからな~」と注意された。
午後になると上官がイーサンの病室にやってきた。
イーサンを見ると元気になって良かったと笑顔で言った。
そして、もう少し詳しく説明してもらった。
シンシアの記憶が曖昧なのは、お茶菓子の中に紛れていた砂糖菓子に見えた物だった。
いわゆる「パーティードラッグ」と呼ばれるものだった。
一粒摂取すると気分が向上する成分が入っていたそうだ。
パーティードラッグはグレーゾーンの薬物だった。その原因の一つとして効能が種族によって違うからだった。今回用意されたドラッグは人族には軽く獣人族には効き目が重く出るという代物だったらしい。それを用意した人物は理解できず皆で楽しく夜を過ごすつもりだっとという軽い考えだったらしい。
この王国では、ドラッグの摂取よりも摂取後の行動が問われる。今回は、王宮の夜会で賭け事をしていたことが問題だった。そして、婚約者がいるのにもかかわらず異性との距離を間違っていた令息、令嬢には倫理観が問われる。獣人族の一部は特に厳しかった。
その一部に狼人族は含まれていた。
シンシアは女性の近衛に一度取り調べを受ける予定だったが、不安定な状態だったので病院に入院させてからドラッグの成分を抜いて再度取り調べを受けることになったらしい。
本人の意思で摂取した訳ではないが、その後の令息に身を預けてしまっている事がやはり倫理観を問われてしまう。そして、イーサンに行った『暴行』このことが公になるとシンシアはもう貴族の令嬢としての結婚は望めないだろう。
もちろん、イーサンとそのまま結婚すれば問題がないのだが
「シンシア嬢はドラッグの後遺症が少し重いらしい。何年かかけて通院する必要がある」
上官の説明にイーサンは理解できなかった。
「でも、たった一度口にしただけですよね?そんなに思い症状になるものですか?」
「ドラッグは私の専門分野ではないが、シンシア嬢とそのドラッグの相性が本当に良くなかったみたいだ」
上官は続けて話し始めた。どうやらそのドラッグを故意に摂取させた形跡があると
「どういう意味ですか?」
イーサンは上官に尋ねる。
「私達が調べることができたのはここまでだよ。どうやら上からの圧力がかかったらしい」
上官は小声で話した。
イーサンはくぐもった声で
「その話をシンシアの両親は知っているのでしょうか?」
その答えに上官は首を横に振った。
「しかし、シンシア嬢のご両親も貴族階級だよね?自分達で調べることはできると思うよ」
近衛の誰かが手がかりを渡すかもしれないしね。
「数人の子息、令嬢が今回被害にあったんだ。二次被害のイーサンも含めてね」
イーサンはその言葉にそうですか…。としか返事できなかった。
上官は口調を変えて
「それよりも、イーサンの休養が開けたら早めに近衛に戻ってもらわないと。相変わらずの人手不足なんだ。待ってるからね」
そういうと立ち上がり病室を出ていった。
イーサンは全身の傷が見えなくなった2日後に退院した。
しばらく実家で休養することになった。別宅はどうするかイーサンは悩んでいた。
自分の部屋のベッドで座りながら、ふと新しい家を買うのもいいかもしれないと思い立った。
イーサンはシンシアと相談したいと思いさっそく父親にいつ会えるか確認する為に執務室に向かった。
イーサンは父親に促されてソファーに座るとさっそく先ほどの自分の考えを話始めた。
「父上、実はあの別邸を手放して新しい家を購入しようと思うのです。しかし、私が一人で場所を決めるもの良くないと思い、シンシアと一度会って相談したいと思いまして」
自分の考えていることを言葉に出すと段々気持ちが暖かくなってきた。自分はまだシンシアをこんなに愛しているということを感じたからだ。
「先に、シンシアのご両親に...」
「イーサン」
イーサンの話しの途中で父親が首を振りながら止めた。
不思議に思ったイーサンは父親にどうしましたか?と尋ねると
父親は頭を下げる。
「イーサンの体調が落ち着いたらきちんと話そうと思っていたんだ」
とても悲しい表情で話始めた。
シンシアの後遺症の重さはシンシアの両親もイーサンの両親も聞いていた。
しかし、始めのうちはイーサンと同じ考えで落ち着いたら結婚すればよいと思っていたらしい。
「でっでは、一体何が駄目だったのですか?」
イーサンは体が冷たくなるのを感じながら父親に説明の続きを求めた。
「実は、シンシアさんもイーサンと同じ病院の違う病棟に入院していたんだ。イーサンが退院するときに、たまたまシンシアさんがお前を見つけたんだよ」
後遺症が重いと言われていたがそのような症状が出たわけではなかったのでもしかするとこのまま退院できると思っていた矢先、イーサンを見たシンシアがドラッグを摂取している状態に陥ったらしい。
父親は声を殺しながら
「お前は何も悪くないんだ。しかし、シンシアさんはお前を見ると後遺症が発症してしまう。いわゆるトリガーになるんだそうだ」
そして、シンシアは隣国で後遺症を克服するために気候の良い場所に移住すると父親から聞かされた。
「俺とシンシアの結婚は...。父上、俺たちもうすぐ結婚するはずだったんですよ?ドレスも出来上がったって聞いてます。」
気が付けばイーサンは涙を流していた。同時に心から何かが流れている感覚にもなった。
そのまま膝をつき
「そんな、そんなことってあるのかよ!」
執務室からイーサンの叫び声が聞こえてきた。
一週間後、イーサンは近衛に復帰した。
シンシアとの婚約がなくなった事がどこから漏れたのか、イーサンへのアプローチが激化していた。自分に興味を無くしていたイーサンが他人に興味を持つことが出来るわけもなく、淡々と断りを入れていた。
イーサンの表情が少しずつ無くなっていた。
そんなある日、久しぶりに宰相の令嬢に声を掛けられた。
「お久しぶりです。マーシャル様」
その隣には見たことのない紳士が令嬢をエスコートしていた。
令嬢は美しく微笑みながら
「この度はご婚約者様は大変でしたわね」
と声を掛けられる。
イーサンは何も言わずにただ頭を下げていた。
すると隣の紳士が
「この近衛の婚約者がどうかしたのですか?」
と尋ねてきたのね、その令嬢は扇子を広げながら
「あら?あなたは前回の夜会の事件を知りませんの?」
と意味深げに尋ねると、その紳士は「あ~」と何かを思い出しながら
「若い子達の賭博事件だったかな?」
と話すと令嬢は首を少し傾けると
「ん~。それだけじゃなかったみたいですのよ?ほら、例のお薬の...。」
令嬢が扇子越しに紳士に話すと
「そうか、今問題になっているパーティードラッグも一緒にやっていたのか」
紳士は、少し言葉を選んで
「大変だったね。婚約者殿の体調は大丈夫なのかい?」
と問われたので
「...。はい」
と小さく答えると。
令嬢がパシンと扇子を閉じ
「療養のために隣国へ移住されるようですのよ。なので、婚約者様ではないのではないのでしょ?」
と核心をつかれる。
イーサンは何も答えなかった。
さすがの紳士も令嬢の言葉に困惑していた。
令嬢は気を取り直して
「さぁ~。お父様のところにご挨拶にいきましょ?会うのは初めてですよね」
イーサンの目の前で二人の会話になった。
「ああ、そうだね。紹介してくれるんだね」
そういうと、イーサンに目礼をしてから令嬢をその場から連れ出した。
そして、イーサンの横を通り過ぎるとき
「あの薬獣人に対して効き目が強く出るなんて知りませんでしたの」
「そうなのかい?結構有名な話しだよ?」
「次は気を付けなくっちゃね」
「ん?どういう意味だい?」
「フフフ独り言ですわよ」
そのまま二人はどこかに行ってしまった。
イーサンは頭を下げながら、あのドラッグを盛った犯人を知ってしまいそのまま殺してしまおうと思ったが、一緒にいた紳士があまりにも強かったため手を出すことができなかった。
その場で、血が出るほど自分の手を握りしめていた。
イーサンは、シンシアの仇を取る為にその令嬢にもドラッグで苦しんでもらおうと復讐を考え始めていた。例えそれが発覚し自分が刑罰を受けてもシンシアのいない人生に意味を持てない自分の最後としては輝かしく思えるかもしれない。
そう思っていた矢先に事件が起こった。
ある高位の令嬢が乗った馬車が王都の外れで見つかったらしい。
警邏隊だけでは人手が足りない為、一部の近衛隊も駆り出された。
イーサンもそのメンバーに選ばれていた。
事件現場に行くと、タッカーが指揮をしていた。
久しぶりにある幼馴染は相変わらずだったので少し気を許してしまった。
タッカーはイーサンを見つけると
「おお!近衛が来たか。イーサン、このご令嬢見たことあるか?」
そう言って今回の被害者である令嬢の化をを確認した時
「え...。」
イーサンは思わず息をのんだ。
その相手は、イーサンがいつか復讐をしようと考えていた令嬢だったからだ。
「それにしてもひでぇ~傷だよな?普通の事故じゃこうはならないぜ」
タッカーが困惑しながら今回亡くなった令嬢と無残な形になった馬車を検分していた。
御者はかろうじて一命をとりとめていたが混乱しているせいか説明できない状態だった。
イーサンが今回の被害者が宰相の娘だと伝えると、顔色を変え
「こりゃ~。近衛の方に捜査権が行きそうだな...。」
と判断すると
「お~い。タッカー隊!引き上げる準備をしろぉ~」
と声を上げた。
しばらくすると、近衛隊の上層部がやってきてタッカーと少し会話すると
「んじゃ、俺らは帰るわ~」
とイーサンに一声かけてから撤退していった。
すぐに、近衛に捜査権が移ったが2・3日捜査すると容疑者不明の未解決事件扱いとなり捜査の終了となった。噂によると宰相はもう少し捜査機関を伸ばしてほしいと王に歎願したが王が「上からの圧力でこれ以上は無理だ」と言われたらしい。
イーサンは今回の捜査には参加していないが外部から見ても異常事態ということは理解できた。タッカーから事件現場を移譲された時確認したが、被害者の令嬢には無数の獣傷が付けられていた。その中に自分もよく見たことのある狼の爪痕も混ざっていた。
いつの間にかイーサンの心のよりどころがその令嬢への復讐心だったこともあり本当に生きがいを無くしてしまった。この事件を気に近衛をやめどこか旅に行こうかと考え始める。
と言っても隣国にはシンシアが療養しているのでいけないが。
「でも、シンシアを遠くから眺めるのもいいかもしれないな」
そんな淡い思いをよせていた所に、父親から呼び出しを受ける。
イーサンも旅の話をしようと思っていたところだったので良い機会だった。
部屋につくと父親が
「シンシアさんが向こうで結婚したそうだ」
と開口一番に伝えられた。シンシアと婚約破棄をしてちょうど一年が経っていた。
療養先でシンシアの面倒をみていた医師らしい。
イーサンは何も言わず
「シンシアが幸せになれればそれでいいです」
とだけ伝え、次の日に近衛を退職した。
上官は引き留めてくれたが今までの思いを伝えると了承してくれた。
それから両親に旅に出ることを伝えたが反対された。どうしてもシンシアとの接触を恐れたらしい。母親に泣きつかれるとさすがのイーサンも抵抗できずしばらく兄が管理をしている領地に遊びに行くことにした。
しかし、兄がイーサンを放置しておくわけでもなく普通にこき使われた。始めは文句を言っていたが大量の書類を処理していくうちに余計な事を考える必要が無い事に気づき兄に感謝しながら1年ほど兄の補佐をしていた。
今日も、書類にまみれていると家令に呼ばれ応接室に向かった。
そこに座っていたのは
「よぉ~!イーサン書類作業が好きなんだったら俺を手伝ってくれよ!」
タッカーがイーサンの領地にまで訪れ引き抜きに来たのだった。
戦力になるイーサンを盗られるのを嫌がった兄とタッカーはひと悶着あったが一晩酒を酌み交わすと翌日には早く領地を出るように促された。
王都への戻る馬車で
「おい、一体兄上に何を言ったんだ。こんなに早く追い出されるとは思わなかったぞ」
イーサンは不服そうにタッカーに言った。
タッカーは足を組みなおし笑いながら
「こっちにはイイ女もいい酒もある。そこでくすぶらせるのももったいないだろと言ってやったよ」と自慢げに話した。
イーサンは顔を顰めると
「俺はもう、そういうのはいいんだよ」
「そんなのわかんないだろ」
タッカーはそれ以上は言わなかった。
イーサンはそのままソファーで眠っていたらしく堅くなった体を伸ばすと頭の上でヒクヒクと動くものを感じる
「また耳が出た」
一度獣人に戻ることができるようになると今度は逆にヒト化のままでいるのが難しくなるものなのだろうか?
イーサンは一人で考えたが答えはでなかった。
まあ両親も心配していたしこれはこれで良かったのかもしれない。
そう思いながらシャワーを浴びるためにソファーから立ち上がった。
最後までお読みいただきありがとうございました。