上司が過去のトラウマ思い出しちゃった。(前編)
少しだけ背後注意です。
少しだけ流血注意です。
少しだけ色々注意です。
少しだけ文章長いです。
イーサンのお話しです。
イーサンはグレッグに追い出されるとそのままドアに額をぶつけた。
顔が熱くなったまま元に戻らない。
申し訳なく思いながら帰ろうとすると、部屋の中から会話が聞こえてくる。
(……グレッグ、怒ってる?)
「僕の教育不足だったから、あまり怒ってないよ」
(これは終わったな…)
「イヴちゃん、大丈夫。まだ始まってもないから」
イーサンは二人の会話を聞き終えるとそのままフラフラと自宅に戻っていった。
とりあえず、洗面台で手を洗った後眼鏡を外しそのまま頭を冷やすつもりで顔も洗った。
タオルで顔を拭いてそのまま鏡を見ると久しぶりに狼の耳が確認できた。
「うわっ獣人化してる…。」
耳を確認すると自然としっぽの存在にも気づいた。
そして、鏡に映るギラギラとした金色の瞳も確認すると小さく溜息をつきながら直ぐに眼鏡をかけた。
自分の欲にまみれていそうな瞳をこれ以上見たくないからだ。
気を紛らわせるために熱いコーヒーを入れてダイニングで飲み始めた。
夕食の時間は既に過ぎていたが何かを食べる気にはならなかった。
「それにしても」
イーサンはもう一度手で口元を押さえると次の言葉を飲み込んだ。
部屋には自分しかいないがその続きを言うと何かに気づいてしまう恐れがあるからだった。
あの事件から三年。獣人化できなくなったイーサンは、幼馴染のタッカーに拾われて副隊長として内勤作業をしていた。王宮での噂も落ち着きそろそろ本格的に動いてもいいのではないかとタッカーに以前から言われていたのでとりあえず相棒をつけて王都内の巡回をすることから始めることにした。
相棒は誰でも良かったが、万が一自分の容姿を見られても動じない人物で過去の事件も知らない部下がいいだろうとタッカーがイヴをイーサンにつけてきた。
タッカーとしてはイーサンの近くにいるのでついでに書類作業も手伝わせるつもりだったのだろう。両方できる人材をイーサンの相棒候補にしたみたいだった。
ちなみに、この相棒はそのまま公私ともにパートナーとなる可能性も高いのでイーサンの事を考えて敢えて女性にしたところも気が利きすぎてイーサンは少し怖かった。
タッカーはイヴにお説教をすると言う理由で飲み会を開きついでにイーサンと顔合わせをさせた。
イヴはその日の飲み会を忘れていたのか、逃げ出したのか一人でどこかのバルに入ろうとしていた。タッカーに捕まり結局本来の顔合わせの飲み会になった。
ふたを開けてみると、イヴが声をかけられていたウエイトレスに声をかけようとしていた所を見事に邪魔してしまったようだった。
イヴは男女どちらにも好意をもたれる人物だったようだ。
イーサンは、あの事件があってから人と深くかかわることを拒絶していた。獣人化ができないのもその拒絶の一環だと医師に言われた。女性に関しては本当に駄目だった。
タッカーに大人の女性がいる所に遊びに行こうと何回か誘われたが丁寧に断った。
「タッカーは家に戻ると妻がいるのでそういう事で私に気をかける必要はない」
と一度感謝のつもりで言ったが、タッカーはなぜか口ごもった返事しかしなかった。
最愛がいるのにどうして他の味を知りたいと思うのかイーサンには理解できなかった。
コーヒーを飲み終えたイーサンは、カップを洗ってからソファーのひざ掛けを枕にして寝る。本当はベッドに入りたいがシャワーを浴びるのが少し面倒だった。
イーサンはソファーでまどろんでいると、かつて自分の最愛だった少女を思い出した。
イーサンは貴族籍の三男だった。幼少期から決められたシンシアという婚約者がいた。
シンシアはイーサンと同じ狼の獣人で子供のころから美しく気高い少女だった。
白い毛並みは雪のように触ると溶けてしまいそうだった。
そんな少女をイーサンは愛さずにはいられなかった。早く自分が囲ってしまいたかった。
シンシアも始めの頃はそんなイーサンの愛情を心から受け入れてくれていた。
イーサンは早く自立してシンシアと一緒の邸宅に住みたかった。
それを実現するには軍学校に入り、王宮で近衛隊として勤務するのが一番の近道だった。
両親にその意思を伝えると喜んで後押ししてくれた。
シンシアも「私の為に嬉しい」と抱きしめてくれた。
イーサンはそんな幸せに包まれながら学び、鍛えているとシンシア以外の異性からアプローチを受けるようになった。
イーサンはシンシアがこの世で一番の天使と思っていたが、イーサン自身も美しく素敵な男性に成長していたのだった。
アッシュグレーの髪色に日に当たると黄金に輝く瞳
シンシアにしか向けられない笑顔だが、それでももしかするとその笑顔を自分にもむけてくれるかもしれないと勘違いしてしまう令嬢が溢れていた。
シンシアも学園に通うようになって、ようやく自分の婚約者が人気者だったことに気づいた。しかし、イーサンの態度は今までと変わらない為シンシアもその人気についてはさほど気にならなかったらしい。
二人の時間を作っては抱きしめあったりして愛情を確認していた。
このまま二人で溶けて一つになってしまうかもしれないね。
とシンシアが嬉しそうに言ったとき、イーサンはその姿が愛おしすぎてそのままそっと口付けた。初めての行為だった。
「俺、早く一人前になるから。シシー待っていて欲しい」
シンシアも「うん」と小さく頷いてからそのままイーサンの胸に体を預けた。
シンシアの学園卒業と共に結婚する予定だった二人はそのまま周囲が認めるほど仲がよかった。
イーサンの実力も認められ近衛として王宮で働き始めていた。彼の両親もそんな努力を認めて元々別荘だった邸宅の一つをイーサンに譲っていた。兄弟も相思相愛のイーサンを羨ましがっていたが祝福してくれていた。
しかし、近衛の仕事は体力面ではともかく対人関係が大変だった。
すでに婚約者がいるとイーサンが何度伝えてもアピールしてくる令嬢達や将来有望なイーサンを取り込もうと役職についている大人たちが声を掛けてきた。
そんな日々を懸命に駆け抜けていたイーサンが退勤時間になり急いで邸に帰ろうとしていた時
「イーサン様!」
あでやかなドレスを着た女性が腕に絡まってきた。
イーサンは内心「うわっ」と嫌悪したが装いからして高位の令嬢だと判断しやんわりとしか拒否できなかった。
「ご令嬢、私は勤務時間外ですのでこれにて失礼させていただきます」
礼をとりその場を辞そうとするが、絡んだ腕を話してくれない。
「そうおっしゃらずにこの後ディナーでもご一緒しませんか?」
ご一緒しません!と強く言いたかったが
「申し訳ございません」
と頭を下げることしかできなかった。
しかし、しつこくどこぞの高位のご令嬢がイヤイヤクネクネしていると
「イーサン!」
と奥の方から最愛の女性の声が聞こえてくる。
イーサンは心のどこかでしまったと思う。仕事中とはいえこのような状況をシンシアには見せたくなかった。
というか邸で待っているように伝えたのに…。
王宮には自分より高位で素敵な男性がいっぱいいるからシンシアにはなるべく近づいてほしくなかった。せめて結婚して自分の妻として紹介するまでは王宮には来て欲しくなかったのだ。
高位の令嬢は、シンシアをギロリと見ると
「イーサン様ぁ~」
と再びシンシアに見せつけるように絡みだす。
強く拒絶できないイーサンをシンシアはじっと見ていた。
イーサンは令嬢に対する対応を考えあぐねていると
「マーシャル!勤務時間外だがどうしたんだ?」
マーシャルの上官が助け舟を出してくれた。
イーサンは即座に
「こちらのご令嬢が…。」
と困った様に説明すると
「ああ、ご令嬢の父上の宰相様がお呼びでしたよ?急いだほうが良いと思われますが?」
と再びフォローしてくれた。
令嬢はあっと何かを思い出したように
「イーサン様、さきほどのお返事お待ちしてますわ」
と言い残すとそそくさとどこかへ行ってしまった。
上官はイーサンとシンシアの雰囲気を見た後
「私は、イーサンの上官をしております。イーサンは婚約者がいるので本来ならば強く拒絶しなければいけないのですが、あのような高位な令嬢に絡まれては抵抗することができません。どうか、彼の職務をご理解してもらえると、イーサンも一層の努力ができると思います」
上官の心遣いに感謝しながら、イーサンはシンシアの方をみた。
シンシアは綺麗に微笑みながら
「お心遣いありがとうございます。私もイーサン様を信頼していますもの」
と丁寧に答えてくれた。イーサンは心が震えるほどの歓喜を感じた。
上官は苦笑いしながら「ごちそうさまでした」と伝えるとそのまま自分の持ち場に戻っていった。
二人になると、イーサンはすぐにシンシアの方を見た。そして、そのままシンシアの手をつないでスタスタと王宮を去っていく。
イーサンもシンシアも何も言わずに、シンシアが待機させていた馬車に乗りこんだ。
馬車内でも二人とも会話せず気が付けばどちらかの実家ではなく、イーサンに与えられていた別宅に着いていた。
別宅はまだ正式に二人が住んでいるわけではないので邸を管理する人が数人在籍しているだけだった。少しずつ家具などと集めている。この邸宅は二人の幸せの象徴だった。
邸宅につくと、今度はシンシアがイーサンの腕を引き二人の主寝室になるであろう場所に入っていく。そこには大きなベッドしかまだ運ばれていなかった。
シンシアは、イーサンをベッドに座らせるとそのままイーサンに抱き着いた。
イーサンは驚きながらシンシアに身を任せていたがさすがにこの体勢はまずいと思って声をかけようとした。
しかし、シンシアはイーサンの肩に顔を埋めたまま声を殺して泣いていたのだった。
それに気づいたイーサンはそっとシンシアを抱きしめると
「本当に、ごめん」
とシンシアの耳元で謝った。
シンシアもイーサンの職業を理解しているが、彼女も深く嫉妬してしまう生き物だったのだ。
本当はイーサンを責めて責めて自分の感情を爆発させたいのを我慢して縋りつく姿は、
イーサンがシンシアに対してより深い執着を持つ原因にしかならなかった。
ただただ、逢瀬の時間が終わるまでお互いを慰めあうように抱きしめあうことしかできなかった。
ある日、イーサンはシンシアに見せたいものがあると言われ久しぶりに別邸を訪れた。
主寝室に案内されると、イーサンは一瞬固まった。
前回までなかったベッドの両脇に綺麗な銀細工がなされた足枷が対で備え付けられていたのだった。
さすがに動揺したイーサンは、シンシアに優しく問いかけた
「これはどうしたんだい?」
するとシンシアはとろける笑顔で
「今、恋人たちの間で流行っているんですって。お互いを離さないようにこうして心も体もつないで確かめあうらしいの」
シンシアは説明しながらイーサンはベッドに連れていき二つの足枷をそれぞれに足首につけると
「ね?見て?綺麗な細工でしょ?がんばって注文したんだから」
恥ずかしそうに言うシンシアの頭をなでながらイーサンは少し途方にくれていた。
足枷は獣人仕様で手で簡単に開閉することができた。
シンシアはその足枷を外すと
「こんなの使う事はないと思うけどね」
とまた微笑みながら片づけた。
そんな出来事があった事を忘れるぐらいの月日が過ぎた頃、イーサンは夜会の警備で夜勤になることを当日の朝シンシアに告げていた。
もうすぐ卒業するシンシアを学園まで馬車で送るのがイーサンの日課になっていた。
今日は夜勤なので朝はゆっくり過ごせる為こうしてシンシアを送っていったのだった。
シンシアはイーサンに気を付けてね。と言った後学園に入っていった。
その後ろ姿を見ながら今日も幸せな一日が始まると思った。
夜勤の為、シンシアを送った後一度眠ることにした。
次起きたのはお昼過ぎだった。夕方に食事を取ってそのまま夜勤の仕事にでかけた。
王宮での夜会は煌びやかだ光の当たらない場所では色々な情事が繰り広げられる。
互いに思いあっている場合は良いがどちらかが拒否をしている場合は仕事上処理しなければいけなかった。
小さい諍いを数件処理した後、イーサンの夜会勤務も終了となる時間に上官が慌ててかけよってきた。
「イーサン、今日は婚約者殿が夜会に参加していたって知っていたかい?」
上官の質問にイーサンは
「いいえ、聞いていませんよ?そもそも私はあまり王宮に来ないで欲しいと伝えているので」
と質問に返すと、上官は首を傾げながら
「おかしいな、確かにあれはイーサンの婚約者殿に見えたのだが」
と呟くので
「少し確認に行ってもいいですか?」
と聞くと、上官は頷き早く行ってやれと送り出してくれた。
イーサンは嫌な予感がした。王宮内では獣人化は暗黙の了解で禁止されているので獣人になる前の自分の持てる力をふり絞ってシンシアの匂いをたどっていく。
イーサンは信じたくなかったが、シンシアの匂いが夜会には紛れていた。
怒りで感情が押さえられなくなりそうだったが我慢しシンシアをひたすら探した。
すると、ある一角の部屋のドアが無防備に開いていた。
イーサンは怒りが静まり今度は背中に冷たい水を流されるような嫌な感じになる。
シンシアの匂いをたどる必要なんてなかった、なぜなら声がその部屋の中から漏れていたからだった。
イーサンは早く部屋に辿り着かなければと思うが、足が石のように重い。
見たいけど、見たくない。本能がそう叫んでいた。
でも、助けないと…。
イーサンは近くにいた近衛に人を呼ぶようにお願いすると、一人でその部屋に乗り込んだ。
複数の貴族令息令嬢がペアになってカードゲームで賭け事をしていたのだった。
その現場を見たイーサンは思わず目を逸らしたくなった。
異様な香の匂いが鼻につく、持っていたハンカチで口元を押さえ自分の婚約者を探すと
見知らぬ令息に持たれながら楽しくカードゲームを遊戯していた。
そして、異様な点がもうひとつ
「どうして、獣人化しているんだ。シンシア」
イーサンは低い声で唸る様にシンシアに話しかけた。
目元を赤くして声の主を探したシンシアは
「あっイーサンだぁ~。キャハハ~。お仕事じゃないの?」
と見たことのないテンションで話しかけてきた。
すると隣でシンシアの肩を抱いていた令息が
「初めましてぇ~。シンシアとカードのペアを組ましてもらっているぅ~」
と挨拶しようとする令息を殴り飛ばした。
どうやらその令息は人族jだったらしく、思った以上に飛んでしまった。
その状況をみて、シンシアはケラケラと笑った。
「イーサン、飛ばしすぎぃ~」
その様子を呆然と見ていたイーサンは、次の行動に起こそうとした時
「この部屋を隔離しろ!」
と上官が命令してきた。
イーサンはハッと自分の状況を確認した後、シンシアを抱き上げるとそのままその部屋の2階のテラスから飛び降りた。
シンシアはまだケラケラと笑っていた。
獣人化して飛び降りたイーサンをテラスから見た上官は
「イーサン!後で刑罰だからな!」
とだけ叫んだ。シンシアを連れ出したことは見逃してくれるらしい。
上官に感謝しながらシンシアの馬車を探し別宅に戻った。
別宅に着いた頃にはシンシアは眠っており、イーサンはそのままシンシアをベッドに寝かした。初めて見るあどけない寝顔に先ほどまでのシンシアは一体何だったのか不安でしかなかったがとりあえず日が明けて王宮に行かないとこの状況は把握できないと思った。
シンシアの寝顔を見ていると気が抜けたのか自分もウトウトし始めていた。
大丈夫、お互いの両親には別宅に滞在することは伝えているから心配される事はない。
「シンシアのご両親の信頼を裏切るわけにはいかないからな…」
そう思いながらイーサンも眠りについてしまった。
ハッと目が覚めたイーサンは、喉が渇いたので水を飲むためにベッドから起き上がろうとしたが体が動かなかった。
状況がイマイチ理解できなかったどうやら、両手両足に枷が付けられているようだった。
体を動かすとガチャガチャと鎖の音がする。このまま力づくで鎖を壊してしまおうと思ったとき、自分の腹部に重さを感じた。
ふと腹部に視線を合わせると、さっきまで眠っていたシンシアが跨いでいたのだった。
「シシー?」
イーサンは恐る恐るシンシアに呼びかけると、シンシアはフフフと笑いながら
「やっと、イーサンを私だけのものにできる」
と言いながらイーサンに覆いかぶさってきた。
イーサンは目をつぶると、首筋に痛みを感じる
「痛っ」
思わず目を開きシンシアを見ると口元が少しだけ赤くなっていた。
何の赤だ?
イーサンはその色の元が理解できず困惑していると、シンシアは今度はイーサンの腕を持ち彼の前でガブリと噛みついた。
「いたっ」
シンシアの赤みの元を理解したイーサンは直ぐに繋がれている枷を外そうと体を動かすが
思うように外れなかった。
すぐさま獣人化しようと試みるが、精神的にパニックになっている為、自由にコントロールできなかった。
その間にもシンシアはケラケラと笑いながらイーサンの体に噛みついていく。
残った後をなぞりながら「愛してる」とシンシアがとろける笑顔で伝えた。
「やめてくれ、シシー」と力なくイーサンは訴えるがシンシアの狼の耳には届かなかった。
このまま最愛に噛み殺されるのもいいかなと思い始めた頃、寝室のドアを強引に開ける音がした。
何かを知った上官がイーサンを助けに来たみたいだった。
ベッドの上の惨状を確認した上官は、眉を潜めながら女性の近衛を数名呼ぶとシンシアをそのまま連行していった。
「シンシアは何も悪くないんだ!」
イーサンはシンシアが連れ去られる瞬間それだけ叫ぶと意識を失った。
もう少しイーサンのお話が続きますが、深夜の投稿になりそうです。
最後までお読みいただきありがとうございました。