作の事情2
市稲木一は作家活動も本名で通した。
俺は作家名を別にすることで、作家先生になったぞと高揚したものだが、市稲木は自己表現を別の名で発表するということが、腑に落ちない質だった。
学校で体育をサボって一作品書いていた。授業を休むとなると、作文を書かされる。斜め後ろから覗いたらしい市稲木が、「おまえも書くのか」と言ったのが交流の始まりだった。
市稲木は優踏生だった。なんでも卒なくこなし、学級で抜きん出て頭が良かった。医者の息子ということだ。
それと創作で繋がったのは、密やかに俺の自慢だった。彼は緻密な話を書くのが上手かった。小箱かなと覗いていると文字の宇宙だったというような、頭が開けていき、想像の海の只中を漂流するといった、壮大でかつ繊細な筆致の幻想小説を得意とした。
俺は三文小説を得意とした。流行りのものに飛びついて、ぽんぽんと格好つけで、リズミカルな会話のやり取りを好んだ。特別売れやしないがまぁ読まれはするという、ちり紙のような小説家になった。
幸い、俺の時代だった。手軽な娯楽にみんな飢えていた。評価はされないが、ちょっと、書いてくれないかという話は市稲木より俺のほうが多かった。
ただ、一度発表すれば市稲木の評価は凄かった。
だからといって僻むという気持ちはなかった。土俵が違う。俺は大衆に読まれるのが楽しかった。
それでかなり長い間、俺と市稲木は変わらず友誼を結んでいれた。
案外、悩んでいたのは市稲木の方だった。
珍しく深酒に付き合わされた。彼も嫁をもらい娘ができた。市稲木は娘が読むような、俺が書くような話がやりたいと愚痴をこぼした。
お偉い先生方の評価は高くなるにつれて、自分らしさが分からなくなってきたという。やりたいものはあるが、期待を裏切って失望されるのがとても怖いのだと泣き言をはいた。
酷評を恐れて自ら檻に入るのは創作者のやることでないと叱咤しもしたし、励ましもした。
誰かも分からぬ作家名を語って、ひっそりと発表してみたらどうかしら、とも唆した。
名前を変えて実は見向きもされていない、ただのハリボテなどと知れたら生きていけない。俺のヤドカリのように名前を変えるのは好かない。
そうだお前の殻を借りればよいのだ。
市稲木は突然陽気になった。骨子は自分が作ったのがあるから、俺が肉付けしたら理想だと言い出した。
共同制作か。今まで、学生の頃よりしたことがなかった。互いの作風が違うのも理由だ。
俺は景気づけにぐいと酒を呷った。カッと胃が熱くなり、気合が漲るような錯覚がした。互いに酔っぱらい。遠慮はなくなった。
互いの素晴らしい所だけが取り出され、磨かれるような時間だった。互いの手帳は相手の出したアイデアが流星のように書き出されていた。語尾は時に流星のように尾を引いて、時に言葉は墜落してインクのクレーターを残した。
そして天地は創造された。
俺の言葉は軽薄さに深みを得た。ただゴロが良いだけのリズムは繊麗された舞踏に変わり、言葉は高く飛び上がり、流線を成して、空に薫、大地や雨滴、深淵と光を幻視させた。文字の大河の先へ、結末へと帆を立てた舟となった我々は勢いよく運ばれていった。
市稲木のいっそ精密のような冷徹な文章は奥に秘めた熱を噴出して、いっそ生々しく息衝いた。整列した兵隊が規則から飛び出して群衆に変わる。各々の人生へと走り出した人物たちは創造主の手を離れて未知の解決を幾度も示した。
楽しい時間だった。無我であった。俺と市稲木は一つの何か、一体となった完全で己とは別の何かに、あるいは憑依されたような時間だった。
互いに言うことはなくなった。なんだ、馬鹿に熱中したなとからかいあった。
出来上がったそれは、舵取りを間違わなければすごいものになる、と予感があった。いや、あらゆる作品はみな、そうだ。だから贔屓目ではあったが、彼が書くなら間違いないと俺に確信させた。
だが稲市木は固辞した。酔っぱらいに道理を説いても曲がらない。しかし、彼が言ったのだ。「青臭いお前なら書ける。」俺のどうしょうもない欠点を好転させる、その言葉が嬉しかった。
なら書いてやろう。俺が上手く映さない歪なお前の鏡になってやろう。
お前の秘めたる才能を違う角度で映してやろう。鏡面の凹凸に注文をつける友に言ってやろう。俺が書いたからこうなった。
俺はどれだけ酔ってもまぁはっきり記憶がのこる質だった。市稲木もそうだと聞いていたが、彼は慎重な男であったので泥酔するほど飲んだ経験がなかった。
あの日の話をあいつは断片にしか覚えていなかった。肝心な所はへべれけで、ぽっと消えた上、欠けた部分は夢か幻か外から来た何かが埋めた。
つまり、俺に依頼した気持ちもや決断がアルコールの海に沈んで二度と浮上しなかったのだ。
人物
馬場通 幕太郎
市稲木一
楠木の旦那
菓子屋