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あいしてると言わせて

作者: 有明 楽生樹

Prologue


俺は誰もが恐れおののく偉大な魔法使い。魔法一つで竜巻だって起こせるし、ニンゲンと違って空も飛べるし、魔法薬もお手の物。たとえ傍に誰もいなくても、この強大な力があるから寂しくもなんともない。一人でもそれなりに楽しくやっている。


この誰も近寄らない鬱蒼とした森が俺のテリトリーだ。ただ、今日は人里近くで何やら騒がしい。面倒事になっては困るからと様子を見に行けば、もうニンゲン共は去っていった後で、ご丁寧に置き土産だけがぽつんとそこに()()


─────


1.置き土産


「………?」


ものを言わないが、四肢があるから多分ニンゲンのガキだろう。歳は十くらいか。伸びきった髪はボサボサで、来ている服はほとんどボロい布切れだ。

そういえば最近村の方では天候のせいで不作で、生贄やら口減らしがどうとかいう話を小耳に挟んだことがある。作物が育たないのは別に俺のせいではないんだがな。

はー……面倒事を増やしてくれちゃって、まァ。こんな貧相な体のニンゲンをどうしろと。


そんな時、頭を抱える俺に名案が思い浮かんだ。

こいつは俺のモルモットにしてしまおう。ちょうど対生物用の呪文やら薬やらを試したいと思っていたところだ。暇な時には小間使いにして家事でもやらせれば俺の負担も減る。なんて素晴らしい考えだろう!


そうと決まれば、と俺はそのガキを小脇に抱え家に帰った。


箒で飛んでいれば大きなツリーハウスが見えてくる。魔法で作った俺の家だ。

脱いだとんがり帽とマントをポールハンガーにかけ、シャツの袖とズボンの裾をまくる。兎にも角にもこの異臭を放つ泥だらけのガキを洗わなければ。こんな汚い格好で家の中をうろつかれたらたまったもじゃない。


バスルームにつっこんでそのボロい服を脱がせば、痣や傷が目立つ肌があらわになる。


「おまえ、オンナだったんだな」


力仕事させるにはオトコのほうが都合が良かったんだが、まァ仕方ない。

石鹸で全身を丸ごと泡立たせて一気に水で流す。そこら辺にあったタオルで水気を拭き取ると見た目は幾分かマシになった。ただ、綺麗になると余計に肌の傷が目につく。

そうだ、最近作った試験用の回復薬を飲ませてみよう。さァ、どれくらい効くか。

瓶に入れた蛍光緑の液体が光を受けて怪しく煌めく。ガキに持たせると、大きなタオルを肩にかけたまましばらく無表情でその瓶を見つめ続けていた。


「さっさと飲め、ほら」


いつまで経っても飲む気配のない姿に痺れを切らして飲むように促す。何をすればいいか理解したのか、ガキはごくごくと中身を全部飲み干した。あっ、今ちょっと眉間に皺を寄せたな。


飲んですぐ、身体のそこら中にあった怪我がみるみるうちに消えていく。すっかり跡もなくなった。流石俺、天才だな。回復薬は成功っと。

ペンを手に取り結果を用紙にメモする。

おっと、俺としたことが服を着せるのを忘れていた。元から着てたボロ布はもう捨ててしまおう。倉庫から眠っていた布を適当に取り出し杖をひと振りすれば、簡単な服の出来上がり。我ながら器用だなと思う。


「とりあえず、それ着とけ」


ガキを放置して、書斎でメモを本にまとめる。戻って様子を見るとガキは既に着替え終わって、床に膝を抱えて座って待っていた。俺に気がつくと短い足でとたとたと小走りしてきて、俺のズボンを掴む。


「あ……あり、あと」


拙い舌足らずな言葉でそう告げる。アリアト?……ああ、『ありがとう』か。

まだ状況が分かっていないガキに、密かにほくそ笑む。この泣く子も黙る魔法使いの、モルモット兼小間使いとしてこの家にいることなど、このカギは知らないのだ。今から数え切れないほど大変な思いをするというのに、なんと哀れな。


「いいか、おまえはな……」


次のセリフを言う前に、ぐぅ〜と大きな音が部屋に響いた。断じて俺の音じゃない。目の前の存在の腹からだ。思わず長い溜息をつく。

ひとまず、仕事を覚えさせる前に腹ごしらえが先だな。食べないと動かないだろうし。


「絶対に逃げようだなんて思うなよ」と強めに念を押し、ガキを放置してキッチンへと向かう。

キッチンにあった材料でスープを作り、昨日焼いたパンをちょうどいい大きさにカットした。

ガキの前に差しだしてやるが、これがまあなかなか食べない。お腹はぐーぐー言ってるくせに、ぼんやりと見つめたまま動かないのだ。


「なんだよ、俺の作った飯が気に入らねェのか?」


「作ってやったんだから食えって」


そう言うとガキは目を見開いて、ようやくまずパンに手をつけ食い始めた。

まさかこいつ、俺が何かいちいち言わないと行動しないのか?うわ、スプーンの使い方もわからねェのか。手にスプーンを握らせて、スープを口まで運ばせてやった。

全く、ニンゲンてのは世話のやける。これじゃ本末転倒じゃないか。


─────


2.奇妙な共同生活


ニンゲンのガキはどうやら読み書きができないらしい。簡単な指示は理解出来るようだが、これだけでは今後に色々と不安が募る。そこで俺は、家事を教えるのと同時進行で読み書きやらも教えてやることにした。後から楽できるに越したことはない。まずは文字、そして文字を教えた後は簡単な単語。五十音順の辞書や、絵本を見せながら説明する。


「よく聞いとけよ。これが『紙』、今触ってるやつな。これが『木』、そこら辺にいっぱい生えてるやつだ。これが『黄色』、この布みたいな色だ。これが……」


辞書に書いてある言葉はこいつには難しいようだから、ひとまず必要そうなものをひとつひとつ噛み砕いて言ってやれば、意味を汲み取れたようで頷きながら耳を傾けている。突然、ガキは「これは?」と言いたげに首をかしげて指をさした。


「…それは、『きれい』だ。意味は、そうだな……」


「心を動かされるくらい、キラキラとした……美しいっていうか……ああくそ、説明しずれェ」


例えば、と引き出しにしまってあった、あてやかな宝石、珍しい鳥の羽、摘み取った花や夜空を模した画などを取り出して目の前で見せてみる。


「これが『きれい』だ。わかったか?」


ガキは少し思案した後、今度は俺の瞳を指さす。


「『きれい』!」


何を言われたか分からず、一瞬固まってしまう。


「……これが?」


改めてそう聞くと、ガキはちぎれんばかりにこくこくと頷いた。


「変なやつだな、おまえ」


こんな真っ赤な瞳なんて、大抵の奴は血か地獄の業火のようだなんだとか言って気味悪がるのに。多くのニンゲンが畏敬の念を抱くこれが、この目が『きれい』だと?

目の前のガキは満足げににこにこと微笑む。

『きれい』という言葉が余程気に入ったのか、俺の金髪や手を触ったりしながら「きれい、きれい」と呟いている。

心の臓あたりがもぞもぞとして、なんかむず痒い。掻きむしりたくなるような感覚。だが、不思議と不快感は無い。心臓が、あたたかい。

気を取り直して訓練を再開すれば、その奇妙な感覚はいつの間にか消えていた。多分、気のせいだったんだろう。気にするまでもない、とそれをなかったことにした。


─────


3.特別な贈り物


またガキの背が伸びた。そんなに時間が経ったような気はしないが、ガキは不器用ながらも家事を覚え、比較的簡単なものではあるが本を自分一人で読めるようになった。挿絵のないものを読むようになるのも時間の問題だろう。今では魔法薬作りの手伝いもできる。


「おい」と呼びかけるとガキはすぐに振り向いて駆け寄ってくる。……ガキガキ言うのも面倒だ、名前があった方がいいな。出来れば文字数の少ない、呼びやすいやつ。

ふと、彼女の持つ本のタイトルが目に入る。俺が興味本位で買ってそのまま埃をかぶっていたであろう『アン』という名前の少女の本。こいつは髪が赤毛という訳ではないが、別に黒髪のアンがいたっていいだろう。


「アン。今日から、おまえの名前はアンだ。覚えろよ」


「あん……アン……」と口の中で転がすようにアンは唱える。顔が紅潮して、心做しか嬉しそうだ。若い葉のような緑色の瞳をキラキラと輝かせている。正直、そこまで喜ばれるとは思ってなかったな。


「あなたの、なまえは?」


「は…俺?」


まさか聞かれるとは露ほども思ってなくて、少し狼狽えてしまう。呼ばれることなんてなかったし、名前なんて自分でも忘れかけていたくらいなのに。


「俺の名前は……ラヴァ」


「らば?」


「違う違う、ラヴァ」


「らゔぁ!ふふ。らゔぁ、いいなまえ!アンもすてき!」


きゃっきゃとはしゃぐアンを横目で見る。

まだ少し舌が回ってないが、もうそれでいいや。言いにくいだろうし。半ば諦めて好きなようにさせた。


体力がついてきたら呪文や魔法薬の実験にでも利用しようと思っていたのだが、まるで気力が湧いてこない。……もういいや。それについてはまた今度考えるとして、今日は料理の作り方でも教えよう。

当初の目的からはだいぶズレてきたような気はするが、そのことには見て見ぬふりをした。


─────


4.あなたのために


「最悪だ……『女神の涙』が足りねェ……」


既に月が高く昇った夜、倉庫で呆然と立ちつくしながら独りごちる。『女神の涙』とは雨の日にしか咲かない、水色の花の事だ。ついこないだの回復薬を作った時に大量に使ってしまったからだろう。雨の日にわざわざ探すのも面倒だし……仕方がない、代替品でも探すしかないか。

その独り言を聞いていた影に気付かぬまま、その日は倉庫の片付けを続けた。


翌日。煩い雨音で目が覚めた。灰色の分厚い雲が空を覆っている。しばらく止みそうにない。

とりあえず朝飯にしようとリビングを覗くが、外の雨音に反して部屋の中はやけに静かで胸騒ぎがした。名前を呼びながら色んな部屋の扉を開けて回るが、いっこうに姿が見えない。

心臓の音がやけに近く感じる。冷や汗が頬を垂れる。

家の中に居ない。なら、答えはひとつ。

この大雨の中、森のどこかに居るとしか考えられなかった。


帽子とローブを身につけ、急いで外に飛び出す。雨のせいで足跡を追うことも出来ない。大丈夫、こういう時には魔法の出番だ。杖をひと振りすると、生き物の気配が浮かび上がる。その中にひとつだけ、比較的新しいニンゲンの気配があった。

視界の悪い森を走り抜け、濡れるのも構わず駆けていく。濡れ鼠みたいになった動くモノを視界にとらえた。


「っおい、アン!何やってんだおまえは!」


「……!らゔぁ、ラヴァ……」


革製の鞄を背負ったままびしょびしょのアンは、俺を見つけて一瞬表情を緩めた後、ぐすぐずと泣き出した。チッ、次から次に仕事を増やすんじゃねェよ、全く……。

べそかくアンを両手で抱えて家に戻る。だいぶ雨の中に居たようで、いつもはぬくい身体が冷えきっている。

幸い家からはそれほど距離は離れておらず、すぐにたどり着くことが出来た。


ローブと帽子は乾かさないとどうにもならなそうだが、中のシャツはあまり濡れていないようだ。ああ、でもこいつのは洗わないとダメそうだし、着替えもいるな……。

ふかふかとしたタオルを持ってきて、苛立ちをぶつけるようにガシガシと乱雑に頭を拭いてやった。


「……で?こんな雨の日にわざわざピクニックか?」


皮肉交じりにそう聞けば、焦った様子のアンは鞄から図鑑を一冊取り出し、水色の花の描かれたページを見せた。『女神の涙』と呼ばれる、珍しい花。この図鑑で知ったのだろうか。


「これが見たかったのか?だからってこんな……」


と言いかける俺に、違うと勢いよく首を横に振る。また鞄の中をがさごそと探ると、一輪の大きな水色の花を俺に差し出した。


「あげる!ラヴァ、これなくて困ってた、から……」


へへ、と頬を掻きながらアンはそう言う。

そんなことを言われると何だか怒る気も失せてしまって、少し乾いた頭を髪に沿ってゆっくり撫でた。


「……そうか、いい子だ。だがな、次から出かけるときは必ず俺に言うんだ」


「いいな?」と改めて念を押して言うと、アンは元気よく返事をする。


「とりあえず風呂入って着替えてこい」


あいつが着替え終わったら、温めたココアでも入れるか。


「……俺から逃げたわけじゃ、なかったんだな」


小さな小さな呟きは、激しい雨音に掻き消される。労働力として利用してやろうと思っていたのに、いつの間にか世話を焼く立場になっているのに気づいたのは、疲れ果てたアンが眠りに落ちてからだった。


─────


5.そばにいて


朝、すぐに目が冴えた為リビングに行くがアンの姿がない。だが、昨日とは違いすぐに見つけることができた。

()()()()()()()アンを。


「……は?」


目には入ってくるのに目の前のことが正しく理解できない。

なんで、昨日まであんなに元気に笑ってたじゃないか。まさか、しんじまったのか?

おぼつかない足取りで近寄ってみれば、ぜえぜえと荒い息をしていることに気がつく。身体に触れると燃えているのかと思うくらいに熱い。死んだら冷たくなるはずだから、アンは死んでいない。まだ、まだ大丈夫。


熱いということは、恐らくニンゲンがかかる風邪とか言うやつだろう。俺は身体が丈夫だからかかったことはないが。

ベッドに横たわらせて水で冷やしたタオルを頭に置いてやれば、幾分か顔色が良くなった。


「無茶しやがって。はぁ……仕方ないな、今日の訓練も家事もなしだ」


俺がそう言うと、アンは眉を下げ残念そうな、申し訳なさそうな顔をする。イタズラして叱られた子犬みたいだ。


頬が赤くまだまだ苦しそうなアンの様子を確認しながら、急ピッチで用意した、病気の対処法が載った本をペラペラとめくる。成程、熱があるときは水分補給か。コップに水でも汲んでこようと思い椅子から立ち上がろうとすると、服の裾をくいっと引かれた。

アンは服を掴んだまま離そうとしない。仕方なく、すとんと再び椅子に座る。


「ここにいて欲しいのか?」


こくん、とアンはゆっくり頷く。

そのときに、胸の辺りがきゅっと締め付けられるような感じがした。おかしいな、俺も風邪をひいたか?

胸に手を当ててみるが何も起こらない。何なんだ、一体。


俺がその感覚を不審に思っている間にアンは寝てしまったようで、すーすーと穏やかな寝息が聞こえる。よし、今のうちに水を取りに行ってミルク粥とやらでも作ろう。


アンの眠る部屋を出ると、やっぱり家の中は静かで日頃の賑やかさはこれっぽっちも感じない。この家って、こんなに広かったっけか。

心にぽっかりと穴が空いたような、世界から自分だけが切り取られてしまったような、そんな感覚に襲われる。なんというか、心臓のあたりが寒い。物足りない。

何故だか無性にアンの顔が見たくなった。


ミルク粥を作り終え、水の入ったコップも一緒にトレーに乗せて部屋に入る。

アンは既に起きていたようで、不安そうな声で俺の名前をしきりに呼んでいた。


「飯を作ったんだが、食べれそうか?」


「たべる……」


そう言うアンの声は随分と掠れていた。スプーンで掬い口元まで持っていくと、まるで雛が親鳥から餌を貰うように食べ始める。その姿を見ていると、出会ってまもない頃のアンを思い出す。


「風邪が治ったら、出来なかった分の訓練と家事をしてもらうからな。覚悟しとけよ?」


「うん……!」


これで笑顔になるなんて、俺はとんでもなく変なニンゲンを拾ってしまったものだな。

そんなことを考えているくせに満更でもないのは、きっと思い過ごしだ。そうに違いない。


─────


6.とけない魔法


「おまえ、魔法でも使ったか?」


そう言うと怪訝そうにアンは顔をしかめる。あの頃に比べるとだいぶ表情が豊かになったもんだ。


「ワタシ、魔法使えません」


「だよなァ……」


変だな、こんなにキラキラして見えるのに。

まじまじと見すぎて、案の定アンと目が合う。たったそれだけなのに、いきなりのことにびっくりして心臓が跳ねた。


昔は俺の腰くらいしかなかった背も今では俺の肩よりちょっと大きいくらいまで伸びたし、あんなに舌足らずだった言葉も随分と流暢に話せるようになった。口調が敬語だったりするのは、恐らく俺の読んでる評論文とかの難しい本の影響だろう。


「育つの早すぎやしねェか……?」


「あの、言っておきますけど…ラヴァ、アナタとワタシが出会ってからもう十年は経っていますよ。ワタシだっていつまでも幼い子供じゃないんです」


「馬鹿言え、だっておまえは」


俺からしたらまだまだガキで……と鼻で笑ってやろうとして、言葉が出なかった。

この目に映るアンの姿は、もうとてもあの日の貧相なガキには見えない。


(そうか、もう十年経ったのか……)


なんにも知らなかったらいいとこの箱入り娘と勘違いするほどの、大人びたニンゲン。ボサボサだった黒髪は見違えるほどさらさらになり、緑色の瞳はエメラルドを模したよう。骨と皮しか無かった身体も肉付きが良くなって触ると柔らかそ……いやいや、何を考えてるんだ俺は。あのアンだぞ?

妙な考えを頭から追い出す。


「どうか昔のワタシではなく、目の前のワタシを見てくださいね」


俺の考えを見抜いたような口振りでそう言う彼女に、俺は「ハハ」と乾いた笑いしか出来なかった。


昼食を作りにキッチンに引っ込んだアンの後ろ姿を眺めながら、さっきのことを思い返す。

あの変な感じは、多分気の迷いだ。この偉大で恐ろしい魔法使いにチンケな魔法なんかが効くわけがないし、何よりアンは魔法が使えない。

だから違うんだ。何が違うのかは自分でもわからない。ただ、違うのだと自分に言い聞かせ続ける。わかってしまえば後戻りはできない気がして、何度も頭の中で違うと唱えた。


もう他のことを考えたほうがいい。何だかとても疲れた。

キッチンからトントンと野菜を刻む音がする。そういえば、もう一人で料理もできるんだよな、あいつ。料理だけじゃない、読書も洗濯も掃除も裁縫も、全て自分一人でできるようになった。魔法を扱う時の俺の指示にも難なく完璧に対応できる。何だ、俺がなんもしなくても十分生きていけるじゃないか。独り立ちする日もそう遠くないな。……笑えない冗談はよそう。


「昼食ができました、ラヴァ」


「あ、ああ……いただくとするか」


スプーンで掬って自身の口に運ぶ。俺の口に合う、よく馴染んだ味付け。それもそうか、だって俺がいちから教えたんだから。


「うん、うまい」


「ふふ、アナタがいちばん最初に教えてくれた料理ですよ?練習した回数が今まででダントツで多いんですから、当然です」


得意げにアンは言う。そんな些細なことまで覚えてるんだな、と密かに感心した。


やはり、ニンゲンからしたら十年はとてつもなく長い時間なのだろうか。俺みたいなのとニンゲンとでは根本的に生きられる時間の長さが違う。たった十年でこれだけ変わるんだ、俺が瞬きする間に居なくなってしまいそうだ。


(アンは、俺といるよりも他のニンゲンとの方が生きやすいのかも)


……なんてな。

ああ、今日は出来の悪い冗談しか思いつかないみたいだ。


─────


7.不穏な気配


それからというもの、何をしていてもずっと、ニンゲンはニンゲン同士で暮らした方がいいんじゃないかという考えが俺にまとわりついていた。時間の進み方の違う二人では、きっとこの先苦難も多いだろう。

俺が拾ったんだからどうしようが俺の勝手だろ、と前までの俺なら一蹴できただろうに、今はそう簡単に割り切れない。

灰色の雲が張った空をぼうっと眺める。


「……?」


突然、人里近くの森で異変を感じた。実際に見えるわけではないが、俺の張った魔法を誰かが弄ってやがる。間違いない、これは……。


(厄介な()()()()のご登場ってか)


「アン、散歩に行って来るから留守番頼む」


何のことか分かるはずもないアンは「早めに帰ってきてくださいね」と呑気に告げる。

いかにも魔法使いですというような服に身を包み、玄関のドアを閉じて、耳を塞ぎたくなるほど賑やかな場所を目指し杖を大きくひと振した。


次に視界が戻ってすぐ、そこに待ち構えていたのは、予想通りニンゲン共だった。しかも、よりによって俺みたいなのを忌み嫌い排除したがるタイプの。

成程、魔法を弄っていたのは俺を呼び出すためか。

相手に決して弱みを見せまいと、欠点などないかのように振る舞う。


「これはこれは皆様方。この俺に、揃いも揃って一体全体何の用で?」


まともな対話が望めるとは思ってないが、一応聞いておこう。


「民から通報があった。お前が美しくうら若き乙女を攫い、監禁しているとな!」


リーダーらしきニンゲンは声高らかにそう宣言する。


「は?」


は?

思わず声に出てしまった。美しくうら若き乙女ってどこのどいつだよ。攫って監禁?何で俺がわざわざそんなことしなくちゃなんねェんだよ。した覚えのないことを責められて困惑する。

……おいまさか、アンのことじゃねェだろうな。


「長い黒髪で緑色の瞳をした娘だ、お前なら心当たりはあるだろう?」


クソ、嫌な予感ほどよく当たりやがって。

本当に通報を受けたのなら、アンは頻繁に人目に付くような場所に行ったことになる。だが、実際彼女は人里付近の森には近づきもしない。

通報なんてただのでっち上げで、適当な建前や理由をつけてこの俺を始末したいだけのくせに。ちょくちょくニンゲンの気配がするなとは思っていたが、俺をはめる為にそんなことまで監視されていたとは。こんなことにアンまで利用するなよ。


「おいおい、何のことだか……」


彼女を面倒事に巻き込むのは得策ではないと思い適当に誤魔化すが、効果はあまり見込めなかった。


「とぼけるな、卑しいバケモノめ!その娘の幸せを考えたことはないのか!」


「……幸せ?」


こんなことに耳を傾けるべきではないのに、変にその言葉が引っかかった。


「そうだ。普通の生活を享受し、隣人と触れ合い、愛を知り家族を作る。お前が居なければそこにあった、人として当たり前の幸せをお前は奪ったのだ!」


アンの、ニンゲンとして当たり前の幸せを奪った。この俺が?

俺が動揺した一瞬の隙を突いて、木の影に隠れていたニンゲンが鉄の塊を構える。弓とはまるで違う形状のそれから、ドンと鈍い音が響き痛みが左肩を貫いた。

なに、何だこれ。魔法とは違う。何が起きているんだ。


「天の命に従い、人々の幸せを脅かすお前を直々に裁いてやる!皆、チャンスだ!武器を構えろ!」


ニンゲン共の声が、近づく足音が、他人事のように聞こえる。目の前が暗くなって、思考がまとまらない。

奪った。俺が?いや、拾っただけ。奪ってない。俺は、違う。本当に?アンは俺といると幸せにはなれない。俺のせいで?

うるさい。うるさいうるさいうるさい!


「うるさいッ!!いい加減、どっかいってくれ!!」


ありったけの力を込め杖を振る。辺りに光が満ち叫び声がしたかと思えば、そこにニンゲン共の姿はなかった。恐らく遠くの大陸の土地にでも飛んでいったのだろう。いや、今はそんな事どうだっていい。見ず知らずのニンゲンの事など知ったこっちゃない。


左肩に埋まった、金属らしき丸い玉を無理やり抉り出す。溢れてきた血のせいで鉄臭い。

魔法使いだって不老なだけで不死ではない。例え千年生きると言われていても、血が出すぎれば問答無用で死ぬ。アンみたいなニンゲンは俺よりも簡単にぽっくり逝っちまうが。

改良した回復薬を飲んで治療する。身体は元通りにはなったが、血の滲んだ服は新しいのに変えるしか他ないだろう。

よろよろと歩き、空を見上げた。今もまだ灰色の雲が覆っている。気分も空も晴れない。


さっきの魔法で思った以上に消費したからか、瞬間移動の魔法を使うにはもう十分な魔力が残っていない。クソ、しくじった。家の方へ重たくなった足を動かす。


……まだ、間に合うはず。今ならまだ、手放してやれる。手放さなければ。狼と子豚が共に暮らせないように、バケモノとニンゲンも一緒には生きられないのだろうから。

おれが、俺がそばに居ちゃいけない。

そんな呪いのような漠然とした思いが、胸の中で渦巻いていた。


玄関の扉をくぐると、アンがひょこっと顔を出す。その目を真っ直ぐ見れない。


「ラヴァ、顔が真っ青です。それに、左肩も……」


俺の異変に気づいたアンは慌てふためいたが、俺に傷が無いことを確認すると再び落ち着きを取り戻した。


「何か、あったんですか?」


あの雨の日に見た、笑顔とは真反対の泣き出しそうな表情。とてもじゃないが、幸せには見えない。

やめろ、俺の前でそんな顔するなよ。


「…何でもねェよ」


お前には関係ない。だからもう、これ以上聞くな。

暗にそう言うと、煮え切らないといった様子で「わかりました」と彼女は答えた。


─────


8.晴れない空はない


あれから散々悩んだ。悩んで、悩んで、結局手放すという結論しか出なかった。この胸に巣食う感情もわからないままだ。

相手の幸せを願うことが『愛』だと本は言うが、こんな歪な感情が愛なわけがない。愛っていうのはもっと純粋で、綺麗で、長い間一人で生きてきた俺とは無縁なもののはずだ。そうだろう?


二人しかいない部屋の中、いつもと違う重苦しい雰囲気がたちこめている。せっかく入れた飲み物もすっかり冷めきってしまった。


「アン、お前は大きくなったよな。家事も、文字の読み書きも、全部自分一人でできるようになった」


何かを察したのか、どこか硬い表情で彼女は「そうですね」と相槌をうつ。


(もういい、おまえのそんな顔を見るくらいなら……)


埒が明かないからと、俺はずっと考えていたことを一思いに吐き出した。


「単刀直入に言わせてもらう。お前は、ニンゲンと暮らした方が幸せだろう。俺とじゃ無理だ、幸せにはなれない」


「歳を取らないバケモノよりも、同じ時を刻む種族の方がお前も生きやすいしな」


喉が詰まるような思いは言葉にして出したはずなのに、余計に苦しくなってきた。声が震えそうになる。水の中にいるみたいで息をするのもままならない。

おまえのせいだ。おまえが居なくたって、俺は一人で生きていけてたのに。今じゃこんな醜態を晒す羽目になってしまった。


「ほら。わかったら…必要なもん持ってっていいから、さっさと行けよ」


背を向けたまま投げやりに吐き捨てる。後ろから「わかった」と敬語の外れた声が聞こえた。

これで、全部お終い。俺はまた一人に戻って、色褪せた長い長い時間をこの森で過ごすのだ。ただ元に戻るだけだというのに、憂鬱な気持ちになる。


これからの未来に思いを馳せていると、シャツの袖をくいっと引かれる。何事かと後ろを振り向けば、俯いたアンが袖を掴んでいた。


「は、はあ?何で俺を引っ張って……」


何をしているんだ。行動の意図がわからずそのまま立ちつくす。

確かにちゃんと、俺は必要なもんでも何でも持ってとっとと出ていけと……。


()()、だから」


真剣な眼差しが心臓を貫く。視線が交じり、静かな時間が二人の間に流れる。

数拍置いて、ようやくアンの言いたいことが理解できた。

もう、何なんだよ……。張っていた力が抜け、近くの椅子に身体を預けるようにして腰掛ける。こんな間抜けな顔を見られたくなくて、右の手のひらで自身の両目を覆った。


「はァー……自由にしてやるって言ってんのに、おまえはよォ……」


呆れを通り越して笑えてさえくる。

なんだ…俺はそばにいて良かったのか。そんな簡単なことだったのか。あんなに悩んでいたのが馬鹿馬鹿しくなってきた。


覆っていた手を下ろすと、すっかり気の抜けている俺にアンがずんずんと近寄るのが見えた。いつもより顔が近いな、なんて悠長なことを考えているうちに、唇にふにっとやわこい感触を感じた。それは、小鳥が木の実をついばむみたいな、優しく触れ合うような口付けだった。


「なん、おまえ、何で」


急だったし目なんて瞑らなかったから、初めて感じた感覚にみっともなく狼狽える。しかし、キス自体に嫌悪感は感じない。

いやでも何が起きたか理解せざるおえない状況だった。ぼさっとしていたからと言って、なんの抵抗もしなかった自分に驚く。心臓が暖かいどころか熱い。心臓だけじゃない、身体中が熱かった。


「大切な人にはこうするって、本に書いてた……」


俺に先程言われた言葉が相当気に食わなかったのか、アンはぷくーっと拗ねたように頬を膨らませてそう言う。

そんな彼女に、俺は息をめいいっぱい吸い込んで大声をあげた。


「ッばか!!!これは()()()()にするやつだッッッ!!!」


その日、俺が生きてきた中でいちばん大きな声で叫んだと思う。


「ふふ、そうなんですか?知りませんでした」


こいつ、俺の慌てっぷりを楽しんでやがるな。わざとすっとぼけるアンを横目で見る。まだ心臓は落ち着きそうにない。


いつの間にか、あれだけだるかった身体が元の調子を取り戻していることに気づいた。むしろ、戻ったどころか調子がいいくらいだ。


「……やっぱおまえも魔法使いだろ」


アンはなんのことかわからず、こてんと首を横に傾げる。魔法を使ってないことくらい俺もわかってる。でも、こんなことが出来るのは魔法以外俺は知らない。


「いや、いい。気にするな」


はー……あっつい。なかなか顔の熱が冷めなくて、手でパタパタと扇ぐ。格好がつかないし、早く冷ましてしまいたい。気をそらすために窓から外を見れば、昨日のが嘘のようにすっかり晴れ渡っていた。


「ラヴァ。一緒じゃ幸せになれないとアナタは言いましたが、ワタシは今とても幸せですよ」


「…………そうかよ」


小っ恥ずかしくて居心地が悪い。憎まれ口をたたく俺に、アンは満足げに微笑んだ。


─────


9.またね


数え切れない程の夜を越えた。身体の時間が止まった俺とは違い、アンの姿は変化し続けた。姿が変わろうがアンはアンだから、別に気にはしなかった。

けれど、よく一緒に歩いたその足が、老いて次第に動かなくなっていく。食欲も随分落ちた。俺の手をしっかり握ってくれたその手も力が入りづらくなって、代わりに俺から握るようになったのはいつ頃だったか。そのあたりから彼女は明日の話をしたがらなくなった。

今、彼女はベッドの上で静かに頼りない呼吸を繰り返している。


「なあ、明日は何をする?この前の本の続きを読もうか」


「ラヴァ」


「窓から見える景色を絵に描くのもいいよな」


「ラヴァ」


「……何だよ」


話し続けないと、刻一刻と近づいてくる考えたくもない未来に押しつぶされてしまいそうになる。そんな俺の話をわざと遮るアンに不安が押し寄せてきた。


「あの日アナタに会えたことが、何よりの幸福でした」


彼女が過去形で話すのに気がつき、その見たくない現実を目の前に突き付けられたような気がした。


「今度また会えたら……アナタに、あいしてると言わせて。ね?ラヴァ」


アンはそっと俺の頬を撫でる。指先がちょっと冷たい。近くに海なんてないのに、潮の匂いがする。


()()じゃなくて、()気が済むまで言えばいいだろ……」


「俺を、おいていくなって」


今まで過ごした彼女との思い出が、脳裏を駆け巡る。なあ、お願いだから待ってくれよ。

ああ、クソ。視界がぼやけてきた。勝手に零れた雫が頬を伝っていく。


「ふふ、アナタが泣くなんて。さいごにいいものを見れました」


「何だかとても眠たいから、少し…寝ますね……おやすみ、ラヴァ」


彼女は静かに目を閉じた。さっきまで頬に触れていた手が力なくだらんと下がる。


「……………おやすみ、アン。愛してる」


アンにそれが届いたのか届かなかったのかはわからない。木々が風に揺れる音しか聞こえない部屋に俺の声が木霊する。返事はなかった。


その後、俺は彼女を連れて海に来た。

ニンゲンは埋葬とやらをするらしいから、火葬した亡骸を粉末状にした彼女のそれを。水色のあの花の花弁も持ってきた。

これを海にまいて供養するそうだ。

お別れする間際に海の匂いがしたからこの方法を選んだなんて聞いたらアンは単純だと思うしれないが、多分彼女なら許してくれるだろう。


波が近づいては引いていく。靴を脱いでズボンの裾をまくる。足に直に砂の感触がして変な感じだ。「アン、お前もこいよ」と言いかけて、ああ、そういえばもう声も聞けないんだったと胸が苦しくなった。花弁と遺骨を持って海に入る。こんなに近くに来たのも、この中に入ったのも初めてだ。アンが生きているうちにでも来ていれば感想を共有出来たんだがな。


袋の紐を解いて、花弁と一緒に中身を慎重に海に放した。波にさらわれて遠ざかっていく。それが見えなくなるまで、その場にずっと佇んでいた。


─────


Epilogue


いつも通りの物足りない朝。森はいつもと変わらぬ風景で、まるであの時から時間が止まったみたいだ。あれからどれくらい経っただろう。何ヶ月?何年?もしかしたら百年くらいは経ってるのかもしれない。


椅子に座って本を読む。何百回と読んだ、彼女の名前が入った本。

文字を追っていると、玄関の扉を叩く音が聞こえる。ノックが三回。


思い当たる節がなくて、警戒しながら扉を開ける。そこに居たのは見慣れぬ装いのニンゲン。どうやら旅人みたいだ。


「はじめまして……いや久しぶりですね、ラヴァ」


エメラルドのような緑色の瞳と目が合う。

俺の名前を知っていて、そんな瞳のやつなんて一人しかいなかった。


「っおせーんだよ、おまえは」


鼻声になるのも気にせず話しかける。幾度となく思い描いた姿を見て自然と頬が緩んだ。


「早く席に着け、いつものココア入れてやるからさ」


「うん……ああ、言い忘れてました」


「愛してる、ラヴァ」


改まってそう言うアンに長らくしてなかったら笑顔を浮かべて返事をした。


「……俺もだよ、お寝坊サン」


END

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