第12話 スザンヌ
私といとこのヘンリーは、昔から一緒にいた。
ヘンリーは母方の伯爵家の次男なので、家督は継げない。だから必死で剣術を学び、騎士の道を目指した。
そうすれば俸禄は高いし、都に屋敷も貰える。
そんな夢を小さい頃から話し合っていたのだ。
そう。私たちは、結婚の約束をしていたのだ。それは両家の父母も知っており、私はヘンリーが築いてくれるレールに向かって、ともに進んでいくだけだった。
「スザンヌ。君は何も心配いらない。ただ僕についてきてくれさえすればいいんだから」
「ええヘンリー。私はあなたのために、女を磨くわ。あなたに捨てられないように」
「バカだなあ。そんなことするわけないだろう?」
「うふふ。信じてるわよ」
「なあスザンヌ。僕は誓うよ。君との永世を。三度生まれ変わっても君とともにいることを」
「ああヘンリー。あなたは前世でも同じことを言ってたわよ?」
「ふふ。そうかい?」
「ええ、だから私たちは何度生まれ変わっても神の祝福を受けるのだわ」
そんなことを言い合ったものだ。
やがて、ヘンリーは騎士の身分となった。そして三年後の十七歳には隊長、五年後の十九歳には騎士長となり、陛下より大きなお屋敷を賜った。
私は待ち遠しかった。ヘンリーより三つ年下の私はもうすぐ十六歳の誕生日に彼の元にお嫁に行くのだと。最高に幸せな時だった。
◇
「え? お父様、いまなんとおっしゃいましたの?」
「う、うむ……。宰相さまのご命令でな、そなたを陛下の側室に出さなくてはならなくなった……」
目の前が暗くなった。聞けば宰相さまは国にいる高貴で美しい女性から私を選定したらしい。
私が人の目を引くほど美しくなったのは誰のため……?
それは愛するヘンリーのためだ。それが災いして、私は王宮に上がらなければならないなんて。
父も立場上断れないことは分かっていたが、そんな横暴が許されてなるものか?
私は馬車に乗ってヘンリーのお屋敷に向かっていた。
ヘンリーは、すでに話を聞いていたようで、私の顔を見るとひどく複雑そうな顔をしていた。
だが私は彼の胸に飛び込んだのだ。
「ヘンリー! ヘンリー! ヘンリー……!」
彼は私の肩に手を添える。それは抱き締めるためではない。身に触れないように、少しだけ私の体を離したのだ。
「ヘンリー……?」
「やあスザンヌ。陛下の側室に決まったようだな。君が誰よりも幸せになれるよう祈っているよ」
「は、はあ?」
私はヘンリーから身を離して、その顔に思い切り平手を叩き込んだ。
「い、痛え~……」
「あなた何言ってるの!? 私と結婚するのよね?」
しかしヘンリーは黙ったままで、私から目を逸らしていた。
「ヘンリー! 私を連れてどこかに逃げましょう。そこで二人で暮らすのよ!」
「ば、馬鹿を言うなよ。陛下を守る騎士長が、陛下の妻を連れて逃げたとなれば、陛下の威信は潰れ、僕の実家も君の実家もただでは済まない。そして僕たちもいつも誰かに怯えながら暮らさなくてはならなくなるんだぞ? そして見つかったら処刑だ。僕はどうなってもいいが、君がそんな目に遭うなんて耐えられない」
「もし私が処刑されても、私はあなたとともにまた生まれ変わるわ。そして何度も、何度も人生を共に──」
「ああスザンヌ、どうか聞き分けておくれ……」
私は再度ヘンリーを叩いた。烈火の如く怒ったのだ。
「ええ、ヘンリー! あなたの言う通りにするわよ! あなたのことなんて王宮に入ったら忘れるわ! 陛下に可愛がられて毎夜愛し合うわよ! 満足でしょうね! あなたのためだったこの顔も体も心も他の男に委ねるのよ! あなたは負け犬よ! なにが騎士長よ! 意気地無し!」
私はヘンリーを思い切りなじって扉へと駆けた。だが一縷の望みにかけてもう一度ヘンリーのほうに振り返った。
きっと彼は思い直して私に飛び付いて抱き締めてくれるはずだと。そして逃げようと言ってくれるのだと──。
しかし彼はうつ向いたままで微動だにしていなかった。ヘンリーは私を捨てたのだと思い、泣きながら屋敷を飛び出した。そして父や母の言うまま、王宮へと入ったのだった。
◇
その頃の私は復讐心の塊だったような気がする。ヘンリーを苦しめてやろう、ヘンリーに後悔させてやろう。ただその思いに、陛下と初夜を迎えることにした。
避けられない、抵抗もできないなら、思いきってその運命に従おうと思ったのだ。
でも陛下は私を抱かなかった。意味が分からない。私には魅力がないのだろうか?
お妃のオリビアさまを訪ねても、お上品過ぎて答えが返ってこない。
そこで第二夫人のカーラさまに近付いたのだった。彼女はおとなしめな人そうだったが、話してみると全然雰囲気が違っていた。
「ほほほほ。お気の毒ねスザンヌ。陛下はオリビアさまを愛しすぎてて私たちを抱かない子どものような方なのよ」
「え?」
彼女の話を聞くと、なるほどと思った。そして彼女にも愛する人が外にいることを知り、親近感を覚えたのだ。
しかし私たち二人、どうすることもできない篭の鳥だ。互いに陛下からも愛されず、外の恋人とも一緒になれない。
「そうなのね、スザンヌ。あなたも可哀想な人」
「ええ。カーラ、どうしたらいいかしら?」
「私ね、実は実家から侍女として、魔法使いを連れてきているの」
「魔法使い?」
「もしも陛下から陵辱されそうになったら、逃げるためにね」
と言って目配せをしてきた。その魔法使いはソフィアと言って、行きたい場所に連れていってくれるのだ。しかしまだ彼女はその魔法を使って外に出たことはないのだそうだ。
「でもね、陛下はそんなことなさらなかった。私はいつでも逃げる準備をしていたのにね。本当にお優しい人よ。でも私たちはどうすることもできない。国には国の掟があるもの。私はこうして死ぬまで彼への思いを抱いて行かなくてはならないのだわ……。でもあなたはどうする? もしも思い抱いている人の元に行きたいのなら、いいのよ?」
カーラの提案。思い浮かぶのはヘンリーの顔だった。私は二つ返事だった。
◇
ソフィアの手を握って、私たちはヘンリーのお屋敷の中に。前とは違い、そこらじゅうに酒瓶が転がり、書類なども積み重なって荒れ果てていた。
ソフィアは思わず鼻を摘まんでいた。
「臭いですわね、スザンヌさま。ヘンリーさまはいないようですけど……。ヘンリーさまに会ったらどうなさるおつもりで? 一応私は消える魔法で隠れておりますわ」
と彼女はすぐに消えてしまった。たしかにヘンリーに会ったらどうすればいいのだろう? 彼はまた私を追い返すに違いないわ。
そう考えると腹が立ってきた。あの意気地無しの弱虫を、またなじってやろうと思い、階段の上から見下ろす形でヘンリーの帰りを待っていた。
しばらくすると彼は帰ってきたが、酒に酔って足取りもおぼつかない様子だった。そしてそのまま寝室のある二階へと来ようとしているので、私は指をさして叫んだ。
「いい身分ね、ヘンリー! 私を捨てて好きなことばかりなのね。お酒を飲んでいい気分でしょう! おお嫌だ。見限って正解だわ!」
心とは裏腹に、彼への憎悪が悪口を投げつけてしまう。本当は楽しいお話をしたいのに。抱きついてもたれ掛かりたいのに。
ヘンリーは驚いた様子も見せず、私を見上げて次第に恐ろしい顔に変わっていった。
「ふん。またいつもの幻か。いくらでも好きなことをほざけ」
そう言って階段を上ってくる。私は思わずたじろいだ。
「な、なによ。私は陛下の物なんですからね! 触るんじゃないわよ、この痴れ者!」
「ああそうかよ。ここの主は陛下ではない。この僕だぞ。だからここにいる幻も僕のものなのだ」
ヘンリーはシャツを脱ぎながら私に言う。
いやちょっと待って? お酒を飲んで、私を幻とかと勘違いしてない?
「ヘンリー! ストップ!」
「嫌だね。スザンヌ、お前を二度と離すもんか!」
彼は半裸で私を抱き締めて来た。ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと! 結婚まではって約束してたのに!
「ちょっと! ヘンリー! 止めて! ダメよゥ!」
「なにがダメだ! 僕の気持ちも知らずに、いつも僕を苦しめやがって! 僕がどんな思いで君を手放さなくちゃならなかったと思ってるんだ! 国を裏切って、この大地でどうやって生きていくんだよ、チクショウ! たしかに僕は意気地無しだ! だけど意気地無しにこんなことが出きるか!? スザンヌなんて、こうしてやる! こうしてやる! こうしてやる──!」
──────………………。
それはあっという間の出来事だった。
終わって正気に戻ったのか、ヘンリーは真っ青な顔をしていた。
「……おかしい、おかしいぞ? こんなバカな……」
「なにがおかしいのよ?」
「な、なんで幻のクセに消えないんだよ。なんで体が温かいんだ?」
「そりゃ幻じゃないからでしょ。もう分かってるくせに」
「ああ……!」
「赤ちゃんできたかもね」
「うう……」
あんなに荒々しかったくせに、急に苦悩の人になっちゃったわ。私はそんなヘンリーにもたれかかった。
「でも愛し合うっていいものね、ヘンリー」
「ううう……」
「なによ。もうやっちゃったもんはしょうがないじゃない」
「しかしこれは大罪だ。国家反逆罪に不敬罪に、密通……。首がいくつあったらいいんだ?」
「だから、私を連れて逃げればいいじゃない!」
「いやちょっと待って。いろいろ整理させてくれ! なにがなんだか分からない。なんで王宮から君は出られたんだ?」
その疑問はもっともな話だ。陛下の妻たちは基本外には出られない。国事などのイベントに出席するなら別だが、それにもギッチリ警護が付く。そんな私が屋敷にいるのが不思議なのだろう。
私はソフィアの魔法のこと、陛下は王妃さまを愛しているので私たちに手を出さないことを伝えた。
「う。にわかには信じられない話だ」
「本当よ。陛下は私に手を出さなかったわ。それより先にヘンリー君は私に手を出しました。それは変わらない事実」
「あ~……、夢であってくれ」
「夢じゃない、これは現実」
祈るヘンリーに現実を突き付けると、ようやく彼は顔を上げた。
「もう破れかぶれだ。愛してるよ、スザンヌ」
彼は前の顔に戻って、私にキスをして来た。私もそれを受けたのだ。
そして二人はゆっくりと唇を離す。
「なあスザンヌ。考えていたことがあったんだ」
「なあに?」
彼は衣服を整えながら書斎に入り、一冊の本を持ってきて机に置いた。
「さあ、ここを見てくれ」
ヘンリーが開いた場所は、栞が挟まっており、一文に線が何重にも引かれていた。
「これは国の歴史書だよ。昔の出来事にこんなものがある。『主君はレオン将軍に戦功としてミラー第三夫人を与えた』。分かるかい? 前例としてご主君が側室の方をくださることがあったんだよ」
「え!?」
私はそこを食い入るように見た。たしかに古い言葉遣いだったけどそう書いてある。ヘンリーは続けた。
「そのレオン将軍とミラーさんは、いとこ同士で結婚の約束をしていたんだけれど、王室よりミラーさんを側室として出すように命令されて泣く泣く二人は引き裂かれたのだけれど、レオン将軍が手柄を立ててこの結果となったらしい」
「それって……」
「そう。僕たちと似てるだろう?」
ヘンリーはニッコリと微笑んだ。つまり彼は手柄を立てれば──という一つの望みにかけて動いているのだ。
◇
私はヘンリーの屋敷に留まることはしなかった。そんなことをしたら大騒ぎになる。
ソフィアとともに王宮に戻った私は、さっそくカーラにそのことを打ち明けると彼女も大層喜んでいた。なんでもカーラの思い人は、大功を何度も立てたらしいのだ。聞けばローガン将軍だった。なるほど納得。
私たちは、ヘンリーに教えて貰ったレオン将軍とミラーの歴史を王宮の図書館で調べると、それどころではなかった。
どうもこの王室は四代に一度、そのようなことをしているようだ。
私たちが考察するに、この血統の人たちはかなりの一途で一人の女性しか愛さない。ある王様は若くして王妃を亡くすと、後妻を取らずに亡き王妃のことばかりだった人もいるようだった。
私とカーラは顔を見合わせて苦笑した。そして同時に頭をおさえてふらついてしまった。
「そして代々家臣に勧められて側室を得て、家臣に与えていると。まったく、振り回される女はたまったもんじゃないわ」
「本当ね。でもどうしよう。陛下は王妃さまに近付かないわ」
「男ってみんな意気地がないのね」
「まったくだわ」
私たちは微笑み合った。そして、なんとかして陛下と王妃さまをくっつけて、私をヘンリーに。カーラをローガン将軍に降嫁するよう画策し始めたのだった。
 




