第一節『後悔と邂逅』
なんやかんやで、早くも三日目を迎えてしまった、我が異世界スケルトン生活。
今日に至るまでは色々な事があったが、しかし現在の僕はと言うと、大いに暇を持て余していた。
森にある大きな石に腰掛け、銅像のように頬杖を突いた状態で、ひたすらあくびを噛み殺す羽目になっていたのだ。
(暇、だなあ……)
なぜなら未だに、ここで自分が何をすべきなのか、全くと言っていいほど見出だせていなかったから。
やる事が無くて退屈していた、なんて言い方をしてもいい。
もちろん一昨日の冒険者達や、昨日の子ども達のように、森へ来る人間と接触するようなことがあればだ。
適切に対処しなければならない、というのも事実なのだが。
しかし基本、それ以外に果たすべき仕事は無い。
勤務中であるにも関わらず、ずっと自由時間が続くわけだ。
おまけにスケルトンなので、食事や睡眠の必要も無し。
そのうえ話し相手もいないとくれば、当然のように時間は余ってくる。
結果こうして、暇で暇でしょうがない、という状態に陥ってしまったのである。
それでも一応、最初の頃しばらくは、どうにか退屈を紛らわせていた。
森の中には知らない場所が多いので、そこを調べたりすることで、ある程度は生活に変化が生じたから。
しかしそんなのは所詮、ささいなその場しのぎでしかない。
一帯の調査を終えた今となっては、もう暇潰しの手段さえ皆無なのだ。
無論こうして怠惰に過ごす間も、自分に命の危険が付きまとっている、という事実は理解している。
例の冒険者達と繰り広げた、あの勝ち目無き一方的な戦いは、今もはっきりと覚えているから。
それが再び発生する可能性を、何よりも恐れていることに変わりはない。
しかしやはり、丸一日以上も何も起こらないと、結局は気を緩めてしまう。
目の前に脅威が無ければ、緊張感など保ちようがないのである。
そうしてすっかり張り合いを失ったせいなのか、次いで僕の心には、急に弱気な感情が芽生えてきた。
(もう、帰りたいなあ……)
要はここへ来て、強いホームシックに陥ってしまったわけだ。
きっと色々ありすぎたせいで、今まで動きを鈍らせていた感情が、落ち着いたことで表へ出てきたのだろう。
わけもわからぬ状態で連れて来られ、突如異様な状況に巻き込まれているのだから、ある意味当然のことなのだが。
それゆえに今は、とにかく故郷が恋しくてしょうがない。
何も無い田舎ではあるが、とりあえず安全で常識的なその場所へ、すぐにでも帰りたいのだ。
例え元々、そこに戻ることを――
(自分では望んでなかったとしても……)
不意に思い出したその悲しい事実が、ただでさえ暗い僕の気分を、さらに落ち込ませていく。
なのでそれを振り払うため、僕は重い腰を上げ歩き出した。
目的地などは定めぬままに、かなりの早足で。
まるで心を蝕む毒から、どうにか逃れようとしているかのように……
すると僕が、そんな当ての無い散策を始めて、しばらく経ったところで――
(ん……?)
ふと視界の隅に、やたらと目立つ何かが飛び込んでくる。
それは大きな茂みの下に、隠れ潜むように落ちている、やたらとカラフルな物体だ。
凶悪な魔物の徘徊するこの森には、どう考えても似つかわしくない品である。
となるとやはり、このまま放っておく手は無い。
退屈なだけの今の状況に、多少なりとも変化をもたらしてくれるかもしれないから。
そこで早速、僕はその何かに歩み寄り、体を屈めて手を伸ばした。
そして茂みの下から引き出すと、そいつを拾い上げて見つめ、詳しくその正体を確かめる。
結果として、判明したのは――
(え? これって……)
その物体がなんと、色とりどりの布を縫い合わせて作られた、大きめの人形という事実だった。
いかにも小さな女の子がおままごとで使います、と言った雰囲気だ。
ますますもって、この暗い森とは不釣り合いである。
本当にいったいなぜ、こんな物がここにあるのだろう。
ゆえにますます、その人形への興味を掻き立てられた僕は――
(気になるな……)
続いてじっくりと、そいつを調べ上げることにした。
つついたり引っ張ったり、回転させたり裏返したりして、詳細に観察をしたのだ。
だが残念なことに、視界が暗くて、細かいところまでは見えない。
かすかな木漏れ日だけでは、圧倒的に明るさが不足しているのだ。
いったんどこか、光の差し込む所に移動した方がいいだろう。
そこで僕は、人形を小脇に抱えると、即座に移動を開始する。
細かいところまで観察可能な、十分に明るい場所を求めて。
するとしばらく、そうやって森の中を巡ったところで――
(ここでいいかな?)
目的に合致する、都合のいい空間を見つけることができた。
そこは森の一角にある、周りと違って木が生えていない、ちょっとした広場のようなスペースだ。
ここならば十分に明るいし、特に不都合は無いだろう。
ゆえに早速、僕はその広場の中心まで移動し、続けてむき出しの地面に座り込む。
それから改めて人形を手に取り、再びじっくりと眺めた。
そして直後、ちょっとした発見をする。
(おや? これは……文字かな?)
人形の背中の真ん中辺りに、色鮮やかな糸で、文字らしき刺繍が施されているのを見つけたのだ。
雰囲気からしてきっと、持ち主の名前であるに違いない。
ただ残念ながら、見知らぬ世界で初めて触れる文字なので、読み方はさっぱりわからない。
いったいここには、何と書かれているのだろうか……
(うーん……)
……という風に僕は、眼前の人形に縫い付けられた文字を、首をひねりつつ眺めていたのだが。
次いでふと、その最中に自分が、意外な行動を取っていることに気付いた。
(あっ……)
なんと僕、その人形に縫い付けられた文字を、無意識の内に指で地面へ書き写していたのだ。
さもそれを習得するため、練習に励んでいたかのように。
言葉の意味も発音もわからぬ以上、そんな作業には何の価値も無い、と理解しているにも関わらず。
そうした自身の唐突な行動を省みて、僕はこの上ない空しさに包まれる。
(結局、吹っ切れてないんだな……)
知らない言葉に触れると、ついつい勉強しようとしてしまう、という癖が残っていることに気付いたから。
夢はもう、きっぱりと諦めたはずなのに。
だからこそ、地元に戻って就職するつもりでいたのに。
未練がましい、としか言いようのない振る舞いである。
そんな自分に呆れつつ、僕は人形を地面に置くと、心残りを吹っ切るようにして立ち上がった。
いい加減目を覚ませ、もう終わったことだろ、と改めて己へ言い聞かせながら。
そして落ち込む気分を変えるため、とりあえず空を見上げる。
すると、ちょうどその瞬間――
(……ん?)
僕の無いはずの目が、そうして上げた視線の先に、ひどく不思議なものを捉えた。
視界を埋め尽くす、晴れ渡る青空のとある一点に、黒い塊のようなものが浮いているのを見つけたのだ。
当然それをきっかけに、心には疑問が湧いてくる。
(何だろう、あれ……)
軽く見ただけでは、さっぱりその正体が掴めなかったから。
鳥だと考えると大き過ぎるし、しかしただの見間違いにしては、あまりにも確かな存在感があった。
いったいあそこに、何が浮いていると言うのだろう。
そう疑問に思った僕は、それを解決するため、さらに目を凝らしたのだが――
(あれ……? 動いた?)
その直後、例の黒い塊が、前触れもなく動き出す。
身震いでもするかのごとく、ほんのかすかに揺れた後、まっすぐこちらへ向かってきたのだ。
そこからは明確に、この場所を目指している、という意志が感じ取れた。
実際その急激な変化についていけず、ただ呆然とする僕に対し、黒い塊は猛烈な速度で接近してくる。
そしてあっという間に高度を下げ、僕から少し離れた場所に降り立った。
ふわりと音もなく、思わず見とれてしまうほど軽やかに。
まるで神の御使いたる天使が、地に舞い降りる時のような優雅な所作だ。
そうして僕の前に現れた、例の黒い塊の正体。
それは姿勢良く背筋を伸ばして立つ、涼やかに輝く瞳と、優しげで柔らかい顔つきが印象的な――
(……人間?)
いかにも魔法使いという風采の、長身で髪も長い人間の男性だった。