第二節『二人の珍客』
眼前に立つ、冒険者ごっこの最中、とでも言わんばかりの装いをした一人の少年。
そんな彼の後ろで、見るからに怯えた様子の、一人の少女。
そしてその二人の前に佇む、一体のスケルトン。
これまた何とも、不釣り合いにして不自然な、たいへんに混沌とした光景である。
無論その渦中にいる僕としては、ただひたすらに戸惑うばかりだ。
すっかり思考停止に陥って、次に自分が何をすべきなのか、全く思いつかなくなるくらいに。
(え、と……何これ?)
それは状況の発生があまりに突然で、しかもおそろしく異様なものだったから。
まあ人が滅多に立ち入らぬと聞かされた場所で、急に幼い子どもと出会ったのだ、動揺するのは当然だろう。
しかしそんな中でも、ひとつだけ確かな事があった。
(あれ……なんか、いつも通りだな)
冒険者達と出くわした時のように、体が勝手に動き出したりしないのだ。
精神状態の方も、日頃と同じく穏やかなままである。
昨日は人間と接しただけで、抑えようもなく体と心が暴走を始めたのに。
どうやら例の魔王の加護は、無害な子ども相手だと発動しないらしい。
きっとあれはあくまで、自らの脅威となる存在を排除するためにあるのだろう。
取るに足らぬほど弱い者は、最初から対象外というわけだ。
僕はその事実を認識して、ホッと胸を撫で下ろす。
(良かった……)
もちろん自分の手で、罪の無い子どもを傷つけずに済んだからである。
いかに弱かろうと、僕だって一応魔物なわけだし、戦いになれば結果は見えているのだ。
そうならなくて本当に良かった、と心から安堵せずにはいられない。
ただそう呑気な感想を抱いたところで、次いで僕の頭の中には、ごく自然な疑問が湧いてきた。
(そう言えば……何で子どもがこんな所に?)
昨日のゴブ先輩の話によれば、この一帯は近隣の住民から、『魔の森』として恐れられている地域のはずだ。
年端もいかぬ子ども達が、そうそう近づくとは思えない。
いったい彼らは、どうしてこんな場所にいるのだろう。
すると次の瞬間、そんな僕の疑問に答えたかのように――
(ん? 何か言ってる?)
唐突に少年の方が、かなり強い口調で、何かを叫び出す。
当然その意味はわからないが、それでも彼の言葉の端々からは、敵意のようなものがひしひしと感じ取れた。
おそらくは僕のことを、『やっつけてやるぞ』とか言っているのだろう。
同時に手に持つ玩具の剣を、こちらへ突きつけていることから見ても、その予想は正しいように思える。
まだ幼いというのに、何とも勇ましいものである。
そんな少年の姿を見たことで、僕は自然と悟ることになった。
(そうか……この子、魔物を……)
彼の目的はきっと、僕を倒すことなのだろう、と。
いや僕というよりは、この森に住む魔物を、誰でもいいから退治しに来たのだろう、と。
挑みかかるような彼の振る舞いを見て、何となくそう感じたのだ。
無論詳しい動機は不明だが、それでもおぼろげになら予想はつく。
その年齢に似合わぬ、憎しみをあらわにした態度から察するに、おそらくは敵討ちというところだろう。
しかも両親とか、それに類するほどごく近しい人間の。
そう言った相手を、魔物に殺されるか何かしたがゆえに、彼はこういう行動を取っているに違いない。
だってそんな事情でもなければ、まだ幼い子どもが、魔物に戦いを挑んだりはしないはずだから。
さすがに確証までは無いが、やはり当たらずとも遠からずという気はした。
しかしそう理解したがゆえに、僕は成す術なく困り果てることになる。
(……これ、どうすればいいのかな?)
彼に対して、自分が今、いったいどう対処すべきなのか。
それが全く、わからなかったからだ。
当然戦うつもりはないのだが、しかし残念ながら、その意志を伝える手段は無い。
平和で穏便な解決は、ほぼ不可能なわけだ。
いやはや言葉が通じない、という状態は本当に不便である。
まあ通じたところで、向こうが納得してくれるとも思えなかったが……
……と、しばしそんな風に、僕は子ども達の処遇を考えていたのだが――
(……あっ!)
そこで突然、少年がいっそう大きな叫びを上げた後、棒立ち状態の僕に突進してきた。
喋ってるんだから無視するなよ、とでも言わんばかりに勢い良く。
どうやら反応を見せぬ僕に業を煮やし、返事を待たずに攻撃してきたらしい。
僕はそれに驚いて、思わず何歩か後退する。
(うわわっ!)
すると少年は、そんな僕へさらに深く踏み込んでから、玩具の剣を突き出してきた。
その一撃は、体をかばった僕の腕を的確に捉え、そこに少なからぬ衝撃を伝えてくる。
もちろん痛みは感じないが、しかし年のわりに中々の剣さばきである。
しかも彼はそれを、またも大きな声を上げながら、続けて幾度も幾度も繰り返した。
端から見れば、幼さを感じさせぬ勇猛果敢な振る舞い、と映るかもしれない。
しかし眼前の少年の表情は、今にも泣き出しそうなほど歪んでいる。
耳に届く声の方も、震えているのがはっきり聞き取れるような有り様だった。
きっと魔物に挑む、という行為が恐ろしくて仕方ないのだろう。
彼の年齢を考えれば、ごくごく自然なことである。
それでも少年は、休むことなく僕に攻撃を続ける。
必死の形相で、己を奮い立たせるように、絶えず何か喚き散らしながら。
見ているだけで、かなり心が痛む光景だ。
それがあまりに居たたまれなくて、僕はつい彼に手を出してしまった。
攻撃を防ぎつつ腕を伸ばして、軽くその体を押し退けたのだ。
危ないからもうやめなさい、と適度に教え諭すつもりで。
しかし加減を間違えたのか、あるいは意外と僕の力が強かったのか。
少年は僕に突き飛ばされて、大きく体のバランスを崩す。
そしてそのまま、後ずさりしながら尻餅をついた。
それを見て、後ろに控えていた少女が、ひどく怯えた悲鳴を上げる。
どうやら気を使ったつもりが、逆に怖がらせる結果となってしまったらしい。
何ともはや、申し訳ない気分である。
もっともそんな仕打ちにもめげず、少年はすぐさま立ち上がり、再び僕の方を睨み付けてきた。
どうやら諦める気は、全くと言っていいほど無いらしい。
つまりこのままではまた、同じ事の繰り返しになってしまうわけだ。
ゆえに僕は、独り内心で悩みを深める。
(参ったな……いったいどうすれば?)
危害を加えるわけにはいかないが、しかしこうして攻撃されているだけでは、何も問題が解決しない。
そういう手詰まりな状況に追い込まれ、容易に行動を起こせなくなったのである。
これはまた本当に、どう対処したものだろうか……
しかしそうやって僕が、有効な方策を見出だせず、ほとほと参っていたところ――
(……! 何だ?)
一切の前触れなく、辺りに奇怪な鳴き声が響き渡った。
それは鳥のようでも獣のようもである、ひどくおどろおどろしい咆哮だ。
何だかちょっと、この世のものとは思えないくらいの不気味さである。
またその鳴き声は当然、例の兄妹も聞いていたらしく、二人は揃って不安げな表情を浮かべる。
気丈に振る舞ってはいても、やはりまだまだ子どもなのだ。
すると次の瞬間、そんな彼らの様子をきっかけに、僕はようやく気がついた。
現在目の前の子ども達には、とても大きな危険が迫っている、という事実に。
(そうか……この森にはまだ、さっきの魔物みたいな奴がいるかもしれないんだ!)