『変貌した体』
更新履歴 2022/2/18 タイトルを少し変更
手を握って、開く。
もう一度握って、また開く。
そのごく日常的な動作を、しつこく何度も繰り返したところで、僕はようやく確信を持つ。
(間違いない。これは自分の手だ)
だって十本の指全てが、ほぼ完璧に、自らの意志に従って動いていたから。
やはりこれは、自分の手以外の何かであるはずはない。
まあそんなのは本来、確認などせずともわかる、至極当たり前のことなのだが。
ならばなぜ、僕がその不必要な行為を、わざわざ幾度も行っていたのか。
それはいつも通り操れるこの手に、いつもとは違って――
(……骨、だけなんだよなあ)
一切肉がついておらず、完全に骨だけという状態になっていたから。
理科室に置いてあるような、作り物の骨格標本さながらに。
その骨格だけの手が、自分の意思通りに動いている様は、正直見ていてかなり気持ち悪い。
しかもその変化は、残念ながら手だけに収まってはいなかった。
体もまた、あばらや骨盤が剥き出しの、純然たる人骨と化していたのだ。
今はそいつが、普段なら僕の肉体があるはずの場所に、代わりに居座っている。
しかも上半身には鎧を着込み、手には長い槍を携え、腰には小さな短剣をぶら下げた状態で。
まるで戦場に赴く前の、完全武装の兵士のように。
そのあり得ない現象を、しっかり自分の目と頭で認識した僕は、ようやく現状についての明確な結論を出した。
(スケルトンになってるな……僕)
自分の体が、骨ばかりの醜い魔物に変わり果てている、という現実を受け入れたわけだ。
これだけの証拠が揃っていると、もはや否定のしようもなかったから。
無論やむを得ず仕方なく、死ぬほど嫌々ながらではあるが。
もちろんその原因は、今のところさっぱりわからない。
だって僕は、ほんの先ほどまで、故郷へ向かう新幹線に乗っていたのだ。
大学を卒業した後、そこで就職することが決まっていたから、一度帰省しようとしていたのである。
それなのにその車内で、ついウトウトと居眠りをして、次に目覚めた時には――
(なんで突然、こんな事に……)
もうすでに、肉体がこの有り様だったのである。
何がどうなって、こうも変貌してしまったのか、さっぱりわからぬままに。
本当にいったいなぜ、僕はこうもファンタジーな存在になっているのだろうか……
ただ僕が、そうして深い混乱の極致に陥った瞬間、不意に辺りへ大きな怒声が響き渡った。
戸惑い呆ける僕を叱りつけ、現実へ引き戻そうとするかのように。
「聞けっ! 皆の者!」
その鋭さに驚かされ、僕は慌てて、うつむいていた顔を上げる。
すると自然に、周囲の様子が目に入ってきた。
そこに広がっていたのは、岩肌が剥き出しになった、巨大な自然洞窟の内部だ。
その中にはいくつかの篝火が焚かれ、周辺に光を供給している。
まあ光量としては不十分だったので、空気の湿っぽさと相まって、とにかく陰気という印象しかなかったが。
そしてその薄暗い空間に居並ぶのは、ゴブリンやオークと言った、ファンタジーでお馴染みの魔物達だ。
また中には僕と同じ、スケルトンの姿もいくつか見えた。
総数にすればだいたい、百を超えるくらいの規模だろうか。
そんな連中が、今は狭い洞窟の中に集合し、無言で整然と並んでいる。
しかも一人残らず、様々な武器や鎧を身に付けた状態で。
中々に壮観と言うか、非常に恐ろしい光景である。
もちろん今は僕も、その一員なわけだが。
さらにその集団に向けて、魔法使い風の一人の男――先ほどの声の主だ――が演説をしていた。
洞窟の奥にある、祭壇のような場所の上から。
体を包み込む、いかにも魔王の手下と言った風情の、不気味なローブを振り乱して。
「いいかっ! 貴様らは全員、偉大なる魔王様の下僕であるっ!
この地上から、愚かな人間どもを駆逐するための、勇敢な尖兵であるっ!
その使命をまず、決して忘れないよう、深く胸に刻んでおけっ!」
僕はその高圧的な発言に対し、内心でひたすらに抗議する。
(忘れるも何も、元々知らないのですが。
あと言ってる事の意味が、全くわからないのですが。
ついでに雰囲気ヤバそうなので、今すぐ帰りたいのですが)
しかしその不満を必死に抑えて――口に出したら何をされるかわからない――詳しい状況を把握するため、改めてそいつの言葉に耳を傾けた。
「そしてこれから、貴様らは戦いへと赴くことになる!
魔王様に逆らう、不遜なる人間どもを、我らが領土から追い払う戦いに!
実に名誉な役目だ、光栄に思うがいい!」
どうやらそれが、僕に与えられた使命らしい。
魔王様とやらのため、敵対する人間達と戦わされるわけだ。
……まあ正直に言えば、自分が武装しているという時点で、薄々気づいていたことではあるのだが。
しかし当然、現実感はさっぱり無い。
戦いだのなんだのと言われても、どうしてもフィクションとしか思えないのである。
これまでずっと、平和な世界で生きてきたからだろう。
ゆえに僕は、話の内容を受け入れられぬまま、呆然とした状態で男の話を聞く。
「無論奴らとて、抵抗はするだろう。
だがしかし、恐れることはない!
貴様らには、偉大なる魔王ガルニキア様の、尽きぬことなき加護があるのだから!
何があろうと、か弱き人間ごときに遅れを取ったりはせぬのだ!」
だからそんな情報も、右から左へと、あっさり脳を通過していくだけ。
意味のわからない念仏を、ずっと聞き流しているようなものだ。
無論真面目に聞いたところで、特に何の感慨も抱けなかったことだろうが。
……なんて風に、僕がぼんやりとしている内に、話は済んだらしい。
次いで男が、最後の締めくくりとばかりに、力強く号令をかけた。
「さあ行け! 愚かな人間どもに、圧倒的な力の差を見せつけろ!
そして拭えぬ恐怖と畏怖を、永遠にその心へ植え付けてやるのだ!」
煽るようなその言葉に反応して、周りの魔物達が大声を上げる。
それは地面が震えるほどに勇ましく、身も凍るほどに恐ろしい雄叫びだ。
飢えた獣の集団、と例えるに相応しい、極めて獰猛な振る舞いである。
その圧力に晒されたショックで、やっと我に返れた僕は、慌てて自身の現状についての考えをまとめた。
(ええと……つまり、あれだ。
僕はこの魔物達に――)
まず僕は、故郷へと帰る道中、突然見知らぬ場所に飛ばされた。
そしてそこで、体が骨だけの、醜い魔物に変身した。
さらにその挙げ句、いったい何の因果によるものか――
(……スカウトされたってこと?)
魔王軍に就職してしまったのだ。