禁断の惑星(1)
禁断の惑星 ⑴
―ニューヨーク市立大学ブロンクス校 文化人類学 ケンドリック教授 講義録より抜粋
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セントラルパーク内のメトロポリタン美術館を少し下ったあたりに、小ぶりなものの良く趣向の凝らされた動物園がありますね。私は学生時代から暇を見つけるとよくそこに足を運んだものです。本当は、ブロンクス、このキャンパスの近所にも動物園はありますし、そちらのほうがずっと大規模なのですが、私の学生時代、つまり一九八〇年ころは、誰もブロンクスに遊びに行こうとは思いませんでした。ご存じの通り、ロバート・モーゼスの都市再生計画が完全に破綻し、文字通りブロンクスの街は焼け野原になっていましたから。
というわけで、動物が好きだった私はよく授業を抜け出してセントラル-パークの動物園に行きました。当時は四ドルで入場できたので、映画館に行くよりずっと安く済んだのです。今のブロンクス動物園に比べるとずっと小さく、そこにいる動物の種類も限られてはいましたが、私はその雰囲気が気に入っていました。初めてのデートはいつもそこに行き、日が暮れるまで動物たちを見ていました。なぜ私が動物園の話をしているかというと、何もデートの思い出話をしたいわけではありません。そこにいるチンパンジーたちについて話したいのです。
公園の中央、アザラシのいる池の奥にチンパンジーの群れが展示されています。地面が大きくえぐられた、その中央に巨大なジャングルジムのように木材と岩が組み合わされていて、その中に十頭ほどのチンパンジーが暮らしています。
夏の盛りを過ぎたまだ蒸し暑い日に私はいつものように女の子と動物園に行き、チンパンジーたちを眺めていました。堀によって隔てられていたものの、チンパンジーの表情までよく確認できました。チンパンジーの群れを見たことがある方であればわかるかと思いますが、彼らは群れの中で、緩やかなヒエラルキーにもとづいた共同体を形成しています。ボス猿、その交配相手であるメス猿。そこを中心として、その取り巻きの集団、さらには共同体からはじき出されたあぶれ者まで、十分も観察すればその共同体の仕組みが分かってきます。例えば、飼育員が堀の上から餌である果物を投げると、まずそれにありつくのは必ずボス猿です。続いてその交配相手である二匹のメス猿がそれをひとかけら食べ、お腹にしがみついてる子ザルたちにも食糧が分け与えられます。それからようやく、取り巻きのサルたちが恐る恐る果物を拾い集め、あぶれ者たちには残飯しか残りません。
ここで私はヒエラルキーについて、あるいはヒエラルキーに基づいた社会について、人間社会のメタファーとして安直な批判をする気はありません。ただ、私は興味深くチンパンジーたちを観察していたのです。そして一つのことに気づきました。彼らの鳴き声についてです。
動物の最も原始的ながら確実なコミュニケーション方法は模倣です。人間の赤ちゃんもまず大人を模倣しますね。私たちは模倣しながら成長します。また、大人が赤ん坊の真似をすると、赤ん坊は喜びます。なぜかというと、コミュニケーションが成立していることで安心感を覚えるからです。人間以外の動物は高度な言語を持ちませんから、同じ共同体に属している証明として、より一層、動作や鳴き声の模倣は重要なのです。
私が観察していたその猿山でも模倣によるコミュニケーションが頻繁に行われていました。例えばボス猿が、
キャキャキャ
と短く鳴くと、これは「周囲に警戒しろ」というメッセージですが、
キャキャキャ
と取り巻きのサルが呼応します。この時、すでにキャキャキャからは「周囲に警戒しろ」というメッセージは失われており、ボス猿に対する呼応のためだけに取り巻き猿たちは模倣を行います。これは応答という現象で、類人猿だけではなく、鳥類や昆虫類まであらゆる生物にあまねく観察されるもので、一言でいえば「了解」の意味を持っています。
ただ、私が着目したのは「あぶれ者」のほうでした。
彼らの一匹が、
ホーキャキャ
と、ボス猿に呼応したのです。私はこれはコミュニケーションの逸脱だと思いました。まず考えたのは、ボス猿への反抗です。サル社会においては、ボス猿が年老いたり喧嘩によって怪我を負ったりしてパワーを失うと、周囲による猿が反乱を起こし、ボスの座を奪おうと反乱を起こします。しかしこのボス猿はまだ若く、体も他のサルを圧倒するほど大きく、周囲のサルがとても反乱を起こすとは考えられませんでした。また、鳴き声の一部を変えレスポンスを行うことでは反乱として弱すぎます。これではかえってボス猿の怒りを買ってしまい、「はぐれ者」の地位をより危うくする、場合によっては怒り狂ったボス猿に殺される危険もあります。
その時、他の「あぶれ者」たち数匹が順々に鳴き始めました。
クキャキャ
フギャキャ
キーピャキャ
私は急いでペンを取り出して鳴き声をアルファベットで再現し、ノートに書きつけました。そのノートの切れ端は今も大事に持っています。私は「あぶれ者」たちの中で、模倣を超えたコミュニケーションが存在することを直感しました。皆さんもお気づきのとおり、ボス猿とその側近が行っている完全な模倣とは異なり、「あぶれ者」たちは、末尾の音節「kya」さらにその前の音節の母音「a」を残しながら、その他を変えることでコミュニケーションを行っているように見えました。ただ私にはそれが何を意味するのか、その時点ではわかりませんでした。これは類人猿にとって新しい形態のコミュニケーションに違いない。私は興奮した目でガールフレンドのほうを見ました。
「あの大きな猿、高校のグラマーの先生にそっくりだわ」彼女は溶けかけたアイスクリームを片手に笑っていました。
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