2 死にたくない
いつもの習慣をこなした俺は少し早めに冒険者集会所〈ティガーホール〉にきていた。
ここは酒場も兼ねており、人間、獣人、エルフ、ドワーフが入り乱れている。
「聞いてよ、テルーズちゃん。もう40歳になっちまったよ」
一人カウンターに座った俺の先にいるのは、この集会所の看板受付嬢のテルーズだ。
緑色のさらさらとした髪から酒場には似つかわしくない石鹸の香りがする。
「落ち込まないで下さい。インビスさんはまだまだお若いですよ。はい。お誕生日おめでとうございます」
そう言ってテルーズはコップに発泡酒を注いだ。
踊る金色の液体と沸き立つ真っ白の泡。
これこれ。俺は喉越しを感じながら一気に飲み干した。
プハー、最高。
昔は苦くて飲めたもんじゃないと思っていたが、今ではこれが一日の楽しみだ。
それにしてもテルーズちゃんはなんていい子なんだ。
控え目な態度とは裏腹に、主張してやまない巨乳は見るだけでも伝わる柔らかさだ。
ゴシック調のギルド服越しから垣間見える二つの隆起に目を奪われていると、後ろから声がした。
「またお酒ばっか飲んで」
この聞き覚えのある声はルナールだ。
「誕生日なんだし、酒ぐらい飲ませろ。しかもお前が呼んだんだろ」
呆れ顔をするルナールは「私にも発泡酒を頂戴」と、俺の隣に座った。
「お前も飲むのかよ」
「当たり前じゃない。ところで、私のあげたアレは試したの?」
「いやまだだ。せっかくなら夜のお楽しみにしようかなってな」
「キモー」
「はぁ? お前のプレゼントだろ」
俺とルナールがいつものように口喧嘩していると興味津々といった様子のテルーズが会話に入ってきた。
「アレって何ですか?」
「いや、まぁ、その」
「テルーズにはまだ早いわよ」
「お前、テルーズちゃんより年下なんだから、口の聞き方には気をつけろよ」
「いいのいいの。獣人は短命なんだから」
「ごめんねテレーズちゃん。こいつデリカシーないから」
「いえいえ、私はそんなルナールさんの事、大好きですよ」
こんな調子で俺たちはたわいも無い会話を楽しんだ。
汚いカウンターで安酒を飲み、下品な話をしながら大いに笑う。
こんな誕生日も悪くないだろう。
あの頃のように特大のケーキもなければ、高価なプレゼントもない。
だが落ちこぼれの俺を、俺のまま認めてくれる人がいる。
それだけであの頃より幸せだ。
ルナールと出会ってから、もう3年ほどになるが、なぜだかこいつは俺に懐いてくれている。
人間寄りの整った顔立ちに、ツヤのある茶色の髪から飛び出た白い狐の耳。
嬉しい時はここがヒョコッと動くんだよな。
「かわいい奴だな」
っと、危ない。酔った勢いで思わず本音を口に出してしまうところだった。
「なんか言った?」
「いや、何も…」
「ふーん。私ちょっとトイレ」
そう言ってルナールは顔を赤くして足早に去っていった。
もう酒でも回ったのだろうか。
気分の良いまま次の一杯に手を出そうとすると突然、ガシャーンと机の倒れる音がした。
そして直ぐに騒がしい酒場に緊張感をもたらす怒鳴り声が響いた。
「おいおい、ねぇちゃん。ちったぁ腕が立つからって調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
怒鳴り声の主は、ここらで有名な荒くれ者のゴリアスだ。
「何と言われようとも、アンタのパーティには入らないわ」
ゴリアスと対峙するのはこの集会所では見たことのない冒険者のようだが、何より際立つのはその体格差だ。
その冒険者は集会所にいるだけで違和感しかない小さな少女なのだ。
状況から考えるに、この少女がゴリアスのパーティ勧誘を断ったらしい。
「覚悟はできてるんだろうな」
ゴリアスが手下3人を連れ、一人の少女に詰め寄る。
身長差は有に2倍を超えている。
ヤバいな。ゴリアスがああなっては手をつけられない。
あいつは巨漢に似合う強力なスキル【筋力倍増】を持っている。
心配していると、既にゴリアスの筋肉は膨れ上がり、指をポキポキと鳴らして戦闘態勢に立っている。
少女もまた身長に似合わない大剣を抜いて一触即発だ。
このままでは少女の大怪我は必至。もしかすると殺されてしまうかもしれない。
だが周りは誰も止めようとしない。
それもそうだ。
ゴリアスの禍々しい姿に俺も怖くて足が震える。
「やめろ。ゴリアス」
やってしまった。
自分でもなぜ声を出したのか分からない。
もしかすると死んでもいいと思ったのかも。
「なんだぁオッサン。やんのかコラ」
ゴリアスは俺の方を向き、ワナワナと怒りに震えている。
無事に標的は少女から俺に移ったようだが、俺は無事ではすまないだろう。
「てめぇからやってやるよ」
筋肉ダルマと化したゴリアスは俺に向かって、暴れ牛のごとく駆け出した。
「テルーズちゃん伏せて」
ゴリアスは机や椅子などを蹴散らしながら一直線に進み、一瞬の間に俺のいたカウンター席は粉々に砕かれた。
舞い上がった煙の中でゴリアスは言う。
「どこへ行きやがった?」
どうやら手応えがなかったことぐらいは分かるらしい。
咄嗟に〈透明人間〉になった俺は、タックルを避け、後ろからゴリアスを見ていた。
危なかった。
当たっていたら即死だったな。
だがどうしたものか。
相手の攻撃は当たらないにしても、こちらの攻撃もこの肉ダルマには通用しないだろう。
このまま逃げるのも手だが、それではまた少女が狙われることになりかねない。
「ゴリアスさん後ろ!」
ゴリアスの手下が叫ぶと、ゴリアスは振り向き様に躊躇なく裏拳を飛ばした。
ヤバイ。
間一髪でしゃがんだものの、風圧だけで吹き飛ばせれてしまいそうな威力だ。
恐らく煙のせいで透明なはずの俺の輪郭が浮き彫りになったのだ。
まだ透明人間になる力を得て間もないから仕方ないが、これからは注意しないと。
俺は再びゴリアスから距離を取る。
「どこだぁ」
ゴリアスは周りを見渡し、大声で叫んでいる。
どこだと言われて、ここだと言うやつがいるか。
俺は居場所がバレないように静かに移動しながら手下たちに近付いた。
そして背後から刀身のみねで手下の頭を打つ。
ゴンッ。目に見えない攻撃によって鈍い音だけが響く。
よし、まずは一人だ。
「なんだ?! 何が起こった?」
手下がやられたことに気がついたゴリアスは更に大声を出して威嚇する。
怖いが、見えなければ恐るるに足らず。
俺は誰にもバレないまま背後から近づき、残り二人の手下の始末に成功した。
と思っていた。
「ゴリアスさん、ここにいます」
気絶したと思っていた手下の一人が俺の足にしがみつきながら叫んだ。
透明化は目には見えないが実体はある。
だから掴まれたりすると、かなりヤバい。
「よくやった。離すなよ」
ゴリアスはそう言うと更に筋肉を膨れ上げて、俺に向かって突撃してきた。
手下も巻き添いを食らうだろうが、ゴリアスは勢いを緩めない。
集会所の椅子や机を蹴散らしながら巨体が猛スピードでやってくる。
あ、これ死ぬやつだ。
俺の直感がそう告げている。
誕生日には災難が起こる。
30年かけて、せっかく【透過】を極めたというのに、こんなにあっけなく死ぬのか。
自分から喧嘩に巻き込まれにいって死ぬなんて。
まぁこれも落ちこぼれの俺らしい死に方かもしれないな。
走馬灯が流れる間もなく、筋肉の塊がもう目の前に迫ってきた。
やっぱり死ぬのは怖い。
死にたくない。
俺にはやりたいことがまだまだあるんだ。
「【溜・撃・斬】」
ドゴォォーーーン。
轟音が鳴り、恐る恐る目を開くと、そこには酒場の壁を突き抜けて吹き飛んだゴリアスと、大剣を背中に納める少女の姿があった。