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蝶と心の魅る夢  作者: 藤波
蝶と心の魅る夢
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第四話 辿るように継がれる月明かり

 食器の音と雑踏、そして様々な食べ物の匂いが入り混じる。

 穏やかな混沌に満ちた、明るい食堂を従業員である弄月(ろうげつ)は大変好ましく思っている。人は多ければ多いほどいい。勿論ひとりで居たいときもあるが、ひとりになりたいというのは繋がりがある故の贅沢な悩みだし、誰かといたいと思うまでに孤立するよりは、ひとといるほうが弄月は好きだった。料理を作るのは好きだし、食べるのも好きだ。自分が手掛けた至高の一品を「うまい」と言ってもらうのが好きだし、笑顔を見たら疲れも吹っ飛ぶ。身体を動かしながら(なにせ人の姿に化けられる獣人妖(じゅうじんよう)の中でも、狼種に生まれたせいで、体力がありあまっているのである)、誰かと居られて、自分がしたことでちょっとした幸せを届けられる――「料理人」は弄月にとって天職のように思えた。

「向いてるかも、じゃなくて向いてるんだよー。ローちゃんには」

 口にするたびに、同僚である蔡朴(サイプー)がきっちりと訂正してくれる。さすがにそこまで思い上がるつもりはないのだが、人間でありながら――というのは、彼女を馬鹿にしているつもりではなく、妖の多い兵部省に隣接されたこの食堂は、昼時、大量の兵がなだれ込んできて、ぞっとするような量の料理を平らげて出ていくものだから、大忙しなのだ――人狼である弄月に負けず劣らず動き、ホールをひとりで回す姿には天晴れと言わざるを得ない。こんなに広い食堂で働いているのが究極の品書き(レシピ)を求めて失踪中の店長(実質幽霊従業員だ)と弄月、蔡朴だけというのがそもそもおかしいのだが、蔡朴以外の従業員はすぐに辞めてしまうから困ったものである。そんなに激務か。いや、激務だな。弄月は出来上がった干焼蝦仁(エビチリ)を六角の皿に盛りつけると、此方に向かってひらひらと手を振っている(ワニ)頭の兵士へ投げる。ぐるりと回った皿が皿ごと兵士の口の中に入り、しばらく動いた後、真っ赤な舌と共に綺麗になった皿のみが出てきた。

「ちょっとローちゃん。甘やかさないでっていってるでしょ。恋恋(レンレン)、最近肥満気味だから吹喜(チュイシー)先生にゆっくり食べさせてって頼まれてるの」

「蔡朴ちゃんキッビシー! オレ、これでも痩せたんだよ?」

「それくらいは誤差の範疇だよー」

「ヒドイ! ちょっとなんとか言ってやってよ朝暉ちゃん!」

 おあ? と大きく口を開けて、れんげで炒飯(チャーハン)をすくって食べている朝暉が恋恋を見る。うるうると潤む濃く明るい紫の目が真っ直ぐこなたを見つめていた。キラキラ光る銀の歯がやかましいくらいにガチガチと噛み合っては離れる。

 うーんと身体を動かしていろんな方向から恋恋を見つめた後、にかっと朝暉が微笑んだ。

「太った分動けばイケるって。恋恋強いし、水中はお手の物だろ。水んなかで動くのが一番痩せるらしいぜ」

「……本当?」

「マジ。たくさん動けばまたうまい飯食えるし、それに太ってると健康に悪いじゃん。おれ、恋恋には長生きしてもらいたい」

「ドキーン……」

 ――恋恋、イキマス!

 ギャア、と悲鳴に近い鳴き声を上げて恋恋が勢いよく食堂を出ていく。はあ、と深くため息をついた蔡朴がちらりと此方を睨んできたので、弄月は謝罪の気持ちを込めてそっと手を合わせた。

「あ、蔡朴。おれも干焼蝦仁(エビチリ)追加で。揚げ餃子も食べたい」

「はいはい。相変わらずよく食べるね、朝の君」

「育ちざかりなんで」

 と、にこやかな笑顔を向け、厨房にいる弄月にも手を振ってみせる。きゅうりのたたきを硝子の器に盛りつけながら手を振り返すとすぐ、食堂に入って来た兵士数人に声を掛けられた。満ちの雲の天在省(てんざいしょう)の――兵部の皆が集まるこの食堂で、全くの部外者であるのに、此処まで暢気に飯を食べている人間などこのひと以外にいないのではないかと弄月は思う。しかもなんか、異様に馴染んでるし。さっきから誰かしらに話し掛けられては、にこやかにたわいのない話をして、また飯の続きを食べては話しかけられ、合間に弄月に手を振る、の繰り返しである。

 よく分からないひとだ、と感じる一方で、弄月は別にそれでもいいな、とも思う。相手のすべてを知り尽くすなんて無理な話だし、そんなのは求めていない。一番優しい部分だけで付き合っていられたら――弄月は、そう思いながら生きている。傷つけられるのが怖いのではない。自分の中の暴力性が悍ましい。人狼は元来鬼と同じく感情が強い種族だ。一族のなかで話し合いが平行線になれば、殺しまではしないものの、ほど近いところまで争い合って、勝利したほうの意見が通る場合が多かった。身体が丈夫な妖故のやり方だとは理解しているものの、弄月は一族のそういうところが嫌いだった。

 結論が定まらないのなら、決まるまで話し合えばいい。

 誰かほかの種族を交えて、対話すればいい。適切かどうかではなく、ただ「強さ」で判断するのならば、種族の存続に最も貢献する可能性のある者――血の強さ、能力だけでしか個を見ないと、切り捨てているだけにすぎないのではないだろうか。

 人狼族は少ない。そうやって血なまぐさい争いばかりを身内で繰り広げていたせいで、どんどんと派閥が分かれた。弄月のように一族についていけない者は皆、生まれた故郷を離れて家庭を築いている。群れを離れれば、仲間ではない、と元居た家門から外されることがほとんどだ。

 弄月が家から離れ王都に来てもう十年になる。未だに家族との交流が途絶えていないのは奇跡だった。狼族の定石がすべてではないけれど、それでも、父と母には感謝していた。


「弄月」

 手を止めて、顔を上げる。いつの間にか食堂にいる人はほとんどまばらで、蔡朴が昼休憩の看板を出しに行っているところだった。

「どうした? まだ食べ足りないのか」

 残りは夜の定食に使おうと思っていたのだが、まだあと二、三品くらいは可能かもしれない。何なら出来るか考えていたところで、朝暉が「ううん、そうじゃないんだけど」と言葉を濁して笑う。こなたにしては珍しい、なんだかばつの悪そうな笑顔だった。

「弄月は、家族のことどう思ってる?」

 突然の問いに言葉が詰まる。まるで先ほどまで考えていた内容が筒抜けになっているようだと弄月は思った。惑わしの妖――麟庸様ならまだしも、相手は只人。そんなはずはない。どうしてそんな話をと思ったけれど、生憎弄月は理知的だが、頭の回転は速くないのだ。考えるのは好きだが、得意かと言われると逆である。仕方なく「なんでそんな話を?」とそのままの疑問を口にした。

「うーん……」

 さっきよりもさらに言いづらそうにするものだから、なんだか不憫に思えて来てしまった。家族。九人の弟と、明るい母親と実直な父親。騒がしい家庭だったけれど、賑やかであたたかかった。思い出がたくさんあるし、今もそれは現在進行形で築かれ続けている。頻繁に会えるわけではないけれど、なんとなく繋がっている自覚があるくらいには。

 だから、そう。ただ感情だけで述べていいのならば。

「好きだよ」

 朝暉が目を見開いて、日向のような笑顔を向けてくれる。つられて笑っていると、看板を出して戻って来た蔡朴が弄月と朝暉を交互に見て「仲間外れ?」と口を尖らせた。

「違うよ。急に朝暉が家族は好きかって聞いて来たから」

「えー、なにそれー」

「ああ、うん。まあ突然だったな。謝る。でも他に聞きようがなくて」

「蔡朴、おつかれ。中にまかない置いといたから。お腹すいただろ?」

「やった。今日は何?」

「天津飯」

 拳を空に伸ばしながら、前掛けを脱いで厨房へ駆けていく蔡朴を見送る。卓上に残った朝暉の皿を手に取ると「あのさ」と密やかな声が落ちた。

「弄月は……」

 と言い淀んで、首を振る。机に料理の値段よりも多い紙幣と硬貨が置かれた。

「多いって」

「それで蔡朴と逢引(デート)でもしてきなよ」

 んじゃね、と手を振って、あっという間に行ってしまう。結局なんだったんだと立ち尽くしながら、いや逢引って……蔡朴はそういうのじゃないんだが、とかぐるぐる考えていると、うっかり水の入っていた杯子(コップ)を倒してしまった。あわてて布巾で拭き取ろうとするけれど、突如ぐにゃぐにゃとゼリー状になった水が増幅し、跳ねるように地面に落ちると人型になる。

「びっ……くりした」

「こんにちは、弄月さま」

 まったく喋らずに即座に背を向けた少女と同じ顔をした少年は、にこやかに挨拶をすると恭しく礼をしてみせる。先ほど彼らが仕える主は食堂を出て行ったはずだが……そもそもふたりははじめからこの食堂の何処かにいたのだろうか。水妖である彼らはある程度の距離であれば、水を媒体として何処へでも顕現できる。朝暉の傍にいつもいる印象が強いから、今日は来ていないのかと気にはなっていたが、ただ単に潜んでいただけらしい。

 ――何故?

「朝暉さまはお優しいので、ああいう聞き方だけになってしまいました。混乱させてしまい申し訳ございません」

「小。……次朝暉様を貶めるようなことを言えば、たとえお前だろうが殺す」

「そうじゃない。僕は朝暉さまが心を痛めるような未来を受け入れられないという話だよ、濡」

「決めるのは朝暉様。濡たちはそれを手助けする(しもべ)にすぎない」

「じゃあ何故濡まで顕現した? 同じ考えだったからだろう」

 しばらくの沈黙の後。濡が無言で姿を消すのと、小がため息をつくのは同時だった。

「お見苦しいところをお見せしてしまいましたね」

「えっと……濡は何処いったんだ」

「朝暉さまのお傍かと。――僕も濡と離れれば長くは居られないので、手短にお話します」

「ああ……それは、構わねえけど」

 そもそもなんの話かも見当がついていないから、いいも悪いも無いのだ。

 こういうの、麟庸様とか、幽冥様なら得意なんだろうなと考えてから、幽冥様――妖族の統領であるあの人なら、ただ面倒くさそうに「どうでもいい、寝る」と背を向けそうだなと思い直す。あまりに賢すぎると、ただその場にある情報だけですべてを理解してしまうのだと、いつか麟庸様からお聞きしたけれど、弄月には想像も出来ない神業だった。

「朝暉さまは、弄月様の出自をご存知です」

 小の瞳が一瞬黒く見えた。

「近々、弄月様の"実のお父様"と――」

「ちょっと待った、小」

 思わず言葉を遮ると、瞬時に桃色の唇が閉じ、もう一度だけ軽く開いた後、また閉じた。

「……すみません。矢張り気を悪くされましたか」

「そうじゃない。でも……オレの父親は、ひとりだけだからさ。小が言った"そいつ"は家族じゃない。ただの……」

 ただの。

 そう言ってから、なんだろうと考える。弄月が昔所属していた一族を統べていた男。十を迎えたとき、母と共に去った白影山を統治していた最強の狼。好きだったかと聞かれると、全然好きではなかった。けれども、嫌いと言えるほど知らない。思い出もない。自分の顔は幸いにも母親に似ている。茶色の癖っけも、三白眼も全部母譲りだ。

 唯一似ているのは、灰色の瞳だけ。それも、狼族では珍しい色彩ではない。あの一族のものに多い色であったことは確かだが、それを言うのなら父の瞳も、元は同じ族であった故に、灰色がかかっている銅緑色(トンリュウスー)だ。

 ただの、の先の言葉が見つからないまま、黙っていると、小が笑った。

「そうですか。分かりました。……不躾な質問をしてしまい、申し訳ございませんでした」

 では、失礼します、と挨拶をしてすぐ水になる。律儀にもコップの中に戻った水が穏やかに揺れて、すぐに静けさを取り戻す。あの小も笑うんだな。朝暉以外のことで。そう思いながら皿を片付けると、内でまかないを食べていた蔡朴と目が合った。

「どうした?」

「ううん、べつにー……」

 そう言って、視線を泳がせる。組んでいる足の、上にのっているほうがぶらぶらと揺れていた。これは、蔡朴が何となく気まずいときの仕草(サイン)だ。相手を気にして言葉を探している時、傷つけたくない時、どうすればいいか考えている時の仕草。

 思いつめなくても、蔡朴が何を言っても弄月は傷つかないのだが(そもそも、そうやって気遣ってくれようとしているだけで、あたたかい気持ちになれる)、蔡朴は時々気にしすぎるきらいがある。すくったまま口の手前で泳いでいる蓮華を見て、顔を近づける。驚いて此方を見る真っ赤な瞳は相変わらず苺のように綺麗な色をしている。蓮華ごと口に入れると、たまごの豊潤な香りが広がった。舌でくぼみにうまった米もとろみごと掬い取ると、もぐもぐと咀嚼する。

「ちょっと冷えてたか。ごめんな」

「…………いや……いい、けど……」

 いいのか……? と呟きながら、蔡朴が唸る。よくないなら温め直すし、なんならそれはオレが食べようかと提案したけれど、すぐに首を横に振られた。そのまま彼女の頭を数度撫で、更衣室へ入っていく。

 実を言うと、蔡朴の右足はさっきよりも大きくぶらぶらと揺れていたのだが、前掛けを脱ぎ、汗に汚れた衣服をさっさと交換し始めた弄月は知る由もなかった。

 弄月は優しく、穏やかで面倒見が良いが、人狼にしては珍しく、恋愛事にはとんと疎い青年なのである。


◇ ◆ ◇ ◆ 


 ――寒い。

 その場所に足を踏み入れた時、梦蝶が最初に感じたのは、異様なほどの肌寒さだ。


 山道を深く進んだところにある鍾乳洞の先に、その祠はあった。

 祠を取り囲むようにしている大きな湖は、ぞっとするくらい美しい瑠璃色だ。鍾乳洞の水は、深ければ深いほど色が濃く鮮やかになる。水が濁りのない透明である証明。漂う光虫――水が綺麗なところに多く現れる虫の妖で知性はない――の照らす鍾乳洞は幻想的だが、それに不釣り合いなほどに祠は古ぼけていた。ここは白銀――人狼族の中でも力のある、(イン)族の集落だったはずだ。家を持たずに森に住むか、都へのぼる者に分かれる人狼族のなかで、銀族は鍾乳洞のなかの祠の周りに群れをつくり、狩りの時だけ外に出る。人と、妖とも隔たれた暮らしをする民だったはず。

 ――数十年前までは。

 ある時を境に、銀族は仲間割れによってふたつに分かたれた。それからというもの、誇り高き人狼と名高い銀族は変わった。村を襲い、人を殺め、妖を蹂躙する賊になり下がった。その果てが――白銀。かつて先王の仲間として、彼が即位するその時まで支え続けたと言われる一族最強の狼、銀爾(ギンジ)が牛耳る組織だとはとても思えぬ変容ぶりだった。

 分裂したとはいえ、銀族の権威は衰えていなかったはず。いったい何があったというのだろう。寒さから身震いする梦蝶の肩に、麟庸が静かに羽織っていた衣をかけてくれる。断ろうとしたけれど、にこやかな笑顔を向けられては親切をむげにするのは難しい。微笑めば、柔らかい掌が肩におりる。深く息を吸い、前にすすむ。読めない表情でただ社を眺めている朝暉が、後ろを歩く。

 小濡はひるむことなく左右に分かれて湖の上を跳ねるように進んでいく。波紋を確かめるように光虫がまたたくせいで、足跡のように明るい黄緑の輝きが浮かび上がる。綺麗だが不気味だった。どうしてこうも重苦しい雰囲気が漂っているのだろう。

 祠の木製の扉に手を掛けても尚、なんの音も梦蝶の耳には入ってこなかった。

「祠以外なにもないじゃないですか、此処、本当に銀族のねぐらなんですよね?」

 辺りを物色し、何も見つからないのに苛ついた小が、不機嫌そうに祠を蹴飛ばす。鈍い音が鳴り、反動で勢いよく扉が開いた。ぎょっとした梦蝶が身じろぐ間もなく、中から幾匹もの蝙蝠が一斉に外に出てくる。朝暉のほうへ飛んだ黒い影を、濡の身体から生まれた水が包み込んで地に落とす。透明の膜の中でじたばたと暴れる薄い羽を、小の足が容易く紙ごみのように踏みつぶしてしまった。

 梦蝶に纏わりついた蝙蝠も、麟庸の指から生まれた蝶を吸い込んですぐに地面に転がる。小のやり方とは異なり、落ちた蝙蝠はピクリとも動かず、眠ったようにじっとするだけだった。黒いぎょろぎょろとした瞳が、ただ虚空を見つめている。

「吃驚した。……ありがとう、麟庸」

「どういたしまして。怪我は?」

「ないわ。吸血蝙蝠じゃなかったみたい。ただ纏わりつかれただけ」

 水に溺れて暴れていた蝙蝠の最後の一匹を小が踏みつぶすと、再び辺りに静寂がかえってくる。扉の開いた祠の中には、手のひら大程の暗闇が広がっていた。どう考えても祠の大きさよりも深いように見える横穴を見て、どうしたものかと考えていると、梦蝶の隣へ歩いてきた濡が、袖を捲った後、白く細い腕を迷いなく空洞に突っ込む。

「ちょ……危ないんじゃ」

「……問題ありません。朝暉様もとめませんでした」

 そりゃ朝暉も手を突っ込むとは思わなかったからでは、と梦蝶は振り向いたが、朝暉はただ腕を組んで濡の様子を見守っているだけだった。やっぱりおかしい。この人たち。同意を求めるように麟庸に視線を向けたけれど、麟庸は既に死んだ蝙蝠を粉々にしている小を吐きそうな顔で見ていて、此方には気づいていないようだった。

 暗闇は濡の腕を肩のほうまで飲み込む。探るように手を動かして何かを掴み、濡が身体を後ろに倒した。すぐに朝暉が濡の身体を支え、小が濡に重なる。そのまま身体を捻り、嫌な音と共に"何か"を掴んで小濡が倒れ込みそうになるのを朝暉が抱き留めた。小濡の掌から"何か"が落ち、濡れた地面を滑って、止まった。

 すぐに両手で小濡の右腕を包む。小濡の回復力があればすぐに治るだろうが、痛みは痛みなのだ。掌から生まれた仄かな藤色が皮膚を突き抜けて細胞と骨を再生する。そんなに難しい術式じゃない。麟庸の得意な技の一つだ。

「小濡、お前は少し休んでろ」

「ですが……」

「大丈夫。梦蝶、小濡を頼む」

 朝暉はそういうと、転がった"何か"に近づいていく。回復に集中しながらも、目を凝らして其れを見る。小さな鞠くらいの何か。銀の光を放つそれは、宝玉ともいえるし、鉄球のようにも見える。

 朝暉は足元に落ちている銀の玉を拾うと、ふうふうと息を吹きかけて、袖口で拭く。


 ……なにしてんの。

 まるで落とした飴玉にするような仕草だな、と思った時だった。


 ぽん、と頭上にそれを放り投げて、朝暉が口を開ける。

 こなたの姿が消えるのは、その宝玉を口に入れ、飲み込んだのと同時だった。


2021/05/05 執筆

2021/05/06 加筆修正

2021/05/31 加筆修正


title by alkalism

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