第三話 花雲に隕星
「――で、おれはなんで呼ばれたんですかね、お姫さん」
芝居がかった動きで肩を竦めたその人を見て、梦蝶の甘露茶色の瞳が細く歪んだ。齢二十に満たない"その人"は、けれども年齢よりもずっと大人びており、一歳ほどしか歳の変わらない梦蝶相手にも年長者のように接してみせる余裕があった。こなたは、男や女の枠組みに属さない、或いはどちらでもある、何者でも良いように振る舞う、どこにでも棲める人。朝暉と名乗るこなたは梦蝶と心恩の古くからの友人だ。朝暉自身は、他人にどう見られてもどうでも良いらしく、少年と呼ばれても少女と表現されても気にしない。美しい顔立ちに、しなやかな手足。凹凸の少ない身体。猫のようにとらえどころのない動き。高くも低くもない声。朝暉は、梦蝶の出会った人のなかで最も天真爛漫だけれども、それでいてどこか冷たい印象もある良く分からないひとだった。
いつも通り、こなたの左右を埋めるように、同じ顔の従者が控えている。旅人のような格好をしている"少年の"小と"少女の"濡。ふたりに見えるがひとりがふたりに分かたれた姿であり、双子ではない。水妖の血を引いているが故の分離術は、彼と彼女を個人として――そして同一として存在させる。朝暉はいつもふたりを別々の存在として接する。故に、梦蝶もそれに習い、少々癖の強いふたりの従者を分けて考えている。
「君なら何か知っていると思ったのだけど?」
「漠然とした言い方だなぁ」
――知らないとは即答しない。
ということは、少なくとも"何か"を知っている。
朝暉は嘘をつかない。天従のようにそういった制約の元生きているわけではないが、それなりに長い付き合いのなかでひととなりは分かっているつもりだ。このひとは、真実をうやむやにすることはあっても、相手が誠意を持って聞いている内容に、適当な答えを寄越すような卑怯な真似はしない。何も知らないと即答しないのは、心恩に口止めをされているか、もしくは個人的な理由で喋る気がないか。どこまで梦蝶が辿り着いているか探るため――。
「お姫さん、まず結論から教えてくんね? ……おれも暇じゃないんでね」
「そうですよ、梦蝶姫。朝暉様は多忙なお方です。痴話げんかの類でしたらご遠慮いただきたいのですが」
痴話げんか。つまり梦蝶と心恩の状況は既に話が通っているという訳か。心恩が話したのか、それとも朝暉が独自の情報網で手にしたのかは分からないが、今日までの出来事を説明する手間は省けた。梦蝶は深く息を吸うと、姿勢を正す。
「心恩と結婚したいの。そのために力を貸して」
「あれ」
そっち? と笑う朝暉の横で、濡が目を細める。小があまりに楽しそうに笑うから、彼の腰の刀ががちゃがちゃと鳴った。兵部省で同じ振る舞いをしたら宣戦布告と見なされて、斬られても仕方のない仕草だが、梦蝶の契約妖は穏やかだから、これといって反応を示さない。それが分かっているからの大笑いなのだろうが、同じ顔の濡が冷ややかに梦蝶を見ているからかどうも煮え切らない気持ちになる。
「式場がどうとかそういうのだったら、おれより向いてる人たちがたくさんいると思うけど?」
「とぼけないで。――白銀よ」
ああでもないこうでもないとへらへらしていた朝暉の表情が変わる。大きく伸びをして、がばりと足を開いて椅子に座ると、頬杖をついて笑ってみせた。
「その話、乗った」
ぎらりと光る瞳は、金よりも明るい天に聳える光の色。
――ああ、と思う。
梦蝶の、世界で一番大嫌いなあの王が持っていた色彩、そのものだった。
◇ ◆ ◇ ◆
「とはいったものの、あんまりお勧めしないなぁ」
「今更何言ってるの。乗り掛かった舟っていうでしょ。沈没するわけじゃないし」
「でも間違えた船着き場に付いたら事故だろ。おれは話し合ったほうが良いと思うけど?」
それこそ今更だ。
一方的に別れを告げて、書類を突き付けて。それで私から逃れられると思っている心恩の浅はかさには笑ってしまう。君の隣にいるために、私が今まで何をしてきたのか知らないくせに。
君が救ったものの重さを知ると良い。私が救われたのは魂じゃない。命じゃない。君があの日、あの時助けたのは――私から奪ったのは、そんなものじゃない、と梦蝶は思う。
そんなもののために、今日この時まで君を愛したわけではないのだ。
心恩に対話の意志が無いのなら、梦蝶にも考えがある。
「おれ、お姫さんの強情なところ、いいなーと思うけど、人の話聞かないのは悪癖だな」
「でも朝暉さま、昔よりはマシになったと思いますよ。姫様も努力されてます。あ、これ助け舟ってやつですよね。乗り掛かった舟、船着き場、ときてまた舟に戻ってしまいました」
「言葉遊びをしにきたわけじゃないのよ小」
「…………朝暉様が、悪い、っていったから……直してください」
物凄い力で服の裾を引っ張られて、梦蝶は危うく転んでしまう所だった。どうもこの三人と共に行動していると步伐を乱される。
「直せっていって直せるならとっくに直してるからいいんだよ、濡。お姫さんは可愛くない所が利点なんだ」
「そうですよ、濡。姫様は強情で意地っ張りで頑固者なところが良いんです」
「全部同じ意味だと思うんだけど」
もしかして小に嫌われているんだろうか。濡にはあまり好ましく思われていないのは察していたが――とまで思って、そうだ、そもそもこの「ふたり」は「ひとり」なのだから、感情の主流は共有しているだろうと理解してがっかりする。彼らは朝暉以外好きじゃないんだろうから、別に傷つく必要はないのだけれど。なにせ梦蝶の周りは家族、心恩、それから麟庸とこの三人だけだ。交友関係が少ない故に、嫌われたり仲たがいした経験も極端に少ない。心恩は穏やかな性格だし、妹も梦蝶と比べたらずっと大人しく、両親は彼女を溺愛している。麟庸は本当の所梦蝶をどう思っているかは分からないが、興味のない人間に手を貸すほど暇ではないだろう。だから、多分物凄く好かれているわけではないだろうけど、嫌われてもいないはず。朝暉は基本的に好意的に人を見ている性格だし……。
梦蝶は他人の目を気にしない。けれどもそれは、彼らが梦蝶にとってどうでもいい存在だからである。数少ない友人(と梦蝶は思っている)に嫌われるのは正直堪える。できれば好かれたいし、肯定してもらいたい。
「僕は別に梦蝶姫を嫌いというわけではないですよ。むしろ好ましく思っています」
「えっ」
「全部口に出てたぞ」
嘘でしょう、と梦蝶は両手で自分の頬を包む。恥ずかしい。
「……濡は朝暉様以外どうでも良いです。……が、敵でなければ、別に」
「濡が僕に殺してほしいと願わないということは、嫌いではないという証です。ご安心ください、姫様」
「さすがに死んでほしいって思われるくらい嫌われてたら、貴方たちの前に顔を出さないわ……」
「あはは」
「何も面白くないんだけど……」
――なんでそこで貴方が笑うのよ、朝暉!
梦蝶はそう思いながら、ずんずんと先に進む。暢気な会話を広げているが此処は夜の山道だ。ぼうっとしていると日が昇ってしまうし、出来る限り早く済ませたい。梦蝶はやらなくてはいけないことはさっさと終わらせたいほうだ。それが彼女にとって楽しくないものであれば尚更。
「お姫さん」
「なに?」
「気持ちは凄く分かるけど、殺すの待ってほしいなぁって頼んだらどうする?」
足を止めて、振り返る。闇夜でも鈍らない朝暉の金の目は穏やかだった。すぐに小と濡が彼の前に立ち、殺気を放つ。そんなにとげとげしい態度を取ったつもりはなかったけれど、自分の左手から小さな蝶が放たれて、腕全体を覆うようにゆるやかに飛んでいた。気を乱しすぎていたらしい。大きく息を吸って少しだけ手を前に出すと、柔らかく掴まれる。瞬く間にくらやみに現れた彼は、万人が見惚れるような麗しい微笑みで彼女に挨拶をした。
「……ごめん、麟庸。心配かけたわ」
「――全然。坊やの配慮のなさに僕も呆れかけていたところだよ」
「ごめんごめん、悪気はねぇよ」
「意地悪でなければ何でも許されると思ってるのかなあ」
梦蝶を庇うように立つ長身が朝暉を見下ろす。彼の肩に止まった色とりどりの光の蝶がひらひらと闇を照らす。
「……朝暉様に近づかないでください。――小」
「そうですよ、麟庸様。幾ら四雲国最強と呼ばれる七雲将のおひとりといえど――朝暉さまに逆らうようなら……僕たちが貴方を殺します」
「はい、そこまでそこまで」
朝暉が後ろから小と濡を抱きしめると、ふたりがひとりになる。小濡は特に抵抗することなく朝暉の腕のなかに収まって――けれども鋭い視線はそのまま麟庸と梦蝶に向いている。
――朝暉は、殺すのを待ってほしいと"頼んだら"と言った。
つまりこなた自身も無理な願いだとは分かっている。梦蝶の気持ちを無視しての進言ではないと理解できた。何か理由がある。
麟庸が出て来てくれたから、少し頭が冷えた。
「勿論殺すなつったって、何もするなとは言ってねぇよ。お姫さんと麟庸殿のやり方に任せる。でも、命だけは見逃してやってほしい」
「――あいつらは五歳だった私と六歳の心恩を殺そうとした主犯なのに?」
そっちは殺そうとしたくせに、梦蝶は見逃してあげなくてはいけないのか。手加減を求められるのか。そんなの、ゆるされるの?
心恩は優しい。きっと命令で無いのなら人を殺したり傷つけたりしない。もしそうできる力があったとして、それをしないから心恩は清らかなのだ。彼は否定するかもしれないけれど、少なくとも梦蝶はそう思っている。心恩は真人間だ。左手之剣――殺し屋として暗躍するには、何もかもが綺麗すぎる。
梦蝶は違う。
自分の大切なものを脅かされるのであれば、躊躇わない。感情的だと罵られようと、冷酷だと軽蔑されようが関係なかった。梦蝶の守れるものは、この手の届く範囲。だからこそ迷えない。迷わない。立ち止まるということはすなわち、失うのと等しいからだ。
「首謀者は別にいるよ。あいつらは使われただけ。上手いようにね」
「……じゃあ」
「犯人は誰か――は、白銀が知ってる。だいたい予想はついてるんだけど、確信を得たい。そのためには死なれたら困るし、推測が正しければ……手を下さなくてもよくなるかもしれねぇし」
「どういう意味よ」
「行けば分かる」
それなら今説明してくれたっていいじゃないの。
言い募ろうとするけれど、今だ朝暉の腕に抱かれたまま動かない小濡が呆れたようにため息をついた。
「なんでもかんでも聞いたら答えると思っているの、姫さんの悪い所ですよね。朝暉サマがここまで教えてあげてるんですから、ただ従っていればよいと思います」
「おや。水妖風情が言ってくれるね。君たちと違って蝶々には脳みそがあってさ、自分で考えて判断して決定する知性が備わっているんだ。ちゃんとした説明をされていないのに、殺したいくらい憎い相手を"殺すな"と言われても、はいそうですかとはいかないんじゃないかな」
「さすが惑わしの妖は人間の気持ちが良くお分かりのようで、尊敬します。どうです、これを機に人になってみては?」
笑顔の睨み合いが勃発し、頭痛がしてくる。妖同士は基本的に力関係による従属が生まれやすい。つまり、格下だと判断すれば大きく出るし、力が上だと分かれば従うか下剋上を狙う。小濡は小と濡の時も、ひとりのときも短気だ。朝暉が止めているからしないだけで、好きなようにしていいと言われれば誰彼構わず刀を抜いて斬りかかる危うさがある。怖いもの知らずなわけではない。ただただ血の気が多いのだ。
麟庸は穏やかな妖だが、小濡とはあまり相性が良くない。多分弟に似ているからだと思うけれど、兄弟の話は麟庸にとって好ましい話題ではないから、此処では掘り下げないでおこう。
「朝暉。理由を話さないのは、私のため?」
「いや別に」
「じゃあ心恩のため」
「うーんどうかな」
とことん答える気が無いらしい。麟庸が珍しく眉を吊り上げて抗議しようとしてくれたけれど、梦蝶は彼の手を握って首を横に振った。こういうときの朝暉は何を言っても無駄だ。むしろこうして梦蝶が質問を繰り返していることですら、こなたの計算の内かもしれない。だとしたら、時間稼ぎに協力するよりも、両の足を動かして進むほうが先決だろう。
「善処する。でも分からない。約束はできない」
「いいよ、それで。ありがとな、梦蝶」
こういう時だけ、こなたは梦蝶を"お姫さま"でなく"梦蝶"と呼ぶのだから憎らしい。
やはりすべて分かっていて、それでいて悪気なく、人を操ってみせるのだ。朝暉というひとは。
2021/05/02 執筆
※補足
四雲では「they」の代わりに「こなた」という代名詞がつかわれています。
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