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蝶と心の魅る夢  作者: 藤波
後日譚 水晶と狐の魅る夢
22/22

  〆 ひびを抱いたまま飛んでゆける

「――じゃあ、灯皨(かしょう)様は……心恩(シンアン)さまのお母上は出て行ったということですか?」

「まあ、そうなるね」

「何故止めなかったんですか!」

「心恩に止めて、とは頼まれてなかったからな」

「そんな屁理屈……」

 自分の術式が効いていなかったという事実よりも、灯皨が姿を消したという事実の方が璃空(リークウ)を深く動揺させた。焦る彼女を見ながら、隣に座っていた(キュウ)は思案する。此処に心恩の母親、灯皨が居ないのだとすると、これ以上留まる理由もない。朝暉に何を願おうか――。

「玖、急いで灯皨さまを探しましょう」

「何故?」

「何故って……」

「璃空姫がしたことと同じだと思うけど」

 朝暉が呟くと、立ち上がりかけていた璃空が動きを止める。ぐらぐらと揺れる視線がこなたから逸れ、卓上へ落ちる。

「今追ったところで、自分の息子と幼馴染みの子どもを殺そうとまでしたあの人が、立ち止まってくれるとは思わねぇな」

「――それでも、話を――」

 話をしないと、と口にして、また璃空は押し黙る。話をする。でも、何を? 心恩兄さまが傷つくから。梦蝶(モンディエ)姉さまが苦しむから、行かないでと、頼むの?

 自分は自分のために家を飛び出したのに。迎えに来た梦蝶姉さまたちを振り切って、玖の力で、灯皨さまを治そうと――治した後、誰にも何も言わず去れたらと思っていた。そんな自分と灯皨がしたことは、何が違うのだろう。袖を引かれ、止まれと言われても、歩みを辞められないから出ていったというのに。話をしたところで、言われる言葉は分かっている。語られる"道理"では納得できないから外に出た。聞いても頷けないから逃げ出した。"話し合い"をすれば、間違いを咎められ、正しい道へ引きずられると思ったから――だから。

「言っただろ。おれは何も、説教しようとしてるわけじゃねぇよ。行くなら止めない。ただ、相棒は説得したほうが良いと思うけど」

 璃空は、玖を見た。

 玖は、璃空を見ている。蔑むような様子も、疑うそぶりもない。ただ、璃空の言葉と、本当の望みを待っている。それを聞き届けた上で、彼の言葉を紡ぐ――対話の準備をしてくれている。対等な立場で。嘘偽りない想いを交わすために。

 玖は此処まで来てくれた。璃空の我儘に乗っかる形で、彼なりの心情と願いを抱きながらも付き合ってくれている。長く愛し守り続けて来た稲雅を離れ、何の関係もない、璃空だけの因縁の場所へ手を繋いで来てくれた。


 ――私は。


「璃空」

 玖が璃空の頬に触れる。あたたかい。冷え切った頬に、ぬるい温度が伝わってくる。

「悩んでもいいし、変わってもいい」

 私はいつも間違える。優先すべき事、大切にしたい物、目先の事柄に囚われて、勝手に雁字搦めになって、頭がいっぱいになって、間違える。それを誰も咎めない。許容して、裁かない。それでいいと、肯定する。どんなに稚拙で、どうしようもなくとも、見捨てない。それが辛かった。


 でも玖は。玖に対しては、間違えたくない。そうやって"許す"のを求めたくない。ダメなときは叱ってほしいし、ムカつくときは喧嘩したい。衝突を避け、上澄みを舐め合って、仮初の笑顔で繋がっていたくない。あたたかな幸せに溺れるように浸かりながら、楽しさを享受したいと笑う狐を、不幸にしたくなどない。


 だって玖と璃空は――共犯者だから。

 酸いも甘いも嚙み分ける、命運を共にする相棒なのだから。


「私は――心恩兄さまに、知らせたい。その後どうするかは、兄さまに任せるけどでも、このままっていうのは、嫌」

「……あんた、迎えに来た姉さんと星家の坊主から逃げて此処に来たの、分かってんのか?」

「分かってる」

「自分は話さなかったくせに、灯皨には話せって? 矛盾してるぞ」

「それも分かってる。でも、嫌なの。私は私で、灯皨さまじゃないから」

「……あくまで、蘭 璃空として、灯皨と心恩を会わせたいって?」

「そうだよ。だから、手伝ってほしい」

 玖が深くため息をつく。頭を乱暴に掻くと、紐で結ばれた髪の毛が乱れる。美しく燃え盛る様に、癖っけがあちらこちらへ跳ねた。

「――おい、朝暉」

「なに?」

「璃空の願い事はもう終わったけど、俺の願い事はまだ残ってるな?」

「勿論。別々だから」

「じゃあ、璃空の願いを叶えてくれ。俺のお願いは、それでいい」

「えっ、でもそれは――」

「うるさい」

 璃空の言葉を、玖が遮る。「できるか?」と再度尋ねられた朝暉は、にこやかに頷いた。

「――じゃあ、交渉成立ってことで」


◇ ◆ ◇ ◆


 稲雅へ帰って来た璃空を小濡に預け、彼らの手で心恩の元へ送り届けた玖は、半泣きで割れた硝子や、汚れた床を掃除している伊那(いな)のところへ足を運んだ。小狐たちも対応に追われていて、一番広いこの部屋は伊那ひとりで片付けを担当しているらしい。盛大なため息をつきながらほうきで綺麗にしている彼に「伊那」と声を掛けると「ギャー!」という叫び声と共に伊那がひっくり返った。

「そんなに驚くか?」

「驚くよ! 驚くでしょ! 何処へ行ってたの」

「王都」

「そう……なんで帰って来たの?」

 しゃがんでちりとりに硝子の欠片を集めながら、伊那が呟く。まるで帰ってこないと思っていたかのような言い草に、玖は眉を寄せた。

「別に帰ってきたわけじゃない。野暮用」

「あっそう……」

「俺と稲雅は繋がってるから、魔力のことは心配しなくていい」

 玖に背中を向けていた伊那が勢いよく立ち上がって振り返った。ちりとりを放り投げたせいで、綺麗に集めていた硝子の欠片や塵が、再び辺りに散らばる。何やってるんだ、と口にするより先に、此方を睨んでいた伊那が「兄さんは」と大きな声で叫んだ。

 玖は怯んだ。

 伊那の声が大きかったからじゃない。兄さんは、のその先の言葉が、読めた気がしたからだ。またあの、呪詛のような言葉が繰り返されるのではないかと警戒する玖を無視して、伊那が吐き出すように言葉を絞り出す。

「兄さんは、どうしていつもそうなの」

「え……」

「どうしてもっと自分勝手に生きてくれないの」

 伊那の蒲公英色の瞳から、ぼろりと涙の雫が落ちる。硝子よりも透明で、もっとずっと壊れやすい澄んだ色が、塵と混ざって床に黒い染みを作る。

「好きにしてると思うが」

「してないよ。僕たちのことなんて、見捨てたっていいんだよ」

「見捨てるなんて――」

 確かに離れたかった。距離を置きたかった。けれど、見捨てるなんて有り得ない。玖は彼らを愛していたし、稲雅を愛している。正しく愛するために、ただ大切にしたいがために、少し遠くへ行きたかっただけで、断ち切りたいわけではない。

「――二千四百年だよ」

「…………」

「二千四百年、兄さんは僕たちに尽くしてきたんだよ。僕たちに自由をくれたんだよ。それなのに、どうしてまだ尽くそうとするの。魔力を注いで、守ろうとするの。僕たちはもう、兄さんなしで頑張るべきなんだよ」

 だから。そのきっかけになればと――璃空姫を巻き込んだのに。やっと、自分のために、此処を出て行ったのだと、そう思ったのに何で。

「俺は……」

「兄さんには、此処は窮屈でしょう」

 それは、その通りだった。

 窮屈で、居場所が無くて、羨望もあこがれも期待も尊敬も全部、自分には見合わない過ぎた感情だと思っている。疲弊していたのも事実だし、伊那たちに見つめられると、彼らの望む自分じゃないといけないと思う。正しい"枳 玖"を演じるのを求められている苦しさが、絶えず玖の心に影を差す。……だけど。

「俺が帰ってくる場所は、稲雅だし――お前たち、家族のいる場所だよ」

 伊那が、顔を上げる。ぐしゃぐしゃの顔を、袖で乱暴に拭いて、再びしゃがみ込む。玖はそっと向かいに座り込み、塵集めを手伝った。伊那の涙のせいで余計に床が汚れて、硝子と埃がこびり付いてしょうがなかったが、根気強く掃除した。砕け散った、泥や塵や木片に紛れた透明を処分しながら、玖は考える。

 壊れたものは元に戻らない。傷は無かったことにはならないし、砕けた希望も、また同じようには描けない。でも。ばらばらになったものをかき集めて、きちんと処理をして、再び別の窓をつけて修繕することはできる。それを、たった一人ではなく、誰かとやるのも可能で――その誰かが、割った張本人だったとしても良いのだ。玖が良いと思うなら。


「伊那」

「なに?」

「たまには連絡する。魔力送る以外の方法で」

「……本当? 王都の土産、買ってきてくれる?」

「気が向いたらな」

「可愛い女の子は……」

「紹介しない。自分で頑張れ」

「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」


 ギャアギャアと騒ぐ伊那を置き去りに、社を出る。他の兄弟たちに手を振って、庭を歩いていると、池に両足を突っ込んで柿を食べている――濡、と目が合った。その柿は何処から、と質問をする前に、濡れた足を引っこ抜いて、素足で近づいてくる。

 足に白い小さな小石がびっしりと付いているのを見て、とってやろうかと屈もうとしたところで、軽々と抱えられた。

「待ちくたびれた。もう行く。朝暉様が待ってる」

「いや、あんた裸足だぞ」

「………………」

「無視か……」

 やっぱりこの水妖は変わっている、と思いながら、走り出す濡に逆らうのは辞めた。何しろ物凄い速さなので、不用意に口を開いていると舌を噛み切りかねないのだ。

 首だけ後ろに向けて、遠ざかる社を眺める。稲雅と繋がった管は切れない。何処にいても、誰と居ても、自分のからだには稲雅へ続く血管が通っている。多分――それで良い。


◇ ◆ ◇ ◆


 駆ける心恩の背中を見つめながら、立ち尽くす璃空の傍らで、小は塀に背を任せ刀の大きさを調整して遊んでいた。そこに、大量のひかりの蝶が現れ、梦蝶が姿を現す。小は咄嗟に璃空の正面に立ち、刀を構えたけれど、梦蝶がそれを制した。

「戦う気はないし、璃空を連れ帰る気もないわ」

「そうですか。良かったです」

 小は柔らかに微笑むと、再び塀に背中を預け、刀遊びを再開する。璃空は緊張した面持ちで、姉を見たけれど、梦蝶は目を合わせなかった。

 怒っているかどうか――聞くまでもなく梦蝶は腹を立てているだろう。璃空は無意識に姉の心情を先回りして把握しようとしているのに違和感を覚えた。梦蝶がどう思っているかは結局のところ梦蝶しか分からないのにも関わらず、姉に呆れられたくないばかりに顔色を窺ってばかりいる。今だって、連れ帰る気は無いと小へ言葉を掛けた姉を疑っていた。璃空を言い包めて、強い態度で引導するのではないかと言う心配があった。それは同時に、彼女が梦蝶の主張が正当なものであるとどこかで璃空が分かっているのを意味していた。

 璃空は今まで姉と対立しないで生きて来た。いつも間違える璃空と違い、梦蝶はいつも自分に自信がある様に見えていたし、彼女の周りにはいつだって彼女の信頼する誰かが居た。璃空は梦蝶よりも術に長けたけれど、そんなものなんの意味もない――。

 再び後ろ向きな思考になっているのに気づき、璃空は深呼吸をする。璃空の思う"梦蝶"は特別で大切な姉であり、決して越えられない障壁でもあった。何をしていても、自分が姉と比べたらずっと足りない、見劣りする"誰か"だと思ってしまう。蘭家の次女である――梦蝶の妹である称号を失くして、璃空を誰が語るのだろう? 璃空はいつも――自分の母親にさえ、彼女の物語ではなく、姉のお伽噺を求めてしまう。

 でも、そんなのはもう、辞めなければならない。

 日増しに嫌いになって、居なくなっていく「私」が辛かった。堪えられなかった。璃空は、蘭 璃空になりたい。梦蝶の妹でもなく、蘭家の次女でもない、ただの璃空として認められたかった。透明で、誰にも注目されない、不必要な"誰か"で居たくないのだ。


 上手くいかないことばかりで、優柔不断で、一度決めたこともいつまでも悩んで、後悔して、間違える。いい加減で、詰めが甘くて、弱くて、醜い。そんな璃空でも良い、変わればいいと言ってくれた人が居た。

 だから。


「姉さま」

 梦蝶の美しい双眸が璃空を捉える。姉は泣きそうなとき、必ず――なんでもないと言わんばかりの無表情を顔に貼り付ける。そうやって、傷つけるもののすべてを排除する。自分以外の誰にも、己の心は触れさせないと決意しているような、頑なな頬の僅かな照りを見ながら、璃空は言葉を紡ぐ。誰の受け売りでもない、璃空の台詞を。

「私、頑張ってみます」

 何処までやれるかも、何処までいけるかもわからない。そもそも何処へ向かうのかも、決まっていないけれど、梦蝶と心恩にしかできなかったことがあるように、璃空にしか選べない道があるのだと信じたい。玖と歩む未来に、なりたい璃空が居るのだと委ねてみたい。誰に任せるでもなく自分の心に。私の力で。


「――好きにしたら」

 梦蝶はそれだけ言って、璃空の横を通り過ぎる。

 そっけない一言は、心配性で正義感の強い姉の、精一杯の激励にも思えた。


 蝶が瞬き、夜が明ける。

 振り向いて、梦蝶の背中を見つめる。璃空より遥かに大きく、けれども決して逞しくはない、普通の背中だ。母さまによく似た平らで丸みのある身体。柄違いの髪飾りが、朝日に照らされてまぶしい。

 璃空はずっと、幻を信仰していたのかもしれない。それは確かに梦蝶で、でも、梦蝶ではない。

 きっと梦蝶も揺らいでいる。悩んでいて、悩んだ末に、迷いながらも璃空を「好きにしたら」と突き放した。優しくて愛情深い姉にとっては、抱き寄せる方がずっと楽だっただろうに。

 これも璃空の決めつけだろうか? でも――そう、思った。


 璃空は夢を見たい。

 小さい頃見聞きした御伽のように麗しく優しい、最後は必ず幸せが待ち受ける夢を見たい。

 苦しみながらも辿り着いた喜びを。手にしたひかりを。未来の道筋を、愛おしく想いたい。


 霧のような耽美のその果て、例え苦しみが待ち受けていたとしても、そのすべてを乗り越えて、笑い飛ばしてやりたい。

 

 もう誰かの物語は要らない。

 璃空は、璃空のための、璃空が描くお伽噺のなかで生きていく。

 だってそのために璃空は、この美しくも歪な夢幻の世界へ、生まれてきたのだから。


◇ ◆ ◇ ◆


「――ところで朝暉」

 璃空と合流した玖は、朝暉に案内されるままに王都の老舗(しにせ)宿――楽蓮堂(らくれんどう)の一室へ訪れた。歴史を感じる古めかしさはありながらも、清潔でおしゃれな内装が気に入ったのか、璃空はきょろきょろとあたりを眺めている。どうやら、いろんなことが一斉に起こったからか、"取引"についてはすっかり頭から抜けてしまっているらしい。しっかりしているのかしていないのか分からない奴だな――と思いながら、玖は「この箪笥に必要なものは入ってて」「こっちは小腹が空いたときに食べる用のお菓子ね。食べ過ぎないように」などと暢気な話をしている朝暉へ声を掛けた。

「すべての前提が抜けてる。なんで宿屋の案内をしてるんだ」

「あーごめん、言ってなかった?」

「言ってない」

 言ってたら質問しないだろ、という悪態を飲み込んで続きを促すと朝暉が手に取っていたお菓子を食べながら笑った。

「今日から此処に住んでいいよ。玖は隣の部屋ね」

「はあ?」

「えっ……っと、朝暉さま、いったいどういうことですか?」

 流石に璃空も話に付いていけなくなったのか、首を傾げている。

「おれとの約束、覚えてるよな。璃空と玖の願いを聞く代わりに、おれのお願いをひとつ聞く」

 ――やっぱり来た、と玖は頭を抱えた。

 隣の璃空に目を向けると、思い出したのか、さっきまでのわくわくした表情は消え失せていた。


「ふたりには――おれの仲間になってもらいたいんだよね」

 ここは俺の拠点だから、玖と璃空も住んでいいよ――とあっけらかんと言ってのけるこなたに、全く話に付いていけていないふたりの共犯者がただ、翻弄されていた。

2021/10/7 執筆

title by alkalism

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