ある者の生
とある世界の、とある場所。
深い森の奥、あたたかな家の中に、その二人はいた。
一人は、人とも、魔ともつかぬ異様。
人としては大きく、そして物々しい体つき。墨で塗ったような黒い肌。
細い眼から覗く瞳は、白銀の月の様にも、死人のそれの様にも見える。
男は椅子に座り、目の前の老爺を見下ろしていた。
老爺は、この家の主人である。
こけた頬、窪んだ眼窩。長身だがしわくちゃの細く白い体に、体よりさらに白い長髪と立派な髭。
寝物語の魔法使い、それを見事に体現した様な姿だった。
老爺はベッドに横たわり、掛け布団越しに自分の腹の上に寝転がる蜥蜴の様な生き物を撫でている。
穏やかに、しかし掠れた小さな声で話し出す。
「こいつもどんどん大きくなりますねえ。拾った時は今の半分もなかったのに」
「まだまだ育つ。見上げるほどにな」
「ははは、自分の目で見たかったなあ」
「・・・・・・そうか」
男は感情の読み取りづらい、低く静かな声で返す。
老爺は空いた方の手を眼前に運び、眺めながら面白そうに笑った。
「もったいなかったなあ。若ければ、もう少しこっちを満喫出来たんでしょうけどねえ」
「そうだな」
老爺も、こちらに来たばかりの時はもっと活力と魔力に溢れていたものだった。
今、それらは彼の中で消えようとしている。それでもなお、彼は穏やかに続ける。
「でも、まあ、きっとこれで良いんですよね。短かったんでしょうけど、それでも楽しかったし、魔法とか。あっちにいた時の何倍も充実してて、自分でも頑張って色々やって」
そこで老爺は視線を動かし、ベッドの横で座る巨躯の男を見る。初対面の時は恐怖すら抱いた顔つきも、今では慣れたものだ。小さな表情の変化も分かる。
「僕、結構頑張ってましたよね?」
「ああ。良く、頑張っていた」
男の返事に、老爺は顔をくしゃっと歪ませ、歯を見せて笑った。どこか幼い、少年の様な雰囲気を感じる笑顔だった。
視線を天井に移し、ふうと息を吐く。
「・・・・・・僕、この後向こうに帰るんですかね」
「・・・・分からん。・・・・帰りたいのか?」
「いや、ううん・・・良く、分からないんです。こっちに来る前は、あんな所にいたくないってずっと思ってたし。つまんないなって、もっと面白いことのある世界で生きたいって」
「・・・・・」
老爺は自分の中で、確認しながらゆっくりと喋る。
「でも、突然こっちに来て、良く分からないまま必死で生きようとして。自分の意思で色んなものに触れてまわってみて・・・・なんか、あっちの方もそんなに悪くなかったのかもなって思ったんです。僕が、僕に合った楽しみ方を見つけられてなかっただけで」
「・・・・・」
「今なら、もう少し、良い生き方が出来るかも知れないなって。あなたのおかげで、友達がいる良さも分かったし」
「・・・・・・そうか」
老爺は天井を見つめたままだったが、隣の男の放つ空気が変わったのは分かる。今の体は、そういうことに鋭いのだ。
この会話は老爺にとって楽しい時間だったが、我慢していた眠気が強くなってきた。少し、眼を閉じる。
「・・・・ああ」
「なんだ?」
「ああ、あはは・・・・向こうの話、してたからかな、思い出したんです、お父さんとお母さんの顔。もう、何年も・・・・思い出せなかったのに・・・・」
老爺は眼を閉じたまま、小さく、嬉しそうに笑う。
「もし・・・・帰ることがあったら、こっちから・・・もっと、話して・・・・・・・・」
蜥蜴の様な生き物が、急な浮遊感に脚をばたつかせる。三本になった脚で再び着地した時、足元には先程の柔らかさは無かった。
「・・・・・・・・・さようなら、友よ」
男が、主のいなくなった家を離れる準備を始めるのはもう少し後のことだ。