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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ツユクサの咲く日に

作者: 椿田さわ

まさか,こんな日が来るなんて。

きっと夢だ,でも夢じゃない,今携帯が震えたから。

確かに携帯が震えた感触が私の手の中に広がったから。


彼女に会ったのはもう15年以上前のこと。

どうして仲良くなったかは,もう覚えていない。

でも,中学校を卒業してからずっと,私はずっとその子を探していたことは覚えている。

どうして探していたのかは覚えていない。


もう遠くなってしまった中学時代の記憶の中で,私と彼女はおそらくとても仲が良かったこと,私の親が中学生がよくやるじゃれあいを誤解して彼女に苦い思いをさせてしまったこと,そして,なんとなく,最終学年になったとき,何かが彼女の周りで起きた気がすることを覚えている。

卒業式に何か言葉は交わしただろうか…。


社会人になって,彼女のことを考えることもめっきりなくなってしまった。

そんな時だ,たまたまいつも飲みに行く中学時代の同級生が口を開いたのは。

「彼女,今,地元に戻ってきてるんだって」

「え」

その時の私の顔は,いったいどんなだったろう。

嬉しかった?

それとも地元にいるのにどこにいるかがわからなくてもどかしい…?

私の「え」という短い返事ともとれない言葉が聞き取れたのか,そんなの関係ないのか,友人は肩肘を付きながら続ける。

「ここで,働いてるって」

「ねえ,私会いに行きたい」


彼女が働いていたのは,いわゆる夜のお店というやつである。

写真になっていた彼女は,それはそれは美人さんだった。

元気でいてよかった,という安堵からか,目が潤む。

きっと世界一きれい。

薔薇の入ったクリスタルのソールも,ドレスも,全部全部,とっても似合う。

きっとこのお洋服たちは,彼女のためにあるんだ。


「私が彼女に会いに行ってはだめなの?こういうお店は女子禁制みたいな感じなの?」

「いやわからないけど。ダメってことはないんじゃないの」

「じゃあ私会いに行く,だってまたどこかに行っちゃったらいや。行かなくちゃ」

心臓がばくばく言っている。

そろそろ目に水分を貯めているのも限界だ。


「落ち着きなさいよ」

普段お調子者の友人の真面目な声色が,一気に自分を引き戻す。

「さすがに夜の街にあんたを一人出させるわけにはいかないから。今すぐは無理。私が調べてから,付き添ってあげるから。あんたなんかキャッチに捕まったらどうしたらいいかもわからないんだから」

ぐうの音も出ない。

さすが付き合いの長い友人なだけあって,私がいったいどれだけ世間知らずかを知っている。


私は彼女に会いに行くことができるまで,お店の写真を,祈るような気持ちで眺めていた。

今思えば一人で会いに行くこともできたのだろうが,律儀に言いつけを守って,一人で会いに行くことはしなかった。


それからしばらくしたある日のこと,偶然,私は彼女のSNSを発見してしまった。

SNSのおすすめユーザーなんて世話になる日は来ないと思っていたはずなのに。


恐る恐る,彼女のアイコンに手を伸ばして,クリックする。

現在地はもう地元ではなくなっていた。

おそらく直行便すら飛んでいないところだ。

でも,もうそんなことどうでもよかった。

何も考えず,私は「フォロー」ボタンをクリックしていた。

私のアカウントは鍵付き。

アイコンも自分が描いた絵だ。

気づいたとしても名前くらいなものだろう。

中学時代からのあだ名をそのままアカウント名に使っていたから。

でも,それだって「1クラスに一人はいるあだ名」と言われているくらい平凡なもの。

これなら紛れられる。

きっと私だってバレることはない。

もちろん,フォローが彼女から返ってくることはなかった。

そうだそうだ,これでいい。

私が下手に彼女に何かしていたら怖いから。

私のことなんて何も知らないで,どうかそのまま,日常を送っていて…。


最初は確かにそう思ってフォローボタンをクリックしたのだ,私は。

私のことなんて知らないで,どうかそのまま幸せに日常を送っていて,と。

そんな想いがいつか限界を迎えることは,きっと私以外の人からすれば予想がついていただろう。


どうしてそんなことに気づかなかったんだろう。

もうだめだ。

限界だ。

薄いガラスでできた美しいフルートグラスに亀裂が入って,つ…と雫が溢れたような気がした。

その雫がテーブルまで流れ落ちてしまったら,私は。

グラスが壊れてしまったら,私は…。


グラスはもう壊れて,どこにもない。

きっとそんなもの,最初からどこにもなかったんだよというくらい,現実味がない。

あるのは現実味なく送られてくるメッセージと,携帯が震える感触だけ。

私は確かに彼女ともう一度言葉を交わしているのだ。


グラスに亀裂が入ったあの日,限界が来た私は,あろうことか彼女とコンタクトを取ることにした。

今思えばなんて恐ろしいことをしたんだろうと思う。

そんな私をよそに,彼女はただただ嬉しいと言ったのだ。

画面の向こうで。

貴女は私の中学時代の象徴だから,と。

貴女の歌声は。

貴女のフルートの音色は。

貴女の美しい字は。

ああもう,どうにでもなってしまえ。

グラスから溢れた液体が,涙になって私の顔をぐちゃぐちゃにする。

何があったかはもうほとんど覚えていない。

そんなことだって,もうどうでもいい。

きっと私の中の誰かが泣いているかもしれない。

そんなことも,私が知ったことじゃない。

彼女の言葉が私の心を震わせている。

もうそれ以上のことを望むなんてできない。

私はこの日を忘れない。


そして今,私はほかの友人たちと言葉を交わすように,彼女と言葉を交わしている。

他愛もない話が次々に飛んでくる。

「他の人とも会いたいな」

「いいよ。いつも飲みに行く友人がいるから。でもね,それは2回目からにしてほしいの」

ああ。私はなんてやつ。

自分の記憶に責任も持てないのに。

どこかに置いてけぼりになった記憶の中で彼女を傷つけているかもしれないのに。

「最初は会えた幸せを独り占めさせてほしいの」

ああ。そんな想いすら彼女は受け止めてくれる。

「最初からそのつもりだったよ」


ふと窓の外を見ると,霧雨が降っていた。

夢か現実か,まだ信じられない。

傘をささずに外へ出ると,少し肌寒かった。

少し歩けば,洋服が霧雨にさらされる。

この感触は本物だ。

現実であることを確信して視線を下に移せば,ツユクサの花が,道端で細かい雫を受け止めていた。


この出来事が起きた日,7/6の誕生花がツユクサなのだそうです。

花言葉は「懐かしい関係」。


もう一つの候補は白いチューリップ(花言葉:長く待ちました)でした。

でもせっかく今日起きた出来事がきっかけで一気に書き起こしたので,やっぱりツユクサに。

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