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記憶の墓碑

作者: 影迷彩

 「これを使って、夢の中で妻に会えるんですか?」


 青年は技術師から手渡された装置を手で回し観察した。大きく四角いそれは、分厚い教典のようであった。

 診療室には青年の前に、装置を開発した技術師が、パソコンに写し出される脳波の計測を確認していた。


 「それはアナタの記憶を取りだし、夢の中でその記憶を再現、更に記憶に則った行動パターンから自発的な行動変革を行います」


 長い口ひげを生やした初老の技術師は答えた。


 「アナタの知る、アナタの最も記憶に植え付けられている人物を、装置は夢の中で再現します。アナタはこの装置の体験者、最初の一人です」


 青年の目線は壁に移動した。壁の向こうで、同じようにこの説明を受けている体験者がいるのだろう。


 「今のアナタの身体の健康自体は平常……精神のやつれから、日に日に衰えていますがね。アナタの回復の為にも、今日早速実践をさせていただきます」


 青年は固い布地の布団の上に寝る。顔に装置が装着され、視界が真っ暗になる。


 「技術師さん、この装置の名前って何でしょうか?」


 「今はまだ仮ですが……“トゥームストーン”というのはいかがですか?」


 “墓碑”か……あまりすっきりしないネーミングに青年は溜め息をつき、ゆっくりと睡眠に落ちていった。



 「おやすみ、アナタ」


 ベッドの隣で、俺の妻がこちらを向いて微笑む。

 暖かな肌、滑らかな肉体、俺を見つめる優しい瞳……

 俺の愛した妻は、今俺の隣で一緒に眠りにつこうとする。


 「待ってくれ……まだ、一緒にいたい」


 俺は手を伸ばし、妻の頬に触れようとする。



 目が覚めた時、青年の目は涙で濡れていた。

 技術師は彼の表情を観察して、装置の成功を確信した。


 翌日、青年はまた診療室に訪れた。

 両手を繋いだり離したりしながら、落ち着きなく待っていた彼であるが、自分の隣に小学校低学年頃の少女が座ると、その様子を止めた。


 「おじさんも、装置を着ける人?」


 「そうだよ。お嬢ちゃんも……」


 青年は会話を中断した。今の質問は、自分の家族の誰が喪ったかという答えに辿り着いてしまう。


 「……うん。パパとママに会うの」


 「お、俺は妻だな。あの装置、本当にあの頃の妻そのままだ……」


 装置と現実を比べ、青年の気持ちは沈んでいった。

 一刻も早く、妻と再開したい。



 「何か、辛いことでもあった?」


 妻が夜食をテーブルに並べ、エプロンを外して席についた。


 「いや……今はお前に会えれば、全て払拭する」


 俺は夜食のパンとシチューを口にした。味があるかは分からない。


 「そうなの? そんなに嬉しいんだ、私と一緒にいるの」


 今はただ、妻と一緒にいるだけでいい。


 「ねぇ、このあと出掛けない? 夜空の星が、きれいに輝く時間だよ」


 俺は椅子を蹴って立ち上がり、妻を抱き締めた。いつの間にか、ベッドの上に二人で寝頃がった。


 「ここでいい、ここがいいんだ……お前と、お前とだけ一緒になればいい」


 

 青年の意識は現実に戻った。


 「何だ? 装置の使用時間を長くしたい?」


 青年からの要望に、技術師は顔をしかめた。


 「使用時間を過ぎれば、脳に今度は負担が生じる……身体が動かなくなり、機能が低下するのだ」


 技術師からそう注意されると、青年はそれ以上要望を唱えるのを止めた。

 いつも以上に鬱々とした気分で診療室から退出すると、ちょうどいつもの少女とばったり鉢合わせになった。


 「おじさん、元気?」


 「お、おう……嬢ちゃんはどうだい?」


 少女の表情は暗かった。だが、自分の抱いている感情とは、別のもののようだと青年は感じた。


 「おじさん、このセンターの近くに花畑があるんだけど、連れていってくれない?」


 

 青年は少女を連れて、車で花畑に移動した。


 「ここか? 初めて見たな……」


 風車の脇にある花畑は、ちょうど咲き頃だったのか、様々な色のチューリップを辺り一面に咲かせていた。


 「ここはね、私も初めて来たの。センターに通ってるバスの途中にいつも見てるんだけど、来たのは初めて。」


 少女は濃い青色のチューリップの花弁を撫でた。


 「パパとママはね、チューリップが好きだったんだって」


 「“だって”? パパとママの好きなの知らないのかい?」


 「パパとママはね、私が四歳の時に事故で死んだの」


 少女のチューリップを見つめる目には、寂しさはあれ他人を見るようであった。


 「最近ね、パパとママの顔や言葉が思い出せない。夢で見るのは、ビデオテープを見てるみたいで何か違う」


 「違わなくないよ。記憶から取り出したんだ、あれは偽物じゃない」


 「だけど、本当は死んでるんでしょ」


 「夢の中でやり直すんだ、もう一度、あの頃に」


 「私は寂しい、寂しくなる」


 ポトッと、少女の目から涙が零れ落ちた。


 「起きる度に、もういないことを……分かるのはいや、私は今の生活を……誰かと一緒にいたい」



 「出掛けないの?」


 俺の胸の中で、妻は問いかける。


 「出掛けたら、お前は死ぬ……俺だけが事故で生き残った……お前を二度と離すものか」


 たとえ幻でもいい、妻を抱いていられるなら、いっそこのまま永遠に眠ってもいい。


 「私と、二人きりだけで、ずっと一緒に愛し続ける?」


 俺は目を見開いた。夢の中だという自覚が強くなり、妻の身体が幻へと消えていく。


 「アナタには、今隣で居てあげる人がいるんでしょ」


 彼女は俺に、いつものあの優しい笑顔を向けた。


 「アナタの優しさ、好きになれてよかった……ありがとう、ずっと愛してくれて。その愛を、あの子に分けてやって……」


 深い深い水のなかに妻は沈むように、あるいは俺が浮かび上がってるのだろうか。

 涙で濡れた瞳の向こうで、彼女は腕を広げ、ずっと俺に微笑んでくれた。


 「だからね、起きる時間よ、アナタ」



 青年は自分から“墓碑”を片手で取り外した。

 もう片方の汗でびっしょりになった青年の手を、少女がぎゅっと握りしめていた。


 「脳波が乱れたが、何かうなされるような夢でも見たのかね?」


 技術師が青年に心配して訪ねてきた。


 「いえ……最後の、幸せな夢でした」


 青年は技術師に“墓碑”を返した。その手が、不安がる少女を落ち着かせるように、優しく愛を込めて頭を撫でる。


 

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