Side Earth 2 喧嘩屋
「ここは……?」
見慣れぬ部屋で目を覚ましたカイトの第一声はそんなものだった。だが直ぐに、昨日の出来事を思い出した。
自分の仕える国を追われる事になり、逃げている最中に謎の光に包まれ――
気がつけばそこは見知らぬ国。そこで出会った青年と一悶着あり、その結果青年の家に泊めてもらえる事になった。そんな昨日の流れを記憶の中で思い返し、カイトは深く息を吐いた。
ベッドから起き上がると、自然と部屋の中に視線が向く。一度見回したみたものの、特に注意を引くものはなかった様だ。これはカイトの身に染み付いた行為であり、初めてこの部屋に足を踏み入れた昨晩も行った。自分の寝泊りする空間をある程度把握し、そこに変化がないか調べる事で危険を察知しようと言うのだ。後手に回る事が多くなる手ではあるが、何もしないよりはマシ。そう教えられて以来、一度として欠かした事がないのだから、素直と言うか単純と言うべきか……
「そう言えば、団長は無事だろうか……いや、俺が団長を心配するなんてまだ早いか」
先の方法を教えてくれた張本人である自分の上司の身を案じたものの、自分とのあらゆる差を思い出し苦笑を漏らした。
着慣れぬ着衣に僅かな違和感を覚えていたカイトだったが、一晩を明かした事でそれなりに慣れたのか今は然程気にならないらしく、その格好が当然であるかの様に自然に歩く。部屋の扉を開け、カイトはリビングに向かう。
「おはよう。良く眠れたか?」
カイトがやってきた事に気がついた家主である雄真のそんな言葉で出迎えられ、カイトは「ああ」と一言返し頷いた。
「朝飯は食うのか?」
「用意してもらえるならありがたいが……雄真はもう食べたのか?」
「いいや。俺は朝飯は食わない主義なんだ」
「俺が口を出す事じゃないが、朝食は取った方がいい」
「気が向いたらな。まあ、いるなら準備するけど……」
「家主であるお前が食べていないのに、俺だけ食べるわけにはいかないだろう」
「そんな事気にしなくてもいいんだけどな……まっ、遠慮するって言うなら準備はしないさ。とは言え、昼は自分で用意してもらう事になるんだよな……」
と、考え込む様に腕を組む雄真。
「ああ、あの人に頼んでみるか」
「あの人?」
ぼそりと呟いた雄真の言葉に、カイトが不思議そうな表情で尋ねた。
「倉里 尚也って言って、俺の師匠みたいな人さ。仕事さえ入ってなければいつでも空いてるはずだから、ちょっと連絡してみるわ」
そう言ってポケットから携帯を取り出し、雄真はメールを送る。その姿を見てさらに不思議そうな表情を深めるカイト。
「それは何だ?」
「携帯……っても分からないか。携帯電話って言って、離れた相手と連絡を取れる物かな。まあ、特に気にしなくてもいいさ」
「……そうか」
カイト自身説明されても理解出来ないと判断し、それ以上深く尋ねたりはしない。
少しの間を置いて、雄真の携帯が鳴った。その音は短いものだったが、突然鳴った音にカイトが僅かに驚いていたことに雄真は気づいていなかった。
思わず驚いてしまったことを知られなかったことに安堵しながらも、カイトは雄真が口を開くのを待つ。
「昼前には来てくれるらしいから、チャイムが鳴ったらドアを開けてあげてくれ」
「分かった」
「それと、先輩――今呼んだ人が来たら、その人の言う事は聞いてくれよ?」
「ああ」
「それじゃあ、俺は学校行ってくるけど……夕方くらいには帰ってくるから、それまで絶対勝手に出歩くなよ?」
いくら先輩が外に出るって言ってもだ。と強く付け加えておき、雄真は不安を拭い切れないながらも学校に行くべく自宅を後にした。
残されたカイトが、深く息を吐く。
「……少し、状況の整理でもしておくか」
そんな呟きを漏らし、カイトは昨晩と同じ様にソファに腰掛け、一人思考を深く巡らせるべく目を閉じた……
ピンポーン。
そんな音が聞こえる同時に、カイトは目を覚ました。
集中する為に目を閉じたカイトだったが、慣れない環境のせいか自分でも気づかない疲れが残っていたのだろう。目を閉じてしばらく経つと眠りに落ちていたのだ。
ピンポーン。
再び、カイトにとっては聞き慣れない音がした。それが雄真の言っていたチャイムだと思い至るのに数秒。カイトはその答えに辿り着くと同時に立ち上がり玄関へと向かった。
無用心であるとは思いつつも、どちらにせよ相手の顔を知らないカイトは何の確認もせずに扉を開く。そこに立っていたのは、軽い雰囲気を持つ一人の若い男だった。
着ているのは黒いスーツ。纏っている雰囲気とはかけ離れた格好で、更に格好とは合わない薄い笑みを浮かべている。身長は雄真とほぼ同じ。無造作に伸ばされた黒髪は後ろで一つに結わけるくらいに長い。一見するならば軽薄な新社会人の様に見えるが、その立ち振る舞いに全く隙がない事にカイトは驚きを隠せなかった。
「あんたが、倉里 尚也か?」
「違う――って言ったらどうする?」
「叩き帰すだけだ」
挑発する様な物言いに、カイトは淡々と言葉を返した。
一触即発。そんな空気が二人の間に流れる。
「……くくっ」
二人が睨み合うのもしばしば、突然その男が笑い始めた。カイトはその様子を訝しげに見据える。
「何がおかしい?」
「いや、面白い奴だと思ってな」
笑いを堪えながら、男はカイトの言葉にそう答える。その様子が気に食わなかったのか、カイトは憮然とした表情を浮かべた。
「悪い悪い。じゃあ、自己紹介でもしようか。俺の名前は倉里 尚也。喧嘩屋だ」
「喧嘩屋?」
聞き慣れないその言葉に、カイトは思わずそう尋ねた。
「それに答えるのは構わないけど、先にそっちにも名乗って欲しいな」
「……カイト=シンクフォードだ」
「まあ、雄にメールで聞いてたから知ってるんだけどな。ま、よろしくな?」
そう言いながら男――尚也は右手を出す。カイトはどことなく不機嫌そうにその手を取り握手を交わす。
「さて、それじゃあ中に入れてもらってもいいか? 流石にずっと玄関で立ち話ってのも嫌だし」
「ああ」
カイトは尚也を招き入れ、そのままリビングへと戻る。その後に続いた尚也は、勝手知ったるといった具合にソファに腰をかけた。
どこか釈然としない思いを感じながら、カイトは尚也とは逆側に座る。
「喧嘩屋について、だったな」
カイトが座るなり尚也がそう切り出した。カイトは黙ったまま頷き、視線を真っ直ぐに尚也へと向ける。
「簡単に言えば、金を貰って相手をぶっ飛ばす。そんな感じだな」
「……傭兵みたいなものか?」
「傭兵、ねぇ……まあ似た様なものかもな」
そう答えながら、尚也は思考を巡らせる。
(雄の言ってた通り変な奴だな。まるで、ファンタジーの世界から出て来たみたいな……)
雄真からは実剣を持った一般常識の通じない変な奴を保護したから、食事の世話をしてやって欲しい。そう頼まれてやって来た尚也だったが、詳しい話を聞かずともその真実を真実と気づかずに何となく思い浮かべていた。
「そっちの詳しい事情は知らないし、多分あんたも説明出来ないだろうから聞かない。だけど、雄に迷惑だけはかけてくれるなよ? あいつはああ見えて優しいからな」
「随分と、雄真の事を心配するんだな?」
「あいつは弟みたいなもんだからな」
「そうか……」
まだ出会って一日も経っていない相手の事だ。カイトは雄真と尚也の関係をよく理解出来ず、尚也の言葉をそのまま受け取る事しか出来なかった。
(いや、二人の関係など気にする必要はないか)
カイトはそんな風に思い直し、なぜか気にかかった二人の関係を気にしない事にし頭の隅に追いやった。
「さて、それじゃあ本題に入るとするか」
「本題?」
立ち上がりながら放たれた尚也の言葉を、ただオウム返しに言葉を返すカイト。
「ああ。昼飯、何が食べたい?」
そう問われたカイトは、無意識に腹を鳴らしてしまった。それを聞いた尚也が笑い声を上げる。
「何だ、そんなに腹減ってたのか?」
からかう様な尚也の言葉に、カイトは恥ずかしそうに頷く。
「丸一日何も食べてないんだ。仕方ないだろう」
昨日の昼食から何も食べていないカイトは、自分の腹をさすりながらそう言った。
「別に言い訳なんかしなくていいさ。腹が減る。それは普通の事だからな。で、何が食べたい?」
「……食べられれば何でも良い」
「ま、どうせ大したものは作れないんだけどな」
そう言いながらキッチンへと向かう尚也。
一人暮らしの長い尚也はある程度料理が出来る。雄真も多少は出来るが、それは尚也に教わって出来る様になった程度のもの。何よりも雄真は面倒臭がってあまり料理をしない。それでも多少の材料はあるだろうと、尚也は冷蔵庫の中を見る。
「おいおい、見事に何もねーな」
正確に言えば卵など日持ちのする物がいくるかはある。しかし料理と呼べる物を作れる程の材料はない。
「米は炊いてあるって言ってたから、何も出来ないわけじゃない……けど、これは諦めるかな」
「どうかしたのか?」
尚也の独り言を聞いて、カイトがキッチンに顔を出す。
「材料がない。つーわけで店屋物頼むぞ」
「言ってる意味がよく分からないんだが……」
「細かい事は気にするな。とにかく頼む! んで、金は今度雄に請求する!」
どことなくヤケッパチ気味に声を張り上げ、リビングに戻り電話を手に取る尚也。
そんな尚也の様子に何も言えないカイトは、ただその様子を眺めている事しか出来ない。
「あ、大将? 俺だよ俺、尚也。今雄の家にいるんだけどさ、特上二人前持って来てくれねーかな? え? 出前はやってない? 知ってるよ。大将一人でやってるんだからな。いいじゃねーか、俺と大将の仲だろ? 割増? ああ構わないぜ。どうせ払うのは雄だからな。ああ、とにかく頼んだぜ?」
そんな言葉を最後に、尚也は電話を切った。
「さて、届くまで少し待つか」
「今のは何だったんだ?」
電話の存在すら知らないカイトは、尚也が一人で喋っていたとしか思えない。しかし相手の声が微かに聞こえてきた事から、遠くの相手と連絡を取る機械。と言うのは何となく察しがついたものの、やはり首を傾げてしまう。
「もうじき寿司が来るからな。楽しみにしてな」
そんなカイトの様子に気づいたのか気づいていないのか、どこか楽しげにそう言う尚也。
「あ、ああ」
寿司が何かも分からないカイトは、またもや頷く事しか出来なかった。
「じゃ、またな。雄によろしく」
どこか満足気な笑顔を浮かべながら、尚也は玄関で手を振りながらそう言った。
それを見送るカイトも初めて食べた寿司が気に入ったのか、最初の尚也に対する妙な敵対心や警戒心は解いていた。
「ああ、世話になった」
「気にするな。雄に頼まれたから来ただけだ。ま、あんたの相手は楽しかったけどな」
そう言って笑顔を浮かべる尚也。
「俺もあんたと話すのは楽しかったよ。今度は一度手合わせ願いたいものだ」
寿司を食べながらの会話の中で、カイトは尚也が雄真の師匠みたいなものだと聞いて興味を示していた。尚也の纏う独自の雰囲気にもだが、只者ではないと顔を合わせた時から感じていたのだ。一度雄真と僅かでも戦ったカイトは、単純に尚也と言う人物の力量を知りたいと思っていた。
「まあ、機会があったらな」
カイトは苦笑を浮かべながらそう答える尚也に「ああ」とだけ頷き、踵を返し後ろ手に「じゃあな」と手を振る尚也の背中を見送った。
リビングに戻ったカイトはソファに深く腰かけ、一人思案に耽る。
(魔攻具か……)
雄真に借りた服に付いていたポケットの中に突っ込んでおいた布袋を取り出し、カイトはしげしげとそれを見つめる。
その中には魔攻具と呼ばれる兵器が入っている。カイトはそれがどんな物なのか知りもしないが、レナードの言葉を鵜呑みにするのならばそれをとても危険な代物だ。
この程度の大きさで兵器と言われてもピンとこないカイトだったが、レナードの事を尊敬し信じているカイトは疑問に思いつつも危険な物として認識している。ひとしきり眺めていた布袋を再びポケットにしまい、カイトはソファから立ち上がった。
(少し身体を動かしておくか)
そんな事を考え、少しばかりスペースのある場所に移り身体を解し始めるカイト。
柔軟程度しか出来ないが、それでも何もしないよりはマシだと身体を動かす。
今は遠く離れてしまった故郷、国……そして妹の事を考えながら……