Side Rankrudo 1 レナード=ヴァリアント
「どうやら追っ手は撒けた様だな」
光の都とも呼ばれる王国、フィアルサーガの誇る聖騎士団のみが着る事を許された騎士服――それも団長を示す青色の、一見貴族の為に作られたかの様な高価な生地を使っている上に、機動性をも考えて織られたその服を身にまとう体格の良い男が、エイダの森と呼ばれる森を背後にそんな呟きを漏らした。
男の名はレナード=ヴァリアント。身にまとう衣服が示す通り、彼はフィアルサーガに仕える騎士だ。ただし、その役職はつい先刻剥奪されている。その事実をレナードは認知していないが、遅かれ早かれそうなると思っている為、別段その事実を確認するつもりは彼にはない。レナード自身がその理由を誰よりも理解しているのだから当然と言えよう。
フィアルサーガが王城ハイゼンタールの北に位置するエイダの森を更に北に抜けた先には、レードという割合大きな街がある。城下に近い事もあってか、レードは常に活気に溢れている。レナードの目的地はそのレードなのだが、今レナードが立っている場所は城から真っ直ぐに北へ向かった位置ではない。彼の言う追っ手――フィアルサーガの兵から逃れる為に森の中を蛇行した為、結果的にやや東側から森を抜けた。それでももう少し進めばレードへと続く街道がある為、レナードは別段慌てた様子もない。追っ手にさえ見つからなければ、そもそも急ぐ必要すらないのだ。むしろ時間をかける事によってもっと遠くまで逃げたと思わせる事も出来るかもしれない。そんな事を考えながら、レナードはゆっくりと街道へと向かう。
聖間街道。それがレナードが足を運ぶ事になった街道の名前だ。聖騎士達の巡礼の為に作られた街道である事からそう名づけられた。その聖間街道に辿り着いたレナードは、そのまま北西に伸びる街道に沿って歩を進める。
辺りには隠れる場所などない。それ故に追っ手が現れれば見つかり易いが、逆に自身が追っ手に気づき易い。そう考えれば、逃走経路としてはそれ程悪くはないのかもしれない。そんな風に考えながらも北西へと歩き続けるレナード。その意識は、今回の事の発端へと向かっていった……
「団長。なぜ魔攻具の使用を拒んだんですか?」
ハイゼンタール城の二階にある軽く王族の一室はあろうかという広さのテラスで、白い騎士服を身に纏った大柄な男がレナードに向かってそんな問いを投げかけた。
その体格と少し垂れ気味な糸目が特徴的な男で、名をハワード=クレナンスと言う。フィアルサーガ聖騎士団の副団長で、レナードに次ぐ実力の持ち主だ。だからこそ副団長という立場にあるわけだが、レナードとの実力差は大きい。それが彼にとってのコンプレックスでもあり、彼はレナードの事を尊敬すると共に妬んでもいた。
「あれは危険なモノだ。俺の直感がそう告げたんでな。そもそも我々騎士が魔法の品に頼るのは良くないだろう」
レナードが危険なモノと称した魔攻具とは、フィアルサーガの兵器開発局に携わる者達が生み出した新兵器の名だ。その製法は明らかにされておらず、また安全性等も保証されていない代物だ。
「しかし、それで我々が力を得られるのなら……今はまだ平和ですが、いつ魔獣が出現するかもわからないのですから」
「お前の言いたい事はわかる。だが、俺は納得出来ないんだよ。その製法は聞かされていないが、高濃度の魔力によって形成された魔素を体内に取り込む事によって身体能力を向上させ、更には武器の生成まで行う為の魔法道具。研究班は大丈夫の一点張りで、その根拠を何も言わない。そんな物を実用段階に持っていくのは問題だろう」
「だからこそ、貴方がサンプルに選ばれたのでしょう。心身共に鍛え抜かれた貴方ならば、と……」
それでもし本当に危険があった場合、フィアルサーガはレナードという強力な兵を失う事になるのだが、それ以上に魔攻具への期待が大きいという事なのだろう。
「だが、貴方はそれを拒んだ。だからこそ私に話が回ってきた。貴方が受けていたら、この話が私に回ってくる事はなかったでしょうから、その点は感謝しています」
「何が言いたい?」
「確か、団長は魔攻具を持ち運ぶ為の封印具をお持ちでしたね。先刻、私もそれを貰いました。それが、これです」
そう言って、ハワードは黒い布の袋を懐から取り出した。外見からはわからないが、中には幾重にも封印の為の魔方陣が描かれており、魔攻具が暴走しない様に魔力が施されている。それはレナードの持つ封印具よりも強力な物であるのだが、二人はその事を知らない。お互いに、その封印具の使い方を教わったに過ぎない。
「クレナンス、まさかお前……」
ハワードが何をしようとしているのかを察し、レナードは少し焦りを覚えハワードに近寄ろうとした。だがハワードはそれを制し、黒い布袋を自身の胸に当てる。
その布袋には、明らかに何かが入っている。その用途が何であるかを考えれば、何が入っているのかは瞭然だ。
「我、其の力を得る者なり。我、素の力を得る者なり。我、魔なる力を解放せん――解封!」
ハワードが封印具の魔力を開放する為の呪文を紡いだ刹那、黒いはずの布袋が白く輝き出し、その輝きの中黒い球状の物体がハワードの身体の中に吸い込まれる様に入っていった。
(今のが、魔攻具……)
実物を目にするのは初めてだったレナードだが、眩しさの中目を細めながら垣間見た黒い球状の物体が魔攻具なのだと一瞬で理解していた。それがもたらす効果は聞き及んでいる。だが、それが全てとは限らない。レナードが危惧していた事が、ハワードの身に現実として起こり始めていた。
「…ぅ…が…!」
奇妙な呻き声を挙げながら蹲るハワード。そして訪れる変格。筋肉の軋む音を立てながら、ハワードの全身の筋肉が膨張していく。変化は肉体だけに止まらず、その精神をも侵食していく……
「大丈夫かクレナンス!?」
「黙れ!」
再び駆け寄ろうとしたレナードに対し、ハワードはいつもよりもやや野太い声で叫んだ。顔を上げたその目は血走っている。苦しそうに息を荒げながらも、ハワードはキッとレナードを睨みつける。
「私は正しかった! 魔攻具は私に素晴らしい力を与えてくれた! 見ろ、この身体を! 今なら貴方にも勝てる気がする。いや、絶対に勝てる!」
そう叫ぶと同時に床を蹴り、レナードへと殴りかかるハワード。普段は冷静沈着なハワードとは思えない突然の襲撃に、レナードは驚愕しながらも身を屈める。そのまま身体を右に傾け跳躍。ハワードの追撃が来る前に体勢を整える。
(完全に正気じゃないな)
自分の襲撃をかわしたレナードを睨むハワード。開きっ放しになっている口からは涎が垂れているが、当のハワードは全く気がついていない様だ。
「いきなり襲いかかってくるなんて、気でも狂ったか?」
「狂ってなどいないさ! 私は、元々貴方の事が憎くてたまらなかったのだからな! 今なら、魔攻具を使った事故として貴方を片付けられる! これ程嬉しい事はないね!」
魔攻具の事故を装えばどうなるのかも判断出来ていない様子のハワードを見据え、レナードは対処法を模索する。戦うべきか、それとも逃げるべきか……
(いや、逃げるわけにはいかないか。今のクレナンスを放っておくわけにもいかない)
覚悟を決め、腰に提げていた長剣を抜くレナード。その様子を見て嬉々とした表情を浮かべるハワード。人格さえも変わってしまったのではないかと思えるハワードの豹変に思う所もあったが、手加減出来る相手ではないと判断し、レナードは長剣を構える。
「死ねぇぇ! ヴァリアント!」
咆哮とも取れる叫び声を上げ、たったの一蹴りでレナードの背後まで跳躍するハワード。その勢いの凄まじさに驚きつつも、レナードは直ぐに振り返る。その視線はハワードを捕らえた時には、既にハワードの左拳が眼前まで迫ってきていた。慌てて背後に跳ぶ事で直撃を免れたものの、腹部に訪れた衝撃は生半可なものではなかった。
(これが魔攻具によって強化された力、か……)
片膝をつきながらも、冷静に状況を分析していくレナード。しかしそんな間を与えないと言わんばかりにハワードは再び距離を詰めてきていた。レナードは直ぐに立ち上がると、ハワードの背後を取るべき細かくステップを踏み前進していく。勢いよく接近するハワードが直ぐには旋回出来ないと踏んでの事だったが、その考えは甘かった。床を踏み込む事で無理矢理突進を止め、更には無理に身体を捻り背後へと回ったレナードを正面に据える。相当の負担がかかっているはずだが、ハワードは全く意に介した様子はない。
(あれも魔攻具の力か?)
レナードはその答えを持たないが、そのまま動きを止めるわけにはいかない。身体に負担をかける様な動きはせずに、背後を取れた時にと考えていた通りに剣を振るう。両手で構えた剣を、上段から振り下ろす。その目標はハワードの右腕だ。しかし右半身を引く事でその一撃をかわされ、レナードに隙が生じてしまった。ハワードがその隙を逃すわけもなく、引いた拳をその反動を使って突き出す。だが、レナードはまるでその動きを予測していたかの様に身を屈め、数歩前進。剣を真っ直ぐに構え、ハワードの右腕へと向かって突き出した。剣は深くハワードの二の腕に突き刺さったが、まるで痛みなど感じていないかの様に左腕をレナードへと伸ばすハワード。
剣をハワードから抜きながら後退し、一度距離を取るレナード。ハワードの腕に突き刺さったのが偽りではない証拠に、剣先からは血が滴り落ちている。
(痛みを感じないのか……やはり危険だな)
魔攻具に対して改めて危機感を覚えながらも、レナードは目の前の敵に対する意識を逸らさない。ハワードは既にレナードとの距離を詰めるべく床を蹴っていたが、その距離が完全に詰まる前にレナードは一つの結論に達していた。
(封印具を使えば、おそらく魔攻具を無力化出来るはずだ)
確証はない。しかし、それ以外に手はない事を無意識に悟っている。懐にしまっておいたくすんだ白色の布袋――封印具を取り出した。
既に体内に取り込まれた魔攻具を封印する力は持たない封印具だが、レナードの判断は結果として間違ってはいない。その事実が、直ぐに形となって表れる。
「ぅぐっ……」
再びレナードへと襲いかかろうとしていたハワードが、突如胸を押さえ苦しみ出したのだ。身体に限界がきたわけではない。それよりも早く、拒絶反応が表れた。ハワード=クレナンスという生物を、己の使い手として認めなかったと言うべきか。魔攻具が意志を持ったかの様に――いや、レナードには元々意志を持っているものとさえ思えるそれが、ハワードの胸の辺りからゆっくりと外に浮き出てきた。レナードは突然の出来事に唖然とするも、身体だけはしっかりと反応させていた。封印具を振り、中空に浮く魔攻具を布袋の中にしまい込む。その封をするだけで、特に呪文を解さず封印は完了する。
ハワードの存在を一瞬忘れてしまった事に気づき、レナードは背後の跳び退きながらハワードへと視線を向けた。
膨張した筋肉が元に戻り、その反動とでも言うかの様に痙攣を繰り返している。仁王立ちしているかの様なハワードは、意識を失っているらしく白目を向いている。無意識にその身を支える事が適わなくなったらしく、ハワードは前のめりにその身を倒した。
ドサッ。そんな音を耳にしたレナードは、何の益にもならない戦いに一応の終止符が打たれたのだと実感し、小さく息を吐いた。
レナードは思案する。これから先、どうするべきかを。国の意向に逆らい、ハワードを傷つけてしまった。勿論、降りかかる火の粉を払ったに過ぎないわけだが……
今まではただの勘に過ぎなかったが、今回の事でレナードの中で魔攻具が危険なものである事は確定した。しかし、今回の魔攻具の暴走を開発局は認めないだろう。そう考えたレナードは、ある一つの結論に達する。
(準備などする余裕はないな)
封印具を懐にしまい、レナードは駆け出した。一刻も早く、この場所から離れなければならない。ハワードを放置する事になるが、今はそれを気にかけてる余裕もない。頭の隅でそんな事を考えながら、レナードはその場所を後にした……
「あの後、逃げる途中でカイトに会ったんだったな」
偶然カイトと出会わなければ、現状程楽に出奔する事が出来なかったかもしれない。そう考えればカイトと出会えた事は幸運と言える。そんな風に考えながら、特に急ぐでもなく聖間街道を進むレナード。
新兵器の危険性だけを説き、共に歩む事を促した相手――カイトの安否も気にしつつ、今後の身の振り方についても考えるレナード。
準備もなしに出奔したレナードだったが、何も考えがないわけではない。その答えがレードにある。
レジスタンスの存在――それが明らかになったのは、決して遠い過去の話ではない。何がきっかけになったのかはわからない。しかし、突如圧政を敷く様になった女王に反して出来上がった組織。彼らを頼り、志を同じくしようと言うのがレナードの考えだ。
やがてレナードはレードの街へと辿り着く。
レナード=ヴァリアント。彼の歩む道もまた、こうして本来の道を逸れ――
新たな一歩が踏み出された……