Side Earth 1 不良 対 騎士
「ここは……どこだ?」
大剣を杖代わりに片膝を着いていたその男が、周囲を見回しながらそんな呟きを漏らした。
そんな様子を呆然と見つめながら、雄真は今起こった出来事について考える。
(いきなり光が降ってきて……それが止んだと思ったら、そこにはいかにもファンタジーな格好の男が……って、そんなん考えたって分かるわけねーって……)
釈然とするわけがない疑問に頭を悩ませる事を不毛と判断した雄真は、右手で頭を掻いた後にぶんぶんと頭を横に振る。
立ち上がりつつ周囲を見回していた男の視線が、倒れている不良達、そして雄真へと送られる。男と雄真の視線が合わさり、二人は見つめ合う形になる。それは決して友好的なものなどではなく――
「これは、お前がやったのか?」
その言葉の指す意味が何なのかを察し、雄真は無言のまま頷いた。その肯定がどんな結果を招くかも考えずに……
男は腰の位置程まで大剣をゆっくりと持ち上げ、雄真へと向かって駆け出した。その瞳に殺意はない。だからこそ雄真も反応が遅れ、それなりに距離があったにも関わらずギリギリまで回避行動に移れなかった。駆ける勢いで振るわれる大剣。そんな非日常な凶器を目の当たりにしても怯まない精神を持ち合わせている雄真だったが、それを避けられるか否かの瀬戸際ともなれば流石に焦りくらいはする。それでも直線的に振るわれた一撃を避けるのはそう難しいものではなく、雄真は余裕を持ってとはいかないまでもしっかりとそれをかわした。右手に避けた態勢のまま軽く地を蹴り、少しでも距離を取ろうとバックステップを踏む雄真。男からの追撃がない事を確認し、キッと男を見据える。
「いきなり何すんだよ!?」
「どんな理由があったかは知らないが、弱い者を力で捻じ伏せるやり方は感心できないからな」
雄真の言葉にそんな返事をしながら、男は更なる一撃を放つべく雄真との距離を詰める。相変わらず男には殺意も敵意もないが、迫り来る凶器の危険度は無視出来るものではない。雄真は小さく舌打ちをしつつ、接近してくる男との距離を一定に保つ様に後退していく。しかし前を向く者と後ろ向きに後退していく者、そして大剣というリーチを伸ばす獲物を持つ差は大きい。直ぐにその距離は男の間合いへと縮まり――
「せいっ!」
それは言葉というよりは息を吐いた音に近いモノだ。力を込める為の呼吸音とでも言うべきか。駆けながらの一連の動作で大剣を掲げ上げ、そのまま振り下ろされた形の一撃。それを右方に跳ぶ事でかわした雄真は、さっきまでの驚愕と混乱を忘れたかの様に怒りに任せ声を荒げる。
「素手の学生相手にそんな物騒なモン振り回す奴が何言ってやがるっ」
男は一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、直ぐに真顔に戻り雄真をじっと見据える。
「少なくとも、ただの町民じゃないだろう」
男はそう言って大剣を構え直した。今度はいきなり距離を詰めようとはせずに、ゆっくりと雄真との距離を縮めようとする。それは隙を小さくする為の行為であり、雄真もそれを理解していた。だからこそ不用意には動けず、雄真もその距離が縮まらない様に少しずつ後退していくしかない。しかし、ここは然程広くもない公園。そう長く後退していられるわけではない。
(追い詰められる前に、何とかしないとな)
内心舌打ちをしつつも、雄真は思考を巡らせる。今の状況を打破する為にはどうしたらいいのか、その最善の方法を探し出す為に脳内でシュミレーションを繰り返す。否、繰り返そうとした。
背後に迫る花壇の柵に気づかずに、雄真は柵に足を取られてしまった。倒れはしなかったものの、その事で注意が逸れ思考を巡らせる事など出来なくなった。それどころか、態勢を立て直す為に隙を作ってしまった。雄真は慌てて男の動きを確認しようとしたが、男の動きを視界で捉えるよりも早く悪寒を感じ無理矢理に跳躍。花壇へと入る羽目になったが、今はそんな事を気にしてはいられないと視線を巡らせる。花壇の柵の場所には男の姿があり、小さく舌打ちをしていた。
(あの場所にいたら、斬られてた……)
その答えに確証はない。男は実際に剣を振るったわけではない。それは確かだ。それでも雄真は、あのまま男の姿を目で追っていたら斬られていたと確信が持てた。
恐怖。雄真は、確かに恐怖を感じていた。冷や汗が止まらない。しかしそれと同時に、今までにない昂揚も感じていた。ケンカとは違う、初めて体験する闘いという行為に。
「売られたケンカは買う。んでもって、後悔させる。それが俺の信条だし、今までそうしてきた。だから、今度もそうさせてもらう!」
逃げるという選択肢もあった。突如現れた実剣を持つ謎の男相手に、何の理由もなしに事を構える必要などない。しかし、雄真はそれを選ばない。闘う事。それは、雄真自身が決めたルールだからだ。
「弱きを守る盾、悪しきを貫く剣。それが俺の騎士道だ。状況から察するに、お前の方に原因がありそうだと思ったんだが……どうやら、倒れてた連中がいなくなった事を考えるとそうでもなさそうだな」
「あん? あ、ホントだ。あいつら、いつの間にか逃げやがったみたいだな。だけどそれが普通の反応ってもんだ。あんたみたいな危険人物と遭遇したら、な」
立ち向かおうと決めた刹那の言葉に出鼻を挫かれたが、まだ雄真はやる気十分だ。腰を低く落とし、いつでも男に飛びかかれる様にしている。
「俺が危険人物? それは納得のいかない言葉だな。いや、その前に……事の顛末を教えてくれないか? どうやら向こうにも非があった様だし」
「それは構わないけど……俺の方が悪かったら、また襲いかかってくる気か? もしそうなら、別に説明してやるつもりなんてないぜ」
「安心しろ。とりあえず剣は収めるさ。もう当事者がお前しかいないわけだしな」
「……わかった。だけど、話す前に剣をしまってもらおうか」
雄真の言葉に男は「わかった」と頷いたが、その動きが一瞬止まった。
「どうしたんだよ?」
「鞘がない」
「んなもん最初からなかっただろ」
男が現れた時、抜き身の剣を杖代わりにしていたのだ。男が持っていない以上は、この場所にその存在があるわけがない。
「そうだ……ここはどこなんだ?」
すっかり忘れてた。とでも言いたげにそんな疑問を呟く様に漏らした男を見て、雄真は大きく溜息を吐いた。
「と言うか、あんた一体何者だ? いや、いい。とりあえず移動しよう。人気はないけど、そのうち警官が巡回に来たりするかもしれないしな」
「あ、ああ」
雄真の言葉の意味を男は理解していなかったが、移動するという内容そのものに反論はないらしく弱々しいながらもしっかりと頷く男。
「それじゃあうちまで来てもらうかな。直ぐそこだから丁度いい」
「わかった」
こうして、雄真は名前も知らない、いきなり襲いかかってきた相手を自分の家へと案内する事になったのだった……
つい先刻までいた公園を西に抜けると、世間一般で言えば高級寄りなマンションが建っている。築三十年を越えるそのマンションは、一見高級という言葉からは遠い外観だ。しかしその造りは頑丈で、内部は数年前にリフォームを受け最新のセキュリティシステムも使われている。外観も来年の頭には外装工事が入るという事実があるが、雄真はその事を知らない。いや、そもそもマンションの造りなどには興味がないのだろう。住めればいい。それで快適なら言う事なし。というのが雄真の考えなのだ。
「ここだ」
そんなマンションの一室の前でそんな言葉を漏らしながら、雄真はズボンのポケットから鍵を取り出す。鍵と言っても、人差し指程の大きさの電磁キーだ。そんな物を無造作にポケットに入れておく雄真に問題があるが、今の所は激しい運動をした後でも電磁キーが曲がったりはしていない。おそらく問題が生じるまで持ち運び方を変えるつもりはないのだろう。
ドアの右側にインターホンがあり、その下に電磁キーを差し込む挿入口がある。更にその下にはセンサーがついているのだが、それを使うのは電磁キーを挿した後だ。雄真が電磁キーを差し込むと、挿入口の右側にある小さな赤いランプが点灯した。それがセンサーが作動している合図である。ランプが点灯している時間は1分。その間に予め登録してある指をセンサーに当てる事によって指紋を読み取り、ドアのロックが外れるという仕組みだ。
雄真は右手の人差し指を登録してある為、電磁キーを再びポケットにしまった後に右手の人差し指をセンサーに当てた。するとガチャリとキーロックが外れる音が鳴り、それを確認した雄真は家のドアを開いた。
「待たせたな」
数年で大分作業に慣れたとは言え、どちらかと言えば機械には疎い雄真はこのセキュリティシステムの事をあまり良く思ってはいない。文句を言うつもりもない様だが。
「それはいいんだが……今のは何だ?」
「指紋センサーって奴だよ。知らないのか? っても、俺も理屈とかはわかんねーけど」
「指紋センサー?」
「だから説明は出来ないって。まあとにかく上がれよ。玄関前で話してたら公園より目立つからな」
「あ、ああ」
言いながら部屋の中へと入っていく雄真に続き、玄関の中まで入る男。そのまま部屋に上がろうとしたその姿を見て――
「ちょっと待て!」
突然の雄真の静止に疑問符を浮かべたものの、男は制止を聞き入れ足を止めていた。急に飛んできた大声の内容にきちんと反応した事に驚きつつも、雄真は呆れ混じりの溜息を吐いた。
「……靴は脱いでくれよ。ここは日本なんだからな」
男は流暢な日本語を喋っていた為注意しなかったが、男は日本人とは思えない風貌をしている。その容姿だけなら日本人に見えなくはないが、格好は明らかにそれとは違う。そもそも、現代社会において男の様な格好をする者はいない。一部、特殊な趣味の人間を除いては。
「日本? いや、それはまあいいとして……わざわざ脱ぐのか? 面倒な風習だな」
「面倒でもいいから脱いでくれ。後で掃除するのが大変だからな」
「……わかった」
雄真の言葉に頷き、男は身にまとっている白基調の服装とは反対に、黒基調のブーツを中腰になりながら脱いだ。それから改めて部屋の中へと上がる。
「こっちだ」
そう言って男をリビングまで誘導し、雄真はリビングのほぼ中央にあるテーブルを挟む形で置いてあるソファに腰かけた。
「あんたはそっちな」
そう言って自分が座ったソファとは反対側を指差す雄真。男は言われた通りに雄真とは逆側のソファに腰掛けた。
「ああ、なんか飲むか? ってもお茶かコーヒーくらいしかないけど」
「……お茶を頼む」
「あいよ」
雄真は返事をしながら立ち上がり、リビングの隣にあるキッチンへと入る。キッチンの端にある冷蔵庫を開け、中から冷えた2リットルのペットボトルに入ったウーロン茶を取り出す。冷蔵庫の横にある食器棚からコップを二つ取り出し、氷を三つずつ入れてからウーロン茶を注ぐ。ペットボトルは冷蔵庫にしまい、雄真はウーロン茶の入ったコップを持ってリビングに戻った。
「はいよ」
そう言ってコップを男の前に置き、雄真は男の向かい側に腰掛けた。
ウーロン茶を一口飲み、雄真は小さく息を吐いた。男もそれに倣いコップに口をつけた。
「さて。とりあえず自己紹介からするか?」
「そうだな」
雄真の突然の言葉に、男は驚いた様子もなく頷き、言葉を続ける。
「俺の名前は、カイト=シンクフォード。フィアルサーガの騎……いや、元騎士だ」
「……俺は雄真。真行寺 雄真。ただの学生だよ」
「…………」
「…………」
お互い名前以外何を言っているのか理解出来ず、必然的に沈黙が訪れてしまった。しかし雄真が直ぐに沈黙を破る。
「まずは、ここがどこかってさっきの言葉に答えておく。ここは日本。多分、これじゃあ通じないんだろうけど……」
「ニホン……聞いた事もない国だな。どこの大陸なんだ?」
「大陸って言うか……日本は島国だぜ。大陸って言ったら、アメリカとかヨーロッパとかそっちの方になるな」
やはり雄真の言っている内容を理解出来ず、カイトと名乗ったその男は首を捻った。そんな様子に溜息を吐きながらも、雄真は言葉を続ける。
「騎士とか聞くと、俺が思い浮かべるのはヨーロッパなんだけど……フィアルサーガなんて国聞いた事ないし、そもそも今の時代に騎士なんていやしない。あんた、一体どこから来たんだ?」
「そう聞かれてもな……森の中で戦闘中に、突然光に包まれたと思ったらあの場所にいたんだ。俺にも何が何だかさっぱりだよ」
お手上げ、とでも言うかの様に肩をすくませ、カイトは小さく息を吐く。溜息の多い二人だが、それも仕方ない事なのだろう。一体、なぜ今の様な状況になっているのかお互いに全く理解出来ていないのだから。
「そういや、さっきの事の顛末を話すって約束だったな。あれは、あんたが現れるちょっと前の事だ――」
「いや、もういいよ。お前が悪いとは全く思えなくなった。それより、頼みがあるんだが……」
雄真の言葉を遮って話し出したカイトの言葉に、雄真は悪い予感を感じていた。しかし、回避出来る類いのものでもないと感じ、黙ったまま続きを促す。
「しばらく、ここに泊めさせてもらえないか?」
「期待を裏切らない言葉をありがとう。まあダメとは言えないよな。あんたみたいな危険人物、その辺をうろつかせるわけにもいかないし」
「おいおい。だから危険人物ってのはないだろう」
雄真の言葉に納得がいかず、思わず口を挟むカイト。しかしそれを手だけで制して、雄真は言葉を続ける。
「いいか? この国ではそんな物を持ち歩いてるだけで危険人物なんだよ」
そう言ってカイトの大剣を指す雄真。
「泊めてはやるが、これから俺が言うルールをきちんと守ってもらうのが条件だ。いいな?」
「その条件次第と言いたいところだが、まあ変な事じゃなきゃそれで構わない」
「まずは、勝手に外を出歩かない事。外に出る時は俺と一緒の時だけだ。それに、その剣も置いていってもらう」
「……わかった」
どこか釈然としない思いを感じながらも、仕方ないと割り切りカイトは頷いた。
「後、俺がいない時に勝手な事はしないでくれよ。いや、いる時だって困るけどな。必要な事は後で教えるから、余計な事だけはしないでくれ」
注意をしておかないと何かが起きる予感がしてたまらない雄真は、不都合が起きる前に対処出来る事はしておこうという意志を持ちそう告げた。カイトはしっかりとその言葉に頷き、そんな様子に安堵したのか雄真は小さく息を吐いた。
それから雄真は、電化製品の説明や使う部屋についてなどをカイトに話し、自分の部屋に戻った。腹は減っているはずなのだが食欲がなく、これから夕食を取ろうというつもりにはならなかった。それを半ばカイトにも押し付ける形になったが、本人も承諾したので特に気にしない事にしたのだった。
(寝る前に風呂入るか。って、あいつに服貸してやんねーとな)
そう思って腰掛けていたベッドから立ち上がり、雄真はタンスへと向かった。下着と寝巻き代わりの薄い生地のズボンとTシャツ、そして同じ様な服装をもう一式取りだし、雄真はカイトに宛がった客間へと足を運んだ。
「これ、替えの服な。ああ、下着は新しい奴だから気にしないでくれ。風呂は、俺が先入るけど……いいよな?」
「ああ。そこまで我がままは言えんさ」
「使い方はさっき教えた通りだ。まあ、もし困ったら呼んでくれれば行くから」
「わかった。何から何まですまないな」
「ま、困った奴は放っておけない性質なんでね。そんなに気にしないでくれ。それじゃあな」
そう言って苦笑を漏らした雄真は踵を返し、カイトの部屋を去った足で風呂場へと向かった。
シャワーだけで風呂を済ませた雄真は、途中カイトの部屋に寄って声をかけてから自室に戻った。風呂場で一悶着あると踏んでいた雄真だったが、意外にもカイトは何の問題もなく風呂を使えたらしく雄真の出番はなかった。
風呂を上がった事をカイトが報告に来た為、雄真はそれに返事をした後直ぐに眠る事にした。
(今日は変な一日だったな)
それは今日で終わらず、明日以降も訪れる非日常。カイト=シンクフォードという存在が近くにいる限りは、今までと同じ日常では在り得ない。その事を頭のどこかで理解しつつも、雄真は閉じた瞳の先に日常を思い浮かべながらそんな事を考える。
(フィアルサーガ、ね……明日調べてみるか)
そんな決意を落ちかける意識の中で固め、雄真は疲れていたのか安らかに深い眠りへと落ちていった……