Prologue 1 ある日常風景+a
ドサッ。
夜の公園で、そんな音を立てて男が一人地面に倒れた。男――と言うよりは、まだ青年と言った方が正しい年齢なのだが、今は殴られた事によって多少変形してしまった顔が老けて見える。普段から「留年何回した?」と聞かれる事もしばしばあるが、今はそれ以上に老けて見える。とは言え、そんな事実は殴り倒した者にとっては何の関係もないし、気に留める必要も要素もない内容だ。倒れたのは俗に言う不良。そして殴ったのも、世間一般から見れば不良の類いに入る青年。どちらも、不良と言えば? と尋ねればほぼ間違いなく浮かび上がった昔ながらの不良像とはかけ離れた格好ではあるが、彼らが不良と称されているのは紛れもない事実である。
真行寺 雄真。それが老け顔の不良を殴った者の名前だ。気の弱い者なら彼に睨まれただけで逃げ出したくなる程目つきが悪く、ケンカっ早い性格をしている。身長もそれなりにあり、顔立ちも悪くない。一見異性にもてそうなルックスをしているが、その目つきの悪さのせいで女性は寄ってこない。本人は全く意に介していないが。
青地のジーンズを履き、黒いTシャツの上に生地の薄い黒系統のジャケットを羽織っている。ケンカが絶えず、周りに溶け込まない態度などから不良と称されている雄真だが、どちらかと言えば根は真面目だ。彼の父親が海外出張に行く事になったのが三年前。それに母親が着いて行き、今は一人暮らしをしている。仕送りはあるが、小遣いとして使える程の額ではない。あくまでも生活費。その為、彼はアルバイトをする事で小遣い稼ぎをしている。今はその帰り道。バイト先と自宅の間にある小さな公園。その公園を突っ切れば近道になる事から、雄真は良くこの公園を横断している。しているのだが……
「今日はついてないな……」
倒れた不良が立ち上がってくる様子はない。気を失う程の一撃ではなかったはずだが、老け顔の割りに気が弱いのかもしれない。痛みと殴られた事実によって、彼は一時的に気を失ってしまったのだろう。
雄真は倒れた不良を一瞥した後、仲間が倒され呆然としてしまっている阿呆な不良共に視線を向けた。
(おいおい。普通ならこの間にお前らもやられるぞ)
仲間が一人やられた程度で立ち尽くしてしまっている二人の不良に呆れながらも、雄真は一度視線だけで周囲を見回した。ついてない。そう呟くに至った原因が近くにいない事を知り、少しだけ安堵する。
このケンカの発端は、三人の不良が一人の少女に絡んでいる場面に雄真が遭遇してしまった事にある。自分の周りを囲まれ、びくびくと怯える少女の姿。そんな様子を見つけてしまった何だかんだで正義感の強い雄真。それを放っておく事など出来るわけがなく、雄真は不良共に発破をかけてケンカへと持ち込んだ。逃げろ。そんな風に声を出したわけではないが、その意図を少女が汲んでくれた事で雄真の気も緩んだのだろう。仲間がやられた事に呆けていた残りの二人が、ようやく我に返った事に気がつかなかったのだから。普段の雄真ならそんな失態は犯さなかっただろう。しかし、それでも更なる失態を犯す程の間抜けではなかった。同時に襲いかかってくる二人の不良。それなりに距離があったおかげか、雄真は気を引き締め直し二人に対してどう動くか思考を巡らせる事が出来た。
(ケンカ慣れはしてないな)
老け顔の不良の動き、そして阿呆な残りの二人の動きを見ても、それは一目瞭然。ケンカ慣れしている――いや、それ以上である雄真の敵ではない。だからと言って雄真は手を抜かない。やる時は常に全力で。それが雄真が師から教わった極意の一つだからだ。
雄真は右に動き、実質的な二対一から一対一を繰り返せる様に事態を運ぼうとする。相手も二対二にしようと思っているわけではないから、それは然程難しい事じゃない。それどころか、目標である雄真が移動した事で多少なりとも足並みの揃っていた二人の動きが噛み合わなくなった。近い方が避けて二人同時に攻める。近い方が間を与えない為に速攻をかける。いくらでも対処法はあるのだが、ケンカ慣れしていないただの不良が、そんな戦術めいた考えを浮かばせるわけがなく、結果二人共足を止めるという愚行に至った。雄真はその隙を逃さない。全身をバネとして使い、一気に近い方の不良との距離を詰める。不良も流石に反応はするが、雄真はその更に上をいく。身を屈め、一瞬だが不良の死角に入る。不良はその動きを目で追うのが精一杯――否、目で追う以上の事を雄真がさせなかった。身を屈ませると同時に放った足払いで、不良は一度は納めた雄真の姿を再び見失った。天を真っ直ぐと見つめる形になった不良は、自分に何が起きたのか理解出来ずに呆然としている。その一連の動作を見ていたはずのもう一人も、事態を把握し切れていないのかあんぐりと口を開けている。
(あと一人)
時間をかければ先に地に伏せた二人も立ち上がる。それは紛れもない事実。それでも雄真は、あと一人を地に伏せれば済むと確信していた。倒れている二人が立ち上がるよりも早く残りを殴り飛ばす自信があるのか、それとも戦意を喪失させている自信があるのか……
その時、異変に気づいているのは天を見つめる不良ただ一人だけだった。つい数分前までは晴れ空だった。それなのに、今天を覆う雲は雨雲の様に黒ずんだ色をしている。その雲が自分達の真上で渦巻き、不穏な空気を振りまいている。自分がなぜ仰向けに倒れているのかよりも、その不良は異様な空模様に呆然としていたのだ。だが、今向かい合っている三人目の不良と雄真は全く気がついていない。
雄真が、一歩踏み出した。それは跳躍する為に強く地を踏み込んだ一歩。だがしかし、その踏み込みは意図していた方向とは真逆の方向へ跳ぶ為に使われた。
その一瞬で感じた違和感。否、嫌悪感と言った方が正しいかもしれない感覚に従い、雄真は後ろへと跳んだ。
目の前の不良から感じたものではない。ましてや、周囲におかしな気配はない。その出所を本能的に悟り、雄真は空を見上げた。
暗雲がゆっくりと渦巻き、その中心が少しずつ開いていく。中心に開いた隙間が人一人分くらいの大きさになった時、ソレは起こった。
ソレは雄真が背後に跳躍したのとほぼ同じタイミング。隙間から一筋の光が地面へと伸びた。瞬時に地上と暗雲を繋いだ光は、まるで柱の様に見える。
柱は雄真と不良の間にある。雄真がこの事態を察知せずに不良へと向かっていたら、おそらく雄真は光に貫かれていただろう。その結果がどうなるのかは不明だが、少なくとも無事でいられたとは考え難い。それが分かっているからこそ、雄真は冷や汗をかきながらも内心安堵している。同時に、目の前の異様な光景に唖然としてしまっている。それは不良にしても同じ事だが、普段の雄真なら考えられない様な失態である。いや、それだけ今起こっている事が非常識且つ異様な光景だと言う事なのだろう。
やがて――と言う程長くもない、一分にも満たない間に光は止んだ。だが、雄真達は再び驚かされる。光の柱が降り注いだその場所に、一人の男が蹲っていたからだ。
雄真同様に黒い髪をしているが、常に短く保っている雄真とは違い、その男は肩程まで髪を伸ばしている。顔は見えないが、身体付きは悪くない。立ち上がれば身長もそれなりにある事がわかるだろう。しかしそんな身体的特徴を挙げるよりも的確に、その男の異様な格好を挙げた方がいいのかもしれない。西洋ファンタジーに出てくる様な、一見貴族が着ててもおかしくない白地の礼服の様な格好。そして何よりも気を惹くのが、男の身の丈に近い程大きな剣。刀幅は15cm程だろうか。大剣と称するに相応しいその剣を杖代わりに地面に付き、倒れる事を防いでいるかの様に見える。
「一体、何だって言うんだよ……」
それは、雄真の心の底からのぼやき。誰にも届いていないであろうその言葉は、夜風に流されて消えていった。
真行寺 雄真。十八歳の高校三年生。三年になって一月程が経った春の出来事。
不良とのケンカという日常風景の中に、非日常な事態が舞い降りた。
それが、真行寺 雄真と言う人間の生きる道を変える始まりだった……