村に尽くした魔法使い
軽度のカニバリズム(共食いではありませんが)を含みますので、苦手な人は注意してください。
私を呼び寄せたのは、貧しい村の、痩せた青年でした。
「――魚はともかく、どうやって香木を手に入れたのですか?」
契約を交わした後、魔法使いになった青年に訊きました。
香木はとても高価なものです。わずかな欠片でも、粗末な小屋に住む青年が容易に買えるものではありません。
「昔から家に伝わる茶器を売ったのさ……。大層な茶器じゃないが……香木の欠片を買えるくらいの金にはなったんだ。…………まぁ、母さんには内緒だがな」
「そのような大切なものを手放して、本当によかったのですか?」
「勿論、先祖には悪いと思っている……。だがな、俺の村は今にでも切れてしまいそうな綱の上を歩くような生活を送っているんだ……。死んでしまったら、茶器の価値も、先祖の想いも、何の意味も持たなくなる。
――あ、自己紹介がまだだったな。俺は一。あんたは?」
「千備といいます。ずっと昔……私と初めて契約を交わした人間がそう名付けてくれました。これからあなたが死ぬ瞬間まで――まぁ、私にとっては短い時間ですが……よろしくお願いします」
作物の病気を治す。
それが、一さんが最初に望んだ魔法でした。
「来月に収穫だという時にな……謎の病気が広がったんだ。もう……村中の作物は駄目だ……」
しかも、去年は天候に恵まれず、不作だったそうです。
そのせいで、食料の備蓄はほとんどなく、このままだと村人全員飢え死には免れません。
「……俺は生まれた時から体が丈夫じゃなくてな。
友達が鬼ごっこなどをしてはしゃいでいる声を聞きながら、俺は家で苦い薬を飲んでいた。
大人になった今だって、そうさ。友達が汗水たらしながら、必死に田畑を耕している間、俺は布団で横になっている……。惨めなものだ」
一さんは、枝のように痩せ細った自分の手足を見つめながら、話しました。
「何も出来ない俺でも村の役に立ちたい――だから、俺は魔法使いになったんだ」
その志は本物です。
中途半端な志でしたら、命より尊い魂を代償に出来るはずがありません。
私は、一さんに魔法を教えました。「植物の病を治す薬」の作り方を。
「三日間月光を浴びた水、亀の血、明日菜草……。まさか、簡単に手に入れるものだけで、すごい薬ができるとはな……」
「身近にある真実こそ、意外にみつけられないものですよ」
私の指示通り、一さんは完成した薬を村の田畑にまきました。
すると一週間も経たないうちに、作物の病気はきれいさっぱり完治しました。
一さんが村の危機を救ったことを知った村人は皆、彼に感謝し、褒め称えました。
一さんのたった一人の家族……母親は息子を抱きしめ、「あんたは、あたしの自慢の息子だよ」と涙を流しました。
いつも、むっつりと唇を引き結んでいる一さんも、この時ばかりは口元が緩んでいるように見えました。
その後も、一さんは私が授けた知識で、村人の病気を治したり、家畜の傷を看たりしました。
しかし、この善行が、一さんを破滅に追いやる羽目になったのです。
滝のような雨が村を襲いました。
幾日経っても、降りやまないどころか、その猛威はますます強くなりました。
村の傍には川が流れており、村人の頭に「洪水」という恐ろしい言葉が過りました。
「……千備、雨を止ませる魔法を知っているか?」
一さんの言葉に、頷くことも、首を横に振ることも出来ませんでした。
「…………存じてはいます。ですが、かなりの時間を要する魔法です」
「……そうか。それじゃあ、間に合わないな……」
緊急に、村の会合が開かれました。
勿論、議題は洪水対策についてです。
侃侃諤諤の議論の末、おぞましい結論が出てしまいました。
川の神への供物として、人柱を立てることに決定したのです。
そして、人柱に選ばれた者こそ……一さんでした。
「あいつは不思議な力を持っておる。川神様もきっと、お気に召して頂けるはずじゃ」
村長の言葉に、村の皆は「違わない」と口を揃えて、賛同しました。
一さんは抵抗することもなく、嘆く母親に、今まで育ててもらった感謝と、別れを告げて、今にも氾濫しそうな川へ向かいました。
死の寸前、私と一さんは、心の中で最期の言葉を交わしました。
(……死ぬのが、怖くないんですか?)
(怖いさ。……だが、人柱を送り出した家は、「英雄の家」として、村民から尊敬される。母さんも……誇りに思うだろう。……だから、いいんだ――あ、悪い。これじゃあ、あんたに俺の死体を食わせてやれないな……)
直後、一さんは、村の男衆によって殺されました。
村長が祝詞のような言葉を呟きながら、濁流の中に、物言わなくなった一さんを投げ込みました。
しかし、一さんの犠牲虚しく、雨が止むことはありませんでした。
川は氾濫し、一さんが治した植物を、家々を、村民を、彼の母親を――飲み尽くしました。
ようやく長い雨が上がった頃、海近くの下流で、一さんをみつけました。
「いただきます」
そう言って、私は彼を食べました。肉体を、魂を、何一つ残さず――。
「……ごちそうさま」
一さんは、何だかしょっぱい味がしました。