5
まとめてあげると すくろーるが たいへんだ
*
長らく黙考を保っていた巨漢は、宙に漂わせていた目線を落として言った。
「紅竜を追っている」
「はぃ?」
斡旋屋の男は裏返った声を上げた。
自分の耳が信じられなかったのだろう。それもそのはず。《紅竜》といえば、伝承にうたわれるドラゴンの中でも随一の力を持つ、もはや天災のように扱われる存在である。もっぱら、現代ではただのおとぎ話だと思われている。ドガだって、自分の村が焼かれるまで、紅竜の伝説なんぞ欠片も信じちゃいなかった。
ドガは面倒くさそうに手で払う仕草をした。
「早く消えろ。お前には関係のないことだ」
「へ、へい……」
男は奇妙なものを見る目でドガを見つめてから、くるりと踵を返して退散した。
斡旋屋が消えると、ドガは小声でシルヴィアに尋ねた。
「食いついたか?」
「たぶん」
「場所は?」
「向かいのテーブル。一番奥」
「そうか」
ドガはその場所へ目を向けるような真似はしなかった。
ただ、正面を見つめたままふらりと立ち上がり、予備動作もなく跳び上がった。テーブルの上に並べられてあった食器が蹴散らされ、テーブルに着いていた客たちが驚く間もなく、黒い影だけを残して、ドガはテーブルの一番奥まで突き進む。
「クッ!」
その席に座っていた宗教家風の男は、常人離れした反応を見せた。
黒い風になって突進してくる巨体に片手を突出し、両足を半ば床に陥没させて、なんとドガの体当たりを受け止めたのだ。ただの人間ならば、両手を使って身構えたところで無残に吹き飛ばされていたはずだが、宗教家は特に苦も無く片手で済ませた。タックルを受け切った右腕が黒く膨れ上がり、男の身にまとっていたローブを内側から押し破る。ここに至って、ようやく人々は悲鳴を上げることを思い出した。
「きゃぁあああああ!!」
「何? どうした!?」
「バケモノ! バケモノだ!」
「逃げろ! 殺される!」
ドガは黒い腕に掴まれた左肩を一瞥すると、今度は逆にその腕を掴み返した。
実際の力関係はどうであれ、外見だけ比べれば、ドガのほうが宗教家の男より頭三つぶんデカい。それだけ体格差が開いていれば、相手の体を力任せに持ち上げることも容易くできる。ドガは無造作に男を頭上まで持ち上げ、振りかぶって酒場の壁に叩きつけた。
「きゃぁああああああ!!」
凄まじい物音が鳴り響いた。
たった一撃で酒場の壁に大人が通れるほどの大穴が開けられた。
これには堪らず、男の黒い腕もドガの左肩を放した。
その隙を見逃さず、ドガは相手の頭を全力で蹴りぬいた。バカン!と果物の砕けるような音が上がり、男が脳天から血を吹き出しながら壁の大穴から野外へ吹き飛んで行った。一方的な殺戮を目にした貴婦人は次々に気を失い、信仰深い男たちは天に祈った。
しかし、ドガはまだ矛を収めていなかった。
「シルヴィア!」
「あい!」
鬼の呼び声に応えるように、少女が人々の合間を縫ってやってきた。
「外で止めを刺す」
「ドガ。気を付けて」
「言われるまでもない。力を借りるぞ」
巨体の鬼は目を血走らせながら、少女の細い首を掴んで持ち上げた。
まるで傘でも持っているかのごとく自然な振る舞いで、ドガは少女の首根っこを掴んだまま、壁の大穴を潜り抜けていった。〈石竜亭〉に残された人々は、目を丸くしたまま、じっとその穴をいつまでも眺めた。
ただ一人。
ドガに話しかけた斡旋屋だけは、好奇心に負けて外へ飛び出していった。
〈石竜亭〉の外では修羅の世界が広がっていた。
もはや布きれと化した洋服を身にまとっている黒い人型と、銀色に輝く見事な太刀を構える鬼人が息を荒げて対峙している。どちらも明らかに人間ではない。人外魔境の決闘に巡り合った斡旋屋はさむけを感じながら、顎先から汗を垂らした。
ドガが目すら動かさずに背中越しに尋ねた。
「斡旋屋か。なぜ来た?」
「こんな大勝負。滅多に見れたもんじゃあありゃしません!」
「失せろ」
カービンはきっぱり首を横に振った。
その気配を察して、ドガが目を後ろへ向けた瞬間――
黒い怪物が飛び出した。
「チッ!」
舌打ちと同時に銀刀が閃く。
横薙ぎの一閃が怪物の腕を切り落としたものの、相手は止まらず、黒影は残った片手で大胆にも銀刀の刀身を鷲掴みにした。雪の上に切り捨てられた片腕がしゅうしゅうと黒色の煙を吹き出しながら霧散していく。
立ち昇る黒煙を挟んで、両者は睨み合った。
「キサマが噂の《銀竜の鬼人》か」
「そういうお前は紅竜の《シャドウ》だな」
喋りつつ両腕に力を込めるも、銀刀はピクリとも動かない。
魔人の膂力は鬼をも凌駕しているのだ。
相手は自分の力に酔いしれ、クククと喉を鳴らした。
「噂では負け知らずの使い手だと聞いていたが、噂には尾ひれが付くものだ……実物はただのケダモノに過ぎんな。そう言えばケダモノよ。魔と対峙していながら、他人に気を遣うとは、ケダモノのくせに大した余裕だなァ?」
「そうでもない」
ドガそう言い捨てるなり、躊躇なく銀の名刀を手放した。
両手の塞がっている相手の喉に拳を突き立て、そのまま振り抜く。黒い巨体が積もった雪を巻き上げながら地面を転がる。
「俺は常に全力だ」
「グッ、ケダモノがァ!」
黒色の怪物が受け身を取って立ち上がり、前方に目を向ければ、鬼の足が視界いっぱいに広がっていた。避けようもない間合い。
ドゴォッ!
重々しい響きとともに大きな足が容赦なく踏み下ろされた。
「グ……ガ」
黒い頭部が地面に丸ごと陥没している。
まだ手足は何かを掴もうとモゾモゾ蠢いているが、もはや勝負は決した。ドガは雪の上に投げ捨てられた銀刀を拾い、躊躇なく怪物のうなじに突き刺した。ドス黒い血潮が噴水のように噴き上がり、鬼人の顔を黒く染める。
戦闘を終えた鬼人は、振り返って斡旋屋のほうに目を向けた。
黒い顔面の中央で、二つの眼がじっと男を見据えている。虎や狼のような狩猟者の眼光。
「失せろと言ったはずだ」
「あ、い、いやぁ……そのぉ……」
斡旋屋の男は堪らず目を逸らした。
その次の瞬間。男はドガの手刀によってあっけなく意識を飛ばされた。
斡旋屋の男が飛び起きたときには既に黒い人影の姿はなかった。
ただ、戦闘を終えた鬼人と、銀髪の少女だけが踏み荒らされた雪の上に残っていた。
ドガはまだ悪臭の残る顔を拭った。
「何度も言わせるな。お前には関係ない」
「だからこうして積極的について行こうとしているんじゃぁございませんか」
この問答ももう何度目か。
斡旋屋が目を覚ますなり現場から立ち去ろうとした二人を引き留め、なんとか旅の仲間に加えてもらおうと頼み込む。ワラにも縋る勢いでドガにしがみ付く男に、シルヴィアは軽蔑の色を浮かべた目を向けた。
「……迷惑」
「かぁー。見た目によらず厳しいお嬢ちゃんですこと! 確かにアッシは弱くて頼りなく思えるかも知れませんが、こう見えて、けっこういろいろお役立ち致しますよ? まず、第一、人間のオトナでございます!」
「…………」
こう言われてはシルヴィアも口を閉じるしかなかった。
確かに、鬼人と子供では道中いろいろな面倒にあってきた。たとえば、ただ宿を借りるだけでも、そう簡単には行かなかった。もしも、この二人に交渉役となる人間がいれば、そういった苦労も多少は軽減できるだろう。
問題は、この男は信用できない。
出会ってまだ間もないうえに、元来まともな人物ではない。独力で寝首を掻けずとも、自分たちを面倒な相手に売りつけることは非力な人間にもできる。それに、シルヴィアは感情的な面でこの男が嫌いだった。
複雑な表情で黙る少女を見やってから、ドガは口を開いた。
「お前の目的はなんだ?」
「はぁて。自分でも見当つきません」
「嘘を吐くな。目的もなく死地に飛び込むやつがあるか」
ドガは邪険に振り払うように言い放った。
しかし、カービンは怯むことなく、胸を張って答えた。
「存外ございますよ。例えば、平々凡々な日常に飽き飽きした貴族のお坊ちゃんや、毎日の仕事にくたびれた呼び売り商人。あるいは、地味な裏世界に愛想を尽かした斡旋屋とか……タムルグの煙突掃除人に聞いてみりゃあ、半分くらいは日常を捨てたいと答えるに違いありません。旦那のようなお強く、日々旅に身を置いている御方には分かりにくい話でしょうけれど、暇つぶしに死ぬような連中なんざぁ、掃いて捨てるほど、いくらでもいらっしゃいますよ」
斡旋屋の話を聞いて、二人は顔を見合わせた。
「シル。分かるか?」
「ぜんぜん。ドガはどう?」
「さっぱりだ」
銀髪の少女と厳めしい鬼人は揃って首を傾げた。
カービンの言葉は町人の理屈であり、久しく安定した生活を送っていない二人にとってそれは理解しがたいものであった。日常の苦しみ。繰り返しの毎日。もはや、自分がどこかに定住する様子を想像することすら難しい。とっくの昔に見限った生活……
理解しろというほうが無理である。
ドガは頭を掻いてから、話を締めくくるように言った。
「お前と旅はできない」
「アッシが弱いからでございましょうか?」
斡旋屋は悲しげに尋ねた。
しかし、相手の人間がどんな表情をとろうとも、ドガにとってはどうでも良かった。
少女にアゴで立ち上がるように促してから、鬼人は冷たい金色の眼でカービンを見据えた。日常に愛想を尽かしたとうそぶいていたカービンも、身を貫くような鋭い眼光に思わず身じろぎした。
旅について行けない理由。
それは単純に――
「住む世界が違う」
斬り捨てるようにそう言うと、鬼人と少女はカービンを見捨てて歩き始めた。
2、
――翌朝。
氷刃山の麓にあるタムルグの街の内部は、どこか冷たかった。
もともと滅多に観光客の訪れない土地であるため、よそ者を受け入れる風習がないのだろう。これが観光都市にでもなれば、空気は一変して、客人が熱のこもった歓待を受けることもあるのだが……
客人の境遇なぞ、大きな鬼人は意に介さなかった。
「石が飛んでこないだけマシだな」
街の石畳のうえを歩いていたドガは誰にともなくそう呟いた。
南部では奴隷扱いされている亜人も多い。
種族の違いゆえに差別されたことなど数えきれないほどある。そして、まれにそれを分かりやすく行動で示すものもいる。以前、足を踏み入れた農村では出会い頭に「人喰い鬼が!」と罵倒され、石を投げられた。少なくとも、タムルグの街では冷たいながらも、それなりの文明的なやり取りが望めそうだ。
ちなみに、街の人々がシルヴィアを見る目は生暖かい。
それもそのはず。
北の外れのタムルグに、見目麗しい少女がやってきたのだ。身に付けている服装こそ見すぼらしいものの、顔立ちには並々ならぬ気品が満ちている。肌は白魚のように美しく、碧い眼も彼女の美しさを際立たせている。そして、何よりも印象的な特徴が、腰まで伸びた艶やかな銀髪である。
隣りに恐ろしい鬼人がいなければ、大勢の男たちが寄ってきたことだろう。男たちの目を受けながら、銀髪の少女はどこか得意そうにドガを見上げた。
「フッ」
「何だ?」
「……べつに」
銀髪の少女は口元に笑み浮かべながらプイと目線を外した。
ドガは街の正門近くに設けられている市場で、火炎樹の葉や風船蟻の水詰めなど、旅の必需品を買い足してから、一軒の刃物屋に入った。店の中では店主と思わしき人物と、街の警備隊らしき男が談笑していた。
「おう。客か?」
店主は太い腕を組んで鬼人を出迎えた。
そして、その後ろから小さな少女がひょっこり現れたことに眉を上げた。
「ほぅ! オニの連れが可愛らしい娘とは驚いた」
警備隊の男も同意するように頷いた。
それらを受けて、シルヴィアは上目づかいにドガを見上げた。
「 “かわいい”だって」
「それがどうした。いちいち俺を見るな」
「……あい」
銀髪の少女は拗ねたように唇を尖らせた。
このやり取りも慣れたもので、ドガは少女に構わず売り物の短刀を掴んだ。するとすぐさま店主の心配そうな声が飛んできた。
「大事に扱ってくれよ」
「心配するな」
鬼人は冷たく吐き捨てた。
そんな他人事みたいに言われて安心できるはずもなく、店主は男との会話を止めて、じっとドガに目線を浴びせた。しかし、幾多の修羅場を潜り抜けてきた鬼人はまったく動じることなく、鞘から刀身を引き出して、刃の具合を確かめた。
「まずまず、だな」
「お買い上げかい?」
「張りぼての装飾品に興味はない」
ドガは短刀を鞘に納めた。
値踏みするように店主を見やってから、何気なく話を切り出した。
「このあたりで、鉄を大量に買っていった客はいなかったか?」
「はぁ?」
「聞こえなかったのか。鉄だ」
「鉄って言っても、お客さんよ。ピンからキリまで何でもござれ。ただ“鉄”って言われただけじゃあ、こっちとしても見当の付けようがない。あと、それにそもそも顧客情報ってのはそう簡単に教えられるもんじゃないわな」
そこで店主は手のひらをこちらに差し出した。
ドガはちらりと目を警備兵に向けた。
「おい。気は確かか?」
「あたぼうよ。ここは俺の店だぜ」
「街のルール、ではなく、お前の店だからか」
店主の手が何を意味するのか。
――情報量を寄越せ。
子供でも分かるはずだが、隣りの警備隊らしき男はどこ吹く風と無視を決め込んでいる。どうやら、またもやロクでもない店に足を踏み入れてしまったらしい。ここで手荒な真似を働けば、おそらく警備隊がうじゃうじゃ湧いてくるだろう。
ドガはしばし逡巡してから、よく磨かれたカウンターに身を乗り出した。
「いくら必要だ?」
「それはお前さんがどこまで知りたいかによるな。取引の量から、仕入れ先、顧客の名前、取引の日時に回数。金額によっちゃあ、おおまかな数字になるが、他の店の帳簿まで計算してやれないこともないぞ」
「名前と居所を知りたい」
「それなら、金貨一枚で足りるね」
店主はぴんと指を一本立てた。
金貨一枚といえば、一人分の飲み食いをだいたい一週間くらいなら賄えるような大金である。それだけ情報に値が張るということは、よほどの顧客なのだろう。だとしたら、《紅竜》に繋がる人物である可能性も高い。
そこまで考えたところで、ドガは銀髪の少女に目を向けた。
「どうだ?」
「……たぶん、大当たり」
「当たりではなく?」
「うん。大当たり」
「そうか」
ドガはカウンターのうえに金貨を一枚置いた。
「大量に鉄を買い込んだのはどこの誰だ?」
「タムルグを治められているご子爵様が、こっちの鉄製品の在庫を全部買いあさりやがった」
そう答えながら、店主が金貨に触れようと手を伸ばしたところで、目にも止まらぬ速さで鬼人は短刀を抜き放つ。相手が身構えるのも待たず、ドガは棒立ちの警備兵の頬を、空いた片手で横殴りに打ち抜いた。
派手な音を立てて倒れる兵士に、銀髪の少女が顔を顰める。
「ドガ」
「問題ない」
短く答え、ドガは短刀を構え直した。
「芝居は終わりだ。《シャドウ》」
店主はぴたりと動きを止めて、目の前の鬼人に目を見開いた。
「…………ッ」
「えっ」
鬼人の後ろから事態を眺めていたシルヴィアは、思わず驚きの声を上げた。
自分が《シャドウ》だと感じていた相手の口から、いきなり赤い血が溢れ出したのだ。遠い昔に人間と分かれた《シャドウ》の血は純然たる漆黒のはずである。しかし、依然として、《シャドウ》の臭いはカウンターの向こうの人間から漂ってくる。
これには鬼人も困惑した。
「何だ!」
「分からない!」
――《シャドウ》が竜の鼻を誤魔化したのか。
だが、どうやって。
ドガは血を吐きながらカウンターに崩れる店主を見つめながら、ハッと閃いた。
《シャドウ》の生態はよく分からないが、やつらは伸縮自在の体を持っている。ただ、その特性を生かさずとも、他の生物より飛び抜けて頑強にできているため、あまり活用していないが……
「ドガ、下!」
「チッ!」
鬼人は床を蹴って、カウンターの上に跳び乗る。
――直後。
彼の立っていた床下より、五本の細い黒影が現れた。重量級のドガでさえ難なく支えていた、しっかりした木材で造られた武器屋の床板を、紙切れのように簡単に貫き通す。《シャドウ》でなければ、できぬ芸当である。
「マズイな」
カウンターの上で身を伏せたドガは眉間にシワを寄せた。
相手の不意打ちを回避したはいいが、シルヴィアと分断されてしまった。こんな武器屋で普通に売っているような短刀でどうにかできる相手じゃない。《シャドウ》の体は、並大抵の武器では傷つけられない。そうこう考えている間に、《シャドウ》の細指が床に倒れている警備兵に向かって伸びていく。
また、人間の内側に入り込むつもりか!
本体は床下に隠れたまま、指だけ伸ばして気絶した人間を動かす。しかも、そいつはこの街の警備兵ときた。ヘタに傷つければ、後々面倒になる。そう思うより先に、ドガはカウンターから飛び降りていた。
「クソがッ!」
床下から飛び出た黒い線を短刀で跳ね除ける。
たった一合だけで刃がぼろぼろに毀れた。普段から銀刀に慣れているせいで、異様に頼りなく感じる。鋭い舌打ちを放ちつつ、ドガは矢のように体を滑らせた。《シャドウ》の指が警備兵に触れる間際のタイミングで、鬼人の大きな手が、黒い細指をまとめて掴んだ。
馬鹿力に任せて引き抜こうとすると、細指が刃に変わった。
常人の戦士であれば、ここでこちらの手を細切れにされていただろう。
しかし、ドガはそうならなかった。
瞬時に《シャドウ》の指を放し、固定された黒い刃めがけて蹴りつける。
「ガァァ!!」
強烈な回し蹴りに、《シャドウ》の細指はたまらず砕け散った。
黒曜石の破片のような、細かな黒い粒が小さな穴の開いた床に散乱する。しかし、ドガの善戦もここまでだった。警備隊の男を担いだところで、床下から二本三本と、こちらの進路を遮るように追撃の黒腕が繰り出された。
仕方なく後退しながら、鬼人は目まぐるしく突き出される攻撃を短刀で叩き落とす。
四度目の打ち合いで、とうとう短刀の刀身が折れた。
「粗悪品めっ!」
悪態を吐きながら、警備隊の男をカウンターの上に投げ飛ばす。
すかさず下から突き出された黒い柱を鼻先で躱す。横に跳び、続けて壁を蹴り、三角跳びの要領でカウンターの上に舞い戻る。まるで猿のような身のこなし。圧倒的に不利な状況にありながら、ほとんど傷を負っていない。
鬼人は相手のさらなる奇襲に備えて、神経をとがらせた。
「……………」
五秒、十秒、二十秒……
待てども敵の攻撃は飛んでこない。
静かになった店内を見渡して、ドガは思い切りカウンターを叩いた。
「くそったれッ!!」
店内から、入口近くに立っていたはずの銀髪の少女の姿が消えていた。