動き始める世界
川のせせらぎを頼りに草木が無造作に生い茂る道なき道を歩むことしばらくして・・・
川が視界に入ってきた。
水の中では数匹の小さな稚魚たちが群れを成しながら泳ぎ、川淵には緑の苔が生えた岩がぽつりぽつりと置かれてある。
綺麗な風景だ。
このような大自然を見ると、心が自然と安らぐ。
ここからは上流に沿って進めば、きっと『クメの新芽』のある場所にたどり着くことが出来るはずだ。
『クメの新芽』は水を近場に必要とする植物。
森で水といえば行く場所は限られてくる。
池か川か湖かーーー
川を見つけた今は上流に向かって進み水源を見つけるだけだ。
それにしても幸いというべきか。
最初の戦闘以外、ここへ来るまで野生モンスターと遭遇していない。
そして今でもモンスターの気配すらない状況が続いている。
辺りは見渡す限り草木の生い茂る物静かな森の風景がたたずんでいる。
小鳥のさえずりが木々の間を通り抜け、風が草木を揺らす。
さり気ないしぐさで辺りを観察する。
クルカさんは今もどこかで見張っているのだろうか?
僕の周囲で監視しているはずだ。
今回この森に入ったのも訓練が目的だ。
クルカさんは最初の戦闘を見終えたあと、支障をきたさない範囲で監視すると言って道中を離れた。
だがあれから数時間が経過した今。
彼女がどこにいるのか全く分からない。
耳を澄ませても足音は聞こえず、辺りを見渡してもそこに人影はない。
もしかすると道中、モンスターと遭遇しなかったのは彼女の計らいによるものなのだろうか。
少しばかり注意を払いつつ河原を歩く。
河原にはそれほど大きな石はなかったが、自分が履いている革靴が小石をじゃりじゃりと音を立てる程度の大きさはあった。
のどの渇きを潤すために、湿気を帯びた手袋を脱ぎ両手で透明な川の水をすくう。
この川の水が飲めるかという問題は川の中を泳ぐ魚たちと透き通った透明度を見て解決済みだ。
水は軟質で飲みやすかった。
/ 忍び寄る危機
その頃、アルハハ村では不穏な空気が漂っていた。
いつもはいたって普通の村であるが、この時はやけに騒がしかった。
村人や滞在中の冒険者が皆外に出て同じ方角の空を眺めている。
その空は血の滲んだように淀んだ赤い色をしていた。
「あれはなんだい?」
宿を営む女が空の方角からやってきた牛の手綱を握る男に尋ねる。
その男も何も知らないといった様子で首を振りながら「俺に聞かれても分からん、俺が通った時は何もなかった」といった。
この女は長らくここで暮らしているが、あんなにも不吉で赤い空はここに来て初めて見る光景だった。
ぞっとするような赤の空。
これから何か不吉なことでも予期しているかのだろうか。
*
バン。バン、バン、バババン。
(遅い・・・)
エリュエは右手に持つ銃を発砲しながら、その感触に不満の顔色を見せる。
彼の目の前には魔弾が数発撃ち込められた木があった。
その距離20メートルといったところだが、どれも同じ個所に撃ち抜かれており最後の銃弾はその木を貫通していた。
魔弾は魔力を込めて銃弾を打つ分使用するたびに魔力を消費するため、照準にも影響が出てきやすい傾向がある。
そのためある程度弾にばらつきがあってもいいはずだが、彼の場合それはなかった。
普通の魔弾とは違って撃つときの反動が少ないとはいえ、見事な正確照準である。
それは彼の様子を近くの茂みの中から見ていたクルカも同じく思っており、その技術の高さに驚いていた。
そして疲れを感じさせない様子からも、彼が並々ならぬ魔力量の持ち主であることを物語っていた。
普通は数段魔弾を放つにしても息が乱れるなり、体のどこかに疲れを感じさせるはずだ。
しかし彼の持って生まれた才能ともいうべき膨大な魔力量がそれを可能としていた。
それがいかにすごいことか、当人である彼は知らなかった。
エリュエは銃を抜きながら魔弾を撃つまでの速さを求めていた。
先の戦闘の際、その速さが遅かったがために危なかった敵がいたのである。
もし窮地に立たされるようなことがあれば、一瞬の時間が命取りになりかねない。
そう考えたエリュエは時間があるうちは努力をしなければと、合間を見つけてはこのように練習をしながら水源に向かって進んでいた。
上流に向かって進むこと暫くして、無事水源を彼は見つけた。
そこは少し開けた場所で近くにはこれから芽吹こうとしている緑の小さな命たち。
それは紛れまなく『クメの新芽』だった。
すると後ろでそっと様子をうかがっていたクルカは草木から姿を現し、エリュエのもとへとゆっくり歩み寄った。
「無事みつけられましたね」
エリュエは彼女の声に後ろを振り返り、「ありがとうございます。でも少し時間がかかっちゃいました」
といって頭の裏を照れ臭そうにかいた。
「この花って他にも香料なんかにも使われてて、ちょっと特殊な細工が必要なんだけどこうやって・・」
クルカは『クメの新芽』を手に取るとあらかじめ所持していた小さな瓶に入れると、近くの水をその瓶にすくった。
瓶のふちに沿って円を描くように指をなぞり、何か口ずさむと中の水が渦を巻き始める。
「よし」とクルカは短く言葉を発すると、エリュエの方を向きなおした。
「エリュエ君、この瓶の中の香りをかいでみてください」
エリュエは言われるがままにクルカから瓶を受け取る。
手で仰ぐようにして匂いを嗅ぐ。
すると特にこれと言って匂いのしなかった新芽が、確かにスッキリとほのかに甘い香りを放っていた。
「ほんとだ、いい香りですね」
「うんうん。いい香りだよね、香料としてつかっちゃおうかな」
「それはいいですね」
すると反応の少なさを不服に思ったのか。
クルカは少しむっとする。
「君、どうでもいいって顔してたでしょ」
「いやいや、そんなことないですよ」
エリュエは手振りを入れて否定する。
「ほんとかなぁぁ??」
すると再度全力で否定するエリュエを見てか、クルカは笑みをこぼす。
屈託のない綺麗な笑顔。
エリュエもその笑顔には叶わず、釣られて笑顔になる。
クルカにとってエリュエのその笑顔は可愛い少年そのものだった。
そこには一人の少年と少女の何気ない日常の風景があった。
その時だった。
突如大きな爆発音とともに激しい揺れが森を騒がす。
エリュエとクルカはあまりの大きな揺れに態勢を保てず、地面に伏す形になった。
暫くして揺れが収まると、それまで青白かったはずの空がこの瞬間真っ赤な空へと豹変していたのを二人は目の当たりにした。