世界(ヒビ)の終わりに僕はヒトリ
読み手の君へ
崩落世界。
家族を親を失った子供たちは皆、この世界をそう呼んだ。
あの日、あの時ーーー僕たちは全てを失い、また平穏な日常をも失ってしまった。
僕たちが一つ屋根の下で過ごしたお父さんやお母さんとの記憶は、この世界には存在しない。
腰の折れた老人の姿、帰宅すると笑顔で出迎えてくれた母親の姿。
少なくとも僕が知る世界はそんな人たちが多く住んでいた世界だった。
しかし今は年老いて髪が白くなることもなく、しわやシミが出来るなんてこともない。
僕たちは刻印の中に刻まれたレベルという概念の中で生きる存在へと生まれ変わった。
でも寿命がないからといって、死なないわけじゃない。
この崩落世界では空には火を吹くドラゴンが住まい、地にはアンデットやモンスターといった獰猛な敵が多く生息している。
また体が石化していく未知の病に悩まされることも多々あり、人間が生きるには過酷すぎる環境下だった。
かくゆう僕も今は右手の石化進行を遅らせてはいるが、いつまで持つかわからない。
あの頃に戻れたらと思わないことはない。
あの頃のままだったら、僕はきっと今頃両親のもとで幸せな家庭を送っていたことだろう。
当時の建物や景色。
それを見るたびに僕は虚しさを覚えるのだが、いまだこの渇きをいやすものに出会えてはいない。
いつか僕はこの渇きを癒す何かを見つけ出すことが出来るのだろうか。
夜空に欠けた月が一つ__
星一つない真っ暗な夜空に、それは一際白く輝いていた。
僕はそれを見て切なくなる。
それは独り寂しそうにぽつんと月が一段と大きく輝いているからで、今の自分と重なって見えた。
ぽつりとある月。
ぽつりと残された自分。
白い月明かりに照らされ、僕の身体も白く輝いている。
そして空にはどこまでも続く無限の暗闇が広がっていた。
「僕も一人だ」
僕は上空に向かってそう呟く。
【キミはまだここまで冷たくはなっていない】
月は優しい口調でそう僕に囁いた。
「一緒さ、じきに僕も冷たくなる」
僕は視線を右手に向ける。
視線の先にはいつもと変わらない白くなった構造物があった。
しばらく無言になった月を僕は眺める。
程なくして月は雲に隠れて見えなくなった。
***崩落した日___
気がつくと時間と共に崩落していく街並みの光景が僕の眼前に広がっていた。
そこは白と黒の世界。
完全に色を失ったモノはその種類を問わず、まがまがとした黒い影に呑まれて消失していった。
まるで月が闇に欠けていくかのようなそんな光景が、今目の前で起きている現象だった。
ふと足元を見ると、そこには影に呑まれつつあるおもちゃの人形が一つ。
屋根が無くなった部屋の片隅にそれは顔を床に横たわっていた。
このおもちゃは5歳の誕生日に父親がくれたものだった。
僕はテレビに出ていた戦隊もののヒーローが好きで、毎週欠かさず朝7時に起きてそれを見ていた。
お母さんは「いつもそれくらいの習慣があれば」とよく悪態をついていたが、両親の姿はここには存在しない。
突き抜けた天井から吹く冷たい夜風が僕の肌をひやりと撫でる。
僕は焦りを覚えつつもその人形を取ろう手を伸ばした。
すべてが無くなっていく世界でこれだけは無くしてはいけない。
どこからともなく沸き起こった衝動に僕は突き動かされた。
もしかするとそれは自分が好きだったアニメのヒロインが関係していたのかもしれない。
「消えないで」
だが必死の思いも届かず、取ろうと必死に伸ばされた手は、人形の中を透過する。
何度試そうが結果は変わず、人形をつかもうとした右手は虚像の中をすり抜けた。
まるで水面に映った月を手で掬っているかのように。
「うそだ、きっと何かの間違いだ・・・」
そう思いたくなるのも無理はなく、僕は先ほどまでソファーの上で居眠りをしていたはずだった。
気が付いた時には、僕はソファーの上ではなく突き抜けた天井から差し込む月光に照らされる床の上にいた。
その答えは数分後に現れ、戦隊ものの人形は僕の目の前で黒い影となって消失した。
それは雪が手のひらで消えていくかのように一瞬の出来事で、先ほどまで目の前にあった人形は跡形もなく消え去り、そこにあったであろう場所には砂埃を被った床があるだけだ。
もはや何を信じていいのか分からない。
そんな気分だった。
ポロポロと瞳から大粒の涙が落ちる。
それは地面に落ち、乾いた木の床に小さな斑点模様を作っていった。
とめどなく溢れる感情の源泉を僕は抑えることができなかった。
「どうして僕だけが....」
残ってしまったのか、その問いは暗闇の中に消えていった。
暫くしてほとぼりが冷めたあと、僕は広大な街中を徘徊することにした。
誰かに助けを求めなければと思ってのことだ。
無人になったスーパーマーケット。
店頭に並んだ色取り取りの商品は消え去り、店内は人影どころか光すらない暗闇の空間がそこには続いていた。
どの建物を見渡しても、砕けたコンクリートや鉄筋が壁から剥け出ており、大小さまざまな木片や石片が床に散らばっていた。
道端に落ちるカバーガラスの欠けた時計は午後10時37分で時間を止め、僕の知っていた世界は跡形もなく消え去ってしまっていた。
ここは都市として、多くの人間が生活を営む都市だった。
人通りが夜になっても多く、それこそ明かりのない場所などなかった。
街灯の光が人の行く道を照らし、喧騒な街並みがそこには確かに存在していた。
しかしその人混みに溢れた景色は今となっては見る影もなく、視界に映るのはどれも暗澹たる世界ばかり。
【全てを覆ったまばゆい光】
僕が気絶する前、激しい揺れとしばらく意識が途切れるほどの強い頭痛があったのを覚えている。
意識が戻り目を開けた時、そこは焦げ臭い異臭が漂う世界だった。
まだ小さい僕にとって、それがどれほど衝撃的な世界だったか。
いまだにここが現実だと呑み込めないでいる自分がいる。
(さみしい・・・こわい・・コワ・い・・こ・・・ワ・・い・・・サミシイ)
こどくだ。
ひとりでいるのはこわいしつらい。
おとうさんにあいたい。
おかあさんにあいたい。
もういやだよ。
かえりたいよ。
もううんざりだよ・・・
「おかあさん、おト・・・うサン」
もちろん誰もいない暗闇に問いかけたところで答えが返ってくるわけでもない。
でも、口に出さずにはいられななかった。
辛かった、助けてほしかった、悪夢ならば僕の目を覚ましてほしかった。
時折崩れ落ちる瓦礫がボソッと鈍い音を立てながら地面に落ちる。
僕はその都度小さな体をびくりとさせながら道なき道を歩いた。
鼻水をすすり、右手で自分の服の裾を握る。
瓦礫の下に埋もれた際にできた肩の傷が服に擦れてじんと痛んだ。
その都度視界は常に涙で霞んでいき、ぐじゅぐじゅになった鼻を何度もすすった。
それでもただ、足を前へと僕は進めた。
ーーーあの日常に戻れるなら戻りたい・・・
「もどり、たいよ、おかあさん、げほっ、げほっ」
突如、僕は激しく咳き込む。
ふと目を向けると、近くにはぼふぼふと立ち昇る黒煙。
燃えている元には黄色いナイロンのごみ袋の山があった。
「げほげほげほげほ」
次第に噎せるほどせきがひどくなる。
肺が鈍器で殴られているように痛く、僕は苦しさのあまりその場に崩れ落ちた。
『このまま死ぬの、かな・・・』
激しい咳と共に冷たいものが背筋をなぞるのを感じた。
僕はその感覚にぞっとする。
ここまで麻痺していた恐怖心だが、改めて感じると全身の震えを抑えきれなくなってしまう。
「こわい、こわい、よ」
【母の抱擁】【愛おしい家族の団欒】
それを思い出すたびに、心が目尻が熱くなっていく。
しだいに咳は収まっていったが、夜風の冷たさに身体が蝕まれていき体の震えは増すばかりだった。
急激な眠気に突如襲われ、辛うじて意識を保つのがやっとの状態になる。
思考も徐々に無に返り、僕はそこで初めて死を覚悟した。
ガサっ。
その時だった。
近くで砂利を踏む足音が耳に入る。
僕はとうとう幻聴まで聞こえて来たのかと思ったが、それはすぐに間違いであると気づかされる。
足音は自分の近くで止まると、その後、自分の体は持ち上げられーーー
「キミ、キミ。しっかりして。生きるのを諦めないで」
女性の声とともに、気が付くと僕の右手は温かくて柔らかな感触に包まれたのだった。
意識がもうろうとしており、目を開かせることすらままならない状況だったが、最後の力を振り絞って僕はその手を握り返す。
「がんばって、すぐに安全な場所へと移動させるから」
しかし体力の限界はとうにピークを過ぎており、彼女の呼びかけとは別に霞んでいく意識。
声が次第に遠ざかり、僕は数秒後意識を落とした。
___
この日を境にこの世界から『大人』はいなくなった。
___2359年以降
世界は年齢17歳以下、つまり未成年で構成される世界となる。
のちに僕たち子どもはこの日のことを『崩落日』と呼ぶことにした。
『私は新世界の到来を祝福する』
とある科学者が、全世界に向けて発信した最後の放送。
この言葉が、のちに『全てを変える』ことになったのである。
申し訳ございません。私事ではありますが、性格上かなり文章の反芻を行い物語を制作していくために、ご不快を被ることが多々あると思いますが、ご了承いただければ幸いです。
これに関しては温かく見守っていただけると助かります。