日常にいらない要素
煙草さんとの心踊る週末を終え、平日となる。
段々仕事をしている時間が人生の中で増えていくにつれ、公私の境目というの曖昧になっていくものだ。
それは仕事を不真面目にするようになるとか、プライベートの時間まで仕事を持ち込み頑張っているからとかではなく、仕事という要素が日常に自然に溶け込むようになったからだと思う。
肩に力を入れガチガチでするのが仕事だったのが、自然体でこなせるようになることで、仕事中での緩急の付け方を覚え、またプライベートでも仕事に使える何かを見つける事も上手くなる。つまりどちらの俺も俺だからだ。
煙草さんの場合は特にその傾向が強いようだ。
取材や外勤の合間に適度に息を抜きまた仕事を頑張り、プライベートで様々な刺激を受けそれを仕事の糧にする。
公私それぞれが上手く互いを補完しあって人生を充実させていくならば、悪くはない。
恋人もいて趣味も楽しめプライベートに満足しているし、仕事もそれなりに楽しんでいるし目標に確実に近づけている。
優秀な上司、心許せる同僚、一部を覗いて可愛い後輩もいて環境も悪くは無いとは思う。
しかし改めて周囲を見て、何ともギクシャクした空気の職場を見てどうしたものかと思う。
塩は本当に人をよく見ていると改めて感心する。
猪口は確かに仕事への意欲は上がっている。
しかしそれが完全に迷走している所が悩ましい所。
変に張り切り手を出し、問題を起こしており、コレなら前のように無関心でいてくれた方が助かったと思う。
そして澤ノ井さんによって課内がモザイクの様に複雑な状況になっている。
澤ノ井さんの仕事のやり方に理解は示しつつ強引さには憂慮している者。
澤ノ井さんという存在にビビリながらも奮起している者。
澤ノ井さんに心折られ意気消沈している者。
澤ノ井に反感を抱いている者。それぞれのグループで分裂してしまっている。
澤ノ井さんはどのグループの動きにも我関せずという姿勢なのが困った所。
また一番状況を変える事の出来そうな最初のグループも、それぞれ異なる考え方をしており団結するまでに至らず状況は好転せず。
鬼熊さんは部下を守り庇う為に対立姿勢をとり、塩は澤ノ井さんにやんわりとだが働きかけようと動いている。
俺は自分なりに中立の立場をとり両方に働きかけ動いているつもりだが、皆から【澤ノ井さんのお気に入り】【澤ノ井さんの腹心】と位置づけされてしまっているようだ。
事実気に入られているのは確かなのだろうが、澤ノ井さんのイエスマンになったつもりはない。
そして俺は澤ノ井さんに色々ハッキリ意見も言っているのだが、『そこがお前のまだ甘い所なんだよ! もっと考える所あるだろう――』と反論の声の方が大きい。
その為に俺に自ら熱烈に【澤ノ井流仕事術】を指導しているようにしか見えないのかもしれない。
営業の為に俺が今動ける事は、凹んだ売り上げを少しでも減らす為に営業らしく外で動くことだけである。
マイナスをなくせばなんとか事態も変わるのではないか? そういう意識で今二課は必死で動いている。
紹介をもらいつつ色々動いている為に、猪口のいる営業部にいる時間も少なくなる。
精神的には顔を合わせなくて良いのは助かるのだが、営業部彼女が引き起こした問題への対処が遅れるという悪循環を産み出していた。
契約を終えた客先から出てホッと一息つく。しかし周囲は緊急自動車がなぜか先ほどからひっきりなしに走っていてちょっとした達成感を阻害する。
近くのビルの壁に流れる伝言板ニュースに目をやると、港区で大火災が起きているようだ。ということはその方面へ繋がる経過での移動を避けた方が良いだろう。
会社の携帯を見て首を傾げる。【03】から始まるマメゾンからではない所から電話が入っている。
その数字に首を傾げてしまう。
折り返し電話をかけてみると、Joy Walkerに繋がる。
かけてきたのは煙草さんからのだったようだ。
『携帯の方に突然連絡して申し訳ありません。
実はうちの田邊の方から清酒さんに急ぎでお願いしたい事がありましてお電話させて頂きました』
恐縮しながら煙草さんはそう言ってくる。
イベントでコーヒーを振る舞いたい為に、コーヒーサーバーなどといった機材をレンタルしたいといった要件だったようだ。
「ありがとうございます。
珈琲サーバー数台とカップの用意という感じですね。
企画書を見せて頂けたらどのくらい用意するのがよいかを計算して直ぐに見積もりをお出し出来ると思います。
会場とイベントの規模が分かる資料を送って頂けますでしょうか? PDFでメールして頂けたら、外でも確認できますから」
そう答えながら、煙草さんから何故コチラに態々電話をかけてきのか? そこが気になり考える。
三年間仕事しているが、煙草さんがコチラの携帯に電話なんてしたことない。
煙草さんに限らず、俺個人にこっそりと何か話がある人以外は、マメゾン以外の人が携帯に電話してくることはない。
気になり仕事の依頼の話を聞き終わったあとに聞いてみる。
『実は営業部の方にも連絡したのですが、清酒さんが不在だからと切られてしまいまして。
ご迷惑だとは思ったのですが、今週の金曜日ということでイベントまで日時もあまりないので直接かけさせていただきました』
申し訳なさそうに話す煙草さんの言葉を聞いて、営業の厄介女の顔が頭に浮かぶ。
「それは申し訳ありませんでした。
そんな対応した者には、二度とこんなこと無いように厳しく言い聞かせますので」
俺はそう煙草さんに謝罪しながら携帯電話を強く握る。通話を終え、溜息をつく。
猪口に『いい加減にしろ』と言いたい……というか、言ってきているのに何故通じない? 人間同士と言うか日本人同士なのに言葉が通じない。
そこに苛立ちが更に募っていく。
猪口はまともな応対が出来ないくせに、最近やたら電話に出るようになった。
カジュアル過ぎる口調で出る為にビジネスマナーの本を渡し勉強を命じていたが、もう電話に出る事そのものと禁止した方が良いのかもしれない。
すぐに送られていたPDFファイルをタブレットで確認して会社に必要な機材とコーヒー豆を確保するために営業事務の兼任さんにメールして指示だして機材の確保に動いて貰う、同時に鬼熊さんにも報告を入れておいた。
そしてもう一か所客先を回っている間に兼任さんから手配完了の連絡があり、俺はその事を煙草さんにメールで連絡して会社に戻る事にした。
しかし何故か道がどこも渋滞しており帰るのにいつも以上に時間がかかってしまった。
猪口をどう叱ってやろうかと営業に戻ると、佐藤部長から既に怒られている猪口という状況に行きあたる。
鬼熊さんではなく、部長に怒られるなんて何をやらかしたのか? ウチのグループの人間はまだ誰もいない。
頼みの綱の鬼熊さんは、ボードを見るとまだ外勤中のようだ。
「だって、アチラが悪いんじゃないですか! そういう約束で配送をお願いしているのに、それを出来ないといってくるなんてありえないですよね」
猪口はそう部長に主張している。
何をやらかしたのか? 俺は恐怖を覚えながらその二人に近づく。
「その通り。
そして服部運送さんは、そういう納期に関しては本当にキッチリ守ってくれる所だ。
そこがそのようなお願いしてくるというのはそれなりの事情があるということ。
また何故そんな重大な事に関して、君一人の判断で対応した?
グループの人が誰もいなかったとはいえ、他にちゃんと対応できる人もイッパイいただろ」
会話から状況が見えてきて、俺は眩暈を起こしそうになる。
そして猪口はお得意の『チョットまずかったかもしれないけどマメゾンの事を想って一生懸命やった』という理論を展開させ反論してる。
「部長、申し訳ありません。
またウチの猪口がバカやらかしたようで」
俺は部長にそう声をかけ猪口の言い訳を遮る。
部長は俺の顔を見て苦笑いを返してくる。
さすがに外部まで問題を広げた猪口に対してそんな顔になるのも仕方が無いだろうという。
猪口は何を思ったのか俺を嬉しそうな顔で迎えている。
どうやら配送時間変更の依頼に対して何故か高圧的な口調で撥ね付けたらしい。
猪口は彼女の中でよく分からないランク付けがあり、媚を売る相手にはまだかわい子ぶった顔を見せるが、どうでもいい相手には無関心、見下した相手にはあからさまに蔑んだ態度を見せる。
社内でも営業部の地位は高く、また専務の姪である自分に、ヘコヘコすべきと思っているのではないかと思う所がある。
何を考えているのか偉そうな態度で関係部署に接して、かなりの反感を買いまくっているようだ。
そういう状況だから、引き取り先の部署選定が遅れているのだ。
そして今回そういった面を社外の相手にも見せたようだ。
よりにもよって営業部の無理にいつでも応えくれるという散々お世話と面倒をかけまくっている服部運送に対して……頭が痛い。
「ったく、何で次から次へと問題だけ起こす。
皆の足引っ張るだけしかしないってどういう事だ?
それに先ほどと、客先から俺への急を要する電話があったのに、何も聞かずに切っただろ 先方さんも困っていたぞ。俺の携帯に直接連絡あった」
俺も一緒に叱ってきた事に猪口は不満そうだ。
何故俺が庇うと思ったのか? 俺の言葉に佐藤部長の眉間の皺が深くなる。
「余計な事するなと言われもので……それにそうやって連絡ついて問題なく話が通じたから良いではないですか」
コイツは何故自分の非をここまで認めないのだろうか?
悪いと思っていないからだと分かるのだが、何故ここまで叱られていて、そう思えるのか謎である。
「余計な事はしなくても良い。
しかし常識的な事当たり前の事くらいはちゃんとやれ!
電話があったら、要件を聞きそれをしかるべき相手に伝える。
日本語がつかえるなら簡単な事だろ? 普通に会話する事もできないのか?
まともな電話対応も出来ないなら、もう電話に出るな」
そう一気に言い立てると猪口はむくれた顔をして下を向く。
やはりここでも『申し訳ありませんでした』の言葉もない。俺はそんな猪口から佐藤部長に視線を向ける。
「服部運送さんには今どう対応されているのですが?」
佐藤部長は溜息を大きくつく。
「谷津君が今対応している。
現在港区において首都高速横で大火災が発生したことと、高速の数箇所で大規模な玉突き事故とかがあり、今首都高が機能していないようだ。
お陰で都内の交通が大混乱している。急を要する貨物はコチラが動いて何とかするよう対応している。そういう状況だから今日謝罪に行っても混乱しているだけにかえって迷惑なだけだ。日を改めていくしかない」
俺はその言葉に頷き返事をしてからチラリと猪口をみるとまだ拗ねているようだ。
谷津さんらに面倒をかけてしまった事を申しわけないとかコイツは思わないのだろうか?
視界の端で佐藤部長がらしくない冷たい目で猪口を見つめているのが目に入った。
その表情で、猪口の異動が早まらないかなと期待する俺もいた。
俺はJoy Walkerさんからの依頼された仕事を報告するついでに、猪口が今日もう一つやらかした事もシッカリ伝えて置くことにした。同時に猪口の所為で増えた面倒過ぎる業務について悩んでいた。