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スモークキャットは懐かない?  作者: 白い黒猫
イタリアン・ロースト
90/102

コレがあるから頑張れる

 まだ佐藤(さふじ)部長が動いていたならば、軽く冗談を交えてクレームを切り出しもう少し穏やかに物事は進んでいたと思う。佐藤部長も鬼熊さんと情報交換しつつ状況を見守り交代のタイミングをはかっていたようだ。同時に他部署の若手に探りを入れ交代人材を探していた。


 しかし澤ノ井さんが動いてしまった事で社内は必要以上に大騒ぎとなってしまう。巨大怪獣が暴れた後には何だかの爪痕と恐怖に震え青ざめた人が残る。一番の被害者で一番現状を訴えなければならない俺や鬼熊さんがそのフォローに回るというのも不思議な話である。高圧的にクレームを告げ、猪口を移動させ使える人材との交代を強く求める澤ノ井さん。その剣幕におののき慌て俺達に状況の説明を求め、言い訳を告げてくる人事の人達。かなり猪口に怒りを感じていた俺であるが、澤ノ井さんの直撃をうけてスッカリ萎縮している人事の人の前では冷静にソフトな態度で状況の説明をするしかない。逆にそう務めることで、他の人と猪口の件を語り合う事を冷静に行えたというのも皮肉なものである。


 そうやって冷静につとめ情報を入れた事で猪口について見えてきたこともある。初めあんな見るからにダメだろという人物を営業に入れてきた人事に怒りを覚えていたが、何故彼女を営業向きかと誤解した理由も少しは理解できた。一つは前年に陽気で本当の意味で無邪気で社交的な相方という存在があったことで、面接でも積極的に自分の事を話す猪口を似た社交的なタイプと見間違えた事。また猪口は、大学も悪くなく勉強はそれなりに出来る馬鹿だったので、筆記試験の成績もよく、また論文もパッと読んだ感じ悪くない内容のモノを書いていたのだ。とはいえ営業戦略を語った某ハウツー本の内容をかなりパクったモノではあったが、それを知らなければ理論的に仕事を展開できる人物だと誤認してもまあ分からないではない。そして一番の怖い所は、猪口自身が実情無視の自信家で何を根拠にと首を傾げてしまうのだがその自己評価がありえないくらい高く、自分に甘い。自分を何でも許される【愛されキャラ】と勘違している。彼女が服装の事にしても注意しても聞かない、失敗しても謝らないのはその事が悪いとまったく思っていないからだ。あの服装で己の魅力を最大限に見せる恰好をすることで、社内の人は客先の人にもチヤホヤされ仕事を楽に進められると思いこんでいるし、全ては流され許されると思っている。自分の笑顔にはそれだけの価値があるとそう勘違いしているところがある。学生ならば周りから顰蹙をかっていようが、それでやり過ごす事ができても、社会に出たらそうはいかない。もしこれから社会人としてやっていくならば、ここでハッキリとそのプライドをへし折り挫折させる必要がある。でないとコイツはこのまま暴走する。そういう意図と、本気でムカついている事もあり、態とプライドを傷つけるような言い方をしているが、猪口の鈍感力とスルー力は思った以上に強力だった。また注意力散漫な事もありポカミスが多い。

 【糠に釘】という言葉は、手ごたえのないという意味だけでなく糠に手を突っ込んでしまい手がヌルヌルとしてしまい不快な気持ちになる事まで含まれているのではないと感じる日々だった。

 せめて営業事務として使えるかとも思ったが、細やかな心遣いと丁寧さが必要とする営業事務、その両方が皆無の猪口に勤まる訳がない。案の定任せてみてもダメダメで、その言い訳が『デスクワークなんて地味な仕事私にあってない』であった。

 何よりも一番ムカついているのは、猪口が自分勝手に色々やらかしてくれたるお蔭で、スケジュールが無茶苦茶になる。予定が組みにくく平日デートも出来ない。頼んだ作業もバッチリできた試しはなくそれを全て念入りにチェックえねばならない事、彼女が関わった部署からの苦情という名の愚痴聞き。戦力どころか仕事が増えていて邪魔にしかなっていなかった。

 しかしそんな日々の中であっても外せないイベントがある。それは煙草さんの誕生日。付き合ってから初めての誕生日という事もあるが、何よりも誕生日という大義名分で思いっきり彼女に構い倒し甘やかす事が出来る。まだ付き合いが短い事もあるとは思うが、煙草さん思ったよりも甘えてくることをしない。初芽の強がって甘えてこないというのとは根本的に意味が違い、義理堅過ぎる煙草さんの性質によるもの。例えばディナーを奢ってあげると、その後煙草さんがランチを奢ってもらってチャラになると思うのだが、同じ価値分返さないと気になるらしい。ディナーを奢ると次ランチと喫茶店などまで出して返そうとする。

『別に気にしなくても良いのに。俺が楽しませてもらった時間だし』

 そう言ってみるが、煙草さんは困ったような悩んでいるような顔をする。

『そうですよね。私も楽しかったです。二人で楽しんだ時間だから私もお金払う権利があります!』

 別にお金の問題ではないようで、俺が指導という名の八つ当たりした時も大福返してきたし、恩や感謝の気持ちをシッカリ返したい質なのだ。しかしそこまで全返しする必要もないと思うのだが、彼女はシッカリ返したいようだ。

 何でもない事に対しても、『ありがとうございます』『嬉しいです』の言葉と笑顔を可愛らしく返してくるのもその性格によるもの。そんな彼女だからまた何がしてあげたくなるものである。

 そういう彼女にサプライズをしかけようと密かに計画を練っていた。日にちでその日デートに誘うとバレそうなので、『四月の三週目の水曜日は空いているかな? その辺りになったら今のゴタゴタも終わりそうだからゆっくり飯でも食いにいきたいかなと思って。行きたい店あるんだ』という感じの言葉で煙草さんの予定を押さえておいた。煙草さんにピッタリの揺れ感のある可愛らしいネックレスをプレゼントとして用意して、俺のお気に入りのフレンチレストランを予約して、俺には分からないけれど美味しいらしいシャンパンを見繕ってもらい、誕生日ケーキも手配して完璧なお祝にするつもりだった。


 その直近の週末のデートでも、煙草さんの誕生日なんか全く知らないように過ごす。煙草さんも忘れている訳ではないだろうが『実は……』とか言ってプレゼントを強請る事もしてこない。そこが煙草さんらしいが、この時くらいワガママ言ったりお強請りしても良いのにとも思う。

 その日は煙草さんが取材で関わったお店が二子玉川のイベントに参加しているということで、その取材と挨拶がありその会場で一人動いている。流石に一緒に行動する訳にはいかないので少し離れた所で彼女の仕事ぶりを楽しく見学してから、近くにあった蔦屋書店に入った。ココの本屋は本をのんびり探して楽しむのも良いのだが、俺にとってお気に入りは家電売り場。見た目もお洒落な海外家電が多く、何よりも珈琲メーカーの品揃えが素晴らしい。イタリアのブガッティ・イタリーのDIVAエプレッソマシンの斬新なデザインや、曲線の美しいアトミックコーヒーマシンのフォルムをウットリと眺めていた。コーヒーを飲むには上質の豆とそれを旨く淹れる技術があれば良いのだが、愉しみはそこにどんな器具を使いどう淹れるのかというところから始まる。

 その為すでに俺の部屋にも様々なコーヒー抽出器が既にある。それでも、お店でまた違う抽出機を見ると心が踊る。

 特に海外の器具は、ただ淹れるだけでなく器具そのものがスタイリッシュで眺めているだけでも楽しめるモノが多い。機能美というものから、何故この形状に? と驚かされるものまで。どちらにしても製作者の拘りと想い強く感じる、それが俺の気持ちを熱くするのかもしれない。目の前に並ぶ器具で珈琲が抽出されていく様を想像する。心の中に広がるコーヒーのアロマに俺は気持が安らいでいくのと同時に喜びが込み上がってくるのを感じ唇が綻ぶ。

「お待たせしました!」

 柔らかい声で珈琲の世界から現実に戻る。ふと横を見ると声によくあった柔らかい笑顔の煙草さんが立っている。空想で珈琲抽出してニヤニヤしていた所を見られて少し恥ずかしい。


 煙草さんは引いている感じも気にした様子もなく、ニコニコした顔のまま今まで俺が見つめていたエスプレッソマシーンを見つめ首をかしげる。

「この赤いラッパみたいになの、エスプレッソマシーンなんですか?!」

「イタリア! って感じで面白いだろ? 実はミキサーも同じデザインであるんだ」

 煙草さんは感心したように、見入っている。

「海外の家電は、センスから違うというか、使う前からワクワクさせるモノがあるよね」

 煙草さんはコチラを向いてニッコリ頷く。

「素敵ですよね! でも逆にこのエスプレッソマシーンが似合うキッチンが欲しくなる状況ですよね」

 その言葉に笑ってしまう。

「いいね。そういうキッチン、現代的なシャープなデザインのキッチンでも格好よくなりそうだけど、意外とウッディーと煉瓦でレトロな中にあっても面白いかも」

「寧ろシンプル過ぎる実験室みたいな無機質な感じでも映えますよね」

 二人で家電見ながら、そんな他愛ない話をするのが堪らなく楽しい。

「あっ! コレ清酒さんの部屋にあって何かと思っていたんですが、エスプレッソマシーンだったんですね」

 パヴォーニ社のエスプレッソマシーンを指差しそう聞いてくる煙草さんに俺は頷く。メタリックで丸い圧力ゲージにレバーがあり、家電というより装置か実験器具っぽい。

「そうなんだ。コレ良く行くJAZZバーに置いてあって、動かしている時の様子も素敵過ぎて買ってしまったんだ。自分の感性でエスプレッソ淹れているって気持ちになる」

 煙草さんはホウホウと興味津々という表情で聞いてくるので、俺もついつい調子のって喋りすぎる。それに気付き今度は聞き役に周り煙草さんの先ほどの取材の話や、彼女自身の話を楽しむ事にする。何をするわけでもなくただこうして会話しているだけで楽しく、イチャイチャしたらもっと楽しい。最高の週末である。

 来週は煙草さんの誕生日。平日もこの様な楽しい時間が待っていると思うと頑張れるものだ。俺は先ずは今という時間を楽しむ為にさり気なく腕を伸ばしソッと小さなその手を握った。この後ウチにエスプレッソでもご馳走すると呼び込んで……俺は楽しく本日の予定を組み立てそれを実行するために動き出すことにした。


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