『殺る気』が積もる日々
猪口が配属されて一週間程経った。普通それだけあれば良い所の二つや三つ見つけられて可愛げも出てくるのだが、俺から見て容姿以外に【良い】と思える所がまったく見つからない。というか悪い評価ポイントだけが加算されていく。
新人の謙虚さ可愛さというものが一切なく図々しくてふてぶてしい。良く分からない目線の高さから話をしてくる。
顧客に新人を紹介する時も、それがこんなに恥ずかしいと思った事はない。人の話を聞かず遮り、直ぐに自分の事を語ろうとする。兎に角空気が読めない。他の営業にも同行していたのだが、『なかなか強烈な個性の子だね』苦笑させている。
鬼熊さんに洋服の事を注意されても『ハーイ分かりました』と口では応えるものの、次の日も変わらずピラピラした格好で現れている。
新人歓迎会の席で、やたら俺にしつこくビール勧めてくるから、下戸で酒がまったく飲めない事をハッキリ伝えると『清酒さんってカワイイ~親近感わいちゃいました♪』とぬかしやがった。初めて見た時から苦手だったが、日に日にヘイトが溜まっていくのを感じる。
俺は猪口が提出してきたお客様巡りの際にかかった交通費を請求する用紙を見て溜息をついてしまう。
「猪口さん、コレをチェックしたのか?」
そう聞くとニッコリとアイドルスマイルで頷いてくる。社会人なら口で返事しろと思う。猪口に対する言葉使いが日に日に他人行儀で冷たくなっていくのを実感しているけど、それでいいやと思う俺もいる。
「何でこうもミスが多いのかな? まず日付! 相方は書類作成の時はまずここをから入力しろと言っていたと思うけど?」
ここの入力忘れは一番多いミスだからだ。それに書類にとってここは結構重要な意味をもつ。
「え~それは聞いていません。教え忘れているんだと思う」
横の席だったのでそのやりとりが聞こえたのだろう。相方が『え?』という顔をして顔を上げコチラを見ている。
「初日に、お前に相方がシッカリ説明していたのを聞いたぞ!
あとマニュアルにも書いてあるはず。あれもちゃんと目を通しておくように言われていたよな?」
そう言うと誤魔化すようにヘラリと笑う。
「聞いてなかったみたい。そしてマニュアルは忙しくて、まだ読めてなくて」
コイツは……。俺は猪口を睨みつける。バタバタはしていても忙しいという程ではない筈だ。ウチの営業恒例のお客様周りの時も、営業の人のスケジュールの関係で自習時間というべき暇もあったはずである。
「やる気ある?」
自分で声が低くなるのを感じる。
「ありますよ~とぉっても♪」
あの相方が冷たい視線を猪口に向けているのが見えた。相方は教育係として一番近くで猪口を見ていただけに、そのヒドさは一番分かっているからだと思う。何かミスしたら『相方さんはそんな事言ってくれなかった』『聞いていない』と言い訳する。実際俺も横で見守っていたからそうでないこと分かっているのにそう嘯く。しかも猪口は仕事の質問を相方ではなく、何故か俺にいつもしてくる。そういう事繰り返してくると相方が匙投げるのも当然だろう。それでも相方に教育係続行を命じたが、いくら教えてもそれを身につけてくれない相手だとやりがいも失くしていく。オマケに自分を無視して先輩からだけ教えを乞う行動を繰り返す。あれ程張り切っていた姿が嘘のように、猪口にから引き始めている。
「半角全角は統一して入力しろ、書類に書く際は訪問した企業名は正式名称で書くように」
ツッコミ所満載の書類をパッと見て感じた所から指摘していく。
「あと人名の間違えが多すぎる。渡邊さんの邊は方角の方の入ったヤツで――」
【渡辺】の字を示してから机の上にあったメモに【邊】と紙に書き込む俺の手元を覗き込んでいるからか、やたらピッタリくっ付いてくるので、俺は軽く猪口を腕で押しやって距離をとる。なんで交通費費請求の書類書くのだけで、ここまでミスが出てくるのか分からない。
「でも、分かるからいいよね? どちらにしても【ワタナベ】さんだし。備考欄はあくまでも参考的なものだよね? 清酒さん、そんな細かい事気にしていたら、仕事なんてしてられませんよ、もっと大らかにいきましょうよ」
猪口はまたしてもトンデモナイことを言ってくる。
「書類というものは正式名称をキチンと書くものだ。誰がみても正しく理解してもらうためにな! それに営業全体で【ワタンベ】さんは何人いると思う?
……それ以外でも、人名でちゃんと書けている人が殆どいないってどういうことだ?
惠藤さんの惠はこの【江】の方でなく【恵む】の旧字だ。眞水さんの字はこう。あとこの生酒って俺の事か?」
確かにウチの課は特殊な苗字の人が多い。しかしそれだけに逆にインパクトあるから記憶に残りやすく一発で頭に入るものだと思う。皆『〇に〇と書いて〇〇です。』と最初に挨拶してくるからだ。それに客先訪問でお世話になった人の名前をここまで間違えるってどういうことなのだろうか?
「清酒さんの名前は、ウッカリしていました。居酒屋で先日そちらの字見ちゃったので」
能天気に笑う猪口に俺は睨みつけるような視線を向ける。そもそも生酒の文字は【セイシュ】と読まないだろう。
「いいか? 営業として相手の会社の名前、そして人名は最も間違えてはいけない所。そういうウッカリなんて今後、許されないと思え!」
やや語彙を強めていったら、少しは少しビビったのか驚いた顔をするが、すぐにヘラっと笑い『は~い!』と答えてきた。
俺は頭痛を感じ、額を押さえた。
「サッサと書き直してこい!」
俺はそういい猪口を追い返し溜息をつく。ふと視線を横に向けると、鬼熊さんが猪口を見て眉を顰めている。基本相方に教育を任せ一歩引いて目に余る所だけを注意している俺とは異なり、鬼熊さんは想定以上に酷さから細かく指導を与えているだけに俺以上に苛立ちも大きいのだろう。今までにない程、悩みの色を強くした顔をしていた。鬼熊さんは理性的に優しく指導をしているけど、その段階は終わっているように思える。
そして散々浮かれ感じで能天気に過ごしている猪口は五時の定時と共に職場から消える。グループ三人でなんかホッとして溜息をついてしまう。
帰る前に何かせねばならぬ作業が他にないか、お手伝いすることもないかなど確認して帰るべきところを、定時で帰って当然という顔で『失礼しま~す』と帰る事にもうツッコム気にもなれない。というか、さっさと視界から消えてくれた方がありがたい。精神的なら意味で。
「相方、お前も疲れただろ。珈琲でも飲むか?」
俺は一番猪口に接していて疲れ果てている相方にまず声をかけて、視線で鬼熊さんにも珈琲を飲むかをきく。相方は甘いモノ、鬼熊さんは濃いエスプレッソが飲みたいと応えてきたことからも、二人の疲労がうかがえる。
「あっ俺が淹れてきますよ」
「俺は作業の切りがいいから、お前は猪口のせいで仕事色々出来てないだろ、そっちを終わらせろ」
立ち上がろうとする相方を止めて俺はカフェエリアへと向かう。コチラはちょっとしたテーブルと椅子があり、一服して気分転換したいとき、ミーティングルーム使う程でない軽い打ち合わせとかにも使える空間になっている。そしてウチの会社ならでは部分は、今俺達が企業に売り込んでいる珈琲メーカーだけでなく、三課が取り扱っている万能珈琲サーバ【Mスタンド】に、広報戦略部が直で売り込みをかけている家庭用のカプセルタイプのサーバーの【マメカフェ】が並んでいる。自社製品は理解しておくようにとの配慮だろうが、社員としては楽しい空間である。基本軽めのが好きな人や、直ぐに飲みたい人は普通の珈琲サーバー使用し、ガッツリ濃いのを楽しみたい人はカプセルタイプのサーバーを、甘党の人や疲れている奴は万能珈琲サーバーの甘いドリンクを楽しんでいるようだ。気分によって色々選択できるのはありがたい。俺は相方用のモカドリンクをセットしてから、鬼熊さんのエスプレッソカプセルをセットしボタンを押す。満ちてくる珈琲のアロマに少し癒されていると、ポケットで震えるスマフォ。
清瀬くんから何やらLINEが来ているようだ。
【最近さ~美奈がなんか疲れていて元気ないんだ。会社で何かあったの?】
ウルウルした目のウサギが壁から少し顔を出しコチラを伺っているスタンプと共にそんなコメントが入っている。清瀬くんは、何気にカワイイスタンプ使って来ることが多い。
【まあ、新年度だし色々あるよ】
下手にここで色々情報与えても、鬼熊さんから怒られそうだ。そうと漠然とした感じで応えておく。
自分用のセットしている間に出来上がったモカのエスプレッソを二人に運ぶ。その時またポケットが震える。
【そうか~やはり色々大変なんだね。
お願い、美奈を守って助けてあげて!
そんな事を頼めるの政秀さんだけだから。俺近くで守れないし】
その言葉の後に両手合わせてお願いポーズのハムスターのスタンプ。俺は溜息をつく。
【そりゃ、俺はいわれなくても鬼熊さんを支えたいと思うよ。
ただ、彼女を一番癒し楽に出来るのは秀正くんなのでは?
俺が助けられるのは、あくまでも仕事面の事に限られるし、一番鬼熊さんが甘えられるのは秀正くんでは?】
そう書いておくと、【師匠ついていきます!】と目を輝かせ叫んでいるウサギのスタンプ。
【そうだね、頑張るよ~俺も男だ!
美奈を笑顔にするよ! 俺の愛でえぇぇええ!!!!】
なんか、清瀬くんの声でこの言葉が俺の目に入る。清瀬くんの行動は恥ずかしいけれど、家族がいるっていいなとも思う。少し鬼熊さんが羨ましく感じた。
長くなりましたので、二話に分けさせてもらいました