気になる影
最初のデートは無難? に終わり、俺は煙草さんとの関係を穏やかだけどペースはタイトに進めていく。メールのやり取りは分かり易くあの日を境に増やした。とにかく煙草さんの心に俺という存在を意識させたいから。といっても色っぽい内容でもなく、俺は日常の中で見つけた面白いネタの提供で、彼女からの内容も日記のようなもの。それに少し愚痴と悩みを漏らす感じ。面白いもので、面と向かっている時よりもメールでの煙草さんは少し弱気。仕事での不安や、それを乗り越えた時の喜びを俺にみせてくる。それがなんか嬉しくて俺は社会人の先輩としてのアドバイスを偉そうに返す。
『今そのような形で先日お話していた件上手く勧められそうです! ありがとうございました!』
してあげたなんて大層な事したわけでもないけど、俺が彼女へ行った行為には、必ずこういう報告と感謝の言葉が伴って返ってくる。あの最初のデートで若干弱さを晒してしまった後だからか、相談される内容もより深く繊細な感情を見せるようになったように感じる。そんな質問に俺が答えて、煙草さんが元気になり頑張るというルーティンも俺には楽しかった。
煙草さんが弱さを俺に見せてくれる事、仕事のことなどを話し相談してくれるのが嬉しく、そして同時に頑なに弱さ辛さを見せなかった初芽を思い出しあの時の感情が蘇り哀しくなる。煙草さんに初デートの時、今までの恋愛を聞かれ答えたせいもあるのかもしれない。煙草さんお付き合いするようになってから、何故か初芽の事を考える事が増えた。好戦的なのに内向的、友好的で外交的。煙草さんと初芽は真逆の性格。だからかもしれない。煙草さんの影に初芽という存在を強く感じる。そう考えてから馬鹿な事をと俺は頭を横にふる。
エルシーラの給湯室で珈琲を淹れ直し皆に振る舞っていた。海外事業部の話などをさりげなく聞いて、初芽のいる部署が順調にいい成果あげているのを聞きホッとする。つい気にしてそうしてしまう初芽への気持ちは愛なのか? というとかなり難しい。愛しいとは思うけど、以前のように心に燃やすには決定的に何か足りない。煙草さんを前にした時の、あの表現し難い込み上げてくる熱い感情と、煙草さんの為に何でもしてあげたいと沸き起こる想いとは比べ物にならない程醒めて重い平坦な感情しかない。
初芽はFacebookで仕事の事などを言う訳もなく、最近は腹黒猫の写真とか、向こうでの風景を撮ったものが多い。そして日常よりもニュースや読んだ本について語っている事が多い。そして俺とは気が向いたときに【イイネ】を送りあうだけの関係。この関係にどういう名前を付けてもいのかも分からない。
今は多分公私共に充実して楽しんでいる。その事を喜びつつも、自分の力で彼女にそういう喜びをあたえられなかったことが悔しい。それが初芽に対する正直な気持ちなのかもしれない。
初芽の事を考える事で生まれる切ない痛みを誤魔化し笑顔を作り、コーナーにある休憩エリアでの会話を楽しんでいたら、小柄の背広姿の男性がニコニコ近づいてきた。
「こんにちは~お世話になっております」
ニコニコと笑いながら差し出してくる名刺。その名刺に黄色のラインに書かれた濃いグレーのオアフィスの文字。俺に差し出された名刺だがそれを受け取るべきかどうか悩む。明らかに俺をエルシーラの人と間違えている。周りにいたエルシーラの社員さんが空気読んで代わりに受け取ってくれる。
「オアフィスの安居と申します。皆様珈琲がお好きなのですね。実はわが社も珈琲の販売を始めまして、どこよりも安く他社と変わらぬ品質の珈琲を提供できますが」
その言葉を俺は柔らかく見える笑みを作り応じるが、周りのエルシーラの社員たちは苦笑している。オアフィスは【オアシス】と【オフィス】を合わせたという名前の会社でオフィス用品のメーカー。しかし最近何を考えたかコッチの領域まで手を出し始めて珈琲豆と珈琲メーカーをオフィス用品の一つとして売り出したのだ。それが、マメゾンに限らず同業他社と比べても圧倒的に安い。また他のオフィス用品と一緒に注文できるとあって乗り換える企業も少なくない。俺達珈琲業界としては面白くない相手。まさかこんな風にバッティングするとは。
珈琲畑の写真や、オフィスで珈琲を飲んでいるモデルの男性などの写真の入ったパンフレットを俺に示しながら説明を始める。【高品質の豆】【安らぎの芳香】とか言う言葉があるが肝心の豆の情報がまったく書いていない。
ここで俺が一番偉そうに見えたのか、俺に価格表を示して珈琲の説明をしはじめる安居という男。エルシーラのメンバーは完全に面白がっているのかニヤニヤと傍観している。
「その珈琲について、お噂は聞いています。ところでオアフィスさんの珈琲豆は何処の豆を使ってブレンドを作られているのですか? 味の特徴は?」
安居は俺の前半の言葉に二コリと嬉しそうに笑うが、後半の言葉で視線をキョロっと泳がせる。
「豆は皆様にリーズナブルに美味しく頂いていただくために様々な豆を腕のある職人がブレンドしたものでして。大変飲みやすい味になっております」
なんだ、そのボケボケな説明は。そもそも質問と答えが微妙にあってない。仮にも商品として売る立場なら何処ベースでせめてハードかソフトとか苦味酸味がどうなのかとか説明するモノだろうと思う。俺だったらそこまで詳細な情報を求めてない人には味の特徴の説明、そして求めてきた人には豆の事を加えたちゃんとした説明をする。まあ所詮、文具屋。珈琲については詳しくないのだろう。さてどう追いつめようかなと口を開こうとしたら、丸山部長が近づいてくるのが見えた。
「あら、良い香りするかと思ったらやはり【マメゾン】さんがいらしていたのね。私にも珈琲を頂ける? あと色々ご相談したいこともあるので珈琲飲みながらアチラでお話しましょう」
名前ではなく態々【マメゾン】と俺を呼んだ所に丸山部長の人の悪さを感じる。俺は笑顔を作り『喜んで』と答えるしかない。オアフィスの安居は俺に手渡そうとしていたサンプルの豆を慌てたようにひっこめる。そりゃ一番サンプルを渡す価値のない相手だろ。エルシーラの人間ではないどころか珈琲会社の人間である。
「オアフィスさん、珈琲に関しては間に合っているから紹介していただけなくても大丈夫よ。
さあ皆も十分休んだでしょ仕事に戻りなさい」
ニッコリ笑ってこの良く分からない会を解散させる。
応接室で丸山部長と改めて向き直る。丸山部長は俺の顔を見てフフと笑いながら珈琲を飲む。
「貴方って結構闘争的なのね」
そう言われ俺は肩を竦める。そういう訳ではないが、前に客先で暴行騒ぎ起こしただけに否定しても説得力がないのが哀しい所。
「別にただ穏やかにお話していただけでしょうに。それにあの価格でウチとかと変わらぬレベルの珈琲を提供しているというオアフィスさんに興味もありましたし」
丸山部長は『変わらぬレベルね~』そう呟き苦笑する。
「飲んだことあるけど、酷かったわよ。客先で出されたのだけど、つい言っちゃったわよ不味い事を」
俺は『ほう』といい少し身体を前に乗り出す。ネットでの噂で『香りがない』『あれならインスタントコーヒーのほうが良い』とかいう話は聞いていたものの、一般で流通させている豆ではないのでその珈琲の味はマメゾンの人間には謎だった。
「香りはまったくないし、なんていうのかしら珈琲プレスで淹れたみたいな舌に残る感じで。珈琲メーカーにも問題があるのかしら? 貴方が喧嘩うることもないようなものだったわよ」
挽きが細かすぎるのか、フィルターが荒いのか……。客先でありながら文句いうくらいなら相当なのだろう。とはいえこの丸山部長なら歯に衣着せずにズバズバ言いそうでもある。
「そうであっても、安さからそちらを選んでしまうお客様も世の中にいるもので、ウチとしても気にしている所です。
逆にそこまで言われる珈琲の味にも興味沸きますね。
先ほどサンプル頂けそうだったのに丸山部長に邪魔されてしまったのは残念です」
丸山部長はフッと吹き出す。
「まあそう愚痴を言わないで、貴方にお仕事の話もってきたから」
そろそろ業界の展示会が行われるシーズンである。そこで商談にまで至ったお客様へのサービスにいつもウチの珈琲を使わせてもらっている。そろそろその話は来るだろうと読んでコチラにきていた。俺はニッコリと笑って、談笑タイムを終え、真面目に仕事の話を始めることにした。