此処が一つの転換点
数日後、社内の人事異動の告知がある。そこで澤ノ井さんの移動は営業部の皆に小さくない衝撃を与えていた。この日の話題はそのことばかりになる。俺に不安げに聞いてくる人も多かったが、俺としても馬鹿話をしているだけの関係なので彼らが、たいしたこと語れるはずもない。
「見た目とは違って気さくな人だし、面白い人だよ」
そう答える事しかできない。澤ノ井さんは身長百八十センチを超す大男で、しかも筋肉を感じさせる横もある体格で男臭い外見。さらに声は低いのによく通り大きくとにかく目立つ方。そして営業の三課の人から苦手意識を持たれている。
三課はカフェ部門の運営をしている為に、広報戦略企画での仕事を直結して実行する事が多い。そこで広報戦略部が仕掛けた企画を課に伝える際、毎回かなりな圧をかけて説明をして、容赦なくハッパをかけてくるとか。そんな三課から俺のいる二課のメンバーに情報が伝わり皆戦々恐々としている。
二課の俺は直で仕事は関わった事はないが、実際話す前はそれなりに色々噂を聞いていた。有能だがかなり強引な仕事の進め方をする人物だと。
あの珈琲万能サーバーを担当したのも澤ノ井さんで、思うように売上が伸びてなかった時の報告する会議での怖さは言葉に言い表せない、と手下が言っていたのを覚えている。その当時手下に愚痴られ、澤ノ井さんにも営業部の不甲斐なさに対して嫌味を言われたのも記憶に新しい。
『そもそもの企画の段階からして方向が見当違いだったから営業が苦労している』と俺はウッカリ言ってしまい、さらに怒らせてしまった。まあ頭が堅いわけではなく、トコトンまで腹割って話せば分かってくれる。しかし見た目のゴツさと、立つ弁がそこまでの段階へ進ませる事を阻害している所が困った所だろう。俺もあの時数時間議論を飛ばしやりあったことで蟠りもとれ今の関係となっているが、そこまで討論をするのもなかなか面倒。
悪い人ではない。ただ皮肉屋で口が悪い。頭の回転も早くそのテンポで理詰めに責められると、それを受ける方はキツイものがあるとは思う。
告知のあった週の終わりの午前中、その澤ノ井さんが営業に顔を見せに来た。
「四月から、営業に配属されることになる澤ノ井です。まあ、今までも営業とは仕事で色々関わってきていたので、改めて俺の自己紹介はいらないだろう。俺はこういう性格だから言いたい事は何でも言わせてもらう。それだけ真剣に営業を盛り上げたいと思っているからだ。 仲間としてここでもガンガンやっていくらつもりなので宜しく!」
堂々とした挨拶に皆笑顔作りつつも低いテンションで応じる。傍目からみてひいているのを感じた。実行力のある澤ノ井さんが営業に来るのは面白いとは思っていたが少し不安になる。大変な状況になりそうだ。思った以上に澤ノ井さんに皆が怯えている。
「文字通り大型の仲間がウチにくることになった。ゴリラのようだが、意外と頭もよく使える男らしい。皆仲良くしてやってくれ」
佐藤部長らしいふざけた紹介で笑いが起こり少し部屋の緊張は解ける。澤ノ井さん以上のキャラのある佐藤部長がいるから心配することも無いかもしれない。
挨拶を終え皆それぞれ仕事に戻った後澤ノ井さんは佐藤部長と何やら言葉を交わしていた。来季からの簡単な打ち合わせをしているのだろう。俺は午前中の今の時間を使って書類仕事を片付ける事にする。
バンッ
集中していたらいきなり背中を叩かれる。今ここでこんな事をしてくるのは一人だけ。
「イタッ、何ですか、いきなり!」
顔を顰めながら振り向くと、案の定澤ノ井さんがニヤリとコチラをみて笑っている。
「よっ、結構真面目にやっているんだな」
「【誠心誠意、何事も真摯であれ】がモットーなので」
澄ましてそう言うとハハハと笑われる。そして視線を鬼熊さんに移し挨拶を交わしてから、相方を見て人の悪い顔で笑う。悪意ないのだろうが、こういう笑みを人に向けがちな方なのだ。
「ミスター珈琲くんか、ほんと女顔負けのカワイイ面しているな!」
相方は笑顔を作っているものの若干傷ついたというかムッとした目をしている。笑顔で睨みは隠しきれてない。相方はアイドル顔をしているものの、実はその容姿を本人は全く喜んでいない。顔の話題をされることは本気で嫌がっている。特に【カワイイ】とか【女顔】は禁句である。背の話はギリオッケー。弄られやすい部分が、ウィークポイントであるという実は困った所がある。だから鬼熊さんも俺もからかうにしても、顔の話題は避けている。
「しかしコイツはこうみえて中々なものですよ。根性もあるし、タフだしパワフルで、色んな意味でただ者ではない」
俺がそう言うと相方の顔からパッと怒り成分が消える。そして俺を見ながら顔を少し赤らめ、嬉しそうな顔でいながら手を横にふり『それほどのモノではありませんよ~』と否定している。すぐに機嫌がなおりいつもの能天気な様子をみると、フォローしてやらなければいけない程繊細な男でも無かった事を思い出し、余計な事をしたとも思う。
「まっ、噂は色々聞いているけどね。君の武勇伝。これからよろしく頼むよ」
澤ノ井さんは相方にそう笑いかけ、相方は『はい! 頑張ります』と良いお返事を返す。最初の言葉で相方が澤ノ井さんにどういう印象与えたかは読めないが、他のヤツらとは違って恐れてはいない事に安堵する。澤ノ井さんはそんな相方をフフと笑ってから、営業部を見渡してから俺に視線を戻す。
「営業は広報と比べるとなんか、部屋が全体的に綺麗でサッパリしているんだな」
俺はいつも雑然としている広報戦略企画部の部屋を思い出し溜め息をついてしまう。
「普通でしょ、コレが。あの部屋が汚すぎるだけですよ。澤ノ井さんもコチラ来たからには整理整頓には心がけて下さい」
俺の言葉に澤ノ井さんは苦笑いをする。
「お前はいつも言うよな~容赦ないというか、遠慮ないというか。しかし男の机だとあのくらい普通だろ」
普通では断じてないだろう。まあ複数の企画を回しているだけに、その資料とかも多く大変なのは分かるが、よくあの机で仕事が出来ていると感心する。
「澤ノ井さんは机の使い方からして間違えていますから! 営業の個人机は物置ではないので! あと別に作業机も用意されていませんのでその点を理解して下さい」
澤ノ井さんは「オォッ」と声を出す。相方がそのやり取りを仕事しているふりをして、コチラの会話を気にして聞いているようだ。ったく、大した話していないのだから、真面目に仕事しろと言いたいが我慢する。
「何? コレ早速新部署での新人いびりの洗礼ってヤツ? お前って実は小姑タイプ?」
「その言い方って何ですか! 新人というような可愛らしい存在でもないでしょうに」
それを聞いていた鬼熊さんはクスクスと笑う。
「小姑と言うより、心配性なお母さんタイプかもね。すごく色々気になるみたいよ。『お部屋片付けなさい』『身嗜みちゃんとしなさい!』クールなようで、お人好しだから」
鬼熊さんが余計な事をいうから、ますます澤ノ井さんニヤニヤを深める。相方が『そう言えば』と意味不明な合いの手を入れる。俺がチラッとみると、二カッとした笑みを返されてしまった。
大きくと溜息をついてしまう。そして相方だけでなく営業部の皆がコチラの様子を伺っている事に気が付く。やはり澤ノ井さんの存在はここではまだ違和感しかない。澤ノ井さんはちゃんと冗談も通じるし、こういう馬鹿話も出来る相手だと分かってもらえるのもいいのかもしれない。そう思いあえて気付かないふりをして澤ノ井さんに視線を戻す。
「そりゃいい、ならこれからは【清酒お母さんに】甘えることにしよう」
「オッサンに甘えられても気持ち悪いだけですから止めてください。ならば遠慮なく口煩くしてもらいます。
じゃ、俺そろそろ出かけますので」
出来上がったファイルを保存して俺はPCの電源を落とし立ち上がる。そして鬼熊さんと澤ノ井さんと相方に挨拶して営業部を後にした。相方の元気な声に、送られながら気持ちを切り替える。
この時営業の仲間から向けられていた俺への好意的にも思える視線が、実は後での自分の面倒な立場を産み出すフラグだとは気付けるはずもなかった。
経理部により請求書を受け取ってから、まずJaywalkersに向かう。煙草さんとはバレンタイン後二回程一緒に食べにいったが進展はなし、微笑ましい明朗健全な関係が続いている。とはいえ、平日はとはいえほぼ毎週男と女が夜に何か食べにいっているって仕事上のお付き合いの仲の範疇は明らかに超えている。何か間違いの一つでも起こりそこからってなりそうなものであるのに、この状態が保たれているのはある意味異常事態にも思う。
車から降りて、営業モードに気持ちを入れ替え編集部に入る。扉を開けた瞬間聞こえたのは凜と響く煙草さんの声だった。
「佐藤さんとか、田中さんとかと、結婚してこの珍名からオサラバするのが、小学生からの夢なの!」
どうやら煙草さんは、元気に手を振り上げて、熱く自分の夢とやらを語っている最中だったようだ。煙草さんにとって【煙草】の苗字は最も許せない自分の汚点。大概の事はニコニコと応じられる煙草さんだが、自分の苗字の話題となるとブルーとなり愚痴っぽくなる。嫌煙家の煙草さんに唾棄すべき案件なようだ。しかし音の響き的には【タバコワカバ】って悪くないとは思っているが機嫌を悪くするから言えない。ズレた結婚願望はあるくせに、恋人を作ろうという気配もない。そこが煙草さんらしい。
「マメゾンの清酒です。今日は、新しい味のご紹介も兼ねて立ち寄ったのですが、珈琲豆の在庫とか、大丈夫でしょうか?」
俺は取りあえず普通に挨拶してみることにする。俺が入ってきていたのに気が付き、振り上げていた手をそっと下ろしコチラを見て恥ずかしそうにお辞儀する煙草さん。そして誤魔化すようにヘラリと笑った。