哀しげな微笑み
煙草さんへの告白がよく分からない形で失敗をして一週間後から世界旅行アフリカ編は始まっていた。煙草さんのノリノリな主導で。お陰で煙草さんを弄りつつゆっくり観察する事が出来た。そして俺を見上げるキラキラとした視線と好意のこもり過ぎた言動、どう見ても勘違いではなく惚れてくれているとは思う。少なくとも友人以上の感情はもってくれているのは解る。
だからこそ仕掛けてみたのだがあの結果。口説く感じの事をやんわりと言っても嫌がる事はしないで可愛く、そして嬉しそうに照れる。しかしそう言った俺の言動は【フェミニストな人】【大人な男性】の社交辞令に変換されてしまうようで空回る。何となくだが恋愛方向に行くのを無意識に避けているように見えた。そのくせ酒が周り出すと好き好きオーラをハジさせてくるのだ。
俺達の関係に色恋要素を入れないのは真面目な彼女なりのけじめなのかも知れないが、その強引過ぎるカテゴライズには首を傾げるものがある。
いっそ素面の時にハッキリ告白するのも手かなとは思うものの、俺はやんわりとポイ事を言ってみてそのリアクションが面白過ぎてそれを楽しむ時間を過ごしていた。俺自身突然気付いた煙草さんへの気持ちに戸惑いが若干残る事あったから。今迄恋愛した事ないタイプだった事と、まだ熱く燃えるような愛へ挑むには、俺の気持ちが整ってないというのもあるのかもしれない。だからこの緩い関係を楽しんでいた。
客先での仕事が終わりJaywalkerの田邊さんとスッカリ暮れた街を歩く。スーツの俺と、長髪に髭で黒のタートルネックにダウンの茶のコートそれにブラックジーンズという田邊さん。編集もいう仕事柄どこか自由を感じさせる服装。年齢は確か三十半ば、良い感じに若々しく、そして貫禄もある。もともとフリーでやっていた所を羽毛田編集長に誘われてJaywalkerへ入ってきたらしい。自分の実力で仕事してきて、能力を認められ誘われ請われその中から自分の意思で自分の道を決めてきた男の格好良さがある。
羽毛田編集長の次に俺を使う人物で、飄々とした感じで人を巻き込む編集長とは異なり、ニヤリとした男臭い凄みのある笑みで人を動かす田邊さん。やや強引で豪快だが何か憎めない。俺自身が田邊さんという人物に惚れてしまっているのかもしれない。自由で男らしい男というのは、俺のように普通にサラリーマンやっている男からみると、憧れてしまう所がある。
「遅くなってしまったな。何か喰うか?
それとも会社に戻るのか?」
「いえ、田邊さんとの仕事ならこんな事だろうと車も置いてきました。何か美味しい店連れて行って頂けるのでしょ?」
俺がニヤリと笑うと田邊さんは男臭い笑みを返す。そもそも今日の仕事はマメゾンに一銭の得にもならない。田邊さんが今回取材したイートインのついたケーキ屋さん。ケーキはリーズナブルでそれなりに旨いが一緒に出されるドリンクが田邊さんの目からみてあまりにも悲惨な状態の為【ドリンクサービスアドバイザー】という立場で指導する事になったのだ。
個人経営の店で、家族で切り盛りしていて、バイトは娘と娘の友人という感じ。業務用ではなく家庭用の珈琲サーバーと、ティーパックの紅茶を簡単に出しているらしいが、その豆の管理から、淹れ方の雑。煮詰まった珈琲でも気にせず、お茶が温くても薄くても気にせず出すという適当さで流石にこのままではお人様に薦め出来ないと、俺を専門家の指導者として巻き込み改善させる事にしたようだ。
一応俺は自社や他社の珈琲のエキスパートといった資格に、バリスタもlevel2迄の資格を持っていて、今level3を受験予定。専門家というのは嘘ではない。そしてウチの会社でもカフェ専門の営業三課がそう言うアドバイザーも行っている。しかしそれを使うにはウチの商品を使っている相手に限るので使えない。そこで俺に個人的に頼んできた訳である。
「清酒です。今Jaywalkerさんとのお仕事終わりました」
『清酒さん!! お疲れ様です~』
報告の電話を会社にかけると、元気な相方の声が響く。俺は少し携帯から耳を離す。
「そちらは何も問題はないか?」
『はい!! 大丈夫です! 鬼熊さんも何もないとおっしゃっていますよ~はい! ですよね? 代わらなくてもいいと』
あのハジけるような笑顔でどのように喋っているのが丸分かりの声に、思わず笑ってしまう。
「そうか。だったら俺はこのまま直帰させてもらう。お前も余り頑張り過ぎず早く帰れよ」
元気な相方の挨拶を聞いてから電話を切る。その様子を田邊さんがニヤニヤ見ている。
「あのキラキラ天然ボーズか?」
俺は頷き苦笑する。
「Jaywalkerさんでも、何かやらかしていますか?」
田邊さんは苦笑するが顔を横に振る。
「いや、ただいつも明るく元気だなと。そしてウチの女性陣に囲まれあっかるく笑っているよ。あの子がくると総務とかの女子まで来る。ミスター珈琲って物凄い人寄せパンダなんだな」
タラシっぷりはJaywalkerでも健在なようだ。聞いていて状況見えるだけに笑ってしまう。
「アイツが社内歩くと、今どの課にどんなオヤツがあるか見えて面白いですよ」
田邊さんもフフと笑う。そして先を歩く田邊さんが連れていってくれたのはホルモン焼き屋さん。カウンターと数席しかなく、常連さんが酒呑みながらホルモン摘むという感じのお店。田邊さんの顔見るとカウンターの中のオヤジがニヤリと笑い席を勧め、代名詞だけでも伝わるオーダーをする。お酒が飲めない俺には入りにくい店だけにこういう店で食えるのは、俺は嬉しかったりする。以前そんな話していたのを覚えてくれていたのかもしれない。結構酒好きの初芽とはバーとか楽しんでいたもののこういう店は行ってない。まあ男同士で楽しむのが良いタイプの店なのかもしれない。
キャベツ摘んでいると最初の焼き物がくる。【のどぶえ】という豚一頭からわずかにしか取れない貴重な部位で、すぐに売り切れるから一番に頼んだとか。塩でシンプルに焼いた【のどぶえ】は食感風味ともに面白く美味しかった。お酒は飲めないけれどお酒に最高に合う味という感じ。そういう料理の良さと楽しさは大人となって良く分かった。酒は飲めないけど、酒と抜群にあうつまみ系がかなり好きなようだ。田邊さんはそういうものの中でも旨いモノを食べに連れていってくれるから、食べに行くのがまた楽しい。
俺は烏龍茶で田邊さんは日本酒でホルモン摘みながら部下である相方の面白話をネタに田邊さんとの会話を楽しむ。仕事上だけでなくこういうネタ元としても役に立つなかなか良い部下である。美味しい焼き物で俺のテンションもあがり、田邊さんの酒もすすみ会話も弾む。
「そういえばあのミスター珈琲くん、ウチに来て話しているのは、清酒くんの事ばかりだぞ。君か、『社会人とはどうあるべきか教えてくれた』『仕事ぶりが本当にす素晴らしくて惚れ惚れしちゃうんですよ~』とか熱く語っていたよ」
俺もネタにしていたから人の事言えないが、相方は余所でどんな話しているのか? 俺は苦笑するしかない。
「まあ、ウチの天然とその話で勝手に盛り上がっていると言うのかな?」
想像できるだけにそれは脱力する。
「ったく、何を……Jaywalkerさんで話しているのか……。
しかし田邊さんこそが煙草さんにとって目指すべき姿でしょう、記者目指すなら」
田邊さんは、俺の言葉に苦笑する。
「俺に人に教えられるような事は少ないさ、すべて自己流。無理矢理強引に通していっていることばかりだ。上手く人を見て対応して動かす、やはりそういうのは清酒くんの方か得意だろ。
それにあの子のような子が俺の仕事のやり方で学べるところは少ない。本当に公私共に滅茶苦茶だから」
「俺から学べる事も少ないでしょ? 俺とあの子もタイプが違いすぎる」
そう言うと、田邊さんも『確かに、あれはニュータイプだ』と笑う。
「まあタバちゃんは、水やって光当てときゃ、世話なしでも元気に真っ直ぐ育ってくれるだろう。去年のような寿もしそうもないから」
昨年の昼間さんは一年で結婚退社してしまった事は実は編集部としてはかなり腹立たしい事だったようだ。事あることにこういう愚痴を聞かされる。
「でも、彼女も可愛い子だけに恋に落ちて盛り上がって……なんて事はなくもないでしょうに」
田邊さんは、笑うが頭を横にふる。
「タバちゃんは見掛けによらず、恋愛に関しては臆病だからその点だけは大丈夫かな~」
俺はレバーをつまみつつチラリと田邊さんを見るとフフフと笑う。そして六本目となる酒を受け取り飲みはじめる。今日はピッチが早い気がする。それだけ気を許してくれていることは嬉しいけれど介抱するのは素面の俺の役割となる。
「結構その手の事でからかったりしても、『私はそんな恋とかしている場合じゃありません! 仕事に生きていますから』って言うんだよな」
なんかどういう顔で言っているのか想像できて笑ってしまう。しかし何故そこまで言い切る?
「ウチのルーキーと似た事を言っているんですね」
俺のその言葉に、田邊さんは意外そうな顔をする。
「なんだ、アイツも恋愛で何か痛い目にあった口か?」
その言葉に納得する。それで煙草さんは恋愛に関しての良く分からない反応の理由が少し分かった気がする。
「いえ、アイツは男として一人前になってさらに良い恋愛する為の準備の為だとか」
田邊さんはその言葉に吹き出す。
「すげぇ前向きだな。若さというか。俺にはない気合いと思考だ」
俺も笑ってしまう。悩みも苦労も全て推進力に変えていってしまう相方の強さが羨ましい。
「ソレを言うなら、煙草さんも同じタイプですよね? 陽気で元気という意味では」
田邊さんはフフと笑っている。流石にお酒が回ってきたからか陽気モードになっていつになく能天気な笑顔だ。
「俺のようなオッサンからみると、本当に眩しくなるくらいピュアというか。でもあれだけ純粋だからこそ傷ついちゃったんだろうな~、あの子も」
目を細めてそんな事をいう田邊さんは完全に娘の事を語っている父親の顔である。俺はお酒が入っていることで少し顔が赤くなってきている田邊さんの顔をチラリとみる。
「しかし、あんな子に何が……そんな恋愛恐怖症になるくらいの事って」
独り言のようにそう呟きながら、田邊さんの空になった猪口に酒を注ぐ。
「さあね、でも『男の愛なんて信頼ならない!』とか酒飲んだ時に力説していたから、まあそれなりの事あったんだろ」
手酷く振られたか、浮気されたかといった所かと判断する。
「あんな良い子がそんな事に、可哀想に」
あんな煙草さんにそんな傷を負わせた野郎へのムカく。田邊さんも彼にしては優しい顔で頷く。
「ま、人はそういう痛い恋愛の一つや二つを乗り越えて大人になるってもんだ! 清酒君だってそうだろ?」
肩にいきなり手を回されそう振られてしまうと俺は苦笑するしかない。コレが酔っぱらった人との会話の困った所である。上手く会話を転がしているつもりが、理論関係なく話題が気分で変わる。
「俺は……まあ……それなりに。といってもそこまで劇的な恋愛もしてないのが現状ですが。
そういう田邊さんはどうなのですか?」
まったく興味ないといえば嘘になるが、田邊さんのプライベートをそこまで聞きたかった訳ではなく話を逸らしただけだった。しかしこの日の田邊さんはかなり気も緩んでいて開放的だったようだ、思った以上にというかビックリする程曝け出してきた。過去のドラマチックと言えばそうだが、凄まじい恋愛遍歴を聞かされる事になる。アメリカに残してきた十三歳になる娘がいるとか、数度の離婚歴あるとか驚愕の事実驚いたものの、この方ならそういう過去もあるのかなと納得してしまう何かが田邊さんにはあった。俺とは六年違い。しかしその年齢以上の経験を乗り越えてきた田邊さんってやはりただ者ではないなと思う。とはいえ逆上してナイフ持った恋人との大喧嘩とか、二度の泥沼の離婚裁判とか、経験しておきたいかというとそうではないが、そんな事を乗り越えこのように笑っている田邊さんってタフな人だと感心もする。
それを聞いてしまうと、俺の思いっきり普通の範疇の恋愛なんかを語らなくて良かった。
「女性を幸せにするというのに向いていないのかもな、俺は。まあ面倒なのとばかり付き合ってきとのもあるが」
そう笑う田邊さんに俺は頭を横にふる。
「田邊さんは恰好良いですよ。俺が女だったら、田邊さんに惚れるかもしれません」
俺の言葉に田邊さんは豪快に笑う。
「やめとけ! 俺に惚れるのは幸せが逃すぞ」
態と気取って低い声でそう言ってきたので俺は吹き出す。
「しかし、女にとって清酒くんみたいに面倒見良く優しいヤツのほうがいいだろうな」
その言葉に頭を横に振るしかない。
「俺やさしくないですよ」
田邊さんはニヤリと笑う。
「清酒くんは優しいよ! 俺は自分の娘が俺みたいな男つれてきたら蹴り返すけど、清酒くんいたいな男つれてきたら【グッジョブ】と誉めてやるな」
俺はその言葉に苦笑してしまう。
「結構難アリ物件ですよ」
「少なくとも俺みたいに、相手を泣かせることはない、だろ! 女を幸せにする」
そう言われ背中を強く叩かれる。俺は曖昧な笑みを浮かべながら頭を傾げる。そして俺の脳裏に浮かんだのは、初芽の寂し気な顔だった。俺の前で俺を見つめながら何故彼女はあんな顔をしていたのか? 俺は振り払うように頭を横に振る。
「ま、精進します。良い男になるように。 って俺まで何、相方のような事言っているのか」
女性を幸せにする恋愛って何なのか? 俺はそのつもりで今までやってきたし、田邊さんだって情が熱いし、兄貴肌で頼れる男で女性と付き合ってきたと思う。
何やら一人考え込んでしまった俺の背中を田邊さんが叩く。
「よく分かんねえけど、清酒くんはそうやって色々真面目に考えるからダメになるのでは? 恋愛ってフィーリングとノリだろ! そこに理論持って来るかな面倒になる。俺なんかいつでも勢いだぞ!」
凄い結果になった恋愛遍歴聞いた後だと、逆にその言葉に説得力がない。それが顔に出たのか田邊さんはハハハと困ったように笑う。
「ま、俺とは違って清酒くんはマメだし、女を寂しがらせなることもなさそうだから、大丈夫だ!」
酔っ払いのよく分からない根拠のない言い切りに苦笑する。役にたつかはともかく、殆ど人としたことのない恋愛論がこの日出来たのは面白い。しかもそういう話題しなさそうな田邊さん相手というのも大きいような気がする。
『女は寂しがり屋だから、ちゃんと目を離さず見守る事が大事』
田邊さんが何度も言葉を変え行ってきた言葉はコレだった。つい仕事等に集中してしまうと他に目が行かなくなる田邊さんの今までの失敗の原因がソレだったからのようだ。ならば俺は? 今まで放置したわけでも、束縛したつもりでもない。良く言われたのは『細すぎる!』という言葉。しかし初芽はそんな俺を笑って見てくれていた。そしで今まで付き合ってきた誰よりも情熱的に愛したと思う。しかし何故彼女はいつからか寂しげな笑みを浮かべるようになったのか? そう考えていると隣で田邊さんはカウンターに肘ついてボンヤリしてきている。酔いがかなり周り限界が近づいているように見えた。
俺は帰りと促し田邊さんの為のタクシーをよぶ。会計をすまし田邊さんを見送ってから家路につく。帰りながら改めて自分の恋愛の問題点について考えるが、決定的な何かが見つからない。その日は簡単にシャワー浴びてベッドに入る。その日見た夢は猫のように俺をジッと見つめる初芽。俺に何かを訴えているかのように。付きあっている時には聞けなかった質問をする。
『何故そんな顔しているの? どうしたら幸せそうに笑ってくれる? どうしたら幸せに出来る?』
初芽は俺の問いかけに困ったような笑顔を返すだけだった。そのまま別の記憶と夢を漂い気が付けば朝となる。俺は何処かモヤ~とした気持ちを振り払うように頭をふり、顔を洗いに洗面所へと行く事にする。俺は深呼吸しいつもの日常に戻る事にした。