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スモークキャットは懐かない?  作者: 白い黒猫
フルシティロースト
55/102

君がいなくても大丈夫

 俺は生まれて初めてJAZZBAR なんて場所に足を踏みいれている。商店街の隅のビルの地下にあるそのBARは煉瓦の壁に風合いのある木のインテリアで落ち着いた大人の雰囲気の場所だった。舞台の方では若いアーチストが曲を奏でていて、なんとも味わいのある空間を演出している。今の季節ならではのクリスマスディスプレイも他所とは異なり浮ついたものではなく上品な風合いがありお店に心地よい温かさを加えている。カウンターの中には白髪で髭という雰囲気ある男性と見るからに人柄の良さそうな老婦人がカウンターの中で作業している。その二人が棚瀬部長の顔を見て、嬉しそうに目を細める。

「久しぶりだね、棚瀬くん」

「最近バタバタしていて、なかなか時間とれなかったので──」

 マスターらしきその老人は俺の方をチラリと見てニコリと挨拶をしてくる。赫灼としていて姿勢もよく意外と鋭い目の所為か年齢よりも若々しく見える。また日本人でこんなにお洒落に髭を蓄えられる人も珍しいのかもしれない。マスターは自分の前の席を勧めるが棚瀬部長は首を横に振る。

「奥の席空いていますか? 今日は彼と静かに話したくて」

 マスターはニコリと笑い頷く。

「ちょうど空いているから、自由に使ってくれていいよ」

そう言い視線をフロアーにいる男性に向ける。

 四十代くらいの細身のウェイターが俺達を店の奥のソファー席へと上品な所作で案内してくれる。長めの髪を後ろで一つに縛り清潔感ある出で立ちで黒のホルターネックのベストにボルドーのソムリエエプロンというウェイター姿がよく似合っている。棚瀬部長とこの男性とも馴染みなようで楽しそうに会話を始めていた。

「そうそう、二十八日にシークレットライブするんですよ」

「へぇ、誰が?」

 ウェイターは切れ長の目を細める、一見冷たそうにも見える顔立ちだがこの男性の纏う空気はなんだか柔らかい。そして笑う事で更に温かさが増す。

「それはヒミツです。でも棚瀬さんなら検討はついているのではないですか?」

 二人でフフフと笑う。

「この店はね、JAZZ奏者からも人気な店で、時々トンデモナイ人物が演奏している事があるんだ」

 棚瀬部長は俺にそんな風に説明する。

「アーチストの皆さんにとって隠れ家的場所でみたいで、このコジンマリとした感じが心休まるのでしょうね」

 俺にそう話しかけて微笑む。

「JAZZはコンサートホールではなくこう言う空気の中で演奏されてこの距離で聴くから良いんだよ!」

 俺にそう言う棚瀬部長にウェイターは嬉しそうに笑う。先程のマスターもだが好きな事で仕事して誇りをもって楽しんでやっている男の顔である。サラリーマンにはない苦労もあるのだろうが、今全てが微妙な状況になっている俺には羨ましく見えた。

「おだてて、一杯奢らせようとしていますか?」

「本心だよ、まあ美味しいウィスキー飲めるならそれは歓迎だけど」

 棚瀬部長はおどけるように肩を上げて笑う。今日の棚瀬部長はいつになく陽気で浮かれている。自分のお気に入りの場所にいるというのもあるのだろうが見たことなく上機嫌で若々しい。そこに少し俺に違和感を覚える。というかコレが素の棚瀬部長なのだろう。

「あっ、清酒くんはアルコールダメだったよね。実は彼は体質的にアルコールがダメなようで」

 ボックスタイプになったソファー席に座りながら棚瀬部長が俺にそう聞いてからウェイターに説明をする。二人が視線に向けてくるので恐縮してしまう。

「すいません、そんなのにBarにきてしまって」

 俺の言葉にウェイターは顔を横に振り微笑む。

「いえいえ、ノンアルコールドリンクもメニューにあるものからないものまで色々取り揃えていますよ。学生さんも多いので。

 メニューお持ちしましょうか? それとも気分言って頂けたら適当に見繕ってご用意しますが」

 ウェイターの優しい笑みに釣られ俺も笑みを返す。折角なので、お任せでお願いすることにした。その方がこの空間を楽しめるような気がしたから。すぐにウィスキーと見た目はモヒートっぽいドリンクが運ばれてきた。サラリーマン二人が呑んでいるということで、露骨にノンアルコールで甘くて飲みやすいモノっていう感じではないものを作ってきてくれたようだ。乾杯して呑んでみたら、ライムとミントの香りが心地よく爽やかな味わいだった。

 美味しそうに目を細めウィスキーを飲んだ棚瀬部長は、ウェイターを見て二コリと微笑み合う。そして改めて俺と向き合う。

「突然呼び出して驚いただろ? 申し訳なかった」

「いえ、こんな素敵なお店に連れてきて頂いてうれしいです」

 棚瀬部長は自分が褒められたようにフフフと笑う。

「ここはね俺が学生時代からあって、昔はあの子たちのように舞台でJazz演奏していたんだ」

 酒好きで、かなり詳しい事は知っていたが、Jazz演奏なんて趣味まであった事は初めて聞いて俺は驚く。

「それはスゴイですね。しかもこういうお店で演奏されていたとは」

 棚瀬部長は、そう言うと照れたように顔を横に振る。

「イヤイヤ、ここはね、それこそ趣味でやっているド素人でも自由に演奏させてくれる所なんだよ。昔から。今考えるとよくあんな演奏を人前でしていたと恥ずかしくなるよ。若さって本当に怖いな」

 そう言いながら、棚瀬さんは懐かしそうに舞台を見つめる。

「もう演奏は流石にしないけど、ここには来てしまう。ここにくるとなんか若返るんだ。それこそスーツも脱いで俺自身に戻るというのかな?」

 俺はいつになく饒舌な棚瀬部長の言葉を頷きながら聞く。

「そんな大切なお店に何故俺を?」

 棚瀬部長は、フフと笑う。

「今日は美味しいお酒を呑みたかった事と、もう色々なしがらみから離れたからかな?

 あと以前君に教えてもらった喫茶店がなんかこのお店に似ていて……。だからこのお店も君は好きになりそうだなと思ったんだ」

 そこで言葉を一旦切って俺をジッと見つめてくる。

「実はこれは、君の会社の方にもオフレコで頼むが、俺は今期いっばいで高澤を退社する。

 早期退職者というのを募っていたからそれにのったんだ」

 俺はその言葉に流石に驚く。早期退職者募集というのは基本人員削減の一環で、条件の良い首切りを促すものである。棚瀬部長のような主戦力になる人へ向けたものではない。戸惑っている俺に棚瀬部長はニヤリと笑う。

「前々から誘われている所があってね」

 その言葉に少しホッとする。考えてみたら当たり前である。棚瀬部長ならばヘッドハンティングの話も多いだろう。

「しかし。棚瀬部長が抜けられると、高澤は痛いのはないですか? 先日も一人優秀な方が辞められたと聞いていますし」

 棚瀬部長は俺の言葉に苦笑する。

「人一人の力は、大企業においては小さなものさ。 確かに一人辞められて大変だったけど、問題や面倒は多くなろうがなんとかなるもんなんだよ。

……ま、前の通りとはいいがたいとしても、即会社がダメになる程ではない。

 俺も自分があの会社を支えている。自分が居なければダメなんだ、高澤の為なら耐えて頑張っていかねばならないと、烏滸がましく考えていた所もあったよ。しかもつい最近まで。だからこそ色々誘いの声もあっても耐えて頑張って来た。

 でも吹っ切れたんだ。様々な気持ちを抑えてまで頑張るだけの価値があそこにはあるのか? 会社の為でなく、俺の為に働ける所で働きたいと気持ちが変化した。恥ずかしいけどその部下が辞めていった事で、ちゃんと評価して求められている所で働く事もありだなという考えに至ったんだ」

 そう言う棚瀬部長の顔は晴々していた。そんな表情の相手との対話は精神的にも気楽だし、吊られて楽しくもなる。そしてその楽しそうな様子は新しい環境で頑張っているであろう初芽とも重なった。

 良かったんだと感じるのと同時に、寂しさも感じる。寂しさは初芽がいないからではない。このように個々にみれば大きい動きしていても、社会からしてみたら本当になんとチッポケな変化というのを感じたから。

 その事を寂しいと思うのか、良い事かと思う事も世の中にとって些細な事。俺一人が気にしてだけで、世間の人はもう勝手に新たなる日常として動き出している。

「新しい職場で美味しい珈琲を欲しくなったら、是非是非声かけて下さいよ。直ぐに契約に伺いますから」

 そう言う俺に棚瀬さんはフフフと笑う。

「発言力を高め、職場を動かせるように頑張るよ」

 俺もいつまでもウジウジしていないで新しい日常へと進んでいかないといけない。そんなやり取りを楽しみながら、棚瀬さんと乾杯をする。美味しい料理と旨い飲み物と共に過ごすジャジーな時間は、お酒の飲めない俺でも良い感じにハイにしてくれた。おそらくは店を出てしまったら外気の寒さですぐに冷える熱さであっても、この瞬間だけは楽しく陽気な気分で痛みとか寂しさを忘れさせてくれた。


こちらのお店、実は『透明人間の憂鬱』に出てくる黒猫の二十年後の世界です。

逆にいうと二十年前は棚瀬さんは社会人で常連として訪れて働き始めた透くんを見ていたと思います。

そして、どうでも良い話ですが、シークレットライブは高橋マリアと言う女性ヴァイオリンニストが来る予定となっています。『透明人間』『jazzy people』に出てくるjazz奏者夫婦の娘。あの夫婦の元でまとまな貞操観念をもって育ったかは謎です。パパも来て一緒に演奏ってこともあるかもしれません。

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