冬の空の色
俺より早く鬼熊さんの方に到着した清瀬くんと鬼熊さんは何か話しをしてカウンターの中に視線を向ける。
「ハジメさ~ん! カイノハジメさ~ん!」
清瀬くんが、ターミナル中に響くような声で叫び手を振る。二人の隣に到着しその視線の先を見ると三十メートル程先に空港職員と共にいる初芽の姿が見えた。そして俺の姿を見てその瞳が見開き、口を開けている。その瞳がジワリと細められ泣きそうな笑みに変化するのを俺は息が切らしながら黙って見いってしまう。初芽の唇が何かの言葉を発する。その声が小さかった事と、雑踏のノイズと全力疾走した為に激しく流れる鼓動と荒くなった呼気の音が邪魔してその言葉は音として俺の耳には届かなかったが、俺の目はその言葉を受け取った。俺は頷き同じ言葉を返す『アリガトウ』と。初芽はクシャっと顔を歪ませた。そしてその唇が再び同じ言葉を返してくるのを感じた。俺は笑いもう一度頷く。空港職員が初芽に何か話しかけてている。早く手続きしてくれと急かしているようだ。初芽はもう一度俺に視線を戻し、その唇が『サヨウナラ』と今度こそ本当に最後の別れ言葉を告げて手を振ってくる。俺も手を振り初芽の姿が見えなくなるまでその背中を見つめ続けた。
ハァ
完全に初芽の姿が見えなくなってから俺は息を吐く。正直まだ息は切れて苦しいし、ビールの所為で頭も痛いし、心も痛い。俺を気遣うように鬼熊さんがコチラを見て何か話かけようとしたが、俺は腕を引っ張られる。
「政秀さん、急がないと! 展望デッキ!」
呆気にとられている鬼熊さんを置いて清瀬くんが俺の腕を掴み再び走り出す。
既にかなりの距離走ったと思うのに清瀬くんはまだ元気で、展望デッキに到着すると直ぐにキョロキョロと滑走路に向けて顔を動かし飛行機を探す。大人なってこんな全力疾走したことなんてなかったので胸が苦しいを通り越して痛むなんて久し振りの体験だ。
「あの飛行機だよ、初芽の乗っているのは」
俺は肩で息をしながらも視線を巡らせ、一つの飛行機を指差す。初芽の乗る飛行機の航空会社の機体は一つしかなかった。先ほど消えた方向を考えても間違いない。 色んな意味で胸が痛くて苦しい。
「良かった間に合ったね」
明るく清瀬くんが笑う。しかしそのタイミングで飛行機に動きがあったので俺はその言葉に答えられなかった。飛行機はタラップが外され、ゆっくりと地上で動いていく。スムーズな動きでそのまま滑走路へと進んでいくのを俺はただ見つめる事しかできない。低いエンジン音が響き飛行機のスピードが上がっていく。俺は息を吐いてからスーと息を大きく吸い込む。その瞬間フワッと飛行機が滑走路から離れた。そうなるともうアッという間だった。あんなに大きかった飛行機は飛び立ちみるみる小さくなっていった。
俺は飛行機が消えた空から目を逸らせない。間抜けな様子でただ空を見上げる事しかできなかった。
肩を叩かれて初めて我に返る。振り向くと鬼熊さんが立っていた。彼女も走ってきたからだろう息が荒い。その横で清瀬くんも俺を心配そうに俺を見つめている。
彼だけが息を乱すことなく平然としている所は流石である。
「大丈夫?」
「……どういう意味で?」
俺がそう答えると、鬼熊さんは笑う。
「色々な意味で」
俺が何か言わねばと考えていると、展望デッキに風が吹き抜ける。風を感じその冷たさに自分の身体を抱き締める。
「サムッ ……
当然か、もう十二月なんだよな」
俺の言葉に鬼熊さんは苦笑する。
「そんな恰好だったらそうでしょ!
それにしても清酒くんのそんなボサボサ頭姿初めて」
清瀬くんに引きずられるように勢いのまま出てきたので上着を着る暇もなく財布とスマフォを持ってきただけの状態。そして今の俺の恰好は昨日部屋にいたまんまのジーンズに上はインナーにパーカーという感じ。しかも起きてから一切鏡なんて見てないから、どんな状態なのかサッパリわからない。どんな姿を初芽の前に晒したのだろうか? 俺は今更のように手櫛で髪を整える。
「無様で恥ずかしいな、俺」
鬼熊さんはフフフと笑いながら頭を横に振る。
「私はこういう清酒くんの方が可愛いいし楽しくて好きかも。」
鬼熊さんの隣で清瀬くんは微妙な顔をしている。コイツは基本いいヤツだけどヤキモチ焼きなのを思い出す。
「寒いんだろ! 中に入ろうよ。正秀さん風邪ひいたら大変だよ。温かい飲み物でも飲もう!」
俺の背中を押して、屋内へと促そうとする。
「あと、翔さんにお詫びの品も買わないとな」
その言葉に、清瀬くんよりも鬼熊さんが反応する。
「何? なんでここに鈴木翔の名前が?!」
清瀬くんが必死にここまでくるまでの流れを妻に説明する。俺に酒呑ませてしまった事、鈴木翔さんを巻き込んだ事で清瀬くんに呆れた顔をして夫を叱る。しかし怒られている清瀬くんは嬉しそうだし、怒っている鬼熊さんも仕事で俺を叱るときとは違ってどこか優しくて甘い。俺にはイチャついているようにしか見えず苦笑する。
俺はもう一度振り返り、空を見上げた。そこにはただ冬特有のスモーキ―ブルーの空が広がっているだけだった。
「正秀さん、早く! 何か飲もう! アルコール以外を!」
清瀬くんの声がそうやって俺を急かす。
「だな、もう喉カラカラ」
俺はそう言って二人の後を追いかけた。二人のその仲の良い賑やかな感じと俺への程よい優しさが、心寂しく寒さに震えている今の俺に程よく温かく心地良かった。俺は二人に誘われ空港内をぼんやりと歩く。
今の俺の心にポッカリと空いてしまった穴。コレをどうするべきか? 何かで埋める事ができるのか? 時間がくれば無くなるものなのか?
その前に今の俺に必要なのは、疲弊しきったこの身体を休める事の出来る椅子と、乾ききった身体を潤す水。先ずはそれを求める事にしよう。
「うちの旦那が、かなり迷惑かけたみたいだから、奢るわよ!」
鬼熊さんの言葉に、俺は態と人の悪い笑みを返す。
「朝から何も口にしてない状態なんですが、それでもいいですか?」
フフと鬼熊さんは笑う。
「自棄酒の次は、自棄食いする気?」
「二日酔いで、若干胃にもきているので、自棄食いはキツそうですね」
清瀬くんは、俺をジーとみてくる。
「ちなみに、ビールどのくらい飲んだの?」
俺は顎に手をやりその時の事を思い出す。
「缶四分の一くらいかな」
「よわ!!」
「それでも。俺史上一・二を争う程アルコールを呑めた状況だよ」
「呑めたって、それで潰れたら呑めたって言わないでしょ」
清瀬くんと鬼熊さんが笑って突っ込む。こういう馬鹿話もすることも出来るし、笑みを作ってみせることもできる。俺は大丈夫そうだ。初芽は今どんな表情しているんだろうか? どんな気持ちで日本を見下ろしているんだろうか? 俺はそう考えて頭を横にふり頭痛に頭を押さえる。
初芽はさっき俺に別れを告げた後、一度もコチラを振り返る事もなく去っていった。だから迷ってもおらず前に進んでいくんだろう。だから大丈夫。
俺は一回大きく深呼吸をする。頭と胸がズキズキとした痛みを訴えたが、ほんの少しだけ心は軽くなった。
~ シティーロースト end~