惰性で過ごす日々
有意義に時間を使っていようが、放心していようが時間は無情に過ぎていく。何をやったか分からない休日が終わり平日となる。初芽からも連絡は一切なかったし俺からもしなかった。良く分からない感情の爆発の結果、笑ってしまったものの、そのあとの自分の気分が何なのか分からない。一つ言えることは、その中に怒りというモノだけはなかった。あるのは哀しい寂しいなんて言葉で言い表せない大きな喪失感、そして激しい自己嫌悪。
『精神的に苦しいので仕事休みます』なんて事は言える訳もなく俺はスーツに着替えいつものように会社に行く。身体がもう覚えているのだろうグシャグシャの心でも問題なく会社へと俺の足は会社へと自動で向かう。
挨拶してくる仲間に俺も笑顔を作り返しているのを客観的に感じ、『なんだ、意外と俺は大丈夫じゃないか』とも思う。しかし席につき前にいた鬼熊さんに挨拶したあと眉を寄せた表情から完全には繕えてないことを察する。俺はそれに気づかない振りをしてパソコンの電源を入れる。ジッと何か言いたげな顔をしていたが、鬼熊さんは何も言わなかった。
鬼熊さんは初芽の渡米の事知っているのか? 知っていたのならどこまで知っていたのか? いつから知っていたのか? とか聞きたいとも思ったが今となっては無意味なので止めた。
仕事というものは気晴らしにはなかなか使えるモノなようだ。営業用の仮面を被る事ができるために行動もしやすい。しかし一人になると繕う相手がいないと俺自身に戻ざわる得なくて辛くなる。今まで普通に一人で帰って、一人部屋で過ごしていたのにその事に寂しさを感じ、態と寄り道して帰る。家電量販店とか本屋とかをウロウロして、外食して家に戻る日が続く。
「今日はウチの旦那地方なの。一人でご飯食べるのも寂しから付き合いなさい」
平静という仮面で過ごす日を続けて十日程したとき鬼熊さんに夕飯に誘われた。俺が渋っていると鬼熊さんは笑う。
「警戒しなくてもあの子を呼んだりとかしていないから。そういう余計な事はしない主義なの。
ただ、話を聞いてあげるくらいは出来るわよ。というより言いたい事あるけど社内では難しいから」
俺は苦笑する。別れた恋人の友人からお叱りの言葉をうけないといけないようだ。
そして連れていかれたのは、お座敷タイプの個室のある韓国料理のお店。男と女で半個室の部屋にいうものの、色気とは無縁のどこか気まずい空気。
何でも良いと言う俺の意見を素直に受け取り鬼熊さんは適当に色々頼んでいく。
注文も終わり店員がいなくなると、そのまま沈黙が場を支配する。流石に色々繕う事も疲れていたし、鬼熊さんの前だとそうするのも馬鹿らしい気もしたから。鬼熊さんはフーと一度息を吐く。
「初芽から先週話聞いたわ。私もビックリした。何て言ってよいのか……」
俺を労るように見詰める瞳は、俺を問い詰めたいという感じではなかった。お叱りの言葉ではなく、慰めるために食事に誘ってくれたようだ。
「彼女が選んだ事だから」
俺の言葉に鬼熊さんは眉を寄せる。
「貴方はそれで良いの?」
俺は肩を竦める。
「良いも何も、アチラはもう俺と付き合う気持ちはない。仕方がないでしょ? そこも聞いたのでは? 彼女から」
鬼熊さんは、何故か身体に痛みを覚えたかのように顔を顰める。そこで料理が運び込まれてきたので、会話は一旦中断する。鬼熊さんはそのままチゲ鍋を作り出す。
「……聞いたといっても大した内容でもないわ、転職した事と貴方と別れた事だけ……」
俺は『なるほど』ときながらサラダを二つの皿に取り分ける。
「あの子って、ああだから……貴方は納得出来ているのかなと」
俺は苦笑してしまう。
「納得も何も、こんな感じで別れたいと言われたら、『そうだね』という以外何かあるんですか?」
俺の顔を鬼熊さんはジッと見つめてくる。そして頭を横にふる。
「二人とも何でそうなのかな? もっとあの子に言いたかった言葉とかあったでしょ? 初芽もアンタも弁立つようで、なんで肝心な時それが発揮出来てないの?」
初芽は鬼熊さんに何をどう語ったのだろうか? 何故か鬼熊さんまでが悲しそうな顔をするのか。
「俺達のことで鬼熊さんにまで色々気を使わせて申し訳ありません。でも初芽にとって今度の転職は本当の意味で自分を試せる職場に行けるわけだし、悪い状況ではないでしょ? それに打ち込みたいから余計なモノ切り離すというのも当然ですし」
「あの子はそうは言ってないでしょ!」
俺の言葉を遮るように鬼熊さんが口を挟む。俺はその言葉に頷く。
「ですね、彼女が言ったのは『俺にはもっと相応しい女の子が他にいる』って言っていましたよ。
でもそれは逆に、『俺が初芽に相応しい男ではない』という意味。分かっていましたよ。何となくそれは。だから当然の結末なんでしょうね。コレが」
鬼熊さんは、俺を見つめたまま黙り込む。俺は煮上がってきた鍋を小皿に取り分ける鬼熊さんの前に置く。そして自分の分の鍋もよそい食べる事にする。鬼熊さんも何も言わず鍋を食べ始める。無言の部屋にチゲ鍋のグツグツ煮える音だけが響く。
食事も終わり鍋も下げられ二人でコーン茶を飲む。鬼熊さんが鞄を引き寄せ手帳を取り出す。そしてメモページを切り取り何かを書き入れ俺に渡してきた。
そこには今週末の日付とアルファベットと数字が書かれている。飛行機の型番と行き先と出発時間であるのは直ぐに理解出来た。
「貴方達、まだ会話すべき事あるでしょ? 別れるにしてもキッチリもう一度顔合わせて話をして別れなさい」
俺は笑顔を作りそのメモを受け取る。内心『今更何を話せばいいんだよ!』と思いながら。そんな俺の本心もシッカリ読まれていたのだろう。鬼熊さんは溜息を大きくつく。そして伝票を自分の方に引き寄せサッサと会計の手続きすませてしまった。そして俺が半額支払いを堅くなに拒否して店を出てしまう。
「……ご馳走様でした」
そう挨拶すると、少しだけ笑顔をつくる。
「今度はウチの旦那も交えて何か食べにいきましょう! 賑やかなだけが取り柄だからもう少し盛り上がった食事になると思うわ」
そう言って、手を振って地下鉄の駅に向かって去っていった。言いたい事を言うけど強要はしない。鬼熊さんはそう言う人だ。俺は鬼熊さんの背中を見送ってから、改めて手にもったままのメモに視線を戻す。そして大きく溜息をつきそれをコートのポケットにしまい反対方向にある駅に向かって歩き出した。